愛知県碧南市 お殿様を待つ猿は雪の中ずっと…西端「猿待」の由来を探して

碧南の不思議な話

猿塚 (さるづか)

お殿様と猿の微笑ましくも悲しい物語 旧字名「猿待」も人の記憶から消え

猿塚イメージ図

<お殿さまを待ち続けた雪の降る日、朝には猿は冷たくなって死んでいた。可哀想に思ったお殿さまは猿を手厚く葬り、その塚は猿塚と呼ばれるようになった> 西端に本多忠鵬というお殿様がいた時代の話。お殿様が家来を従い、領地を見回る際、ある地点に来ると一匹の猿が現れるようになりました。 お殿さまの姿を遠くから見つけると、急いで走り寄って来て、お殿様を出迎えます。 お殿様は猿を可愛がり、出迎えたご褒美として豆を毎度与えました。ある年の冬、何日も雪が降り、領地内の道が閉ざされてしまう。 お殿様は猿の事が気になりますが、どうする事も出来ません。やっと降り止んだ雪、お殿様は家来と共に、猿の現れる場所に向かいます。 そこには、雪の塊。家来が掘り起こすと、あの猿が死んでいました。雪の振る中、ずっとお殿様の来るのを待っていたのです。 お殿様は、猿の為に塚を作り、手厚く葬りました。その塚をいつしか村人は、猿塚と呼ぶようになりました。

猿塚跡と云われる場所にお地蔵さん

<猿塚が名の由来となった旧字「猿待」は西端小学校の南西にあり。聞けども、だれも「猿塚」の話は知らず。苦労の末、見つけた猿塚には一体のお地蔵様が。また猿塚にはもう一つの説があり、なんでも豊田市・猿投神社と関連があるという> 困った。猿塚に由来ある旧字「猿待」を調べようにも、曖昧な古地図しか見つからず。西端に向かい、年配の方に訪ねても答えは皆無。 曖昧な地図により、おおよその位置は西端小学校の南西であると掴んでいたが、みんな「猿待も猿塚も知らない」の一辺倒。 「たとえ休日と云えども、何度も小学校の前を彷徨くのはまずい」と焦り出す私に、神は啓示を授けてくださった。 電話会社の識別標に「猿待」の表記が成されていたのである。そして10メートル先には、三角地に一体の地蔵様。 伝説では、猿塚に悪戯をすると腹痛に襲われるという。一説には、猿塚は「猿投山(瀬戸市と豊田市の境にある山)から大浜の海に水を汲みにやってきた神の猿を何者かが殺してしまい、村人が埋葬した」ものと伝わる。 この事に関連する歌が残されている。「にくや権現の傘松は さなげさなげと手をのばす」 これは権現岬の歌人・甲斐丸が詠んだ歌である。 甲斐丸は、この「猿塚」の事を知っていたのだろうか?

ヘボト自画像ヘボトの「街談巷説(がいだんこうせつ)」

油ヶ渕で花火を見る人々

「龍神の灯」

西端は東を油ヶ渕に面した地域。故に油ヶ渕にまつわる民話も伝承されている。 そのうちのひとつ、「龍神の灯」は油ヶ渕の名の由来となった話である。 まだ油ヶ渕が北浦と呼ばれた海であった時代、西端の岬近くにに息子・母の親子が住んでいた。 母は漁から帰る息子のために、岬に目印となる明かりを灯そうと願うが、貧乏であるがゆえに、油代もままならず。 岬から少し離れた海に深い淵があり、そこは昔より龍神が住むと伝えられていた。 母は毎日、「息子が無事に帰れますように」と淵の方角に手を合わせて拝む。 何時の頃からか、不思議と夜には岬に明かりが灯るようになった。 西端では「息子を思う母の気持ちが龍神様が通じ、明かりを灯した」と評判となり、岬の明かりは「龍燈」と呼ばれ、後に「油ヶ崎」から「油ヶ渕」と名付けられた。 あくまで民話である。しかし、西端の岬には、毎夜明かりが灯っていた事は本当らしい。西端は「蓮如さん」に深く関わりのある地域である。 「何時でも蓮如さまを西端の道場(のちの応仁寺)にお迎えできるように」と信徒達が岬に明かりを灯していたという。

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