アイスクリーム
前期試験がどうにか終わって、ぼくの大学は夏休みに入った。部活があったから、なかなか帰省できなかったけど、それでもなんとかお盆の前には帰省した。
ぼくはどうしても菜穂に会いたかった。
この数ヶ月、自分の中で何度も確認して温めてきた思いを、きちんと彼女に伝えたかった。
★
大阪も暑いけど、こっちも相当に暑かった。前回の帰省のときには、菜穂と一日過ごし、翌日は高校時代の連れと遊んだりしたから、あまり家にいなかった。ぼくのかあちゃんは、男兄弟なので諦めてるのか、ぼくたちが中学生になる頃から、自分の趣味の友達を増やして、子育てを早々に卒業してしまっていた。だから家には寝に帰るだけでも、何も文句を言われなかった。そして朝には、あったかい白いご飯とみそ汁を用意してくれていた。甘い卵焼きも、ぼくの家の味だ。
おふくろの味を堪能しながら、ぼくは何度か彼女に電話した。彼女は忙しくしているのか、留守電に切り替わることが多かった。ぼくは帰省したことをメッセージに残し、電話を掛けてきてほしいと伝えた。連れと遊びに行っている間にも、彼女から電話が入るんじゃないかと神経をとがらせていた。
「そういや、ケン、菜穂ちゃんとはどうなってるんだよ?」
痛いところを、達哉に突かれた。
「ああ・・・まあ・・・連絡が取れないんだよ・・・」
「やっぱさぁ、遠恋って難しいものかもしれないよなぁ・・・」
そう言う達哉も、東京の大学に進んだ彼女と、遠距離恋愛をしているんだけど。それなりの苦労や行き違いがあるらしい。
ただ。ぼくと達哉が決定的に違うのは、彼女が日常生活を無理なく送れているかどうか、だった。勿論そんなことは、ぼくもわざわざ達哉に伝えない。噂が広まって、菜穂を傷つけることはしたくなかった。
達哉とゲーセンで遊んでいるとき、ぼくの携帯に着信があった。慌てて画面を見ると、菜穂の名前が・・・。ぼくは外に出て、電話を取った。
「もしもし」
「あ・・・ケン?留守電聞いて、かけたんだけど・・・こっちに戻ってきてるんだ?」
声の感じは、あまり変わっていないようだ。
「今、どこにいるの?」と彼女。
「達哉とゲーセンに居た」
「ああ、達哉くんね。懐かしいわぁ。元気してる?」
「おお、変わりなさそうだよ」
「そっか。。。」
少し沈黙が流れる。言葉を探しているような感じが伝わってくる。ぼくの方から切り出すことにした。
「今、時間ある?どうしてもちゃんと伝えておきたいことがあるんだ」
「・・・・・・・・・」
迷っているのは、何故だろう?他に好きなヤツができたのだろうか?イヤな予感がする。
すると、彼女が「うん、大丈夫。○○駅まで行くから、迎えに来てくれる?」と答えてくれた。
達哉には悪いけど、菜穂から電話があってこれから会うことになったと伝え、ぼくはゲーセンを後にした。
30分ほどで待ち合わせの駅に着いた。彼女は、やっぱり空を見上げていた。セミの鳴き声がもの凄い。もこもことした入道雲の下で、相変わらず色白な彼女は、雲に溶けてしまいそうだ。
ぼくに気づくと、彼女は「ちょっと待っててね」と唇を動かし、コンビニに駆け込んで行く。お茶でも買うのかなと待っていると、彼女はやがてこちらに走ってきて、助手席に滑り込んだ。鮮やかなグリーンのワンピースの上に、黒のニットのカーデガンを羽織っている。また少し大人びたようだ。そしてまた少し線が細くなったようだ。
「アイスクリーム、買っちゃった。バニラと抹茶、どっちがいい?」
彼女が袋からアイスクリームを取り出す。・・・彼女が食べ物を買うなんて、珍しい。驚きながら、これはもしかしたら良い変化なのかもしれないと、ぼくは少し期待した。
ぼくは抹茶を選んだ。彼女が蓋を開けて、食べさせてくれる。何だかとても照れくさい。彼女は、ぼくに食べさせながら、自分もバニラのアイスを食べた。車中に甘い香りが充満する。それもいいかな、とぼくは思った。こうして彼女と一緒に居られることが、ぼくにとって最高の幸せなんだと、改めて実感した。
「ケンは抹茶のアイスが好きだったよね」彼女が前を見ながら言う。「菜穂がバニラ好きだなんて、知らなかったよ」とぼくも運転しながら言う。
お互いに、言いたい「何か」を抱えていた。
ぼくは、車を飛ばして、プラネタリウムへ向かった。彼女の好きな空を見ながら、話したかった。
★
プラネタリウムなんて、小学校の林間学校以来だわ、と彼女は懐かしそうに目を細めた。もう随分古い建物で、お客もぼくたちだけしかいなかった。貸し切り状態だ。
会場が暗くなる。星空が浮かび上がる。一つずつ、星座の説明をするアナウンスが流れる。彼女はじっと星たちを見つめていた。あまりに真剣に彼女が眺めているので、ぼくは話すきっかけを失ってしまった。
一通りの説明が済み、会場が明るくなった。入れ替えの時間だ。ぼくたちは会場から出て、ロビーに座った。彼女にお茶を、ぼくはブラックコーヒーを買ってきて、向き合った形で座る。周りには誰もいない。
彼女は、俯いていた。
ぼくはききたいことがいろいろあったけど、彼女が話し出すのを待つことにした。
10分くらい過ぎた頃、彼女が、「今ね、病院に通ってるの」と切り出した。
「うん」
「軽い薬とね、心理療法ってものを受けてるの」
「・・・うん」
「それでね、いろいろ考えたの・・・」
「・・・・・」
「わたし、普通じゃないのよ。薬がなきゃ眠れないし、そういう治療を受けなきゃ生きていけないの」
彼女は、ふぅっと息をついた。そしてまた少しの間黙ってから、ぼくの目を見て、こう言った。
「ケンは、やっぱり普通の子と恋愛しなくちゃ。」
・・・普通の子・・・?いくら薬が必要だとしても、心理療法を受ける必要があるとしても、だからって異常なわけじゃないじゃないか。
そう言おうとすると、彼女は見透かしたように続けた。
「確かにね、わたしはそんなに重い病気じゃないみたい。でも、こんな自分と付き合っていけるようになるまでに、まだ時間が掛かりそうなの。どうしても抱えきれない思いがあれば、また身体を傷つけてしまう。そうしなきゃ生きていけないの。・・・でも、それを理解してくれ、っていうのは、とても無理な問題だと思う。理解しようとして、ケンがわたしに言いたいことも言えなくなってしまうのも、悲しいの。ケンなら大丈夫、きっともっと素敵な人と出会えるから・・・」
一生懸命に感情を抑えようとしながら、それでも彼女の身体は小さく震えていた。両手をぎゅっと握り締めて、一言一言を、噛み締めるように繋いでいた。
ぼくは、なるべく感情的にならないように気を付けながら、彼女のことばに対するぼくの思いを伝えた。
「俺は、菜穂とこれからも一緒に歩いていきたいと思っている。どうしてなのか分からないけど、菜穂じゃなきゃダメなんだ。病気に逃げちゃダメだよ。自分のこころの中で起きていることは、もしかしたら自分の力で変化できるかもしれないよ?一緒に乗り越えていこう。いつもいつも菜穂の側に居られるわけじゃないけど、菜穂が助けを望んでいるときには、この車で駆けつけるから。俺が、少しずつ、菜穂を守っていくから・・・」
彼女の瞳が大きく揺れた。「わたしでいいの?」と小さな声で尋ねている。その彼女を、ぼくは強く抱きしめた。もう不安にさせないから。寂しくなったら、いつでも来てくれればいい。ぼくはきみを守ろう。