4月1日から、大学が始まった。片道2時間はちょっときついけど、一人暮らしを許してもらえないから、仕方ない。毎朝7時の電車に乗って、ラッシュの最中を通学してる。大学は桜が満開で、授業のない日には、ひとりでぼーっとしたりしてる。友達がいないわけではないけれど、ご飯とかお茶とか一緒にするのが苦痛で、どちらかというと単独行動が多いわたし。
 ケンも4日から大学が始まって、新しい生活をスタートさせている。バイトはコンビニ店員と、家庭教師。アメフト部に入部したらしい。わたしのバイトは、家庭教師と塾講師。どっちも英語しか教えられないけど、そこそこ頑張ってる。サークルは、入らないことにした。きっと合宿とか飲み会とか、行けないと思うから。

 わたしたちは、別々に新しい道を歩き始めた。

 離れて過ごすことに不安を感じないわけはない。お互い、どんな出会いが待っているか分からないわけだし、わたしがケンに振られることだってあるだろう。彼は社交的で人気者になるタイプだから、彼を好きになる子は絶対にいるだろう。そういった子と比べて、わたしが勝るものは、何もない。
 信じるしかない。彼のことを。自分のことを。

 お互いに忙しくても、一日数回はメールし合ってる。わたしは自分のすべてを彼に頼り切ってしまわないように、ずっと気を付けてきた。一度凭れ掛かってしまえば、その心地よさにわたしはきっと酔ってしまい、彼に負担をかけてしまうから。そんなこと気にするなと彼は言うけれども、人を頼ることの苦手なわたしは、甘えることに慣れてしまうのが怖い。その人がいなくなったとき、もう自分ひとりじゃ生きていけなくなるのが、怖い。本当はこんなに距離が離れてしまっていることへの不安で潰れてしまいそうなのに、わたしは気丈な振りをする。かわいくないなぁ、と思っても、身についてしまった癖はなかなかなおらない。
 時々、無性に声を聞きたくなる。でもお互いに授業が詰まっていて、なかなかタイミングが合わない。それに、わたしの家では、電話を20時以降にすることは認められていない。バイトとクラブとに忙しい彼が、そんな早い時間に電話できるわけもない。少しずつ、お互いの距離が広がっていくような気がして、わたしは「そのとき」がきても耐えられるように、わざと彼と距離感を保とうとする。本当はもっと甘えたいのに、本当はもっと彼の気持ちを確認していたいのに、いつもわたしは自分を守ってしまう。これがいけないんだ、と分かっているのに。彼がもっとわたしに甘えてきてほしいと望んでいるのも、分かっているのに。わたしはいつも「だいじょうぶ」と嘘をついてしまう。

 しんどいよ。傷がまた増えたの。どうしよう、あなたがいなきゃ頑張れない。
 こころの中はもうぼろぼろなのに、わたしはどうしても家を抜け出せない。あの夜・・・初めて無断外泊してから、親の規制は厳しくなって、未だに門限が20時。コンパなんて行けないよ。バイトの送り迎えだって、親がしてる。わたしが自由になれるのは、昼間の大学にいるときだけ。
 苦しいの。だから傷を増やしてしまう。どうしたらいい?
 ・・・言えないね、そんなこと。あなたに、言えない。言えばあなたはきっと夜中にでも飛んでくる。そんなこと、させちゃいけないから。わたしはあなたのお荷物になっちゃいけないから・・・。
 でも、なんだか夜眠れないの。訳もなく涙が出てきたりするの。どうしたらいいの?

 言えなくて。そんなこと、言えなくて。もう幾つの夜を眠れずに過ごしただろう?授業受けてても、倒れそうになる。じっと座っているのが苦痛で、たまらない。誰とも話したくなくて、ひとりになりたくて。でもひとりじゃ寂しくて。寂しいって気持ちを認めないように頑張って頑張って・・・。

 ーーーー気が付いたら、わたしはそこにいたーーーー

 開かないドアの前で、涙が止まらなかった。真っ暗な部屋。まだバイトなんだね。それともクラブの飲み会かコンパかな?うん、忙しいの分かってるから・・・あなたの邪魔はしない。少しだけ、顔を見たら、すぐに帰るから。
 そんなことを何度も何度も自分に言い聞かせて、もう何時間待っただろう?
 4月の末の夜は、まだ寒くて、身体が震えてきて。それでもここから離れることができなくて、ドアの前でうずくまっていた。

 「・・・菜穂・・・・?」
ああ・・・聞き覚えのある声・・・。夢かな、わたし、眠ってしまったのかな。夢だったら、このまま少しの間覚めないで。
 そう祈るようにしていたときに、身体が温かくなった。・・・夢じゃない・・・?見上げると、彼の驚いた顔がそこにあった。
 「ごめん、来ちゃった・・・。でももう帰るから・・・」
そう言って歩こうとすると、足下がふらついて、彼に支えられる。
「どうした?何かあったのか?いつからここにいた?」
 ・・・そんなにあれこれきかないで。一度に答えられない。それよりも、わたしは早く帰らなくちゃ・・・。また、叱られる・・・。叱られる・・・叱られる・・・あの恐怖が突然蘇ってきて、わたしは彼にしがみついた。身体が震える。

 彼は、わたしを部屋に入れて、温かい紅茶をいれてくれた。彼の部屋は、そこそこきれいに整頓されていて、大学の教科書が本棚にあった。本棚の中に、わたしの写真が飾られてあって・・・それを見て、涙が止まらなくなった。「離れてるのが怖いの。わたし、自分でもどうしたらいいのか分からないくらい、ケンと離れているのが不安でたまらないの」・・・ごめんね、頑張ってみたけど、やっぱり頑張りきれない。あなたにだけ傷を見せてきたから、あなただけが知ってくれたから、あなたが居なくなってしまったら、もう抱えきれなくなったの・・・。
 彼はわたしの手首を見た。新しい傷を幾つも見つけて、何も言わずにわたしを抱きしめた。わたしは彼に謝り続けた。そうすることしかできなかった。

 帰るのが怖かった。わたしを待っているものを、予想するだけで、消えたくなった。「消えたい」と何度も繰り返すわたしに、彼は辛そうに表情を歪めた。

 ・・・わたしが、この人を、ダメにしてしまう・・・。
 そう思った瞬間、わたしは彼の部屋を飛び出した。わたしはここに居ちゃいけない。甘えちゃいけない。ひとりで頑張らなきゃいけない。
 追いかけてわたしの手首を掴んだ彼に、わたしは振り向いて笑って見せた。
「だいじょうぶ。ケンにちょっと会いたくなっただけ。まだ電車に間に合うから、帰るね。」
そう言って、手を振った。

 ・・・バイバイ・・・。

 彼は、それ以上追って来なかった。これでいいと、わたしは自分に言い聞かせた。

原稿用紙

It's my...

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