〜世界遺産をたずねて〜 熊野古道と高野山
![]() 極楽橋駅。 さあ!出発! |
8月17日、朝7時発新幹線新大阪行きに乗り込む。自由席しかないが早朝なので席はあいていますと駅員さんが言ってました。かろうじて席はあいていたが、ほぼ満席。まずは睡眠をとる。 新大阪に着く。大阪は初めてだ。と、思ったが、待てよ、大阪万博行ってるから41年ぶりだな。3歳だったから覚えてないけど。それから2回乗り換えて、南海鉄道高野線新今宮駅に着く。平日だったのでJRは朝のラッシュで混んでいた。迷わずいけてよかった。極楽橋行き新快速に乗り込む。まだまだこれから、歩くことが控えているので、体力温存のため睡眠。途中、橋本駅で、我々が乗っている車両が離されるということで、前の車両へ移動させられる。座席はなかったので、立って車窓の景色を眺めながら過ごした。みんな多分、高野山へ行くのであろう。ほどなく極楽駅に到着。我々以外の多数の乗客の方々は、ケーブル電車乗り場へ移動。そう、わざわざ歩かずとも、ケーブル&バスで高野山へは行けるのだ。このルートは明日の帰るためのルートである。今日は、「熊野古道を歩く」。旅の目的第一弾。よし!高野山目指して歩くぞ。 そして、我々待っていたのは、「不動坂」という、長い長い坂。歩いているのは、我々だけ。プライベートロードとでも呼ぼう。ある意味独り占め。ある意味贅沢。だが、ある意味ハード。暑い。こ、これは、甘くみていた熊野古道。途中ケーブル電車が走っているのを横目でみて、ちょっぴりうらめしかった。ケーブル電車、かなりの急勾配を走っている。その急勾配を時間をかけて登る。すっかり汗だく。不動坂は女人堂まで続くことがわかる。その女人堂までの中間地点にある清不動堂という建物がいつまでたっても見えてこない。山の中。静かな沈黙。蝉の鳴き声、鳥のさえずり。腐葉土の道。湧き水。 そんなことを肌で感じながら、ようやく清不動堂に着く。それからは若干舗装されたこれまた坂道を歩く。途中、人とすれ違う。なんかほっとした。しかし、坂道、延々と続く。やっと到着、女人堂。昔の女性はここまでしか入れず、ここから高野山を拝んだそうな。女人禁制の聖地、高野山。ここでいただいたお水の、なんとおいしかったことか!!!お水の横にあるお札やお守りの中に「御朱印帳」なるものを発見した四女。どうやら部活の友人がこれを持っていて、たずねたお寺で朱印をしてもらったものを見たことがあるようだ。すぐさま彼女の目が輝いた。よくわからなかったが、説明を聞いていると、いわゆる「お寺のスタンプラリー」みたいなもんらしい。その御朱印帳は、まずは高野山の数々あるお寺の中からオススメのお寺が載っていた。はじめはスタンプを押してくれると思ったが、お坊さんがきちんと毛筆と墨で書いてくださる。弘法大師ゆかりの地ならでは。だがこの御朱印帳、全国各地のお寺でも書いてくださるそう。だから、いろいろたずねれば何十冊にもなるそうだ。四女の目がまた輝く。お寺大好きっ子の血が騒ぐ。夢は膨らむ。 高野山へ入れば、もう坂はない♪。お寺お寺お寺。四女、テンションあげあげ。 まずは、徳川家霊台へ入る。家光が建立した家康と秀忠の霊屋がある。 次は、金剛峯寺。このお寺はすごかった。広いのなんのって。また豪華絢爛。いくつも部屋があるが、その部屋の広さ装飾、半端なかった。見ごたえ充分。ここでも御朱印帳登場。 ここで、いったん休憩。お昼ごはんを食べる。腰をおろしてうどんを食す。空腹だったのでおいしさ倍増!! 休憩後、根本大塔、金堂と見学。朱塗りの根本大塔は圧巻だ。中は写真撮影禁止だが、立派な仏さんがたたずんでいた。静かな空間。ひんやりした床。別世界にいるようだ。 次は霊宝館。ここは多くの貴重な文化財が保管されている。ちょうど夏期特別展で、「清盛時代の高野山」というのがあり、テレビでも紹介された両界曼荼羅(血曼荼羅)が展示されていた。大迫力だった。松山ケンイチがこれを描いたわけではないが、彼が血を混ぜてこの曼荼羅を描くシーンを思い出した。あと国宝級のものが続々とあり、なかなかよい美術鑑賞となった。 ほんとうに見るものすべてが、別世界のものであり、心が無になる。 さあ、最後は奥の院。だか、ここから奥の院まではかなりの距離がある。主人は、荷物をしょったままだし、私も四女も疲労は蓄積されていた。ここで奥の院まで奥の手「バス」を利用した。高野山は実にバスがよく走っている。ほどなくバスに乗り、奥の院に到着。ここからまた弘法大師御廟まで歩く。見渡すかぎりお墓お墓。お墓も苔がはえている。昔の偉人のお墓がいっぱいある。が、どれがどれだかわからないから残念。ツアーらしき団体にガイドさんが説明をしているのを、耳をだんぼにして聞いていたりした。逸話などを盛り込んだ話を聞いていると、また違った深みのある奥の院鑑賞となったであろう。事前に勉強してくることも大切だな、と、思った。長い長い歴史を感じる。企業の名が入ったお墓が多々ある。みんな弘法大師さまのそばがよいのか。燈籠堂というところはちょうちんがいっぱいあり、さながら和風イルミネーションを彷彿させる。夜の開放もあると聞くので、夜に来るときっと素敵だろうなと思った。 20体ほどある観音様に水をかけるとごりやくがあると、観音様に水をかけて涼を得た。苔がいいんだなぁ〜。ほんとに心が洗われるわ〜。 こうして、ノルマ(?)は達成した。四女の朱印帳も充実した。最後、こうやくん(ゆるキャラ)のストラップをいただき、宿坊までバスで行く。バス停降りたらすぐだった。密厳院というお寺が今日の宿。入ったら若いお坊さんがお出迎え。部屋に案内され、やれやれ。時間は四時半。六時に夕食を頼んだ。「お飲み物は何にしますか?」の質問に「お寺にもお飲み物があるのか♪」と、嬉しくなり主人と目を合わせおビールを頼んだ。仲居さんは、若いお坊さん。そして、お風呂へ。汗が流せて最高に気持ちいい!!浴衣もあるから、ほんと旅館なみ。お寺とは思えないほど、細部まで気がきいていて、快適だ。 お風呂からあがってゆったり。クーラーはないが、高度が高いせいか涼しい。ちょっとした避暑地気分。 そしてお待ちかねの精進料理。いろんな種類がいっぱいあってどれもこれも非常においしかった。素朴な素材でもこんな風に味付けすれば、いいのかと、主婦の血が騒いだ。おビールも汗をかいたあとなので、ほんとうにおいしい。ダイエット中の主人は「今日はよく歩いたから」と、ごはんをいっぱいおかわりしていた。お米おいしかった。極上の幸せ堪能。 夜はやることもないので、布団の上でテレビをぼ〜〜と見る。自然に睡魔に襲われ、九時くらいには寝てしまった。主人も寝ていた。四女は、ここまできて、宿題をやっていた。持っていくか迷っていたが、結局持ってきたんだな。彼女が床についたのには、全然きづかなかった。夜中きづいたら、横で寝ていた。 久しぶりに親子三人川の字で寝る。 明日も歩くぞ!! ![]() ![]() |
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![]() 後方は極楽橋。 |
![]() 「お母さん早く〜」 「待って日傘出すから。」 |
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![]() 歩いてます。坂きつい。 |
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![]() 高野山入り口 |
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![]() 清不動堂。 |
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![]() 女人堂 |
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![]() 金剛峯寺入り口 |
![]() 金剛峯寺 |
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![]() 金剛峯寺 |
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奥の院![]() |
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![]() 湯上りに朱印帳みる 四女かな |
![]() 精進料理 |
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8月18日(土)朝が来た。ほんとにぐっすりよく眠れた。体調はばっちり!!まずは7時からのお寺のおつとめに参加する。朝の澄み切った空気の中で、仏様の前でお経を聞くって、なんかすごく高尚な気分になる。頭も心もクリアだから、すううと、染み込む感じがいい。お香の匂いも落ち着く。 朝食の前に今回のルートをチェックする。ひとつ問題が。地図だけではわからないが、お昼ごはんを食べるところは、多分ないだろう、ということだ。山の中。コンビニもないだろう。ここでお昼を確保しておかないと、多分、空腹でやられるだろう。と、いうことで、お寺のお坊さんにコンビニがあるか聞いた。場所も聞いた。一安心したところで、四女が朱印帳を頼んだ。そして朝食。朝から、主人は食欲旺盛。私も負けじと食べた。おひつからっぽ。精進料理なので、肉、魚はないのだが、なぜかボりゅーミー(ボリュームの形容詞)。充電完了といったところ。さあ、歩くぞ!! お世話になったお坊さんたちにお別れをいい、高野山の町並みを歩く。目指すはコンビニ。おにぎりなどはもちろんだが、昨日の反省から、水分もしっかり用意した。荷物は増えるがいたしかたない。バス停でバスがくるのを静かに待ちながら、時を過ごす。バスに乗り込むとそこは、異国のように外人の団体がたくさんいた。みなさん、大きなスーツケースを持参。日本に滞在していて遊びにきたというより、これは旅行だと、思った。高野山、インターナショナルなんだな。あらためてそのすごさを感じる。 さて、バスをおり、高野山駅から念願のケーブル電車に乗り込む。急勾配を下る。昨日歩いた景色が、慌しく変わっていく。極楽橋駅に到着し、電車に乗り換え、上小沢駅まで4駅足らず。この電車の中で3組の外国人カップルがいたわけですが、この3組のカップルの観察がおもしろかった。一組目のカップルの女の子が一生懸命、棚に荷物を入れようとしているのに、男の子はしらんぷり。で、それをみかねた二組目のカップルの男の子が手伝う。三組目のカップルは、自分たちの世界に浸っていた。あと、多分親子3代大家族で旅行に来たな、という団体もいた。これは夫の両親か、妻の両親か。詮索してしまった。ともかく高野山に来る外国人は、きっと日本人より日本人らしいと思ったので、妙な安心感と信頼感で、満たされた。 上小沢駅に到着し、さあ、まずは、目指すは、古峠。予定では4時間歩く。古峠が折り返し地点だ。10時30分だった。峠を目指すのに、なぜか最初は、下って集落を歩いた。そして、また上る。さっき下った行為が虚しい。この上りがきつい。夏の日差しが容赦なく照りつける。いっきに体温上昇。あとで、気付いたが、これは主人のペースが早かったせい。でも、今から我々にとって未開の地へ行くわけで気がせくのも無理はない。御嶽山、彷彿。きつい、かなりきつい、この坂。昨日の不動坂は、木陰の中を歩いたので、まだよいが、日差しもろなので、ほんとうに体力消耗。みかん畑があるのか、まだ青いみかんがたまに落ちてくる。みかん、お前も暑くて落ちたのか、と、熟す前のみかんに同情する。人間、苦しいとこういう無味なものにでも心が配れるのか。それともこれは、御仏のせい?高野山効果?などと、考えながら、歩く。みかんより、四女にも気を配らねば。彼女、若いくせいに、父母より体力なし。だが、根性はあるようで、「大丈夫、まだしゃべれるうちは。」と、強がった。だろうな、口が元気なうちはだいじょうぶだ。ほどなく山中に入り、木陰道になり、楽になった。主人にペースを落としてもらい、少し呼吸が整ってきた。途中、幾度が分岐点があり、どちらの道に行くか迷うところも多々あった。標識もあるのだが、角度が微妙で、疑わしい。だが、主人の決断でとりあえず、進む。山の中。だれもいない。だれもすれ違わない。はちとかくもとか、そういうたぐいのものたちは、我々に取り付く。虫除けスプレーあればよかった。 いっこうに、古峠に到着しない。ほんとにこの道でよいのか?疑念がわく。疑念がわくと、疲れ倍増。道間違えてたら、さっき迷ったあの分岐点まで戻るのか?かなり、気がめいった。次の分岐点がとりあえずきた。だが、古峠ぽくない。峠とは、山の頂上というイメージがあったので、きっと360度パノラマなんだろうな、と期待していた。だが、その標識をよ〜〜〜く見ると、下に小さく「古峠」と、してあった。あっけない、おち。だが、喜びは倍増した。 さて、ここで究極の選択を迫られる。ここで、二通りの道が我々には用意されていた。1つは高野山町石道という空海が歩いた道。もうひとつはいろいろお寺とか見所ありの道。距離は後者が長い。地図を見た四女が「この道は等高線の間隔が狭いから、かなりの急勾配だからやめよう。」と、言った。我々夫婦はどっちでもよかったので、四女の意見に従った。ここは、高野山へ続く町石道にもつながっており、ここからまた高野山まで歩くルートがある。またいづれチャレンジしようと思った。こうしてやっと一息ついたので、心機一転でまた歩き出す。途中、やっと人とすれ違う。外国人ともすれ違う。あいさつを交わす心地よさ。途中、お地蔵さんのそばで、お昼ご飯を食す。熊野古道は苔のおおわれた杉の道が静かに続く。なんとも言えない緑のグラデーションに、ほんのりと夢見心地になる。異空間に吸い込まれるような心地よさだ。途中岩場の下り坂があり、また御嶽山を彷彿させる展開となる。今回はただのウォーキングシューズにしたので、かなり足に負担が来た。後日、御嶽山ではなかった腰痛に悩まされる。シューズ大切。 そんな下り坂が終わる頃には、九度山町の大パノラマに遭遇できた。絶景である。最高な気分。だがここから、雷が聞こえてきて、ほどなく雨が降り始める。傘を忘れた四女のために、慈尊院という空海のお母さんが滞在していたとうお寺で雨宿りをさせてもらい、お寺の紹介DVDと住職の楽しいトークで時を過ごした。四女、もちろん御朱印帳も忘れない。雨が少し落ち着き、出発。ゴールの九度山駅まであと少し。もう、主人は帰宅モード。時間は2時半くらいだったかな。温泉があるので、入ろうと言ったが、スルーされた。九度山駅とうちゃ〜〜く!!ゴーーーール!! 新今宮までの切符を買い、ホームに入る。電車がほどなく到着して乗り込む。やれやれといったところ。疲れていたので、とにかく座りたかった。なんとか2席確保し、主人は「大丈夫」と言ったので、遠慮なく座らせてもらった。車内はだんだん混雑してきた。少し睡魔が襲い眠った。どこかの駅で到着したのがわかったがもうろうとしていた。また、目が覚めてもまた同じ景色だった。車内がざわつく。なぜ、電車が出発しないのか?30分たってようやく駅員に説明を聞きにいった人がいて、アナウンスが入る。「ただ今大雨で難波が水没し、ダイヤがめっちゃ乱れてます。」若い駅員の動転したいいまわしに車内に一瞬笑いの渦が発生したが、それもすぐ緊張にかわった。結局1時間30分とまっていて、やっと運転しだした。だが、快速急行だったはずなのに、いたしかたない状況から各駅停車に変わり、新今宮駅に到着したのは6時過ぎていた。ここからダイヤ乱れ乱れの大阪JRを体感する。人波とはこのことだ。みんなはぐれないように、おっと3人だけだった。電光掲示板はあてにならず、主人が「この電車だ」と乗ろうとした瞬間悪い予感が走り、咄嗟に運転手に行き先の確認をしたら、間違っていたこともあった。情報収集は自力で。車中で、主人が携帯で新幹線のダイヤを検索。新幹線もかなりの遅れがあった。新大阪駅にやっとたどりついた瞬間、四女と私はほっとしたのか、空腹を感じた。「ごはん食べたいね。」と、二人で話したが、主人はもう帰宅することにしか頭にない。食いしん坊の彼が、「ごはんは三河安城に戻ってからだ。」と、言ったそのオーラに負けました。ファーストフードも横目でみて、二人でやり過ごした。なんか初めて四女と気持ちが通じた。ある意味結束した、父には逆らえません。と。 そうしてなんとか新幹線の切符もゲット。新大阪が出発駅なので、自由席で充分座れますという駅員さんの言葉に安堵した。特急座席指定券、買うお金ありません。ぎりぎりです。ホームに行ってやっと主人から弁当を買うことを許可された。わりと亭主関白。でも、ずっと長い間自分は立ってて、娘と妻は座らせてくれた頼もしいだんなさん。そして、四女と楽しく売店を目指す。おいしそうなものがたくさんあってどれにしようか四女と選ぶ。だが、最後に見たのは、「柿の葉寿司弁当」暗黙の了解で「これだよね。」と、二人で同意し、三つお買い上げ。(事情を知らない方は昨年の奈良旅行記参照)新幹線の中で食べた、柿の葉寿司弁当のなんとおいしかったことか!!安堵とともに味わった。 今回の旅行は、すっごく味があって濃い旅行になった。非常に思い出深いものとなった。登山に魅せられた主人は「また秋くらいに」と、提案した。元気なうちに思い出作ろうね。 |
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