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護法有志の墓ごほうゆうし はか

護法有志の墓
分類
市指定(第41号)
指定年月日
昭和40年11月3日
種別
史跡
所有者
蓮泉寺
時代
明治時代

 明治維新政府が、神仏分離政策を推し進めたため、各地に廃仏はいぶつ毀釈きしゃくの運動がおこった。菊間藩きくまはん(本拠は千葉県市原市)の大浜おおはま(碧南市)出張所も積極的に神仏分離政策を推し進めようとした。これに危機を感じた真宗(東本願寺派)の僧侶たちは、対抗して三河護法会を組織し、1871年(明治4)3月には、30余名の僧侶が中心となって鷲塚へ出向き、大浜出張所の役人と談判した。このときおしかけた農民門徒が役人の1人を竹槍て刺殺した。この事件は、菊間藩事件・大浜騒動・鷲塚わしづか騒動などと呼ばれ、小川蓮泉寺の石川台嶺いしかわたいれいと城ヶ入の農民榊原喜代七は処刑され、他に30名が処刑された。

 護法有志の墓は、1887年(明治20)、石川台嶺の17回忌にあたり、台嶺火葬の場所に殉教者の分骨塚として建てられたもので、1964年(昭和39)、耕地整理のために現在地に移された。

住所
小川町 志茂315番地他