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桜井城址さくらいじょうし

桜井城址
分類
市指定(第49号)
指定年月日
昭和40年11月3日
種別
史跡
所有者
安城市
時代
室町時代

 碧海へきかい台地が湿地帯へ舌状に突出した、天然の要害に築城された平城ひらじろ である。浅野文庫絵図(広島市立中央図書館蔵)をみると、堅い守りの城であったことがわかる。

 はじめ豪族小浦喜平治が城を構えたいわれ、1471年(文明3)松平信光のぶみつ安城城あんじょうじょう進出により、松平氏の支配下に入ったと推定されている。安城松平初代親忠ちかただの子親房ちかふさが養子となり、松平を名乗ったとみられるが、親房の後は、安城松平二代長忠ながただの子信定のぶさだが入り、桜井松平の初代に数えられている。信定は旧来の城を大改築したともいい、以下清定・家次・忠正・忠吉ただよし・家広まで六代70年間、ここを桜井松平の居城とした。1590年(天正18)六代家広が、徳川家康の関東移封に従い、武蔵国松山城に移り、廃城となった。現在、城跡は城山公園となっている。

住所
桜井町 城阿原1番地93他