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●日本丁抹●
 大正時代末期から昭和時代初期にかけて、安城を中心とした碧海郡は、「日本丁抹(デンマーク)」と呼ばれました。当時世界的な農業国であったデンマークの名が冠せられたのは、単に農業経営が多角的で教育・指導機関が充実し、組合組織が発達していたこと等、農業のあり方が先進的であったことだけではありませんでした。

●心豊かに生きる場●
 碧海郡では農村医療の改善を図るために病院を、また農民の読書に対する要望に応えて農業図書館を設立したり、地域の書店が出版活動に力を入れる等、経済的な豊かさだけではなく、人間として心豊かに生きる場としての「農村」づくりに意欲的に取り組んでいたのです。こうした活動がある程度成果をあげた地域として、当時理想の国、模範とすべき国とされていたデンマークのイメージがこの地に投影されたのではないでしょうか。

 ここでは、碧海郡の人々が農業・農村振興にどう取り組んだかを、デンマークの農業と共に紹介します。


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碧海郡がなぜ日本デンマークと呼ばれるようになったのでしょうか?デンマークの農業と共に紹介します。


1930年代のデンマークの農村


碧海郡今村(現安城市東栄町)の食堂
店先の看板には「日本デンマーク視察員指定食堂」と書かれています。


大正時代末期から昭和時代初期にかけて、碧海郡には全国から多くの視察者が訪れました。彼らが見た先進的な施設を紹介します。

碧海郡では多角的な農業が進められ、米以外にも梨、西瓜、卵などの特産品が生まれました。碧海郡の特産品を紹介します。


大黒印の西瓜商標
安城市歴史博物館
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