タイトル「石川丈山の漢詩」 詠懐(えいかい)
 
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我が故郷の三河国には、なお遠く、

今回の定めた新居は、京都五山のひとつ相国寺の近くである。

 仕官の途をあっさり放棄して、天然のうちに心を遊ばせることとし、

倫理・道徳の行われない俗世を見限って、

それは自分の心の中にしまいこみ、

自然のままの本性を大事に生きることとした。

 少游が質素なくらしに自足した、あの態度をできるだけ見習い、

栄啓期が「貧しいのは士太夫の常態だ」といったように、

我が身の貧乏なことを、ちょっとばかり忘れることにした。

 これからは、なんとか持病の養生を心がけて、

世間から隠れ住むこととし、

我が心のおもむくがままに生きて、生涯を終えようと思う。

 この年齢になるまで、妻子というものがないから、

子孫のことを心配しなくてもよい。

この世の鬼や神などというものも、自分には関心のないことだ。

 ましてや世俗のにぎわいなど、まったくありがたくない。

門前に来訪者の車馬が位置をなすような権勢栄華も、

自分には、はかないちり一つといった程度にしか思われない。
 
 
 

丈山苑詩泉閣の広間
 屏風の書は戸田堤山氏
   丈山が故郷のことを織り込んで詠んだのは、この詩だけだそうです。
 ここに詠まれているように、丈山が相国寺のあたりに住むようになるのは、寛永13年(1636)、広島の浅野公のもとを去った翌年のことです。その新居は睡竹堂(すいちくどう)と名付けられ、一角には学甫堂(がくほどう)という書斎も建てられました。安城市和泉町の丈山文庫には、この学甫堂が移築されています。
 有名な詩仙堂が洛北一乗寺村に建てられるのはさらに四年後のことです。
 
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