タイトル「石川丈山の漢詩」 富士山(ふじさん)
 
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雲の上にまで突き出した山の頂上には、

 神仙も来て遊ぶのだとか。

頂上にある池の中には

 久しく龍が住むという。

山を覆う雪は

 染められていない白絹のようであり、

立ちのぼる煙は

 柄をつけたようである。

すなわち、これは、日本の空高く白い扇が、

 さかさまに吊り下げられた形だ。
 
 
 

▲「富士山」の漢詩碑
丈山苑回遊式池泉庭園のほとりにたてられています。書体は丈山自筆作品(丈山文庫蔵)にもとづいたものです。
   「覆醤集(ふしょうしゅう)」は、丈山が自作の漢詩を編集した詩集です。後にさまざまな形で刊行、増刷され、有名になりました。その冒頭にでてくるのがこの「富士山」。丈山には思い入れのある作品なのでしょう。
 この詩は、親友でもある林羅山との書簡のやりとりなどから、元和9年(1623)丈山41歳の春、故郷滞在中に詠まれたと推定されています。その意味では富士山よりも安城ゆかりの詩といえます。
 丈山が、母を養うために広島の浅野家へ仕官したのは、この年の10月のことです。丈山が仕官を決意する背景には、この前年、母方の親戚の本多正純が、有名な宇都宮釣り天井事件で幕閣を失脚、配流になったことが関係するのかもしれません。重要な節目の年に詠まれた詩ということになります。


 この詩の2行目「栖老」の読みについてお電話でお問い合わせをいただきました。「すみおゆ」と読むのが一般的というご指摘でした。
 このページをはじめ、安城市が関わって説明しているものはすべて「すみあらす」と読んでいます。しかし、詩吟ではこのように詠むそうですし、たとえばインターネットの検索エンジンに「石川丈山 富士山」と入れて調べてみても、圧倒的に「すみおゆ」です。漢和辞典でも「老」を「あらす」と読む用例は出ていません。
 安城市の関係だけがそうなっているところをみると、石川丈山研究会の初代講師である故杉浦豊治氏あたりが何かにもとづいてそう読んだのだろう、と想像できます。関係者の方にお伺いしてみると、意外なことがわかりました。
 「すみあらす」という読みをつけたのは丈山自身でした。これは西尾市の長圓寺に伝わる『覆醤集』の写本(丈山が生前につくったもの)に「スミ−アラス」とあるもので、没後に刊行された『新編覆醤集』でもそれが受け継がれています。岩波書店の『江戸詩人選集』第一巻でも底本(新編覆醤集)にもとづき「すみあらす」と読みがふられ、注にはその典拠について、杜甫の詩の読みをあげています。丈山の博学ぶりがうかがえます。
 貴重なお問い合わせ、ありがとうございました。(2003.6.10)

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