タイトル「石川丈山の漢詩」 放懐(ふところをほしいままにす)
 
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蓮池の金魚は、群れ集まるかと思えば

 散りぢりになったりすることをくりかえしている。

ツバメは、茅葺きの荒屋に住まうかのように

 その周りを低く高く飛んでいる。

近くの山や谷からの山菜でつくる粗末な料理が、

 私にとっては珍味をそろえたご馳走である。

伯夷・叔斉は筋を通すため首陽山で餓死したというが、

 七十を過ぎる老人になった今に至るまで、

 私はなんとか生き延びてきた。

すっかり山界の老人が板についた自分には、

 にぎやかな都会での宮仕えなど、

 高禄であろうがなかろうが何の魅力もない。

そんなことに心が動くようでは、

 少室山に隠居して全うせずに山を下りた李渤と同じで、

 千年の後まで笑いものになってしまう。

私の考える隠者の生き方は、

 鶴を飼って「閑」を楽しんだ林逋のくらしに近く、

自分が作る漢詩の理想としては、

 鬼才とうたわれた唐の李賀のようにありたいと願っている。

寒い季節になって風が吹くたびに、

 肺を患ってしまい臥せることが多いのだけれど、

たまには晴れた暖かい日も訪れてくれて、

 そんな日には、なんの目的もなく出歩くことがうれしいのである。

あかざの茎で作った軽いだけが取り柄の杖をついて、

 ちぎれ雲の流れる中を同居している小僧をつれて

散歩から疲れて帰るやいなや、

 もとの布団の上に倒れるように身を横たえ、こころ安らぐのである。
 
 
 

▲丈山苑詩泉閣の広縁
屏風の書は吉田蒼月氏
   丈山の詩集『覆醤集(ふしょうしゅう)』の最初は「富士山」ですが、最後にでている漢詩がこの「放懐」です。つまり、丈山自身が詩集の最後を飾るために選んだ(あるいは最後に収めるためにつくった)漢詩なのです。
 この漢詩から、はじめの八句には丈山のくらしぶりやその理想を、そして最後の四句には丈山の近況を知ることができます。
 詩の中には年齢を七十もしくは七十過ぎと読むところがありますが、71歳の承応二年(1653)には、はじめてまとめた形となった自筆本の『覆醤集』が長円寺(西尾市)に納められているので、この漢詩が作られたのは、この年か前年ということになります。
 実は70歳になった丈山は、故郷の三河国和泉に帰ることを考えていました。しかし、幕府転覆を企てた由井正雪の乱の余波で、京都所司代の板倉重宗が三河に帰ることを許しませんでした。そうしたまよいを吹っ切ろうとする丈山の気持ちが、この漢詩に込められているのかもしれません。
 丈山苑詩仙閣の広縁にある屏風にはこの詩の冒頭4行が書かれています。
 
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