肴町のむかしむかし

肴町は、410年位前からあった。

岩瀬文庫にある「鶴城記」に、次のような記述があります。
田中吉政が西尾城主の時、天正十八年(1590)頃西尾城の三之丸を改修した。櫓、楼門、柵のことごとくである。これによって従来三之丸に住んでいた者は神主の新家源左エ門をはじめ、その他民家数十軒が本町、中町、横町、肴町の地へ移った。

肴市が立って肴町と呼ばれるようになった。

岩瀬文庫にある「昔物語後編書抜」の中の「肴町横町出入」文書に次のような記述があります。
‥‥肴市相立候故ニ肴町と申位之事と奉存候

昔は肴町一丁のうちに畳のある家はなかった。

岩瀬文庫にある「昔物語後編書抜」(文政六年に書かれた。1823年)に次のような記述があります。
老人の物語に申すには、百四〜五十年以前(1680年頃、天和〜貞亨〜元禄時代)、ほかは知らないけれど肴町一丁のうちに畳というのは一つもなく、予の親類で近藤清兵衛と申す者のところに揚畳と申してニ畳所持していたところ、一町内に珍客または法事等の節は右の畳を借り受け、来客の人を饗応のためこれを敷き馳走したと、祖父が語るゆえここに記す。‥‥

百四〜五十年以前までご当所においては畳屋と申すものは一向になかったところ、土井淡路守様の御世(1724〜1734)に唯今の畳屋源四郎の先祖を駿州府中より召し呼ばれ、御用の畳などあつらえおり申した。‥‥

昔は肴町の町通りに家の出入口はなかった。

岩瀬文庫にある「昔物語後編書抜」(文政六年に書かれた。1823年)に次のような記述があります。
‥‥百年以前(享保八年、1723年)は皆町々の者ども農人ゆえ店はなく、百姓の家の作りなので町通りに口を開けず南向きに日当たりを第一にしていたので、横町はなく、本町通り、肴町、天王町も町に開口はなく、脇町、瓦町、順海町、塩町はみな百姓家なり。今は格別都のごとく繁昌している。‥‥

平成13年5月20日岩瀬文庫講座「岩瀬文庫資料からみた西尾城」 
講師 西尾市文化財係長 松井直樹氏の話と資料を参考にしました。
なお、岩瀬文庫について知りたい方はここをクリックしてください。

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