「フラクタル」な世界
「フラクタル」と言うのは、幾何数学的な状態の一つで、コンピューターグラフィックによく用いられる技術です。
この状態と言うのは、極大化したマクロな見方をしても、極小化したミクロな見方をしても、まったく同じものに見える不思議な世界です。
自然界には、あらゆる生物がいて、様々な出来事が起き、日々刻々変化しています。同じものなど在り得ない、多様性の集団だと言えます。
しかし、見方を変えると、この自然界もまた、「フラクタル」な世界であることに気が付きます。
いわゆる地球環境と言うのは、単なる無機的な物理法則で動いているのではなく、膨大な数の個々の生物の生活そのもの集合体が、あたかも1つの生き物ののように振舞うことで動いているのです。
これは、1個体の生物の体組織構造と同じです。膨大な数の「細胞」のそれぞれの営みが集まって、1つの生き物を形造っています。
細胞そのものも、同じで、各細胞質は太古の昔に生息していた、微小な生物そのものであり、元々は別々の生物なのです。
その細胞質を形造るDNAもまた、別々の蛋白質が結合した集団で、そのまた、蛋白質もそれぞれを構成する原子の集団なのです。
この、原子の構造は、宇宙空間に散らばる、天体の構造と同じであると考えると・・・
「全」と「個」が同じ価値を持った世界。それが「フラクタル」です。
たった1つの細胞から、1つの新しい生命を作り出す「クローン技術」は典型的な例です。
我々人間は、「個」の価値観と「全」の価値観を分離して思考する癖があります。多くの間違えはそこから始まる「ボタンの掛け違え」です。
「人社会」とそれ以外の世界を分離して考えては、何の答えも導き出せません。「信仰」や「イデオロギー」、「民族」と言う集団が排他的であると「破壊的な闘争」が始まります。お互いの存在が自らの存在の根源だと考えれば、「戦争」などと言う、くだらない出来事は起こらないはずなのです。「人」もまた、他の生物と別の存在ではなく、同じ細胞を共有する共生体であり、気球環境の一つの構成要素だと考えれば、環境破壊など起こりうるはずは無いのですが。
もし、「私だけは特別。」と考えている人がいたら・・・その人は「地球環境」から拒絶され生きては行けないでしょう。
もし、「人間だけは特別。」と考えていたら・・・人間もまた、絶滅させられる事になるはずです。
努力をすれば、「全」を見て「個」を知ることが出来ます。「個」を見て「全」を知ることもできます。それが「フラクタル」であり、我々の住む「世界」であると私は考えます。