「進化」は存在しない。
現生の生物は、過去に存在した生物から「進化」したと言われています。
本当にそうなのでしょうか?・・・???????
まず、「進化」とは、どうゆう事なのでしょう?
よく言われるのが、生きてゆくために「新しい能力」や「新しい機能」を身に付け、より高度な生物に変容する事・・・などと解説されます。
しかし、生物は身体機能や能力を自ら獲得し、変容する能力は持っていません。断言でききます。
また「高度な生物」とは何なのでしょう? そんな生き物が存在するのでしょうか?
世代交代の帰結として、「より複雑な身体構造」に変化することはありますが、「複雑」=「高度」とは思えません。事実、「ヒト」は地球上で最も高度な生物と見なされていますが(人間社会から見た場合)、「ヒト」には「尾」や「鰓」は無く、むしろ退化した部分も多くあります。
生物は、「ある特定の遺伝子情報」をコピーし続ける必要上、自らの子孫が単一の集団にならない為の「サイコロ」を持っていると考えた方が自然なのです。
子孫を増やすとき、この「サイコロ」が振られ、「親」とよく似た別の生命が幾つも生み出されます。生み出された子供には、先の「ある特定の遺伝子」は必ずコピーされますが、それ以外は「親」と同じ必要がなく、事実、親とまったく同じ子供は生まれてきません。クローン技術の出発点も問題点もここに起因しています。
生まれた子供同士も、まったく同じものはいないわけで、この無限のサイクルの結果が、「生物の多様性」なのです。
このようにして生まれた多様な子孫は、その生活環境の中で、生き残りやすい者だけが生き残り、そうでない者は死滅してゆきます。生活環境に変化が少ないと、生き残る子孫はその環境に当てはまる特定の機能や構造を持った者が多くなり、やがては「種」としての集団へ変化してゆきます。
もし、環境そのものが、頻繁に変化し続けたら、固定された機能や構造を持った「種」は生き残れなくなり、安定した環境中では、弱者であった存在が生き残るチャンスを得ることになります。
つまり、生物は「目的」を持って変化しているわけではなく、無差別に色々な子孫を生み出すことで、予期せぬ変化に対応する子孫を生み出し、それが集団化することで変容していっているのです。
決して「高度な生物」になるためではないのです。
これらの意味から、「進化」と言う現象は元々存在せず、無差別な多様性と環境の変化の帰結として「種」が出現すると考えることが重要だと思われます。
我々人類は、決して「高度な生物」ではなく、今の地球環境下で出現した生物群の変遷の一幕であることを認識せざるを得ません。