5フォンノイマンの第二の擁護:繰り返し測定 上にあげられた第二の擁護は第一のものよりも影響力がある。 それは、即時繰り返し測定に関するものだ。 波束が収縮しないなら−状態ベクトルがオブザーバブルの固有状態に射影しないのだったら− 同じ測定の即時繰り返しがなぜ同じ結果を生みだすのか? そうすると、たしかに(?)対象系の状態は、結果が不確かなものから 結果が確かなものへと変わらなければならない。のではないか? 詳細に調べてみると、このことは第一の擁護よりもさらに悪い。 この擁護の義論には二つのエピソードがある。 一つ目は、大雑把にいうと、前の説での義論に属している。 それは、コンプトン−シムソン効果のフォンノイマンの分析と、 上で議論したMargenauとGroenewoldの論文で与えられている答えからなる。 二つ目のエピソードは、測定プロセスの純粋な量子力学的分析と、 それらがフォンノイマンによって要求された繰り返し可能性をもつ条件である。 それぞれを順番に取り上げよう。 フォンノイマンの第二の擁護は、予測の成功を説明する試みに関するもの、または、 それを主張するものとして読まれるだろう。 二番目の読みとして、次のように述べられる。 射影公準が加えられないかぎり、もしくは、解釈の一部をなさないかぎり、 解釈された理論は、繰り返し測定の再帰性の顕著な事実を予測できないだろう。 この読み方では、彼の解釈の規則によって解釈されるような理論に加えて、 フォンノイマンの射影公準は経験的な重要性をもつ。 このことから出てくることを見てみよう。 即時に起こることのこの種の描写は現実には適切ではない。 偏向してない光線が垂直方向に偏向させる偏向板に到達するとしよう。 光子は確率1/2で通り抜ける。 そうすると光線の強度ははじめの強度rから1/2rに減るだろう。 その板を同じ偏向方向にそろえて、2枚並べると、光線の強度は、 はじめの強度からみて1/2にしかならないだろう。(舟:注1/4にはならない) このことは上の推論の正当性を示しているのではないか? そんなことはない。測定は二度為されてはいない。 いかなるオブザーバブルが値を読むオブザーバブルの役目をはたしているのか? 答えはどれも果たしてはいない。いかなる光子の検出も記述されていないからだ。 我々は、各々のフィルターの後に写真乾板を置くことはできるであろう。 しかし、光子が二番目のフィルターに到達する前に吸収されてしまうので、 実験系は破壊されてしまうだろう。 荷電粒子と磁場を用いたとしても同様である。 ある光線のなかの粒子の存在を検出したなら、 検出器は、二番目のフィルターに対する反応を決定する粒子の性質を撹拌する。 しかしながら、繰り返し測定の合理的なデザインを作ることができるなら、 このいい方は、単なる言い逃れにすぎないだろう。 そこで、フォンノイマンはより洗練された手法を探した。 第一の測定が二番目に測定するものを撹拌しないことを保障している手法を。 そして、全体のセットアップが、単一のオブザーバブルの二度繰り返される測定と まだ見做しうるような手法を。 これは可能だろうか? コンプトンとシムソンによる実験において、電子によって光は散乱させられる。 散乱した光と散乱した電子は、エネルギーと運動量を奪い取られたり、得たりする。 この実験から、衝突の力学法則が成立すると結論付けられる。 しかし、フォンノイマンはこの結論を次のように再定式化した。 衝突の法則が正しいとするなら、衝突の位置と中心線は、 衝突のあとの光子の経路か電子の経路のどちらかの測定から計算される。 二つの計算が一致するのは経験的事実だ。 しかし、二つの測定は同時ではない。; どちらかのプロセスがはじめに観察されるように、測定機器が配置されるであろう。 そうすると我々は二つの測定M1、M2をもつ。第一の後に第二のものがくる。 はじめは、それらの結果は統計的にしか決定されてない。 しかし、M1のあと、M2の結果は推論できるだろう。 この事に加えて、M1とM2が実際には同じオブザーバブルを測定しているという事実から、 フォンノイマンは次のように推論した。 ひとつのオブザーバブルが続けて二度測定されるなら、 第二の測定の結果は第一の結果と一致する結果を与えるように制限される。 そして、第二の測定の結果が正確に予測されうるから、 フォンノイマンは次のように推論した。 第一の測定の後、測定される系はそのオブザーバブルのある固有状態になければならない。 しかし、私たちがここでしている事は、別々の対象についての二つの測定である。 それらは相互作用をし、その状態は絡み合っている。 だから、私たちは状態φt=Σci|ai>*|bi>をもつ複合系X+Yをもっている。 その場合たしかに次のことは正しい。 もしA*Bが測定されたなら、i=jになるような値の対(ai;bj)を得なければならない。 それらから計算されることは大したことではない。 紙と鉛筆での計算という意味でのみ、同じ(複合)系に対して二度ひとつのオブザーバブルが測定されただけである。 この事は、直接測定されるその(要素)系がある固有状態に遷移するという考えを指示しない。 Groenewoldの義論はすでに、即時繰り返し測定について述べるべきことを示した。 彼のバージョンの整合性の義論において、 M1=M2とし、同じオブザーバブルが二度測定され、完了するとする。 時間tで、いかなる種類の間を見るという干渉によっても、 孤立や連続を破壊することを許さない。 しかし、そのような間を見るということが存在しないということから、 第二の測定の結果だけしか確かめることができない。 時間tで非因果的な遷移が起こったと仮定するかどうかにかかわらず、 その結果の我々の予測は同一である。 それゆえ、第二の義論は第一の義論程度しか確立していないような正しい場合がある。 そして、第二の義論の直観的なアピールは、孤立しているプロセスの中間で 撹拌することなく自由に見ることを許す誤った描像から出てくる。 この義論の第二のエピソードに対して、測定の量子論の近年のフォーマルな展開がある。 いま、繰り返し測定が解釈の有効な基準を与えないことが証明できた。 その代わりに、繰り返しに関する問題は、解釈の問題にかかわる以前の 量子力学それ自身のレベルで、すでに解決されていることがわかった。 測定のプロセスにおいて、全体系の状態の変化と要素系の状態の変化の両方をみる。 ここで、発展と還元という二種類の写像をもつ。 問うべき自然な問題は次のようなものだ。 ダイヤグラム(fig 8.1)を完成させることができるか? ダイヤグラムを完成させるために、発展に印されている矢印は下に沿って、 対象系の初期状態から対象系の終状態へと、引かれなければならない。 その矢印は、はっきりと定義された関数を表現するとされている。 実際にその関数は存在する。 そのように記述される関数Jはこの測定の道具である。 Jは測定されるオブザーバブルAと全体系の発展演算子Uに依存している。 同じ測定が立て続けに二度実行されるセットアップを想像しなさい。 全体のプロセスは孤立していると主張しなければならない。 外からの干渉はないし、ぱっと見ることや写真を撮ることも許されていない。 そして、対象のいかなる影響とも関係なく、 測定機器はリセットされている(基底状態にある)としなければならない。 量子力学の全体主義は、この二番目の手続きの順序が即時的であると考えることを 一般的ではないにせよ不可能にする。 もし、 この二段階導出の発展全体J(J(T,E),F)が、順序に関係なく事実違いなく、 そして、EとFの両方に結果の値が入るかどうかに関心がある一段階の手続きと 同じ予測を与えるなら すなわち、もし、J(J(T,E),F)=J(T,E宸e)なら、 その測定を繰り返し可能と呼ぶ。 この事が含意していることは次のことである。 測定器オブザーバブルに関する第一の終状態と第二の終状態の間の値の一致があるかどうかを さらに測定するなら、確実にyesという答をえるだろう。 全ての測定がこの性質をもつ必要はない。 ふぉんのいまんによって議論された種類の測定は、彼によってこの意味で繰り返し可能といわれた。 そして、彼は、彼の繰り返し可能性を射影公準を用いて説明した。 なぜならその公準は次のように述べられたからだ。 系は実際に測定されるオブザーバブルの固有状態にあらわれる。 それゆえ、第二段階は少しも影響をもたない。 そうすると次のような問題がある。:説明は実際に必要なのか? 前の章で、その答えはnoであるということをすでに述べた。 上で述べられたフォンノイマン−リューダース測定に結び付けられた道具は 繰り返し可能である。 射影公準も他のいかなる解釈も、繰り返し可能性を説明する必要はない。 量子力学の範囲内で記述された測定のプロセスの理論はすでに次のことを含意している。 もし、フォンノイマン−リューダース測定が二度繰り返されるなら、 結果に対する統計的予測は、単一の応用に対するものと等しい。 証明と描写 もちろん、Margenauが次のことを指摘したのは全くもって正しいことである。 測定されている粒子は、普通、その終わりで吸収される。 この事は同じ粒子にたいして測定を繰り返すことを非常に困難にしている。 しかしR.H.Dickeは中間段階で起こっていることの情報を、 記録し、保存し、最後には集めるような連続測定の手法を考えた。 それは、以下のようなプロセスである。 そのプロセスは孤立したままである一方で、 記号化され記憶され最終的に調べられる結果との測定相互作用の系列からなる。 これは、もちろん次の意味においてである。 量子力学によって許され、古典的要請と合致する必要がないという意味で。 その技術は、光子が円偏光の測定の系列に支配される実験のデザインによって描かれる。 光子のエネルギーそれ自体は、測定結果をコード化し測定の終りで読むことができる 記録装置として役立つ。 ここで、ちょっと一般的概要を描きましょう。 測定されるべきオブザーバブルSは固有ベクトル|k>をもつ。K=±1 器具は基底状態y0をもつ状態関数y(q)をもつ。 ユニタリー演算子UはU(Σck|k>*y0)=Σck|k>*ykという展開を支配する。 Uは相互作用ハミルトニアンHint=−CSq/δtに従っている。 そのハミルトニアンは全体のハミルトニアンHapp+Hobj+Hintにおける支配項である。 だから、 U=exp[−iHint(δt/h)]=exp[iCSq/h] そして、上の式において、yk=y0exp[iCkq/h] qの供役である変数p=(h/i)(δ/δq)指示器または記録器として役立つ。 その固有値はpk=Ckである。 連続測定において、n回目の測定において定数CはC2nに置き換えられる。 そしてHappはpの関数である。 前者の変化は、記録器における和として結果Sk,Sj,.....の系列を コード化することを許している。 後者はpを測定の間の間隔の運動の定数にする。そして、記録を安定化させる。 複合系の状態φ=Σck|k>*y0の完全な発展は次の終状態になる。 φ'=UnT...U3TU2TU1φ ここでUn=exp[i2nCSq/h] 時間表示ハミルトニアンT=exp[−i(Hobj+Happ)(Δt/h)]は 測定の各段階の間だけ作用する。 全体のプロセスにおいて重ねあわせられた2n個の可能な履歴が存在する。 それは変数pのターミナル値に相関する。 pkji.....=C(2Sk+4Sj+8Si+......) 言い換えると、終状態φ'は器具と対象の複合に対するテンソル積ベクトルの 重ねあわせの形をもつ。 器具側の私たちが見る指示状態は ykji.....(q)=y0exp[ipkji.....q/h] 上記のようなpkji....をもっている。 上に描いた実験において、光子は、光子スピン−エネルギー相関器を通り抜ける。 それらの相関器は二つのハーフウェーブプレートからなる。一つは回転していて 一つは固定されている。 その様なプレートは円偏光の符号を逆にする。 ディスクが角ベクトル−ωで回転してるなら、 そのエネルギー±2hωはディスクから光子に移る。 その時、符号はスピンの状態で決定される。 もし、光子がスピン固有状態にあるなら、それは影響されない。 なぜなら、二つのプレートが符号を2回反転させるからだ。 しかし、光子のエネルギーは、スピン状態に依存して、±2hωで変化する。 6 条件確率からのHUGHESの義論 R.I.G.Hughesは最近の本のなかで次のことを議論した。 射影公準は量子力学的な全体の状態の条件付けとして理解でき、 理論から取りのぞくことはできない。 その議論は他の解釈の展開においてあらわれていて、 ここでの文脈の外で取られている。 しかし、その議論はフォンノイマンの解釈の規則の擁護する役割をはたさない ということを示したい。 フォンノイマン−リューダースの測定が条件付けと どのように関係しているのかということはすでに見た。 オブザーバブルAのそのような測定は、還元された対象系の初期状態を Aの固有空間の区分に対してのそれの条件付けに移す。 すなわち  W→W'=ΣpaWa ここで、WaはAのa−固有空間に対するWの条件付けである。 そして、pa=Tr(WIAa) もし、Wが純粋状態なら、Waはその部分空間上の射影である。 paを無知の尺度として読みたいという誘惑がある。 実際に、測定の終りで、対象系はAのひとつの固有状態に遷移する。 しかし、どちらに遷移するかはわからない。 それがWaである確率はpaである。 この誘惑はふたつの段階で強化されうる。 はじめの段階は次のようにいうことである。 器具はある値を読むオブザーバブルのあるものにある。 たとえば、値aに対応した固有状態。 次の段階は次のようにいうことである。 もし、我々がその値がなんであったか(たとえばa0)という情報が与えられたなら、 部分空間Hx*Ha0に対して条件付けることによって、 状態の全体系に対する付与を更新しなければならない。 Ha0は値を読むオブザーバブルのa0固有空間。 そうすると、器具Yと対象系Xは完全に相関しているため、 その条件付けされた全体の状態のHxへの還元はWa0であろう。 この事は魅惑的である。が、ここで働いているふたつの仮説は密接に結びついている。 第一のものは次のようなことだ。 値を示すオブザーバブルが値a0をもついうだけで、 器具の状態がそのオブザーバブルのa(0)−固有状態にあるとすることである。 それには、もちろん、フォンノイマンの解釈の規則(上記の(e))が働いている。 第二のものは次のようなことである。 測定結果がa0であることを見いだしたなら、 Hx*Ha0に対する条件付けによって状態が変わったと考えるべきであるとすることだ。 二番目の仮定は一番目の仮定を含意する。そうすると、それらは独立ではない。 第二のものは、おそらく、より深い仮定から導出される。 それは、系に付与される量子力学的状態を条件付けることは、 利用できる新しい情報についての見解を単に更新することであるとすることだ。 もし議論せずにそれを主張するなら、地面から飛び立つために、第一のものを必要とする。 新しい情報はなんに対するものなのだろうか? その情報が、複合系が今Hx*Ha0にあるということである場合のみ それに対する条件付けをすることができる。 新しい情報は、値を示すオブザーバブルが値a0をもつということだけである。 それを次のことに移すのにはフォンノイマンの解釈の規則が必要である。 新しい器具の状態がa0−固有状態にある、もしくは、 新しい全体の状態はHx*Ha0である。 それゆえ、それらの考察はわたしの提案を非常に明らかに指示している。 フォンノイマンによってなされた、重要なステップは彼の解釈の規則である。 その後、射影公準が課された。 Hughesの義論はこの事をそれと条件確率を結びつけることによって描きだした。 しかし、それにたいして加えはしない。 その議論と前の節での道具の考え方を結びつけると、この事はより明らかになるでしょう。 系の初期状態と終状態をそれぞれT、T’とよぶ。 そのプロセスの道具は二値関数Jである。Jは対<T,E>を AのE固有空間に対するT’の条件付けへと取る。 しかし、次のものを除いたいかなるEに対してもJ(T,E)はT’ではない。 AのE固有状態がT’のイメージ空間を含むもの。 この道具が繰り返し可能であるということは次のことだけを意味する。 もし、Aの測定が同じ器具で同じ系に二度繰り返されるプロセスを組み、 同じ値が二度えられたかどうかを確かめる器具を付け加えたなら、 我々は確実にyesという答をえる。 しかし、この事は、全体系の相関セットアップのためだけであって、 はじめの終状態が実際にAのひとつの固有空間に対するそれの条件付けのひとつと 同一であるからではない。 そのような結論はさらなる非因果的な遷移に従うものとして仮定される。 しかし、それは導出されるものではない。 ここで出てきたことをまとめてみましょう。 もし我々がフォンノイマンの解釈の付加的な規則を与えられたなら、 −量子力学の状態のボルンの統計解釈をはるかに越えたものである− 我々は射影公準に同意しなければならなくなる。 この公準は現代の量子力学に素直なやり方で合致する。 測定の終りで、ある規則は、 重ねあわせφtと対応する混合状態の間の区別を消去する結果にいたる。 (対応するとは、ここでは、関連するオブザーバブルの固有ベクトルの集合をさす) このことをスーパーセレクションルールとして呼んでいる。 そして、その考え方をおってみよう。