3測定では何が起こっているのか? 測定を解釈しようとしたとき、現実にふたつの問題がある。 何が起こっているかということについての多くの問題は 7章で報告された基礎研究で解決されている。 我々はそこで次のことをみてきた。 もし、物理過程が測定として考えられているものに対する候補者でなければならないなら、 ある要求を満足しなければならない。 そして、それらの要求が量子力学の範囲内でいかなる含意を持つべきかもみてきた。 しかし問うべきことがふたつのこっている。: (a)測定の意義はなにか? (b)測定において、実際に何が起こり続けているか? 次の節で2番目の問題に触れよう。 ここでは、はじめの問題を指摘しよう。 哲学者の間で繰り返されている心配は次のことだ。 ボルンの規則の「測定」という用語の見た目が、人間中心的な含蓄をもっている。 そのことは量子力学を中立的な物理語による推定される世界の自律的な記述として、 そして将来的にも完全なものとして考えることができないことを意味している。 謎がある。: もしそうであるなら、我々は理論に対して実在主義者であることはできないだろう。 道具主義者になるしかないだろう。 この心配は、量子力学の発展に寄与した一部の偉大な物理学者たちによってなされた、 哲学的議論によって強化された。 測定の物理的相関に課された要求は、 私たちや人、意識、マクロとミクロの区別に対する参照すら含まないから、 7章の議論でこの問題は終わったものとしたい。 しかし、そうすると、 もし、測定の意義についてのやっかいなアイディアにつながるなら、 その意義とはなにか? それは次のようなものになると信じている。 量子力学のすべての解釈は定性的に次のことを述べることからはじまる。 オブザーバブルは常にはっきりとした値を持つかどうか。 系はその固有状態のひとつにあるかどうか。 そうすると次の段階に進まなければならない。:確率の付与である。 人間の活動は物理学の範疇において特殊なものではなく、 シュテルン−ゲルラッハ、アスペ、レゲット、コンプトンが 実際に実験室で行なわれる実験をデザインするときのべられる確率は、 特殊な事例でなければならない。 しかし、どのようにして一般的に無矛盾で自己整合的な確率を描くのか? 成層圏のある粒子はさまざまなスピン状態を取りうる。; 過去の物理的履歴と環境を仮定して、 地球から北極星の軸線にそったそのスピンの値が1である明確な確率が存在するか? その与えられたものを慎重に扱った方がよいであろう。 さもなければ、素朴な無知解釈から導出されたような答えを与えるでしょう。 公的には、量子力学は確率の付与の仕方としてボルンの規則を経由したやり方のみを認めている。 わたしはこのことを測定の物理的相関に対する最小限の要請を満たす すべてのプロセスへと拡張して解釈できる。 成層圏の微視レベルに対してもそうである。 さらに少しか進むことができるだろうか? フォンノイマンはたくさん進んだ。 特殊なフォンノイマン、もしくは、フォンノイマン−リューダース測定における 相関セットアップを開発して、 彼にそって我々は少しか進むことができるであろうか? 答えはyesです。しかし、それは茨の道を進むようなものである。 この問題は、 −量子力学から確率の付与に対する整合的で一般的なレシピを描く問題− 測定に対する見掛け上の不釣り合いな注目の背後に、実際に何があるかだ。 詳細に、測定で何が起こっているのかということと、(d)において解釈された ボルンの確率が大きな原理(e)にどのように従うのかということを書き出すために、 我々はもう少し正確にならなければならない。 ある時間tでの系Xの状況は、二つの状態によって(e)に従って特徴づけられる。 二つの状態は、動的状態Wと値の状態xである。 Xが複合系のとき、このことはどのように見えるだろうか? 我々はそれに対しての状況とその要素に対しての状況も 特徴づける必要がある。 そうすると、もしZ=X+Yなら、 Z、X、Yそれぞれに対して動的状態と値の状態の両方をもつ。 Zが純粋な動的状態φを持つ場合だけを議論しましょう。 密度マトリクスの還元によって、XとYに割り当てられる混合状態を #φとφ#としましょう。 そうすると状況は次のようになる。 (f)(X+Y)、X、Yは各々の動的状態をφ、#φ、φ#とする。 (g)(X+Y)、X、Yは値の状態としてφ、x、yをもつ。 ここでxは#φに対し相対的に可能であり、yはφ#に対し相対的に可能である。 xとyがなんであるかを特定することができない。: たくさんの可能性が存在する。 それらは、#φとφ#に対し相対的に可能でなければならない ということを知っているだけである。 このことは数学的には、それらは#φとφ#のイメージ空間のベクトルであることを意味する。 次にしたいことは、それらの可能性に対する確率の分布である。 一意ではない混合状態の純粋状態への分解は、 単純かつ整合的な確率の付与に対する一般的規則の使い方の代わりである。 ボルンの規則が意味することは、測定の終りの状況で確率を付与することである。 その規則は次のことを前提している。 測定は次のように構成されたプロセスである。 無知解釈の持つ不整合無しに、あるオブザーバブル達を選び出し、 それらの可能な値に対する確率を教える。 そのことはもちろん、選び出されたオブザーバブル達が可換であることを意味する。 文献において広く知られている測定のクラスは、 この思考によって示唆されたメタ基準を満たす。 メタ基準が満たされるなら次の形の推論: 1.プロセスPPは値を示すオブザーバブルとしてBをもったAの測定である。 また、B’を持ったA’の測定でもあり、.......。 2.その終りで、a=a1,a,2,a3.....に対し、Bが値aを持つ確率はpaである。 また、B’が値a’を持つ確率は........。 この二つは決して、矛盾するような確率の付与を導かない。 言明2はボルンの規則により1から導かれる。 それはどのようにしてできるのか? われわれがオブザーバブルの間の関数的関係に関心があるなら、非常にたやすい。 それは、隠れた変数が存在しないという証明(定理)の持つメッセージである。 上の推論が次のように続けられるのなら、すなわち 3.B’=f(B)で、B''=g(B)で、........。 そうすると、B’がEの中に値を持つ確率は、 Bがf-1(E)の中に値を持つ確率に等しい。B''が..........。 そうなら、それらの証明(定理)は我々に、次のことを教える。 すべてのオブザーバブルが可換でない限り、1−3は不整合を導き出す。 (すなわち、古典的確率計算との不整合) あきらかに、それらの考察はいろんな言われかたをするだろう。 ある人はわたしが頼っている古典論理を用いて反論するだろう。 また他の人は、古典的確率計算に照らすだろう。 大衆的なさらには基本的な文献の両方が圧倒的に次のような信念を支持している。 結合測定の結果の単なる記述は古典論理も確率も破ることはない。 4章と5章において、我々は次のことをみてきた。 決定主義的もしくはより一般的で因果的な土台が仮定されなくとも、 実験状況の表層的状態は、論理と確率論の意味で古典的である。 このまさに同一の表層的状態がベル不等式を破るから、 それが量子力学的モデル化を要求するという意味で、 まさに非古典的である。 しかしそうすると、それらの同一の表層的状態が、ちょうど同じように、 自然におけるミクロな状況を表現できない理由はない。 問題のメタ基準は次のようなものだ。 もし、あるプロセスがある対象系に対する様々なオブザーバブルを一緒に測定するなら、 測定器具は値を示すオブザーバブルのjointの固有状態の混合になる。 それらに対してボルンの規則は確率を割り振る。 ふつう規範的なのは、縮退スペクトルの無いオブザーバブルの フォンノイマン測定である。 我々は整合的に前の原理に対して、次のものを加えることができる。 (h)値を示すオブザーバブルとしてBを持つAの測定の終りで、 (f)と(g)で描かれる状況にあり、全体の状態がφ=Σci|ai>*|bi>なら、 y=|bk>である確率はck2である。 これは、系として、我々の物理的状況の表記に翻訳されたボルンの規則である。 なぜなら、もしBが値bkを持つなら、y=|bk>であるからだ。 xとyは#φとφ#のイメージ空間にあるから、それは前のものと整合的である。 しかし、もちろんフォンノイマンの測定は特殊な性質を持つ。 それは、対象系の初期状態の統計的逆推を許すだけではない。 くわえて、測定と値を示すオブザーバブルの間の完全な相関を示す。 それゆえ、さらに一歩進み、次のことを加えることができる。 (h')値を示すオブザーバブルとしてBを持つAの測定の終りで、 (f)と(g)で描かれる状況にあり、全体の状態がφ=Σci|ai>*|bi>なら、 y=|bk>かつx=|ak>である確率はck2である。 証明と描写においてより一般的なフォンノイマンリューダースの測定のクラスに対する 同様の原理を議論する。 そこで、整合性の議論についてより丁寧にみていく。 (h)から(h')への拡張は重要である。 なぜならそれは、値を読んだ結果bkは確実にオブザーバブルAは値akをもつ事を 含意するという結果を、次の点で、導くからだ。 (i)値を示すオブザーバブルとしてBを持つAの測定の終りで、 (f)と(g)で描かれる状況にあり、全体の状態がφ=Σci|ai>*|bi>なら、 値付与<B,bk>が真であるとした時、値付与<A,ak>が真である確率は1である。 この証明は単純である。(x=|ai>かつy=|bi>)の対の確率の和は1である。 それゆえ、(x=|ai>かつy=|bj>)でi≠jの対の確率の和は0である。 しかしながら、確率0を持つ可能性は実際に起きるだろう。 確率0は不可能性を含意しない。 (h)と(h')の我々の解釈へ付加することは、確率を割り当てる。 それ以外のことはしない。 次のように主張したい誘惑に駆られる。 それは射影公準が正しいかのようなものだ。 なぜなら、系XについてのAの測定の終りで、 Aが測定結果である現実の値を持つことが実際に真だからだ。 しかし、もちろん、実際には射影公準は正しくない。 可能から現実への値の遷移が存在する。 そうすると、オブザーバブルの値についてそれが帰結することは正しい。 しかし、それだけである。 いかなる非因果的な状態の遷移も存在しない。 証明と描写 一般に、測定は相関が出てくる必要はない。(舟注:ちょっち乱暴な訳) 確率は値を示すオブザーバブルにのみ割り振られればよい。 その様な場合、対象系に対するオブザーバブルの値に関する 統計的推論は存在しない。 フォンノイマンの場合ですら整合性を心配する人もあろう。 7章においてJon Dorlingの研究を取り上げた。 それは、二重のフォンノイマン測定を我々が持つかどうかについてだ。: Xが値を示すオブザーバブルAでYのBを測定する。 一方Yは値を示すオブザーバブルB’でXのA’を測定している。 そして、AとA’は両立不可能である。 フォンノイマンの測定の一般的性質を仮定すると、 このことは、事実、不可能である。 この結果はフォンノイマン−リューダース測定のクラスに対して なされたものだ。 不整合が出て来るであろう他のやり方が存在する。 次のことを想像しましょう。 1つのプロセスにおいて、YがXのAを測定し、かつ、 ZがXのBを測定する。 そしてそのふたつの測定は同時に終わる。 そうすると原理(i)を両方の測定に適応して、 Xの値の状態を推論するということは、次のことを含意する。 この値の状態はAとBのjointの固有状態である。 必然的にそうなるのであろうか? 全体系(X+Y+Z)は、X+(Y+Z)と等しいものとして記述される。 今考えている状況において、はじめの時点で、YとZは純粋基底状態yとzにある。 それぞれ最後に各々の目盛りの状態yiとziそれぞれの混合状態になる。 相関があるため、次のようになる。 X+Yが終状態Σci2I|a(i)>*|y(i)>を持つ X+Zが終状態Σdi2I|b(i)>*|z(i)>を持つ 一見しただけでは、Y+ZがXに関するオブザーバブルに対する測定器具であるかは 我々には分からない。 特に一見しただけでは、Y+Zが測定の終りでyi*ziの混合状態かは分からない。 不整合という幽霊を取り除く前に、同じ推論を我々は使った。 我々は上記のことから次のことを知っている。 Xは終状態T’を持つ。T'=Σci2I|a(i)>=Σdi2I|b(i)> 係数は任意で、ciは別々のものをとる。 係数がなんであれ、測定の要請に支配されている、 関連した展開演算子は、同じやり方で作用しなければならない。 しかし、その場合、T'の直交分解は一意なので、{|ai>}={|bi>}である。 確率は測定した時という条件付きでのみ割り振られるから、 偶然的縮退という事例は気にしなくてよい。 それは、特定の出来事についての条件ではなく、展開のタイプの条件である。 必要に応じて変更を加えて、測定一般に対してこれらのすべてが実行される。 もし、測定がフォンノイマン−リューダース測定ではないなら、 原理(h)に類したものをもつが、(h')に類したものは持たない。 対象系のその初期状態がなんであるかということに対する推論は、 統計的な種類のものだけである。 一般的なリューダースの場合において、 測定されるオブザーバブルA=ΣaIAaは縮退しているかもしれない。 値を指すオブザーバブルB=ΣbIBbもそうであろう。 しかしながら、展開U:x*y→U(x*y)=φは 強い相関が存在するようなものであろう。 「Aのa固有空間に対するWの条件付けること」をW[A(a)]と書くと、 (1a)a≠bなら(IAa*IBb)φ=ヌルベクトル (1b)φ#=ΣTr(IAaIx)φ#[B(b)] (1c)#φ=ΣTr(IAaIx)#φ[A(a)] それゆえ、Tr(IAaIx)は、測定の終りで測定される系のAが値aもち、かつ ある時点で値を示すオブザーバブルBは値aをもつ確率である。