| ⇒ネタコラム入り口へ | |
| “不可逆反応への不可解な見解” | “縮み逝くセカイの中で” |
| “不可逆反応への不可解な見解” | 11.4/30 | メニューへ |
|
『マスコミは、いつもそうだね。 若年犯罪者がサブカルに興味を持っていた事実を知ると決まって同じ反応をする。 わけが分からないよ。 どうしてマスコミは人格形成へのサブカルの寄与だけに拘るんだい?』 などと、某営業マスコット形状白い生き物っぽい書き方をしてみたが、 要するに特殊な若年犯罪が発生するたびにマスコミが多用する単純な構図・・・ ○○という作品(ゲーム・漫画・アニメ)に類似した表現があった→ 容疑者の部屋から○○という作品が見つかった→ この作品の影響でこのような犯行を起こしたのだろうか?→ この作品(と類似したものも含め)を規制すべきではないか? に辟易しながら、ふとこの構図の持つ真の意味に気付いてしまった・・・気がした。 この単純な構図『○○の影響で犯罪者になった』が指し示しているのはこうなのだろう。 『常人に○○を加えると、犯罪者(予備軍)になる』 わぉ!なんという性善説に則った、ある意味子供だましな作品によく見られる悪役的な人間観! 仮面ライダー風味に喩えるなら、メダルを投入されて内なる欲望を開放されたのではなくて、 メダル自体が【悪の因子】みたいな感じだろうか? なるほど○○が【悪の因子】であるならば、マスコミが毎度のように騒ぐのも合点がいく。 つまりあのように喧伝することで、『常人』が○○に触れ、 犯罪者(予備軍)へクラスチェンジしないようにしてくれているのである。 わぁ!優しいね、過保護なほど優しいね! だが、ここで先に述べたこの構図が持つ真の意味が問題となってくる。 それは既に○○に触れてしまった『常人』に対しても、 警告を発してくれているのであろうか?ということである。 例えば、某超常現象の解明を主体に始まったにも関わらず、後半はほとんどダイエット情報に終始した番組のように ダイエット情報というものは視聴者の興味を惹く題材としてマスコミに多用されている。 このダイエット情報というものは、本来ダイエットが必要でない人間に対しては注意喚起としての意味を持ち、 またダイエットが必要な人間に対しても生活改善の契機の提示足りうるものである、表面的なものだとしても。 簡単にいえば、『××をする(食べる)と肥満になりますよ、肥満の人は××をしない(食べない)ように意識すれば、 肥満が解消しますよ』という構図だ。 ・・・実際のダイエット情報の多くは『□□を食べれば、△△しなくても肥満が解消しますよ』の方が多い気がするが、 ここでは理論が支離滅裂になるので置いておく。 つまりマスコミは先の○○に触れてしまった『常人』に対して、ダイエット情報同様に 『○○を取り除くことができれば、『常人』に戻れますよ』と喧伝しているのだろうか? いわゆる普通の魔法少女モノの、怪物に乗っ取られたキャラを浄化すれば元通りになるかのような効果を 期待しているのであろうか? これについては某ラノベの先駆けとなったファンタジー小説にある喩えの引用で説明するならば、 『アップルジュースにオレンジジュースを混ぜてミックスジュースにする方法は示せるが、 ミックスジュースからオレンジジュースだけを取り除く方法は分からない』というヤツである。 目に見えるミックスジュースからすらオレンジジュースを取り出せないのに、 目に見えない○○という【悪の因子】を人の心から取り除くことができるだろうか? つまりマスコミの『常人に○○を加えると、犯罪者(予備軍)になる』 という構図の警告対象には、既に○○に触れてしまった『常人』 ・・・いや、既に○○に触れてしまった結果、犯罪者(予備軍) になってしまったモノは含まれていないのだ。 つまり、この構図が持つ真の意味とはこういうことである。 ○○に触れてしまった時点で『常人』足りえず、 かつ犯罪者(予備軍)から○○を取り除くことができないというのであれば、 マスコミが対象としている視聴者層は他称・自称『常人』なのだろう。 つまり○○に触れたものを犯罪者(予備軍)としてレッテルを貼り、 他称・自称『常人』達から忌避させるためだけに喧伝している、といわざるを得ない。 だが、彼らは気付かないのだろうか? その構造を単純化させた喧伝もまた、 一度染み付いたら取り除くことのできない○○という【悪の因子】であることに。 場合によっては○○という【悪の因子】以上に大気も土壌も汚染するものだということに。 | ||
| “縮み逝くセカイの中で” | 11.8/19 | ネタ一覧へ |
|
アナタは見知らぬ街を歩いていて目的の建物が見つからない時、
自分の見ている風景に3Dアクションゲーム等におけるレーダーマップ・・・ではかえってわかりにくいか。 現在地と目的地が分かるマップが表示されていたらどれほど楽だろう、と考えたことはないだろうか? かつてはSF映画の中でしか存在しえなかったそんな技術が近年、現実のものとなってきている。 それがAR(augment reality)。 日本語で表現するならば、【拡張現実】である。 簡単に説明するならば、【現実】(reality)に【仮想現実】(virtual reality)を少々融合させたもの、と考えればよい。 この【現実】と【仮想現実】の配分によって、定義が変わるので注意が必要だ。 例えば、仮想空間の中に現実の感覚を反映させたものは【拡張現実】ではなく、【拡張仮想】である。 (閑話休題) 先の例のように、見知らぬ街を歩いていても見ている風景にマップが重ね合わせることが出来て、 迷わずに目的地に着くことが出来たら、それはとっても嬉しいなって思ってしまうのでした。 ・・・ではなくて、それは人間の認識力・処理能力に仮想現実を融合させることで、 本来の認識力・処理能力があたかも拡張されたかのような状態になっているといえるだろう。 つまり【現実】に【仮想現実】を融合させることで、 人間の能力という【現実】はまだまだ拡張される可能性があるということだ。 人類の認識力の拡張・・・それはまさに人類の革新(ニュータイプ)といってよいかもしれない。 20世紀に夢見た未来がすぐそこまで来ているんだね! だが、その【現実】と融合させるべき【仮想現実】の方が縮小されていっているとしたら・・・どうなるのだ? そう、昨今何か事件があるたびに雨後の筍のように生えてきて、 とうとう一本がその伐採から逃れてしまった感のある表現規制の流れである。 『仮想現実の世界でけしからんもんを描いたり、作ったり、見たりできるから、 子供の心が穢れて、犯罪に手を染めるようになってしまうんじゃぁ! 仮想現実での表現(主に性的な意味で)を規制すべし!』 みたいな頭が沸いているとしか思えない、責任転嫁にすらなっていないアレのことだ。 彼ら規制派が望むように【仮想現実】が無制限でなくなれば、 それに伴って拡張される【現実】もまた制限されるということである。 先の見知らぬ街の風景とそのマップの融合の例でいえば、 『この区画は子供にはふさわしくないお店が満載なので表示できません』 という規制のために虫食いでマップが表示されていたら、それは拡張された【現実】といえるだろうか? つまり【拡張現実】の未来にとって、表現規制派の存在は障害でしかないはずだ。 だが、こう考えることもできないだろうか? 彼らこそが【拡張現実】の最大の理解者であり、体現者であると。 なぜ、そんな突拍子もないことが言えるのか? それは【現実の子供】が少々の【仮想現実でのいかがわしい表現】に触れただけで直ちに【悪影響】を及ぼす、 という規制派の理論と 【現実】に少々の【仮想現実】を融合することが【拡張現実】を生み出すという関係性が相似しているからである。 つまり規制派はようやく実用化に向けて動き出している【拡張現実】について、 既にその本質・負の側面まで含めて理解しているために【仮想現実】を敵視しているではないだろうか? また我々凡人には規制派の主張は常に 『一体みんな何と戦っているんだ?』 という風にしか映らないが、 規制派には【拡張された現実の中で】見えない敵が見えていて、それと戦っていると考えれば、 この齟齬も説明がつくような気がしてならない。 つまり規制派は我ら幼い人類が無制限な【拡張現実】により退廃していくことを食い止めるために、 【現実】ではなく【仮想現実】に制限を加えようとしているんだよっ!!! Ω ΩΩ<ナンダッテー ・・・そんなわけ、あるわけない | ||
| 他のページへ | |||
|
|
|
|
|