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HNの由来 2005/01/04
私のHN「漂流者」の由来はネタコラムに書いているので省きますが、
何故現在もその名を使用しているか(一部異なるオエビもありますが)書いてみようかと思います。
とりあえず、オエビに対する私自身の基本理念を羅列してみました。

・オエビの構成要員として絵師が存在しているのではなく、
主体的な意思を持った絵師が集まってできるネット社会の一つの方便としてオエビがある以上、
どちらが主でどちらが従であるか、ネット社会にとっては自明の理でしょう。

・ネット絵師が絵を公開するのに不可欠なものはあくまでネット社会であって、
何も特定のオエビである必要はないでしょう。

・人が必ずいつか死ぬように、オエビだって永遠にして不滅のものじゃない。
オエビなんてものは単なる道具にすぎないんだ。
(ヤン語録の抜粋&改変)


要するに人の集まりである以上オエビの雰囲気が変質するのは自明の理なわけです。
それを「昔は良かった」「○○さんがいた時は・・・」などと嘆いても仕方がないと思うのですよね、残念ながら。
あくまでその“良かった時期の雰囲気”というのはその時の構成員である絵師同士の複雑な化学反応によって偶然生み出された奇跡みたいなものです。
私もかつてリアルでソレに気付かないあまり無為の時を過ごしたことがありました。
 であるからして
「特定のオエビにしがみついていても仕方がない、雰囲気が自分に合わない時は別のオエビで新たな道を模索しよう」
という姿勢を体現するものとして未だに「漂流者」を名乗っているわけです。
まぁ、なかなか割り切れるものでもないですがね(;^^)

そういえば・・・ 2005/07/05
私はリンク集登録や相互リンクを全くといっていいほどしていないので、こちらに来られている方は大体オエビで出会った方ということになるかと思います。
そこでふと思ったのですが、私がオエビで名乗っているHNとこのサイトの管理人名が不一致な件に関して、どう思われているのかなぁと。
「四夜流氷のサイトと思って来たら、えむ・けぇって誰やねん?」って感じなのでしょうかね?自分だったらそう思うかも−−;
まぁ、一応HNとPNを使い分けている・・・早い話が余所行きの服がHNという感じなのです。それゆえあえてPNであるえむ・けぇを名乗っているサイトもあるのですが(以下略)。
ちなみにHNパターン。
漂着者:本国初期とオエビ記号I(正確にはTだったけど;)
漂着者mk一2:本国(さり気なくPNが入っている)
四夜流氷:ジブリ、ぴくらぼ練習板
緋祥劉也:ここ2(もう〜つかう〜ことな〜い〜 ザンボットED風)
漂流者:上記以外

私自身はどの名で呼ばれても私であると認識できますが、他の方をわりと混乱させているのでは?と思ったり思わなかったり。
まぁ、一度そのサイトで名乗った名前は変更していないので(本国とぴくらぼ以外)変な一貫性はあるのですが。

HNの由来2〜悪霊の神々〜 2006/05/22
HN「漂流者」の由来については説明したので、今回は今の主流HN「四夜流氷」について。

確か某ぴくらぼさんのメイン板に初めて描き込む時に漂流者といういかにもステハンなHNではどうかと思い、 ひょう・りゅう・しゃ→しや・りゅう・ひょう→四夜流氷(よつや・りゅうひょう)という思考の流れから作成されたものです。
当て字に関しては四月生まれ&寒色系好み(自分の中では四、夜、流氷全てが寒色イメージなので)&流氷=漂流とニュアンスが似ているという理由からコレになった気がします。 それと一見するとHNによくある厨くさ・・・ゲフンゲフン、ちょっと洒落た感じに見えるかなぁっというのも理由にあったかもしれません。
 といっても、自分としては今まで名乗ってきたどの名前でも自分のことを指していると分かりさえすればそこまで拘りはないのですけどね。

オリジナルの定義 2004/12/09
イラストのカテゴリーは大きく分けて、オリジナルと版権モノの二つに分類できると思います(さらに版権モノはアレンジと模写に分類可能)。
簡単に説明するとオリジナルというのは創作系、つまり作者本人が創り出した作品(多少他の作品の影響が見られても自己消化しているもの)。
版権モノというのは、誰かが創り出した作品に立脚してこそ成り立つ作品といえるでしょうか?
ちなみにオエビには「版権モノはダメ」や「○○のキャラのみ」等きっちり区分けしているところもあるので面白いです。
(ちなみに私は基本的にオリジナル系だが、一応オエビの雰囲気に合わせてます)。
 問題なのは「オリジナルガソダム」という言葉。分かり易くいえば「僕の考えたガソダム」です。
ガソダムという作品に立脚している時点で版権モノのアレンジに分類されるはずですが、巷では普通に「オリジナル」扱いされています。
なので、この言葉を私なりに定義してみることにします。
 まず既存のガソダムのパーツを組み合わせたもの(額はZZ、腕はアレックス、背中にフィンファンネル等)を描いた場合や迷彩塗装を施しただけの場合は「アレンジ」若しくは「カスタム」でしょうね。
 しかし「大気圏内で長時間飛行可能なガソダム」というコンセプトを基に、その趣旨に沿った機構を独自にデザインすれば、それはオリジナルガソダムといえると思います。
要は単なる既存のモノの模倣やパッチワークでなく独自性が見えるものであれば「オリジナル」なのでしょう。
考察おわり。
 ただ元ネタを知らない人にとっては「版権モノ」も「オリジナル」になってしまうのがこのカテゴライズを困難にしている原因でしょうか?

パンドラの箱? 2005/06/18
今まで色々なオエビを見てきましたが、大規模なオエビほど「練習板」のような板が存在します。
基本的にこの板は気楽に練習してもらうための板ですが、それは名目上であって、実際は「本番板」の質を保つために置いているオエビも多いのでしょう。要するに初心者と熟練者(常連)の棲み分け用ということです。
 そのためか、「本番板」の住人が恐れているのは練習板レベル(と彼らが認識する)の新参者が本番板に流れてくることであると思います。時々練習板の存在を知らずに描き込むオエビ初心者の方もいますしね。
さて、この「練習板」。本来は「本番板」デビューするための技量・マナー等の研鑚の場であることが望ましいのですが、結構な割合で「練習だから何しても構わない。本番板の常連がクチを出すな」モードに突入することがあります。
こうなってしまうとその中で独自の混沌が形成され、究極の馴れ合いを誕生させます。
さて、その状態の「練習板」を閉鎖、若しくは改善のために攪拌を行ったらどうなるでしょうか?
恐らくはパンドラの箱のように、封じ込めていた災厄が本番板などに飛散していくことでしょう。現実的な話でいえばスラムを解放した途端、都心部で犯罪が増えるみたいな感じでしょうか?
パンドラの箱の中にはたった一つ「希望」が残されていました。逆にいえば「希望」しか残されていなかったわけですが・・・。
どうなることやら(−−;)

需要と供給と 2006/04/11
日曜に亜脱臼したMFの補充用にと○ざらす行ってきたんです、と○ざらず。
そしたら、以前見た時には見かけなかった少しサイズの小さいMFがあったんです。
見てみると「少女用」って書いてありました。
・・・そうだよね、今のニーズに応えるためには必要だよねと思い、さらによく見てみると『Sサイズ』って書いてありました。
つまりMサイズとLサイズが存在するということです。
・・・そうだよね、今のニーズに応えるためには発育の良いお子様用も必要だよねと思い、Mサイズを見ると何というかSサイズとは違う意味で背徳感漂うものでした。
MでこれならばLは・・・と思い、手に取ると
明らかに「この作品に出てくる人物は全部18歳以上だよ」とさえ書けばどんなに外見年齢が低くても許されると思っているかのような作品においてのみ存在が確認されている、アンバランスという言葉の意味を再確認したくなるようなデザインでした。
・・・ニーズに応えた結果、なのかな?恐るべし!!

『その体は・・・きっと剣で出来ていた』 2006/04/14
アニメ版Fateでアーチャーが言っていた台詞が何やら暗喩めいていたので少しネタ話でも書いてみんと欲す。
後、何故かネタバレを含むので注意です。

私の地方では昨日放映されていた話でアーチャーが消滅しました。
数話しか見ていないのに、消滅していくシーンでグッときたのは気のせいにしておきます。
このアーチャー、主人公の未来の姿だったりするらしいです。
以下は、その彼が主人公を逃がす際に話した台詞。
「お前は戦うものではなく、産み出すものにすぎん。
余計なことは考えるな。お前にできることは一つ。
その一つを究めてみろ。
・・・忘れるな。イメージするものは常に最強の自分だ、外敵などいらぬ。
お前にとって戦うものとは自身のイメージに他ならない」
そのアーチャー(=主人公)の能力は『目視した武器の劣化コピーを発現させる』というもの。
 何やら物凄く暗喩めいてません?
これって大手同人サークルである(だった?)月ゆえの『創作活動を行うものが抱える葛藤とそれを振り払うための決意』みたいに思えるのです。
同人にしろなんにしろ、創作物はどうしてもある程度既存品の劣化コピーであることから逃れることは出来ないと思うのです。
でも何かの劣化コピーであれ、それは自らのものを産み出そうとした結果生じたもの(意図的に劣化コピーなのはおいておきます)。
それを真に自らのものとするには常に自分自身の持つイメージ(発想力)と表現力をぶつけ合わせていくしかない・・・みたいなことの暗喩だったっぽいなぁとか。
実際のところ、どうなのかとかはさっぱり分かりませんけどね(^_^;

ベイグラに今更ながらハマリ中 2006/04/21
シドニーのオエビ理論
「真の嵐は、同じ構図の雑な絵を連投する者というオエビの常は変わらんな。
本人が気づいていないのが哀れすぎる」
当てはまるオエビを見たことがあると思った人は、既にシドニーによって意識の押し付けが行われています。
精神を強く持って、しっかりガードしましょう。
(ってこの理論、オエビ始めて一ヶ月の時点で書いたネタコラムのネタなんですよね。
そう考えるとあの時点でオエビの流れの傾向は多少つかめていたってことになるのかなぁ・・・。
でも対処法というか流れを取り戻す方法は未だに分かってないのですが:)

某オエビの流れを見ていて、自分が何故オエビ初期の頃から「馴れ合いレスは駄目」と言っていたか再認識しました。
馴れ合いレスを貰ってもスルーできる相手であればいいのですが、勘違いする相手だと、現状に甘んじて『全く』成長が見込めないからだったのですね。 そういえば昔こんなことを言っていたこともあったなぁ。

『褒め言葉は「糖質」と同じ。絵を描くときの原動力としてはもっともエネルギー効率が良いが、 自己消費できずに採りすぎれば肥満につながる。100の「追従(おべっか)」より1の適切な「苦言」をもらえる方がありがたいものである。
例えその時には実感できず、煩わしかったとしても・・・。』
 苦言は正直大規模オエビではどうかと現在なら思うけど、追従は今でも正直反吐がでますね。
「過去の絵を見つめぬ者に"成長"はない」
「美辞麗句で媚びを売っても
地に足がついていなければ"進歩"はない。
"魔"よ、去れッ!!」って感じです、ホント。

事実はネタコラムより奇なり 2006/07/10,14
  2006年になって初めて更新したネタコラムのネタに『ネット上での擬態は比較的容易』というネタを書きました。
要するに、なりすましを行っても元の人物の情報が少なすぎるため、簡単に偽者の方の情報で上書きできてしまうというような内容だったのですが、某きすとさんのサポート板でまさにそのとおりの事例の報告がされていました。
いわく、管理人が都合により放棄したオエビに、後から同じHNで現れ書き込みをはじめ、他の住人もその偽者の方が管理人だと思っている、らしいのです。
真実は闇の中、実は全てが同一人物によって仕組まれているという可能性すらある、そう某C跡地のように。
ネット上においては疑心暗鬼になり始めたら、全てがそう見えてしまう可能性がありますからねy。
『実は自分以外の全ての投稿・書き込みは同一人物によるものなのではないか?』
この問いかけはまさに遊星からの物体Xを想起させます。
 まさに事実は小説より・・・もといネタコラムより奇なり、ですね(^_^;
実際、管理人を詐称したサイトのと〜りとして最近問題になっているそうで。
何というかそんな実態を知らずにまったく別の方向から同じ真実に行き当たるとは。
・・・ネタコラム自体がある意味、そういう目的(森林生態と人間の社会性の類似等、別の物事から普遍性を導き出すこと)で書いているとはいえ、こうもそのままな事例があると少しびっくりします。
 ちなみにネタコラムはここで小出しにしているネタを熟成、他のネタと練成すると出来上がる傾向にあります。
ここでちょくちょく書いてしまうのと、ネタコラムとしてまとめるのと、どちらにニーズがあるのでしょうかね?
え?どっちにもニーズがない?
・・・orz

保護と保全とin掲示板 2006/01/25
オエビや掲示板のタイプを一般的に分類すると、
「A:管理人との対話を目的としたもの」
「B:住人同士の対話を目的としたもの」
「C:その中間」の三つに分類されると思います。
Bの場合、管理人が表に出てこなくても成立するので、
例え管理人が不在でも余程アレな書き込みが放置されたりしていない限りは問題なく運営されたりします
(勿論アレな書き込みを放置し続ければスラムと化しますが)。
問題なのはAとC。
この場合、直接管理人と、または管理人を媒介としたコミュニケーションを目的としているため、
管理人が不在だとその影響が顕著に出ます。
 さて、そうした場合、どうすればよいのでしょうか?
管理人が戻ってこられるまで待つのか、いっそBタイプへ移行するのか・・・。
ある意味「保護と保全」の関係みたいなものですね。
どちらが正解なのかは・・・その住人達の集団無意識が判断することでしょうね。

これが市町村合併の弊害か!? 2005/10/06
・・・って何やら社会的なお話でもはじめようかというタイトルですが、
ふとネタコラム「地域密着型(ローカル)萌え」で用いた某S県のある町のHPを数ヶ月ぶりに見てみたのです。
そしたら、例の萌えキャラ?達がお出迎えをしてくれたのですが、何やら様子がおかしい。
ふと見ると
「○○町は市町村合併により○○市に生まれ変わりました。HPが統合されました」
みたいなことが書いてあり、数秒後自動的に現在のアドレスにジャンプ。
 そこには件の萌えキャラは影も形もなく、ごくありふれたある意味使いやすい役所のHPになっていました。
多分役所の合併に伴い、合併先の市町村の議員や他の職員からの反発等があって
アノ路線は貫けなかったのだろうけど、何となく寂しいですねぇ;
グッズとかも売っていたのに。
公務員人員削減の流れからいけば、やはり「地域密着型(ローカル)萌え」の未来は意外と来ないのかもしれませんね。

PN、HNと性別の関係 2005/02/25
ある方のオエビで見かけたギャル文字で書かれた文を読んでいてちょっと考えてしまったことがありました。
・・・ギャル文字が生理的に受け付けないという根源的な話でなく。
その人は「〜(ある方のお名前)様は私にとっての永遠の『お姫様』〜云々」と書いてらしたのですが・・・
え〜と「可愛いおにゃのこを描く人が可愛いおにゃのこ」だという幻想でもあるのでしょうか?
確かにあの方のPNは中性的に映るかもしれませんし、描かれる絵は可愛いおにゃのこが中心です。
ですが・・・(以下、夢を奪う大人にはなりたくないぜ的に検閲)
 確かに私もギャル絵を見ただけで描かれる方の性別を判断することはできませんが
「PNが女性的で、可愛いおにゃのこを描いているから、女性」、「PNが男性的で、ごついオヤジを描いているから男性」
というのは短絡的かなと思ってしまいます;というか別にどちらでもいいではないかと。
この考え方はかつて繊細で女性的な絵を描く男性とごつくて太い主線の男&オヤジ絵を主に描く女性がお絵かき仲間にいたことに起因します。
 そういえば私もネット上において、性別をはっきり明記した記憶がないですが言わずもがなですからね(;^^)
まさか逆の性別で考えておられる方はいないと信じています。

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