ネタコラムの素に戻る
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【最新ネタ】

web拍手? 2005/09/15 2006/09/02
『web拍手』最近よく耳に(むしろ目に?)しますが、よく分かっていません。
ふと、よく描かせて頂くオエビ管理人さんのサイトにweb拍手が設置されていたのでやってみたのですが・・・不思議な感じですね;
掲示板と異なり自分の足跡をサイトに残さずにコメントが送れる手軽さはあるみたいです。
感じとしては『メールフォーム』の簡易版といったところでしょうか?・・・メールフォームの仕組みもよく分かっていませんが;
 感想を簡易に送れる手軽さを考えるとこれから普及していきそうですね。
私個人としてはやり取りが外からも見える掲示板の方が「ネット」らしい気がしますけど^^;

『万物は流転する』といったのはアルキメデスと思ったらヘラクレイトスでした(ノ∀`)'`,、'`,、
さて『万物は流転する』のは周知の事実ですが、初めて見た時がその流転後のものであったために、本来それが何を目的としていたのか分からないということはないでしょうか?
先のサイト様を閲覧していてふと気付いたのです。
その方は『Web拍手』を導入されて以来、今年の春までかなりこまめに日記を更新してらしたのですが・・・ふと振り返ると拍手返信をされたのを見た記憶がありませんでした。
かといって私のように拍手返信用のページがあるわけでもない、では拍手の返信はどうするつもりだったのだろう?と考えて、自分がおかしなことに疑問を持っていることに気付きました。
その方はメールフォームも備えています。
もし返信の必要かつ秘匿性のあるものならそちらでOKなのです。
そして、そもそも本来拍手とは『返信を必要としない軽いファンコール』のために作られたもので、それゆえに今まで掲示板などに書き込むのをためらっていた層のニーズに合い浸透したものだと思います。
それが人々の利用に堪えるうちに拍手する側が反応を欲した結果『文字数の少ない簡易メールフォーム』へと流転したのでしょう。
 話の流れは否定的のようですが、個人的には今の拍手システムは好きです。
やはりサイト運営していて発信した情報への反応があると素直に嬉しいですし、閲覧側でも気に入ったサイト様へ手軽にアプローチでき、それへのリアクションがあるのは嬉しいですし^^
その利点を生かすためにも 「返信を期待しすぎたり、相手に返信の手間を掛けさせることを気にするあまり拍手を躊躇するくらいなら、 素敵だな、と思ったら無記名でも一言でもいいので感想拍手を送ることにしよう」と思った次第です。

“安定より不安定の先にあるモノ” 2005/01/08
『気分新たに、新しいことにどんどん挑戦していきたいです
皆さんもどんどん挑戦していってもらいたいと思います
安定より不安定の先にあるモノも意外とおもしろいですよ』


 これはある方が自らのオエビの年賀イラストにつけられていたコメントです。・・・私のイラストに、じゃないですよ?
私のイラストについていたのは
『自分で描いててそう見えたよ…リボンだけにしておけば良かったw』でしたから。

 むぅ、私の目には数年前から完成しているように見える絵を描く方でも現状の絵に甘んじていないことを改めて認識したというか。
多分、絵の技術・・・というより精神的な部分とは今の位置を維持しようとしても段々安易な方へ流されていってしまうものなのかもしれません。
例えるなら川の流れに身を置いている状態というか。その場で立ち続けようとしても力尽きて下流に流される。
流されないためには何でもいいから前に進むしかない、そうしなければ今の位置すら維持できないのだから。
しかし、真っ直ぐに前に進むよりも途中途中にある岩(新しいこと)を目指して進んだ方が結果として前に進めるような気もするんですよね。
遠回りになるかもしれませんが;
 まぁ、もっとも私の場合は只でさえ不安定なので、前には真っ直ぐ進めないのですが(;−−)

価値観の相克 2006/05/27
興味深い命題があったのでちょっと考察してみます。
まず【CG(デジタル)絵には心篭っていない】について
 確かに一発勝負&描く時の心境によっても描き味が左右されるアナログ絵と異なり、デジタル絵は時間の許す限りいくらでも修正・加工が可能です。
アナログで作業される方にとっては違う人が描いても同じ加工をすれば同じような表現が可能なデジタル絵に【心】が存在するのか懐疑的になるのも無理ないことかもしれません。
ですが、この命題を正とするには【アナログ絵には常に心が篭っている】を証明しなくてはなりません。
また【心の篭ったデジタル絵は存在しない】ことも併せて証明しなくてはなりません。
 まぁ、これは詭弁なのでおいておいて。
私の意見としては、ある方(司令)もご自分のオエビで仰ってましたが「デジタルも画材の一種と捉える」つまりアナログorデジタルはそれぞれ特徴のある画材でしかないんじゃないかなぁと。
(これには心が篭っているか否かは画材に左右されないという前提条件が必要ですが;)
そして、その差は情報量の違いでしかないと思います。
勿論、その差は埋めることの出来ないほどの深さがあろうことは想像できますが、デジタルの限られた情報量にどのような想いを込めるかはやはり人それぞれかと。
 例えば400字詰め原稿用紙10枚でも意味不明な文字の羅列に心が篭っているとは思えないですし、575で心を込める事だって可能でしょうし。
なによりサイト始めるまでずっとアナログでしか描いたことのなかった私に言わせて貰えれば、即時性の高いデジタル絵という画材(オエビ)のおかげで遠く離れた、リアルでは決して出会うことのない絵師さん達と交流が持てたわけですしね。
私にとってはそれだけで十分です。

今度は【公共性と特殊性の相克】について。
 要するに不特定多数が投稿・閲覧可能な場において、人を選ぶ特定ジャンル(同人・エ○系)を投稿すること、またその流れが普遍化することについて、ですね。
 これは・・・正直マナーの問題というかモラルの問題というか。
ちなみに『マナー』:集団における無意識的規範、『モラル』:個が自らを律するための無意識的規範って解釈でどうかひとつ。
端的にいえば、人の目を意識して行動するのがマナー、人の目があろうとなかろうと超自我の目を意識して行動するのがモラルというところ。
 例えば、某Hやさんであったエ○下着絵についての流れでは「私はこの程度ならセーフVS子供も見ているので駄目」という真っ向勝負でした。
これは互いのマナーの相違によるものでしかないでしょう。
要するに『自分以外に一人でも楽しめればOK!』『自分以外に一人でも嫌悪感を覚えればNG!』という。
ですが、極論をいえば前者のマナーならば『何を描いてもほとんどOK!』ですし、後者のマナーであれば『何を描いてもほとんどNG!』ということになります。
まぁ、極論はおいておいて。
この相違の差は、互いに楽しめるor駄目な人の数が多いと認識しているほど大きくなるのは確かです。
故に同人・エ○系という人を選ぶジャンルかつ不特定多数が出入りしている場ほど軋轢が大きくなるのでしょう。
つまりは場の公共性or特殊性という属性次第ではどちらも正であり誤であるということになるかもしれません。
 例えば、花見の席でのカラオケ大会も(限度はあるにしても)無礼講で済みますよね?
これは花見という特殊な場ゆえに許されるわけですが、もし真昼間の路上でカラオケ大会をしたら・・・ご想像にお任せします。
つまり公共性の高い場では特殊性の高い場で許された行為も看過できないわけです。
それでももし真昼間からカラオケ大会がしたいのであれば、カラオケボックスという特殊性の高い場に自らが足を運べばいいわけで。
・・・と多分、こんなことは誰もがわかっていることなのでしょう。
なのにマナーの相違による軋轢が何度も発生する・・・それはなぜか?
それは特殊性の強いものでも普遍化すれば公共化し、その場にいるものにはそれが特殊であることに気付かなくなる。
そして、その後に公共の場としてそこを訪れた人が公共性の喪失を指摘して軋轢が生まれるといったところでしょうか?
 長くなったので強引にまとめると、先の【デジタル絵VSアナログ絵】【特殊性VS公共性】どちらにもいえるのが、自分(の属する集団)の価値観を座標軸の原点として捉えているが故に起こっている部分が多いのではないかなぁと。
早い話が「自分の肌に合うor合わない」レベルの話を絶対的価値基準として昇華させすぎなのではないかってことですが・・・まぁ、このお話自体が私の拙い価値基準に基づいているので適当に流したり流さなかったりしてください(^_^;

『1枚で世界観が伝わる絵』 2005/03/18
 理由(わけ)あって・・・というかある方のイラストとインタビューがあるということで、普段アウト・オブ・眼中の「メ○ミマ○ジン・クリ○イターズ」を買いました。
そして、そのある方のインタビューを読んでいて、不覚にも何というか、その・・・少しウルッときてしまいました。
 現在の私の絵に対する姿勢はプロフにある「絵を描くのが好きな人への45の質問」で多少示されていると思います、多分(;−−)
 そこに私が描きたい絵として記されているのがタイトルにある『1枚で世界観が伝わる絵』です。
これは絵を描くこと自体が目的ではなく、あくまで何かを伝えるための手段であることを体現したものなのですが、あの方も絵を描く際のこだわりという質問に対して同様のことを答えてらっしゃいました。
また『完全に誰かの絵を真似るのはただの模写で、自分の作家性を殺してまですることではないと思う(要約)』とも。
 ・・・フォトショイラストの1,000ヒット記念絵のコメントに書いてありますが、私はかつて絵道(絵けがれなく、道けわし)から一度逃げ出した身です。
その私が再び少し絵道を歩んできた過程で形成された絵に対する姿勢が、あの方の絵に対する姿勢とベクトル的にのみでも通ずる部分がある。
これが「文化の類似性」ということでしょうか・・・って違う!
何というか自分の中に知らず知らずの内に植え付けられたものがまだ息づいていて、それを自らの手で育てたのかなぁ、などとちょっと感動してしまったわけです。
ココの所、ちょっと絵に対して精神的にスランプ気味だったので頑張らなきゃ!と思いました。

 ちなみにこの「メ○ミマガ(ry」。
ネタコラムでいうところの免疫血清ですが、絵師さん達の絵に対する姿勢や絵師になった経緯が分かるので、参考になったり、ならなかったりするかもしれませんよ?

人の可能性を奪うもの 2005/08/20
私は野茂のトルネード投法が好きです。
イチローの振り子打法も好きです。
彼らのフォームを狭視眼的な価値感から自分達の指導しやすいフォームに矯正しなかった仰木監督、新井バッティングコーチに感謝しています。
もし、ロッテの渡辺俊介の世界最低(位置)のアンダースローを
「アンダースローは選手生命が短くなるし、そんな投げ方は王道じゃないからオーバースローに変えた方がいい」
という指導方針のコーチがいたら「お前の狭い価値感が人の可能性を奪う可能性を考えたことがあるのか?」と怒鳴りつけたくなります。
そういう指導方針がはびこれば、高校野球は実に見ていてつまらないだろうと思います、多様性あっての可能性ですから。
 本来の指導方法とはその特徴的なアンダースローを生かす方法(変化球でもいいし、配球でも)を提示することだろうに、どこで間違ってしまったのでしょうね(苦笑)

ネット漂流物に付着するモノ 2005/08/26
たゆたう電子の海には様々な漂流物があります。
多くは難破船の外装の一部などですが、時折船室の一部が放置されたまま流されていたりします。
 そういう割と大きな構造物には漂流している過程で様々なものが付着することがあります。
しかし、もしその付着物が異臭を発生させたとしても所詮は漂流物、誰もそれを清掃するものはいないのですよね。
間違ってウミガメが口に入れないことを望みます(苦笑)。

ネタコラムみたいですが・・・ 2004/11/23
現在、私の主活動オエビは高名な「ぴくらぼ」さんなのですが、何というかあそこはジャソプの「H×H」の天空闘技場編を彷彿とさせます。
 詳しい解説は省きますが、「念」を習得していなければ上で戦うことすら許されない・・・そんな感じです。
身体能力が優れるゴン、キルアがそれだけではどうしようもない相手がいることを思い知らされたのに似た・・・ 自分が他オエビでやってきたことがまるで通用しない感じ。
 この場合の「念」というのは絵のオリジナリティ(強化系等)とそれを表現する技量(絶、纏等)のことを指しています。
 私自身の「念」とは何だろうか?そもそも「念」があるのかどうか?あやしぃものです(;^^)
「ぴくらぼ」さんの創作系中心っぽい雰囲気は自分に合っている感じなので、メイン板に投稿しつつそれを見つけられればいいなと思います。
でも正直バッカスの力でも借りないと投稿する勇気が湧かないけれど(´・ω・`)

「冬休みだよ!ドジんもん」開催中。 2004/12/29
確か今日、明日と恒例の「冬ミサ」が開かれていると、その筋からの天啓(オラクル)を頂いたような。
私はメッカに参拝したことはないですし、小メッカに一度参拝した時もラミカとトーン買っただけで終わった場違い者ですから詳しくは知りませんが。
・・・ゲスト原稿だけなら5回位参加した気もしますけどね(;^^)
 約一年前から自宅ネットを開始したため実感はあまりないですが、ネット全体の練度の高い住人がこぞって不在で、 その分を冬休みの義務教育年齢層が埋めるという極めて不健康な状態なわけですね、今現在?
 これでは各オエビの精神年齢が下がり、馴れ合いの場となるのも仕方ないのでしょうか?
でもネット上の精神年齢は実年齢に必ずしも比例するものではないはずですけど。
 まぁ、そんなことより「花鶏絵」の備蓄ネタが不足気味です。
馴れ合いのオエビでは、あまり絵に対する本質的な悩みを見受けられないですからね;
 数年前の悪夢も馴れ合いから生じたものでした・・・orz

New 第33話「禁じられた言葉」 2006/05/19
・・・って誰がこのネタをわかるのでしょうか?(^_^;

私はオエビへのコメント等で基本的に使用しないと決めた言葉があります。
それは「上手ですね」「センスありますね」「萌え」です。
 何故使用を禁止しているのかというと、これらの言葉は「何故そう思ったか?自分にそういう感想を抱かせたのはどこか?」という部分に踏み込まずに使用できてしまうからです。
相手にしてみれば「自分の技量より上っぽい」「自分には考え付かなそう」(・・・あ、「萌え」はどうでもいいです)という段階で思考停止している印象を受ける言葉だと思うのです。
 絵を見てどう感じるかは人それぞれ。
であればこそ、どう感じたかを具体的な言葉として紡ごうとすることが相手にとっても、そして自分にとっても次に繋がるのじゃないかなぁと。
 というのが「絵が上手ですね〜」等の一行コメをしている人自体の絵を見る度に心に浮かぶ考えだったりします(^_^;
(だから【オエビ利用時における鉄の掟】として「馴れ合いレスをしないこと!」というのがあるわけです)

 あ、でも最近自分がよく用いる言葉で困ったものが;
それは「絵本みたいな〜」というものなのです。
私自身はかなり上級の褒め言葉として用いているつもりなのですが、具体性がないので受け取られた側としてはどうなのかなぁと(^_^;
一概に「絵本」といっても油絵風、不透明水彩でガシガシ描かれた風、透明水彩で淡く描かれた風、色鉛筆のタッチを生かした風など千差万別ですし。
う〜ん、自分に知識と審美眼があれば「○○(作品・作者名)のような〜」とか言えるのでしょうけど(;−−)

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