キア・ヤマト

第六話「消えるガンダム」より

「女性がパイロットという事はないとは思うが――この艦は艦長が女性、という
ことだしなァ」
 下卑た笑いを浮かべると、ガルシア少将はミリアリアの二の腕を捻り上げた。
 その痛みに悲鳴をあげるミリアリア。
 この男が、こんな男がこの要塞アルテミスの司令官だというのか。
 アークエンジェルのクルーの誰もが嫌悪の感情をあらわにする。
 だが誰も止める事は出来ない。軍属の彼等にとっては階級こそが絶対的な物で
あるし、なによりも『ストライク』の機密をおいそれと漏らすわけにはいかなか
ったからだ。
 だが、その時。
「やめてください……ひ、卑怯じゃないですかっ」
 絞り出すような声が、場に鳴った。
「うン?」
 ガルシアの目に、椅子を蹴って立ち上がった一人の少女が映った。
「お、おい嬢ちゃん!」
 黒髪のショートヘア。小柄な民間人の少女――キア・ヤマトは、制止しようと
するマードック整備兵を振り切るようにきっ、と目の前の将校を見据えると、宣
言するように言い放った。
「あれに乗っているのは、ボクですっ!」
 ほう?という風に。
 ガルシア少将は片眉を上げてキアを一瞥すると、やがて鼻から息を吹きだして
彼女に近づいた。
「お嬢ちゃん、お友達をかばおうという気持ちはわかるがな。アレは貴様のよう
な小娘が使えるようなシロモノじゃあないだろう?」
 口元で弧を描いて、馬鹿にした笑いを作る。
「肩が震えているじゃないか。ン?そんな子供がアレを動かせる訳がなかろう」
 実際、キアの小柄な肩は、かくかくと小刻みに揺れていた。
 友人であるミリアリアを守るための必死の行動ではあったが、元々おとなしい
な性格のキアにとって、今おかれた状況は筆舌に尽くしがたい緊張感と恐怖の中
にあった。
 ガルシアはそんなキアの様子を見て己の自尊心を取り戻したが、それでもこち
らを睨んでくるその眼差しは気に食わなかった。
 そして小ざかしくも自分に反抗の意をみせた少女に対する『当然の罰』として
彼女に平手打ちを見舞うべく、おもむろに手を上げ、叫んだ。
「ふざけた真似を……するなァ!」
「ッ!」
 しかしその平手がキアの頬を叩く瞬間。キアの腕がガルシアの腕を内側から弾
くように絡め取ると、梃子の原理を利用した投げ技で彼の身体を転がしていた。
「ぐぁ!?」
 コーディネーターゆえの防衛本能に基づいた己の行動に、キアは己の手を見つ
めた。
 彼女が意識せずとも、彼女の手は己に危害を加える者へと反撃するように出来
ているのだ。
「ち、違っ――ボクはそんなつもりじゃ!」
 床に転がる司令に、キアは弁解するように首を振った。
「司令ッ!」
「きっさまぁ、何をするかァ!」
 警備兵達が一気に押し寄せてくる。
「違います!ボ、ボクは……!」
 無駄だと知りつつも、キアは誤解を消そうと声をあげた。だが、マードックは
それを徹底抗戦の構えと見て、彼女を押さえつける。
「よすんだ、お嬢ちゃん!抵抗はやめろ!」
「そんな!ボクは、ただっ!」
「今の君の行動で、我々がどれだけ不利な立場になったと思っているんだッ」
「!」
 マードックが囁いた言葉に、びくっ、とキアの目が見開かれる。
「ボク、ボクっ……」
 どうしてよいかわからず、呆然と立ちすくむ少女の服を警備兵のひとりが掴ん
で引き寄せた。
「貴様、司令に対して!」
「やめてくださいっ!」
 眼鏡をかけた少女、サニー・アーガイルが、なんとか止めようとしたが、警備
兵に突き飛ばされる。
「サニー!」
 赤い長髪が特徴的なフレア・アルスターが、サニーを受け止め、兵士達に叫んだ。
「おい、やめろよな!キアが言っている事は本当の事だぜ!そいつがパイロット
だってな!」
「貴様等、いい加減にせんかァッ」
「嘘じゃねえよ!だってその子、コーディネーターなんだからさぁ!」
「!」
 フレアが口にした一言。その一言で一斉に空気に緊張が走る。
「コーディネーター……?」
 立ち上がったガルシア司令は、軍帽を被りなおすとキアを改めて見つめた。
「ああそうさ。彼女、キア・ヤマトはコーディネーターなんだ。MSの操縦なんて
お手の物さ!」
 フレアはサニーを庇うように抱き寄せると、はっきり言い直した。
「コーディネーター?」
「コーディネーターだってよ」
「あの小娘が……!」
「……コーディネーター!」
 ぼそぼそとアルテミスの警備兵や、まだその事実を知らなか
ったアークエンジェルのクルー、そして避難民達が奇異の目を一斉にキアに向けた。
 ガルシア少将は「なるほど」と頷いて、指を鳴らす。
「あっ!?」
 その合図と同時に、警備兵達が、両側からキアの腕をガッチリと押さえ込んだ。
腕を極めると同時に身体を前に押し込み、体の自由を奪う拘束法だ。
「コーディネーター……それならばMSを動かしたのも頷けるな」
 と、キアの顎を指で上げてみせ、顔を眺めた。
「だが!」
「!」
 バシイィッ
 強烈な音を立てて、少将の掌が、キアの頬を打った。
「この要塞の中で、私に逆らえるものなどいない。覚えておくのだな」
 歯を食いしばるキアを尻目にガルシアは彼女の赤くなった頬を撫でつつ、舌なめ
ずりをしてみせた。
「では、司令室までご同行願おうか?キア・ヤマトくん」
 キアは何も言わず――ただ、黙ってうなだれていた。
第十話「分かたれた道」より

 まどろみの中。
 赤い長髪の少年――フレア・アルスターは、夢を見ていた。
 母親の夢だった。
 地球連合外務次官でありながらも、家庭的で暖かかった母親。いつも自分に
優しくしてくれた母。
 別れたのはついこの前だったはずなのに、もう永い間会っていなかったよう
な気がする。ヘリオポリスがザフトに破壊されてから、辛い事ばかりだったせ
いだろうか。
 けれど、もうすぐ会えるんだ。
 ママ。
 話したい事がたくさんある。紹介したい友達も一杯いるんだ。
 サニーとだってうまくやっているよ。彼女は素敵なガールフレンドさ。
 だから、早く来てくれよ。
 あの船だね。ママはあの船に乗っているんだね。
 もうすぐ会えるんだよね。早く会いたいなあ。
 え?
 ザフトが攻めてきたって?
 そんな!
 ああ、でも大丈夫。大丈夫だよママ。
 こっちにだってコーディネーターがいるんだよ。
 コーディネーターのくせに、戦いが嫌いなんだって。おかしな奴さ。
 そいつがママを守ってくれるよ。
 だって、そいつがそう言ったんだ。
 ストライクっていう、とても強いMSだってあるんだ。
 それで守ってくれるって。ママを死なせはしないって。
 だから……
 あれ?
 ママ、船がひとつ壊れたよ。
 危ないよね。
 ママの船まで壊れたらどうするんだ。
 ママの船が落ちたらどうするんだ。
 ママの船が。
 ママの船?
 ママの船だって?
 ママの

「うわあああああぁぁーッ!?」
 少年は、そんな悲鳴をあげて跳ね起きた。
「は、っはァ、ふゥッ、はぁ、はァッ……」
「フレア……!しっかりして」
 ベッドの上で胸元を握り締めてうずくまるフレアに、サニー・アーガイ
ルが駆け寄る。
「フレア」
 優しくなだめる様に、サニーはフレイの手にそっと己の掌を重ねた。
 と、フレアは、すがるようにサニーの手を握り締め、顔を上げた。
 ひどく脅えた表情のまま、尋ねる。
「ママは……?」
「!」
 サニーは、彼の震えた声に弾かれたように、肩を強張らせた。フレアはその
肩を掴み、がくがくと揺さぶりながら問い詰める。
「ママは、ママはどうなったんだ?」
「フレア、落ち着いて!」
「ママはどうしたんだよォ!」
 ぎりぎりと腕を握り締めてくる、フレアの手の痛みに耐えながらも、サニー
は懸命に彼を抑えようとした。だが彼はあくまで母親の事を繰り返す。
「ママの船は!?答えてくれよサニー!ママはぁぁ!!」
 答えは判っているのだろう。
 それでも、彼には現実を受け止める事はできなかった。
 彼にできる事は、ただ、泣き叫ぶ事。それしかなかったのだから。

 居住区の一室から廊下に響く嗚咽とも咆哮ともつかない声は、通路を歩いて
いた黒髪の少女――キア・ヤマトの耳にも届いた。
(この声はフレア?)
「嘘だ!嘘だ嘘だァ!ママが、ママが死んだなんて、でたらめを言うなァ!」
「痛っ……止めて!」
「フレア、落ち着いて……きゃあ!」
 部屋に入るなり、キアは咄嗟に、突き飛ばされたミリアリアの身体を受け止
めた。
「ミリアリア」
 見れば、フレアがサニーに覆い被さるようにして、泣きじゃくりながら彼女の
身体にしがみ付いている。サニーは男の腕力でおもいきり抱きしめられ、苦痛に
顔をゆがめているが、それでもフレアを慰めるように抱き返していた。
「フ、フレア」
 キアは彼の取り乱しようを見て、キアは――どうしようとした訳でもないが――
彼の名前を呟いた。
「……キア……か?」
 ふと、フレアの動きが止まる。
 そして、ゆっくりと。フレアはミリアリアの胸元に埋めていた顔を上げた。
「う、うん」
 返事をしながらも、キアは彼の憔悴しきった顔に息を飲む。
 フレアは、疲れたような笑みを浮かべながら、ゆっくりとキアに歩いてきた。
「……怪我は」
「えっ」
「怪我は、ないのか?」
 フレアが口にした言葉に、キアだけでなく、サニーもミリアリアも目を見開
いた。
 キアの事を、あれほどコーディネーターだからと忌み嫌っていた彼の口から、
このようなセリフが出てくるとは。
「うん……怪我は、ないよ」
 キアは、僅かに頬を染めて俯いた。
 嫌われていたと思っていたのに、自分の事を心配してくれるなんて。
 やはりフレアは優しい人なんだ。
 そのフレアの期待に答えられなかった自分の無力さが、恥かしく、キアは
フレアの目を直視する事ができなかった
「し、心配してくれて、ありがと」
「そうか」
 フレアは、目を細めて微笑み、キアの方に手を置いた。
「…………か……」
「……え?なんて言ったの、フレア」
 かすかなフレアの声音に、キアが聞き返す。
 するとフレアは、作っていた笑いを憎悪の色に染めながら、はっきりと言い直す。
「俺のママが死にそうだったっていうのに、お前は怪我もしない程度にしか戦って
なかったのかよ……!」
「!」
「このッ――コーディネーター女がァ!」
 だんっ!
「あっ!」
 フレアはそのまま掴んだキアの肩を、壁に叩きつけた。
「何が大丈夫だ!何がママを守るだ!騙しやがって!騙しやがって!」
 叫びながら、キアの肩を引き戻しては壁にぶつけ、引いてははぶつけを繰り返す。
「何であいつらを倒してくれなかったんだ!なんでママを見殺しにしたんだ!
畜生!畜生!畜生畜生畜生!」
「……ッ!」
 キアはいきなりのフレアの豹変に驚愕しつつも、なんとかその苦痛に耐える。
「フレアやめて!キアだって必死に!」
「コーディネーターめ……コーディネーターめぇぇえええ……」
 ミリアリアが止めようとするが、そんな声は耳に入らぬといった風に、フレアは
壁に押さえ込んだまま、怨念のこもった目つきで睨みつけつつキアへ息を切らしな
がら呪いでも吐き出すかのように言葉を紡ぎ続けた。
「そうか……そうかわかったぞ……お前コーディネーターだから手加減してるんだな
本当はザフトに行きたいんだなナチュラルの俺たちなんてどうでもいいと思っている
んだなママよりも敵のほうが大事だってんだな奴等は仲間だから殺したくないんだな
きっとそうだいやそうに違いないこの売女め心の中ではどうせ笑っているんだろ今度
はザフトと密通して俺達を皆殺しにでもするつもりかコーディネーターめ!」
「違うよっ、ボクはそんなことっ……!」
「だぁまぁあああれぇええぁ!」
 目を血走らせたフレアの両手が、キアの首筋に伸びた。
「!フレア、何を!」
 叫ぶサニー。だがフレアはどす黒い表情で、キアの首を力の限り握り締め始めた。
「お前もママの苦しみを味わえぇっ!」
「かっ……っはっ……!」
 憎しみに満ちたフレアの締め付け方は、酸欠どころかキアのか細い首をもへし折
ってしまわんばかりの力であった。
 だが。
 フレアのその両腕をキアの小ぶりな手が掴んだかと思うと、まるで万力のように
腕の骨をへし折らんばかりの力で握り返したではないか。
「ぎゃあ!」
 たまらずキアの首を開放するフレア。
「ケホッケホッ……はァっ、はっ、はっ、はっ……」
 ようやく自由になった喉を抑えて、キアは酸素を必死に吸う。
「……化物……」
「!!」
 辛い呼吸を繰り返しながら目を上げると、自分の両腕を撫でながら、こちらを
睨むフレアがいた。
 コーディネーターの防衛本能が、また作用してしまったのだ。
 必死でキアは取り繕おうとした。
「これは……フレア、ボク、ボクこんなことするつもりじゃ!」
「今度は俺を殺すつもりか!この化物めっ!」
 既にそのまなざしには、キアを人とすら見る感情もないかのようであった。
 『化物』。
 そう、彼にとって、もうキアは人間とすら映っていないのかもしれない。
「!……ぅ…………っ!」
 かつて恋心すら寄せた少年のそんなまなざしに、キアは耐え切れず、部屋を飛び
出していた。
 溢れる涙を、無重力の通路に振り撒きながら。

作:◆8y2tpoznGkさん


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