ウラガナ、がんばる!

 その7「ウラガナ、助太刀する」の巻



 コロニー・テキサス付近で二つの艦が撃ち合っていた。
 ひとつは地球連邦の戦艦・マゼラン。もうひとつはジオンの重巡洋艦・
ザンジバル。互いに一歩も譲らず、砲撃戦を続けていた。
「敵は一隻だ。よぅく狙え‥‥‥すぐにホワイト・ベースも応援にきてく
れる」
 マゼラン艦長、連邦軍ルナツー基地司令ワッケインはオペレーター達に
激励する。
 ホワイトベース隊を援護している時に、突如テキサスから現れたザンジ
バルとの遭遇戦に突入する羽目となるとは。当のホワイトベースは、ガン
ダムを収容する為にテキサスに入港している。しばらくは戻っては来ない
だろう。
 しかしマゼラン級は、連邦軍でも最大級の攻撃力を誇る戦艦だ。グワジ
ン級というならばともかく、ザンジバル級に遅れをとる事はまずない。
 だが、相手にしてるザンジバルも、ただのザンジバルではないようだ。
対ビームコーティングまでも施しているらしい。こちらのメガ粒子砲をこ
とごとく弾いている。それを操る艦長もしたたかな男のようだ。
(できるな)
 ワッケインは素直にそう感じた。
 こちらのビームの威力と、自艦の防御力を常に考え動いているようだ。
そして、こちらの攻撃にむやみに反撃せず耐え忍んでいる事にワッケイン
は気付く。

「まずい‥‥‥!転蛇だ!取り舵、全速前進っ!」
(間に合うか!?)
 敵艦の目論見に気付いたワッケインの指示どおり艦が動く―――と、ザ
ンジバルから四つの輝きが漏れ、こちらが先程までいた位置を掠めていった。
 大型のメガ粒子砲だ。最大出力まで溜めて放ったのであろう。
 もし、あのまま撃ち続けていたらこのマゼランとて無事ではなかったろう。
 それにしても、なんという大胆不敵な操艦か。
(只者ではない)
 その三白眼を光らせワッケインは口を開いた。
「ジム部隊を発進させよ」
「は!‥‥‥しかし、整備がまだ完全では‥‥‥」
「艦の生き死にの問題だ。戦力を惜しんでどうするか!」
「了解しました!ジム部隊、303から305発進せよ」
 指示通りにMS・ジムが発進するのを確認すると、ワッケインはモニタ
ーに向き直り、ザンジバルを睨みつけた。


「あれをかわすとはな」
 ジオン重巡ザンジバルの艦橋で、彼は唸る。
 目立つ赤い仕官服を着ているのもさながら、奇妙なヘルメットと目元を
覆う仮面。それでいて、その威風堂々たるたたずまい。
 なんとも人目を引く男であった。

 声からすれば相当歳若いはずだが、肩の階級証は不釣合いなほどに高い。
 シャア・アズナブル大佐。
 ジオン軍のトップ・エースとしてあまりに有名な《赤い彗星》だ。
 だが常に余裕を忘れぬ彼が、今は疲労の色がだいぶ強いようだ。
 それもそのはず。先程まで彼は後ろに見えるコロニー・テキサスで、連
邦軍のエースの乗るMS・ガンダムと一戦交えてきたばかりなのである。
 後ろから指示を飛ばすのみでなく、自らが戦線にその身を晒し戦う。彼
をカリスマたらしめている理由がそれではあったが―――今回はそれが裏
目に出たようだ。
「敵艦から、MSが三機発進しました!」
「なに?‥‥‥木馬を待たず、一気にけりを着けにきたか」
 シャアはレーダーを見ながら、オペレーターに言う。
「やむを得まい。私がゲルググで出よう―――
マリガン、後の指示は任せる」
「はっ!?し、しかし、大佐のゲルググは修理が済んでおりません」
 副官のマリガン中尉の懸念を余所に、シャアは笑う。
「かすり傷ひとつだ。どうというダメージではない。お前は私のサポート
に集中すればいい」
「了解であります!」
 ―――シャア大佐が出撃する!
 その言葉は、波紋となって兵達の顔に安堵を作らせた。
 ルウム戦役にて五隻の戦艦をザクで単独撃破した《赤い彗星》にかか
れば、マゼランの一隻など。

 勿論、乱戦状態で密集した戦艦を撃破するのと、あらかじめ距離が置
いてこちらを初めから警戒している艦を落とすのとはまるで訳が違う。
更に当時はザクとはいえ当時は南極条約以前で核兵器が認められていた
事もあった。その上での五隻撃破なのである。
 だが、兵達はそんな事は一切考えていない。ただ単にシャアの腕前に
頼り、期待するだけの者達がどうしてそのような事を思うだろうか。
 彼等の目にはシャアは人間ではなく超人として映っていた。
 超人が間違いを犯すはずがない。無理をするはずがない。疲労などあ
ろう訳がない。
 そんなプレッシャーを常に浴びながらもシャアはこれまで戦い抜いて
きた。だが、今回はちと辛いかもしれぬ。それでも彼にとっては局面を
切り抜ける最良の策は他に有り得なかった。ここでてこずれば例の木馬
が追いついてくるはずだからだ。
 彼もまた、己の腕に絶大なる信仰を誇っていた。いや、持っていた。
僅かではあるが、今の彼は、自分の腕に対する信仰心にぐらつきを生じ
させていた。不慣れな機体だったとしてもガンダムに退けられた事。そ
の心のぐらつきは、時として命取りになる事も有る。
 それでも他に手段はないとなればやむを得まい。
「よし、出るぞ!」
 シャアがブリッジから出ようとした時。
「待ってください、大佐」
 と、穏やかに止めた者がいた。
 長く、艶やかな黒髪を後ろに結い上げた、アーリア系の褐色の肌をし
た少女である。
 何故、こんな少女がこのようなところにいるのか?ゆったりとしたワ
ンピースを着た少女は、あたかも童話の歌姫のような優雅さでたたずん
でいる。
 「‥‥‥ララァ?」とシャアは彼女の名を呼んだ。

 ララァ、そう呼ばれた少女は、ビリビリと電流のような緊張感の充満
した艦橋で、そこだけが、草花の生い茂る野の中にあるような雰囲気を
纏わせながら、シャアへ続けた。
「大丈夫です。大佐はこのまま艦橋にいてください」
「ララァ、何を言っている?」
「お願いです」
 ララァの顔が真剣な物になった。
 それはいつもの、自分を愛する少女としての不安とは趣が違っていた。
何かの確信を持った眼差しである。
 シャアが口を開き、何かを言いかけたとき。
「戦闘宙域に新たなMS反応が!これは、ザ、ザクです!」
「―――ザク?」
「はい、識別信号も我が軍の物です。高速でこちらに向け接近中」
 オペレーターの言葉を聞いて、シャアは少女の方を向いた。ララァは
真摯な表情で、自分を見つめている。
 彼はひとつ頷くと、出口に背を向けた。
「判った。ララァを信じよう」
「‥‥‥大佐」
 ララァは、そんなシャアへ柔らかな笑顔を浮かべた。


 敵MS出現と聞いて、ジムのパイロット達はレーダーに目をやった。
「たった一機じゃないか。今更どういうつもりだ?」

『それも、訳の判らん所から出てきやがったぜ』
『俺に任せろ!たかがザクごとき、一発で仕留めてみせらぁ』
 と、仲間のうちの一機がバーニアを吹かし、ザクへ向かって行った。
 連邦軍製MS・ジムの性能は折り紙つきだ。ソロモンでの活躍は敵の
リック・ドムとですら互角に渡り合えた程である。それは、CPUに組
み込まれた連邦のエースパイロットのデータによるセミ・オートマチッ
ク操縦によるところが大きい。いかな新兵が乗っても、敵のベテランと
互角に渡り合える機体、それがジムなのである。
 ましてやザクでは相手になるまい。
「撃墜マークが奪われちまったか」
 僚機の背中を見やって、パイロットが笑う。
 と。
 接近して射撃の間合いに入ろうとした時、ザクがいきなり加速した。
信じられない速度だ。まるで、全ての推進剤を費やしたかのような勢い
でザクは見る間に僚機との距離を詰め―――至近距離からマシンガンを
ジムの腰部目掛けて集中的に乱射した。
 通信回線から響く、戦友の断末魔。
 そして四散するジムの爆炎をバックに、ザクは僅かも速度を緩めずマ
ゼランにひた進む。
『ば、馬鹿な。あんな旧式でジムを手玉に取るだと!?』
 ごくり、とパイロットは息を飲んだ。
「気を抜くなッ、こいつ‥‥‥エースだッ!」
 二機のジムは、ザクへ向かってビーム・スプレーガンを向けた。


「っきゃああああああ!?なんですかぁっ!なんで戦闘なんてしてるん
ですかぁぁぁ!?」
 スラスターを全開にし、ただただテキサスを目指しているザクの中で、
ウラガナ中尉はパニックになっていた。
 膝の上には、マ・クベの壺が入った箱が抱えられている。

「しかも、なんだかこっちが不利な状態みたいじゃないですかぁぁ!?
一難去ってまた一難ですぅ!」
 泣きながらレーダーを見る。敵艦一隻、敵MS三機。対するこちらは
巡洋艦一隻だ。圧倒的に分が悪い。救助されるどころか、かえって死に
近づくような戦況である。
 と、MS部隊が一斉に自分の方に向きを変えてきた。
 このままの軌道だと、真っ先にマゼランにぶつかる方向なのだから至
極当然の行動だろう。
 第一、敵は乗っているのが素人同然の小娘だとは思ってもいない。
「ぶ、ブレーキ!ブレーキは‥‥‥」
 あたふたとしながら、ウラガナは思い切り『スロットル』ペダルを踏
む。ザクは、推進剤よ燃え尽きろと言わんばかりの勢いでスラスターを
噴出させ、慣性の十分についた機体を更に爆進させた。
「な、なんでえぇぇぇぇ!??」
 強烈なGにウラガナの眼鏡がずれる。
「きゃっ!め、メガネ、メガネっ‥‥‥あ!でも、壺もしっかり守らな
きゃですぅ‥‥‥!」
 あたふたと手を動かしていると、もののはずみで肘が操縦スティック
の武器スイッチにかかる。
 マズルフラッシュがモニターを焼く(眼鏡の外れたウラガナには、た
だ目の前が光っているとしか映っていない)。そして、背後に何かの爆
発の衝撃波を受けた。
「あっ!な、何が起きたんですかぁ!」
 ウラガナがヘルメットのフェイスを開いて眼鏡を直した時、モニター
になぜか『敵機撃破』の表示が出ていた。

「‥‥‥ふぇ?」
 何が起きたのか全く気付いていないウラガナ。だが、即座に、ビーム
の閃光が浴びせられてきた。
「ひゃあああっ!?」
 衝撃がコックピットを揺さぶる。
 ビームスプレーは遠距離では大した威力はないが、肩に被弾したショ
ックで、ザクは進行方向を変えた。
 なんとかマゼランとの激突は防げたようだ、とウラガナが目を回しな
がらもどこかで安堵していると。
(―――そのままは危ないわ)
 そんな声が、どこかから頭に直接入ってきた。
「‥‥‥えっ?あ、ぁきゃぁぁっ!?」
 顔を上げると、宇宙空間に漂う岩塊、小惑星が目の前に現れた。
(―――それを蹴って方向を変えなさい。右に)
「こ、こうですかぁっ!?」
 姿勢制御を駆使して、ウラガナのザクは、脚部を動かし隕石を蹴りつけ
た。
 その反発力で強引にザクは方向転換し、なんとか隕石との衝突をまぬが
れる。
「た、助かりまし‥‥‥」
 危機を抜けたウラガナが、謎の声に礼を言おうとして。
 目前に迫るマゼランの巨体に硬直した。今しがたの方向修正で、折角変
わったコースが戻ってしまったのだ。
「いやぁぁっ!ぜ、全然助かってないじゃないですかぁっ!あなたっ!騙
しましたねええぇ!」
(―――うふふっ。大丈夫よ)
「大丈夫じゃあないですぅぅっ!こ、このぉ、あっちに行けぇぇっ!」
 がごっ
 必死で操縦桿を前後させるウラガナ。と、ザクはマゼランの艦体をとっ
さに蹴りつけて、再び方向を変えた。

 すると。後からウラガナのザクを追ってきたジムが、勢い余って、マゼ
ランに激突。無様に跳ねて、じきに小惑星にぶつかって爆裂した。
(―――ほら、ね)
「ほらねって、こっちは必死なんですよぉ!って言うか誰ですかあなたは
ぁぁ!?」
(―――大丈夫よ。もう少しで大佐が落としてくれるわ)
「‥‥‥ふえぇ?」
 徹底的に三半規管をシェイクされて、吐きそうになっているウラガナの
頭の中で《誰か》は笑った。
 その刹那。
 言葉通りに、マゼランへメガ粒子砲の光が突き刺さった。
 ルナツー司令官ワッケインの、これが最後であった。


 シャア大佐はマゼランの撃沈を確かめると、援軍にきたザクを回収し全
速でこの空域を離れるように命令した。いつ木馬が出現するとも限らない。
「あのパイロット‥‥‥やる。お陰でずいぶんと楽に勝つことができた」
 彼には珍しい感嘆の言葉を漏らして、シャアは傍らの少女を見た。
「ララァは、あのザクに気付いていたのか?」
「気付いたのではなく、判ったのです」
 小首を傾げ、ララァはそう言った。
「そういうものか」
 不思議な答えにシャアは仮面の下で眉を寄せたが、すぐに気持ちを切り
替えた。

「パイロットに礼を言わねばならんな。今どうしている?」
「はっ、どうやらマゼランの爆破のショックで気絶してしまっているよう
で―――なんでも、しきりに寝言で壺がどうとか言っているそうですが」
「‥‥‥壺?」
「はい。コックピットの中で、こんな物を抱えていたそうで」
 と、マリガン中尉は木星の箱を差し出した。
 シャアはその中身を見てしばらく黙っていたが、やがて箱を閉じると、
「これはそのパイロットに返しておけ」と言った。
「了解しました」
「それからな、伝えておけ。マ・クベ大佐は連邦のMSと戦い、見事な戦
死を遂げたとな」
「はっ」
「私も疲れた。少し休む。後のことは任せたぞ、マリガン」
 言い終えた後、敬礼する副官を背に、シャア大佐はブリッジを後にする。
「大佐、大丈夫ですか?」
 気遣うララァに頷いてから、シャアは廊下の窓から覗くテキサスを見た。
 ―――お前はてっきり、壺にしか興味の無いやつとばかり思っていたよ。
「大佐?」
 自分の呟きを伺う少女に、なんでもないよ、とシャアは笑った。
 ゆっくりと回転し続けるコロニー・テキサスから、ザンジバルは炎をあげ
て離れていった。
 その8「ウラガナ、決意する」



「‥‥‥ふぇ?」
 意識が戻ったウラガナ中尉に報じられたのは、まず自分の乗っていた
艦が撃沈されたという報告であった。だが、そんな事は判り切ったこと
だ。単なる形式上の確認に過ぎない。
 彼女に間抜けな呟きを漏らさせたのは、その後に続くあまりにあっさ
りとした一言であった。
 その意味する所を把握できない、というようにウラガナは二、三度そ
のまぶたを開閉させる。それからコツンと黒髪の頭を自分で叩き、愛想
笑いを浮かべた。
「す、すみませぇん。私、まだ頭がぼーっとしちゃってるみたいですぅ。
駄目ですねぇ私〜、ぇへへ。あのぉ、すみませんけどぉ、もう一度言っ
ていただけませんかぁ?」
「マ・クベ大佐は、コロニー・テキサス内部の戦闘によって戦死なされ
ました」
 聞き間違えた筈の言葉は、一字一句違える事無く反復された。
「‥‥‥はぁ?」
「残念です」
 直立した兵士がそう言うと、ウラガナの顔から笑みが失せる。
 いや、もとから彼女は笑ってなどいなかった。
 取り繕った表面上の『笑顔のふり』をやめたに過ぎない。
「そんな‥‥‥そんな‥‥‥!」
 月要塞グラナダ基地内の医務室のベッドの上で、そばかすの少女は前
髪を掻きあげ、額を押さえた。
「事実であります。記録にも、はっきりと‥‥‥」

「で―――」
 彼女はシーツを千切らんばかりに握り締め、ふるふると肩を震わせる。
「‥‥‥大佐の乗ったMSの撃墜された映ぞ」
「―――でたらめ言わないでくださぁいぃぃ!!」
 ウラガナは兵士が言い終える前に、自分の叫びでその言をかき消した。
「マ・クベ様が死ぬはずがありませぇん!どうしてそんな嘘をつくので
すかぁ!撃墜記録なんて、そんなの、誤認に決まってますぅぅ!」
 だが兵士は表情を変えずに彼女の主張を否定した。
「―――事実です。確かにマ・クベ大佐専用に設計されたMS−15、
ギャンでした」
「‥‥‥!!」
 彼の、あまりに無感情なその口調に、ウラガナの両目が大きく見開か
れる。
 軍人と言えど戦友や上官、部下の死を認めたがらない者は多い。彼等
はみな一様に、嘘だと叫び報告した相手に怒りを向ける。
 ―――こういう奴を見るのは、もう慣れっこだよ―――。
 兵士の顔は、そういう顔であった。
 「これは貴方の物ですね?」と、兵士はベッドの側の棚に木箱を置く。
ウラガナは返事をしない。呆けたように棚の上の箱をじっと見つめた。
 己の義務を果たし終えると、兵士は慇懃に敬礼の姿勢を取り、部屋を後
にした。
 ドアの閉じる音が、医務室に鳴り響いた。


「マ・クベ様‥‥‥」
 しばらくたって、ウラガナの口から、その名前が紡がれた。
「からかってるんですよねぇ‥‥‥?わたしが、ドジで、おっちょこちょ
いで、マ・クベ様にご迷惑をかけてばっかりだから、意地悪なされている
んですよねぇ‥‥‥?」
 まるで、大根役者が台本のセリフをなぞるように。抑揚のない声でウラ
ガナは喋った。

「そうですよぅ。マ・クベ様、酷いですぅ‥‥‥恥かしい格好だけじゃな
くってこんな手の込んだお芝居までなさるなんてぇ。さすがのわたしも、
ちょっとむくれちゃいますよぉ」
 棚にある木箱を、ウラガナは手に取った。
「でもでもぉ、ちょっとこれはバレバレですねぇ。マ・クベ様が大切な壺
を私に預けたままにするなんて、ありっこないですよぉ〜。ぇへへぇ、わ
たしが泣きべそかいて箱を空けたら、びょーんって中からびっくりお人形
さんが飛び出してくるんでしょお?もう、マ・クベ様も、意外と‥‥‥」
 と、箱の蓋をそっと開ける。
 中には、ひとつの壺が入っていた。
 ウラガナがチベをザクで出る際、入れた時のままであった。あんなに動
き回ったにも関わらず、奇跡のように傷ひとつついていない。
「‥‥‥なんでぇ‥‥‥?」
 不可解な物を見るように、ウラガナは呟いた。あってはならない物を見
たように。
 かぱり。ウラガナは木箱の蓋を閉じる。そして、また蓋を持ち上げた。
 やはり、同じ壺があるだけであった。どこぞの量子力学の法則よろしく、
中身が変わったりはしない。
 もう一度ウラガナは木箱の蓋を閉じ、再び開ける。
 もう一度。
 もう一度。
 ―――箱の中には、やはり、壺が、あるだけだった。
 壺は無垢の光沢を冷たく輝かせ、ウラガナの顔を映していた。
 ぽたっ
 その表面に、ひとつぶ。水滴がついた。
 ぽた ぽた
 二滴、三滴。
 次々に壺に水滴が落ち、流れていく。
「だって、だって‥‥‥マ・クベ様‥‥‥まだ、私のお茶を飲まれてませ
んですよぉ‥‥‥?」

 じわっ、と、両目が熱くなり、目の前の光景が蜃気楼のように揺れ動く。
 そしてすぐに頬を伝って、顎先から水滴がしたたり始めた。
「‥‥‥マ・クベ様ぁ‥‥‥私のお茶が‥‥‥嫌いになってしまわれたん
ですかぁっ‥‥‥!飲みたいって、おっしゃって‥‥‥くれたじゃないで
すかぁ‥‥‥!」
 どっと、彼女は押さえていた感情を溢れさせる。誰もいない部屋で、彼
女は壺に向かって、叫び、喚き、ただ、泣き続けた。
「嘘つき‥‥‥!嘘つき、嘘つき、嘘つきぃっ!マ・クベ様は‥‥‥大嘘
つきですぅっ‥‥‥おお‥‥‥うそ‥‥‥つ‥‥‥」
 そして、彼女は、自分がこの世で最も愛した、今は亡き男の名を呼んだ。
「マ・クベ様、マ・クベ様ぁ‥‥‥マ・クベ様ぁ‥‥‥ぁ、ぁぁ‥‥‥」
 ウラガナが、それ以上もう何も言うことはなかった。


 どれだけ泣いただろうか。
 何度涙が枯れ果てたと思ったろう。
 泣いて、泣いて、泣き尽くした筈なのに、マ・クベの死をふと思い出し
ただけで、また新たな涙は涙腺から湧き出てきた。
 そんな事をどれだけ繰り返したのか―――ウラガナはふと、自分がかつ
てマ・クベがいた個室にいる事に気がついた。
 棚の中に並ぶ、数々の美術品。
『見るがいいウラガナ。美しいだろう?芸術というものは、例え人が死の
うが残り続けるものなのだよ。そう、人が為した物は、例えその者が消え
たとしても、生きた証しをはっきりととどめるものなのだ―――判るな?』
『はぁい!マ・クベ様ぁ〜!』
 マ・クベと交わした会話を、思い出す。
「でも、マ・クベ様ぁ‥‥‥見る人がいなくなったら、芸術なんてなんの
意味もありませんよぉ‥‥‥?」
 マ・クベの美術品を見ていると、ウラガナの心はそれだけで悲しみに満
たされていった。

「わたしは、わたしは、こんな物なんて要りませぇん‥‥‥!マ・クベ様
が生きて下さっていれば、それだけで‥‥‥それだけで‥‥‥」
 また滲んできた涙を堪え、ウラガナは口元を押さえた。
 自分は、これからどうすれば良いのか。
 マ・クベがいない今、もう誰も自分を導いてはくれない。
 自分で何を為すべきなのかも判らない。希望などない。このような空
虚な生になんの意味があるだろうか。
 と。
 コン コン
 ドアが静かにノックされた。
 ウラガナは慌てて涙を拭い「は、はぁいぃ」と返事をした。
 だが一体誰が主無き部屋になど来ようというのか?
 いや、もしかしたら。
 ―――ひょっとしたら!?
 ウラガナはドアの取っ手にとびつくと、勢い良く開け放った。
(マ・クベ様!!)
 しかし、そこに立っていたのは、この部屋の主ではなく―――スーツ
を身に着けた中年の男であった。
「‥‥‥ぁ‥‥‥」
 一瞬だけ光の差した世界が、また暗黒に包まれていく感触を、ウラガ
ナはまざまざと覚えた。
 自分は何を期待していたのか。
 もう、マ・クベは死んだというのに。
 どこまで愚か者なのだろう。
 中年の男は、ウラガナの剣幕と急激な落胆ぶりに面食らっていたよう
であったが、すぐに彼女へ会釈してきた。
「失礼。マ・クベ司令の副官のウラガナ中尉殿ですね?私、こういう者
です」
 と名刺を渡してくる。見た目どおり、軍属ではないようだ。

「はぁ‥‥‥。ツィマッド社の‥‥‥?」
 MS製造会社の大手、ツィマッド社。ジオニック社と双璧を為す、あ
のドムを開発したメーカーである。男は、その重役であると名乗った。
「マ・クベ司令には、随分と懇意にしていただきまして‥‥‥。特に、
ギャンのカスタマイズには私が直接立ち合わせていただきました」
「―――そう、ですかぁ」
 ウラガナはだいたい男の用件を悟る事ができた。
 マ・クベがギャンに乗って、連邦のあのガンダムと戦った戦闘データ
を貰いたいとでもいうのだろう。何せ、ギャンは、ジオニック社のゲル
ググと、新規量産MS機種の座を争ったツィマッドの誇る最新鋭MSだ。
「あのぉ、残念ですけど、戦闘データはありませんよぉ‥‥‥。MSは
跡形も無く爆破されたそうですからぁ‥‥‥」
 半開きにしたドアの影から恨めしそうに自分を睨む眼鏡の少女に、男
は「と、とんでもない!」と言った。
「その‥‥‥今回の件は、言わば、その、個人的な用事で」
「‥‥‥?」
 はにかんだ様にこちらを伺う中年に、ウラガナは怪訝そうな表情を作
った。


「すっ‥‥‥素晴らしい!これがマ・クベ殿のコレクションか!」
「見るだけですからねぇ〜!触ったらいけませんですよぉ?」
「判っていますとも!や、しかしこれはなんとも」
 男の用件は、以前マ・クベと取り交わしていた約束を果たすためであ
った。即ち、マ・クベのコレクションを拝見すること。どうやら、この
男も相当な東洋芸術マニアであるらしかった。
 男は、飾り立てられた作品群を見た途端、感動に打ち震え出した。
「ややっ、ホクサイだ!おお、こっちの仏像は唐代の物か!?あああっ、
オウギシの書じゃないか!初めて見たぞ!ひーっ、これは銅鏡か!」

 他にもロサンジンだのケイトクチンだのと、作品を見るたびに男は感
涙に浸りながら叫ぶ。ウラガナにはなにがなんだかちっとも判らなかっ
たが。
(男の人って、こういうのが本当に好きなんですねぇ〜)
 やれやれと息をついて、ウラガナは子供のようにうきうきと動き回る
中年を眺めた。
 と。男がある物の前に来た時、とてつもない声を絞り出した。
 「うお」だか「ぎゃあ」だか「ぬあ」だか―――そんな悲鳴と驚愕と
感嘆が入り混じった、人間に発音できるのかどうかも怪しい声であった。
「な、なななな、なんですかぁ、いきなりぃ?」
 ウラガナは危うく止まりかけた心臓を押さえると、かくかくと立った
ままで器用に痙攣している男に歩み寄った。
「こっ‥‥‥これはぁっ!?こ、この壺はぁ〜!?!?!」
「?」
 男が凝視していたのは、ガラスケースの中に入った、丸型の壺であった。
「‥‥‥これがどうか?」
「る、る、るるるRURUるるルルる、るる、る!」
「『る』?」
「る、る‥‥‥『ルソンの壺』ッッ!!」
「はぁ、そういうらしいですねぇ〜」
 記憶をたぐり寄せて、首を傾けるウラガナ。と、いきなり中年はウラガ
ナの肩をがっきと掴んで、がくがくと揺らした。
「き、きみィ!ま、マ・クベ殿はいったい、これを、いつ、どこで、誰か
ら、どのように‥‥‥!?」
「きゃあぁ!?し、知りませぇぇん!?」
 『ルソンの壺』!!(ギャラリー・フェイク風に)
 中世の日本、いわゆる安土桃山時代、琉球から伝来したとされる茶器で
ある!中国南部、福建地方あたりの雑器窯で造られたものがルソンを経由
して輸入されたためにその名を得ており、時の太閤ヒデヨシ・トヨトミは
この壺を「人の命より重き器」と評したと言う!戦国大名達は、こぞって
この壺を奪い合ったというが―――宇宙世紀のこの時代、現存するだけで
も奇跡に近い逸品なのだ!!

「ああ〜!ま、まさか、生きてこの目に拝めるなんて‥‥‥!!」
 男は、そわそわとケースの周りをうろつき、外聞も無く下から覗いて見
たり体を横倒しに傾けたりして覗き見る。今にも噛み付きかねない様子の
その男に、ウラガナはいかがわしい眼差しを投げかけていたが―――ふと、
ポケットの中の名刺を取り出し、男の背中とそれを見比べた。
「な、な、なあ、中尉!どうだろうか!私に、どうかこの壺を、その、な
んだ。アレだ‥‥‥ナニしてくれんかね!?か、金に糸目はつけない!」
 あまりの興奮で呂律が回らなくなっている男は、ウラガナへ泣きそうな
顔で何やら懇願してきた。つまりはこの壺を譲ってもらいたい、という事
であろう。
「見るだけといっておきながら、虫のいい話である事は重々承知の上だっ!
だが、だがしかし、ここでこの壺を逃したら、私は一生後悔しながら生き
る事になる!頼むっ!わ、私は、私は‥‥‥」
 とうとう、男はひざまずいてウラガナに頭を下げ出す始末。
 そして。
「―――構いませんですよぉ」
 にぱり、とウラガナは、男に向けて微笑んだ。
「ウソォ!マジィィィィッッ!?」
 これで本当に会社の重役が勤まるのだろうか。男は鼻水まで垂らして、
ウラガナにすがり付いた。まるで女神を讃える様な有様だ。
「ちゅ、中尉!ありがとう!ありがとうございますっ!」
「でもですねぇ、ひとつだけ条件があるですよぉ〜」
 指を立てるウラガナ。
 男はすっかり元の貫禄を取り戻し、背筋を伸ばしてネクタイを締め直
しながらうなずいた。
「ああ、勿論ですとも!どんな条件でも飲みましょう!妻と息子を質に
入れても構いませんよ!」
「‥‥‥そんなのしなくていいですぅ」

 ウラガナは「では?」と聞いてくる男の耳に、そっと何事かを囁いた。
 それを耳にした中年紳士の顔は―――
 再び、この上なく情けないものに変貌を遂げた。


「そうか、マ・クベがな‥‥‥」
 ジオン公国軍突撃機動軍司令官、キシリア・ザビ少将は机に上に置かれ
た壺を見て、目を閉じた。
「マ・クベは生前私に良くつくしてくれた。その功績もジオンにとって多
大なる物であった―――惜しい男を無くしたものだ」
「はいぃ。けれど、マ・クベ様は、けして後悔なさっておられないと思っ
ておりますぅ」
 ウラガナ中尉は、キシリアへ壺を渡せという、マ・クベの最後の命令を
果たす事ができた事に、達成感と一縷の悲しみを感じながら司令部に立っ
ていた。
 司令部の机に腰掛けてウラガナの報告を聞いたキシリアは、言い放った。
「で、それだけか?」
(!)
 それだけなら、もうよい。下がれ。
 椅子に腰掛けるキシリアの眼は、暗にそう言っていた。
 それだけなのか。
 自分を思っていた、マ・クベに対し、それだけの言葉で終えられるとで
も言うのか?
 いや、これはごく当たり前の事だ。死んだ部下の副官に対する言葉であ
るなら。
 だが、ウラガナは知っていた。
 マ・クベが最後まで明かせずにいた、キシリアへの想いを。

「キ、キシリア様ぁ」
「まだ何か?中尉」
 マ・クベ様は、マ・クベ様は‥‥‥。
 ずっと、あなたの事を!
「宇宙要塞ア・バオア・クーへの援軍―――自分も着任させていただけま
せんでしょうかぁ?」
 しかし、ウラガナの唇から出てきたセリフは、まるで異なるそれであった。
「‥‥‥よかろう。許可しよう」
「ありがとうございますぅ」
 キシリアに、ウラガナは敬礼すると、踵を返して司令部を後にした。
(申し訳ありませぇん、マ・クベ様ぁ‥‥‥。でも、ウラガナは、ウラガ
ナの口からは‥‥‥)
「‥‥‥言えま、せん‥‥‥ですよぅ」
 廊下を歩きながら、ウラガナは唇を噛んだ。
 これが最後の涙だ。
 そう誓うウラガナの頬に、一筋だけ涙がつたった。
 その9「ウラガナ、がんばった!」



「お嬢さん」
 ジオン公国軍宇宙要塞、ア・バオア・クー―――その基地内を歩く、ノー
マルスーツの少女の足を止めたのは、そんな一言だった。
「手帳が落ちましたよ」
「ふぇ?」
 ヘルメットを両手に抱え持っていた少女が振り返ると、そこに笑みを浮か
べて、一人のパイロット・スーツを着た男が立っていた。赤一色に塗られた
スーツは、彼の鍛え抜かれた無駄のない肉体の線をくっきりと浮かばせてい
る。片方の手には自分のヘルメットを、もう一方の手には少女―――ウラガ
ナ中尉の私物である手帳が携えられている。
「いやぁ、これがハンカチでなかったのは幸いだったね。もしもハンカチだ
ったら、なんてクラシックなガールハント法だろうと笑われる所だったよ」
 独自の色のスーツはエース・パイロットの証しであるはずだが、鍛え抜か
れた外見とは裏腹に、男の物腰は軽薄そのものである。
「どうもありがとうございますですぅ」
 パイロットの男から手帳を受け取るとウラガナは、ぺこりと頭を下げた。
と、警戒心の欠片もないその態度に、パイロットは調子が狂ったように片眉
を上げた。
「まぁ、いいってことさ。
ところでこの手帳、随分面白い内容じゃないか。―――ああ、失礼。拾った
拍子に中を覗いてしまってね」
 だがパイロットは、気を取り直したようにニッと白い歯を見せ、謝罪の代
わりに両手を上げる。それから、手帳を指差して韻を踏むようにテンポよく
口を動かした。


「《青い巨星》ランバ・ラル、《黒い三連星》のガイア、ノリス・パッカー
ド、《白狼》シン・マツナガ‥‥‥サイド3の子供が見たら泣いて喜ぶぜぇ、
我が軍のエース達のサインが揃い踏みだってな」
「えへへ。色んな人達にお願いして、貰ったんですよぉ」
 にぱにぱと自慢するウラガナ。と、パイロットは自らを指してこう言った。
「どうだい?俺もひとつ、そこに並べさせてくれないかな?」
「‥‥‥ふぇえ?」
 自分に親指を向けるパイロットを、ウラガナはじっと見ていたが「あ、あ
ぁーっ!貴方、もしかしてぇ‥‥‥」と、口元を手で覆い隠す。パイロット
は腕を組んで目を閉じ、次の言葉を待った。
「《赤い彗星》!シャア・アズナブル大佐ですねぇっ!」
 どがごっ!
 悠然と壁に寄りかかっていたパイロットは、猛スピードで脳天を壁に激突
させる。
「あ、あのなぁ‥‥‥っ」
「うわぁぁ、うわぁ〜!こんなスゴイ人にサインしていただけるなんてぇ〜、
ウラガナ大感激ですぅっ!一生の記念ですねぇ!」
「うっ!?」
 指を組んで、嬌声を上げるウラガナの喜びっぷりに、パイロットは反論を
喉に止めざるを得なかった。そこには、完全にジオン随一のエースに対する
感謝を一杯に表す少女の姿があったからだ。
(い、言えん‥‥‥!今更「人違いです」なんて、俺にはとてもっ!)
「そ、そうかい?俺も有名になったもんだな!はは、ははははは‥‥‥はぁ」
 心の中で泣きながら、彼は手帳に付いたペンを手に取って、蓋を取る。
 すると。「あ‥‥‥!待ってくださぁいぃ!」ウラガナが急に声をあげた。
「えっ?」
 ようやく自分の間違いに気付いてくれたのだろうか。


「やっぱり‥‥‥サインは要らないですぅ」
 ワクワクと期待たっぷりに次の言葉を待っていたパイロットは、ウラガナ
の表情の陰りに、逡巡する。
「えっ?そ、そりゃあまた、どういう」
 三つ編みに眼鏡の少女は、うつむいて、少しだけ黙り―――やがて、パイ
ロットに向き直って、何かを告白するように語り始めた。
「そこにいる人達はですねぇ、皆さん戦ってお亡くなりになられてしまった
んですぅ‥‥‥。とっても縁起が悪いですぅ!だから、だから大佐はこんな
手帳にサインなんてしないでくださいぃ」
 ピクリ。ウラガナの言葉に、パイロットの眼差しが変わる。
「わたし‥‥‥もうこれ以上、わたしと関わった方が死ぬのは嫌なんですぅ!」
 今まで出会い、そしてもう二度と会えなくなった彼等の事を想い出し。ウ
ラガナは目に涙を滲ませ、懇願するように言い放った。
 ―――だが。
「ふざけるな」
「えっ?」
 彼の語気に、ウラガナは思わず顔を見上げた。
 さっきまで軽薄そうに笑っていたパイロットは、口を引き結び、半ば怒り
を孕んだ様にウラガナを見つめていた。パイロットはうって変わった険しい
口調で、説き伏せるように言葉を投げかけた。
「手帳に書いたからそれがなんだってんだ?この手帳が人の命を左右すると
でも言いたいのか?
―――舐めるんじゃあないぜ!
いいか?戦って、戦って、如何なる場合でも、例えどんな状況だろうと、自
分が生き残る為のベストを尽くす。それが俺達ジオンのパイロットなんだ。
頼れるのは、己の腕とMS!ただそれだけだ。エースだってんなら尚更さ。
俺はここに名前の載ってる奴と殆ど顔も会わせた事もないが、これだけは、
断言するぜ‥‥‥こいつ等の中で、今この場でこんな事を言われてサインを
断るような腰抜けはひとりだっていやしないってな!」
「!!」
 一息にパイロットはウラガナへ言い切ると、手帳にすらすらとサインを入
れる。そして手帳をウラガナに差し出した。

「赤い彗星じゃあなくてすまないけどな‥‥‥だが、俺だって結構捨てたも
んじゃあないと思うぜ?」
 得体の知れない気迫に圧倒されたウラガナが手帳を受け取ると、パイロッ
トは元の軽い笑いを口元に浮かべ、彼女に背を向けた。
 ウラガナは、ふっと彼が抱えていたヘルメットの印を思い出す。赤いライ
ンの、ジグザグにはしった電光の様な紋様を。
 そして。地球の空に光る雷のごとく敵機を撃墜し去るという、ジオンのエ
リート部隊《キマイラ》にその名を轟かせるエース中のエースの名前が、彼
女の脳裏に浮かんだ。
「あ、あのっ!ありがとうございましたぁ!」
 ウラガナが声をかけると、パイロットは振り返らずに、後ろ手ををはため
かせる。
「わたし、頑張りますぅ!―――《荒野の迅雷》ジョニー・ライデン少佐ぁっ!」
「違ぃぃぃぃぃぃがぁぁぁぁぁぁぁうっっっ!!」
 《真紅の稲妻》ジョニー・ライデンは振り返ると半泣きで抗議するのだった。


 ア・バオア・クー要塞の戦闘は、何時とも知れず開始された。
 そもそも戦場に於いて、何を以って戦闘の開始とするのであろうか?
 誰かが放った一発の砲撃なのか。それとも、この戦争を開始せんと、誰か
が画策し始めた時からか。
 だが、そんな事を考える者もおらず、暗黒の空間をメガ粒子の熱線が幾条
も絡み合い、鋼鉄に食い込んで爆裂させていく。一分ごとに、一秒ごとに、
十数年、何十年も生きてきた人間の命が、まとめて消え去っていくのである。

「これはなんですかねぇ〜?」
 そんな戦地真っ只中の慌ただしく工兵達が蠢くMS格納庫で。場違いなく
らいのんびりとした声が発せられた。
「‥‥‥なんだい、アンタ」
「あ、ちょっと、人に向かってアンタなんて言っちゃ駄目ですよぉ?」
 小休止していた整備兵が、いつの間にか隣に立っている少女を見下ろすと、
彼女はやや剥れた様に胸を張った。
「わたし中尉なんですよぉ〜。いちおう貴方より偉いんですからぁ」
「はっは、そりゃ失礼」
 徴兵検査に通るかどうかも怪しいくらい華奢な女性仕官殿に謝罪し、敬礼
を一つしてやる。
「おっきいMSですねぇ〜」
 彼女は、格納庫で整備真っ只中の、上半身だけでも既存のMS以上はあり
そうな機体の姿に感心するように見入っている。整備兵は腕を組んで、自分
達が組み上げた高性能兵器の解説を始めた。
「そりゃあそうですとも!我が軍の威信をかけた、最大最強のMSですから」
「でも、脚のパーツがありませんねぇ。どこかに置いてあるんですかぁ?」
「それが、残念ながら腕の装甲と脚部は間に合わなくて―――ですがっ!
脚の代わりに大型スラスターを増設しました!これによって、こいつの性能
は100パーセントとは言わずとも、90パーセントは引き出せると言って
も過言じゃあありませんね。ま、宇宙戦じゃあ元々足なんて必要のない飾り
みたいなもんですから、これで十分いけますよ」
 得意げに断言する整備班の男。
 だが「えぇーっ、そんなのおかしいですよぅ」とウラガナは抗議の声をあげた。
「だってだってぇ、宇宙空間ではAMBACっていうMSの手足を使った姿
勢制御法がとっても大切なんですよぉ。これじゃあ足で蹴ったりして方向転
換もできませんよぅ」
 ぴしっ
 整備兵の顔が引きつった。

「それにそれにぃ、こんな大型のMSだと推進剤が大変ですからぁ、きっと
脚部には燃料タンクも内蔵されてるはずですぅ。それなのにそれを取って、
アンバランスなスラスターを代わりに着けるなんて、すっごく無駄な仕様だと
思うですよぉ。ヘンですぅ。きっとこれじゃあ、80パーセントどころか7
0パーセントも出せるかどうか怪しいもんだと思い‥‥‥きゃあぁ!?」
 ウラガナは鬼の様な顔でこちらを睨んでいる整備兵に気付くと、弾かれた
ように逃げていった。


 しばらくして一人の士官が、そのMSへと乗り込むために姿を見せる。
「私の機体の整備は済んでいるか?80パーセントの完成度と聞いたが」
 彼は高みからニュータイプ専用に開発されたというMSを見下ろし、呟く。
「80パーセント!?冗談じゃ有りません!現状でジオングの性能は100
パーセント出せます!ええ!出せますったら出せるんですとも!」
 すると、途端に物凄い剣幕で整備兵は彼の言葉を否定した。
「足がついて‥‥‥」
「あんな物は飾りです!無駄です!『偉い人』にはそれが判らんのですよ!」
「そ、そうか?」
 何やら殺気立つ整備兵のその迫力に、彼は頷かざるを得なかった―――。


『中尉!この件は何卒内密に。もし発覚したら私の机どころか、軍事裁判
沙汰になるやも‥‥‥!』
 プツッ
 ツィマッドの重役から送られた映像メールを途中で閉じて、ウラガナは
コックピットの中で機体のジェネレーターを起動させた。
 あの時、ツィマッドの重役に秘蔵の壺と引き換えにウラガナが投げかけ
た要求―――それは自分に一機のMSを回してもらう、という途方もない
注文であった。
 この手で直接、マ・クベの仇を討つ。それこそが、ウラガナの願いだっ
たのだ。

 ツィマッドの重役は、余程壺が欲しかったのだろう。尻込みしていたが、
遂に一機の試作機を、彼女の元へと送り届けてきた。
 《連邦の白い悪魔》を相手に、自分ごときに何ができるというのか?
 そんな自問にすら、返答はできない。
 だが、せめて一矢でも。例え、一かすりでも。
『中尉、発進宜しいですか?』
「はぃぃ!」
 オペレーターの声に合わせて、ウラガナはコックピットのモード・セレ
クターを『カタパルト』へシフト。がっちりと操縦桿を掴み、手足を踏ん
張って、Gに備える。
(マ・クベ様、見ていてくださいぃっ!)
『発進、どうぞ!』
「ウラガナ、出撃しまあああすっ!」
 がく、と圧力が体の前面にのしかかるのをウラガナは覚える。
「っ‥‥‥くぅ‥‥‥!」
 押し潰されそうなプレッシャーにしばらく耐え切るとやがて、一気に開
放感に包まれた。無重力の星海に投げ出された感触。
 そして―――。
「!?」
 ウラガナは例えようもない悪寒に、レバーを操って方向転換した。
 次の瞬間、ビームの嵐が真空を切り裂いた。
 幾条もの光の砲撃が、ウラガナが出てきたカタパルトを破壊する。
 爆裂の衝撃と恐怖に、なんとか目を閉じるのを堪えたウラガナに、間髪
入れず、悪寒が走った。
「ま、またぁ!?」
 機体を横倒しに捻って、その『悪寒』というか『殺気』というか―――
名状し難い物の射線から離脱。真上から放たれたミサイルをすんででかわし、
「ええぇいぃ!」
 感覚の発信源へ、狙いもつけずウラガナは攻撃。

 吸い込まれるように、ビームは一直線に戦闘機を貫いて崩壊させた。
 しかし、砲撃を避けても次の砲撃が、敵を倒してもまた新たな敵が、ひ
っきりなしに飛んで来る。それもひとつだけではない。ふたつ、みっつ、
同時に来る時もある。それも360°全方位から。常に全方位に気を集中
させておかねばならず、休む事など許されないかのようだ。
 だが、今更後悔などはしていない。
 生に未練は無かった。仇を討てるのなら命など惜しくは無い。
 ガンダムさえ、倒せたなら。
「そうですぅ!連邦の白いMSっ!どこですかぁぁぁぁっ!!」
 叫んで、ウラガナは視界を巡らせた。
 ‥‥‥と。
 目の前に飛び込んで来た、白い機体。―――の、残骸。
「ふぇ?」
 上にも。横にも。よく見れば連邦のMSのほとんどが白かった。
 RGM−79、ガンダムを元に設計された、連邦主力量産MSのカラー
はことごとく白であった。
「‥‥‥えっ?えっ?ええぇぇぇぇ!?」
 ウラガナはコックピットの中で困惑に包まれながら、抗議の声をあげた。
「そんなあぁぁぁっ!どっ、どこにいるんですかぁ〜!?ガンダムぅぅ!?」


 おそらくは、この戦争での最高のニュータイプであろう少年は、その能
力を誰はばかる事無く発揮していた。
 ジオンも新型MSやMA(以前見たことがある物もいる)を惜しげも無
く放出しているようであった。その幾つかの機種は、確実に彼の乗るMS
RX−78ガンダムを陵駕する性能があったに違いない。例えマグネット・
コーテイングを施してあると言ってもだ。
 だが、彼の敵になるような相手は殆ど存在しなかった。
 どんなに高性能なビームライフルがあろうと、どんなに素早く動こうと、
攻撃を察知でき回避運動の先を読める彼の敵では無いのだ。

(あんまりにものろま過ぎる)
 と、彼は敵の動きを見て、そんな感想すら抱いていた。
 最早、これは敵ではなくただの的だ。
 一方的な殺戮だ。
 頭の片隅にイメージが浮かぶその脇で、こちらも命がけで戦っているのだ、
殺さねば殺される。ならば、殺して何が悪い。
 そう主張する自分が居る。
 そんな葛藤を、心の奥底に秘めながら、それでも彼は、目の前のMSを、
戦艦を、しらみ潰しにしていった。
 そうしている内に、手強い敵が現れる。
 当たる筈の攻撃が当たらない。余裕で避けれる筈の攻撃が、うまくかわ
せない。
 自分と同種の人間が乗っているMSの様だ。もしかすると、自分の良く
知るあのエースか?とも思ったが、それにしては『強すぎる』。
 いや、もし、仮にそうであったとしても―――。
 少年は、機体のカメラを動かして、暗黒の中にそびえる巨大な岩の塊、
修羅の渦の中心の要塞をねめつけた。
「本当の敵は、あの中にいる‥‥‥シャアじゃ、ないっ!」
 そう独白して、少年―――アムロ・レイは白い機体をア・バオア・クー
へと突進させていった。


「―――!あれですぅ!見つけましたぁぁっ!‥‥‥ガンダム!このスキ
ウレ、そしてマ・クベ様のギャンの魂を受け継いだ機体!ガルバルディα
で!ウラガナが仇を取りますぅっ!!」


 宇宙空間の混戦の中の事である。シャアらしきMSを振り切る事はそう
困難な事ではなかった。
 だがしかし、もしもあの中にいる者がシャアであったなら必ずまた自分
の前に現れるのだろう、とアムロは判っていた。シャアというパイロット
は、そういう男だ。彼が自分の様に目覚めているなら、なおの事だろう。

 と。
「ッ!?」
 異様な感覚が押し寄せてくるのを、アムロは察知した。強烈な憎悪と怒
りが、はっきりと具現して剣のようにこちらを斬り伏せんと向かってくる。
「シャアか‥‥‥こちらを見つけたな!?」
 しかし、光芒の輝きから現れたのは、先ほどの異形のMSではなかった。
 何か浮き舟のような物に乗ったMSだ。
 そのMSも、この戦いで敵が投入してきた新型MSに似た機体であったが
微妙に違う。
 ヴァッ
 突如、その浮き舟に備え付けられた砲台から、巨大な光が溢れた。戦艦の
主砲をも上回るメガ粒子砲のようだ。
「あれに当たるわけにはっ」
 呟くものの、敵は正確そのものの狙いで連発してくる。
 いや、というより、こちらの動きを予測しているのか。またしてもニュー
タイプ。アムロは歯をかみ合わせた。
「―――それなら!」
 アムロはビーム・ライフルで敵を狙い撃った。動きの予測はこちらも可能
だ。そして、敵の動きがどうにも素人くさいのがアムロにも伝わってきた。
 敵は、あっさりと浮き舟を切り離してこちらへ向かって来る。
 その勢いにアムロは目を見開いた。
 まるで、自分を倒した後の事など何も考えていないかのようだ。
 いや、本当にこのパイロットは、自分さえ倒せれば良いと思っている!?
 ニュータイプとしてのアムロの知覚は、相手の感情をはっきりと感じ取っ
た。相手もニュータイプ、という事もあったのかも知れない。
 怒りと、憎しみと、そして、悲哀。それがMSの周りを覆うように噴出し
ていた。怒りと憎しみ、それはわかる。だが悲しみとは一体なんなのか。

 そんな事を思う間も無く、アムロは敵MSに向かって、ビームライフルを
発射、発射、発射。
 一撃、二撃目はかわされたが、それは囮だ。
 三撃目が、MSの左肩に突き刺さり、腕ごともぎ取った。
 しかし、敵MSは怯むどころか、更に加速してきた。そして右手に持った
ビームライフルを、アムロ目掛けて発射発射発射発射発射発射発射発射発射
発射発射発射。
「こ、こいつぅっ!?」
 全てかわせる―――筈であったが、その内の一発が、もう片手のハイパー・
バズーカを撃ち抜いた。咄嗟に手を放して被爆を避ける。
 片腕になったMSは、一気に撃ち切ったビームライフルを放って、ビーム・
サーベルを抜いた。
 間合いはもう左程ない。
 アムロも応えるように、背からサーベルを手にして、展開する。
 敵MSの長大で太いビーム・サーベルが、ガンダムへと突き込まれた。
 しかし。
 アムロはそれすらも読み切っていた。
 紙一重。まさにその言葉に相応しい動きで超高熱の刃を掻い潜ると、ガン
ダムのビーム・サーベルは敵MSの両足の付け根辺りを綺麗に溶断して斬り
裂いたのだ。
 火花を散らして、MSは慣性のままに回転しながら光芒の中へと消えてい
った。

 アムロはそのMSの最後を見とる間も無く、今度こそ確実に自分へと向け
られた憶えのある殺気に目を向けた。
 ―――シャアが来る。
 今の戦闘で、だいぶビームを使ってしまったが‥‥‥。
「やるしか、ないのか!」
 アムロはサーベルをしまい込み、シールドをその手に持つと、シャアの乗
るMSへ立ち向かった。
 無謀にも、ザクが目の前に立ちはだかる。
「何故出てくる!」
 アムロは、舌打ちして、引き金を引いていた。


 ウラガナは宇宙を漂っていた。
 不思議な事に、とてもそこは居心地が良かった。
 しかし、正確にはここが宇宙空間などではない事は判っていた。
 何せ、自分は生身なのだ。何故か、いつもの士官服だ。
 それに、暖かい場所であった。
 ―――ここが死後の世界なのでしょうかぁ?
 そんな事を考えるが、ピンと来ない。軍人として、人を殺してきた自分は
やはり天国には行けないだろうか、と考える。
 ―――でも、地獄にしては暖かいところですねぇ。
 と。
 遠くで誰かがこちらを見ているのが判った。
 彼女の良く知る男であった。
 ああ、彼に謝らなくては。
 ―――マ・クベ様ぁ、申し訳ありませぇん‥‥‥。ウラガナは、マ・クベ
様の仇は取れませんでしたぁ。
 いつものように、怒鳴られるかと彼女は思った。
 だが、マ・クベは穏やかな面持ちで、仕方なさそうに笑った。
 お前にしては、なかなか上出来だよ。

 ―――本当、ですかぁ?
 よく頑張ったな。
 マ・クベはそう言った。
 そして、ウラガナは。


 涙が、玉になって、宙に浮いていた。
 目を覚ましたウラガナは、自分がまだ生きている事を知る。
 そして、その理由も。
 統合整備計画―――ジオン軍MS全体の整備向上をはかる計画の元に作ら
れたMSにはパイロットのサイバイバビリティを優先した脱出機能が付いて
いるのだ。この機体は、その規格に合わせて作られていたのであろう。
 その計画を立案した男の名前は。
「マ・クベ様ぁっ‥‥‥」
 ウラガナは、己の肩を抱いて涙を散らせた。
 仇を討つ事もかなわなかった自分を、また助けてくれた想い人のために、
ウラガナは泣いた。泣き続けた。涙の雫は眼鏡に張りついて濡らしていった。
 何より、彼女に涙を流させたのは、マ・クベが彼女へ言った一言だった。
 ―――頑張ったな。
 幻影でも構わない。
 彼女の望みは、彼のその一言、ただそれだけであったのだ。
 戦闘宙域から遠く飛ばされたカプセルの中で、ウラガナは泣いた。
 いつまでも。
 いつまでも。
 ウラガナは、宇宙【そら】の中で、泣き続けた。



 ウラガナ、がんばる!   FIN

作:ゾゴック ◆8y2tpoznGkさん


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