家紋−笹竜胆
 
  笹竜胆(ささりんどう)は源氏の家紋〜?
 
「リンドウ」は晩秋に藍紫の鐘状の花を咲かせる野草で、
葉が笹に似ているので「ササリンドウ」とも呼ばれます。

「竜胆」とは漢名で、根の味が竜の胆のように苦いことから
名付けられたといいます。古来より愛された草花「リンドウ」は
『万葉集』や『枕草子』にも登場します。
平安時代には紋様として、衣装・調度品・乗り物などの装飾に
使われました。鎌倉時代初期には家紋化したと考えられており、
公家の間で多く用いられました。

源氏を代表する家紋と思われている「笹竜胆」を家紋として多く
使用していたのは、実は清和源氏とは系統が異なる村上源氏でした。
その事実が後々の世で混同され、清和源氏の後裔を称する家なども
笹竜胆を家紋として使用するようになり、
いつしか源氏全体の代表紋であるかのように
認識されるようになったのです。
村上源氏がよく使用していた家紋「笹竜胆」は、
竜胆の花と葉をかたどった紋で、花三、葉五を基本としています。
  家紋追記〜
 竜胆の花に,葉をあしらった模様または家紋。
その葉が笹に似ているところからこの名称がおこったものですが、
元来、竜胆と笹の合成模様ではなく、通常、葉を笹のように五葉並べ、
その上に花を三つ添えた形式をとっています。
これは清和(せいわ)源氏の家紋と伝えられますが、確証はありません。 

 1390年(元中7・明徳1)に奉納された、熊野速玉(はやたま)大社の
直衣(のうし)(国宝古神宝のうち)にみられる竜胆唐草は、
笹竜胆に近い形式です。

 鎌倉幕府を開いた源頼朝は、清和源氏の流れの河内源氏の嫡流に
生まれました。頼朝は、平治の乱で敗れたあと伊豆に配流され、
20年に及ぶ流人生活を送ります。しかしその後、打倒平氏が成ると、
鎌倉幕府を開き武家政権を確立させました。
このように群をぬく政治力をみせた頼朝でしたが、厳格さの故に
義経ら一族を粛清してしまいます。それが遠因となって、
頼朝の死後20年にして源氏の嫡流は滅ぶことになったのです。