カーチャ・カバノヴァー

個性あふれる配役陣

個人的には、「死者の家から」「女狐」「イエヌーファ」の次に聞いたオペラで、「死者の家から」を別格にすると、入手すぐから気に入っているオペラで、今でもお気に入り順第2位です。第1幕だけ聴くことが多い「死者の家から」と違い、全3幕とも聴いています。とはいえ、第1幕が一番好きでついで第2幕、にはなります。戯曲を原作に持つせいか、会話が自然で、対訳を追いかけるのが比較的容易です。個人的にはチェコ語と英語の対訳で十分用は足りました。

あらすじはこちらを御覧下さい。ロシア自然主義文学の典型のような原作に基づきます(かくいう私、この原作は未読です)。女声が勝ち気味の「利口な女狐の物語」、男声一辺倒の「死者の家から」と比べれば、まともなバランスで、興行側としてはまだやりやすいでしょう。とはいえ、イタリア語を歌える主役級3人集めたらほぼ出来上がりの「トスカ」(という安易な取り組み故に「トスカ」の上演史には事件が尽きないのだそうですが)等と比べれば、チェコ語を歌える歌手をかなりの人数かき集めないといけない点では大変です。主役級にテノール3人、バリトン0というのもやりにくいところでしょう。このネックがあってもかなり演奏頻度が高いようです。オペラとしてはトップクラスの筋立てと素晴らしい音楽に恵まれており、このネックさえなければ世界で最も演奏されても不思議ではないオペラです。

あらすじを見れば、カーチャとボリスの悲恋物語なのですが、音の印象はちょっとちがうのですね。この個性あふれる(と同時に若干無理の見える)配役を紹介しましょう。

クドリアシ:
リリックなテノール。ストーリー上は狂言回し役ですらないのですが、聴いての印象は非常に強い、得な役だと思います。開幕の第一声を発しますし、全曲中一番の山であるべき第2幕の主役二人の愛の場面で「アイ、レリレリ・・」と歌い始めて美味しい所を全部持っていってしまう等、主役二人を食ってしまいかねない役です。

ボリス:
ワーグナーものの主役に課せられる、いわゆる「ヘルデン・テノール」的発声、ちょっと喉を詰め気味にすることになっているようです。というあたりいかにも男側の主役らしいのですが、聴いてみるとクドリアシに比べて印象薄い。大体出番の量でクドリアシに負けてますし、意外といい音楽が与えられていません。

デコイ:
いやなジジイの役のバスです。それにふさわしい音楽しか与えられていません。カバニハのような力強いアンチヒーローではなく、ひたすら嫌なジジイです。

ティホン:
妻を愛しているのだが母親には頭の上がらない少し気弱な寝取られ亭主、という微妙な役のこれまたテノール。さほどいい音楽は与えられていません。

カーチャ:
勿論女声側の主役。出番も多いし、音楽的にも素晴らしい独白が与えられていて、主役であることには間違いありません。ただし、求められている声の質が難しいようです。柔らかめでかなり上の方のソプラノなのですが、これで人妻を演じるのはメゾソプラノのヴァルヴァラとの対比が難しくなります。普通に歌うと3人中一番可憐な娘の感じになってしまうようです。作劇術としてはヴァルヴァラと声域を逆にするべきだったのでは?という思いがつきません。

カバニハ:
アンチヒロインに硬質なソプラノ、これは「魔笛」の夜の女王と同じく無理の無いところです。オペラの最後を締める点でも重要な役です。容姿も含めてグルベローヴァにぴったりだと思うのですが、いかがでしょう。彼女のジルダ(リゴレット)など、見なければ良かったと思ってしまいますし、ドンナアンナ(ドンジョバンニ)もまだマシとは言え余り見たくない一方で、夜の女王はものの見事にはまっていると思っています。スロヴァキア生まれだからチェコ語は出来るのでは?

ヴァルヴァラ:
クドリアシの相方で、狂言回し役もやっているのですが、音楽上はそう得な役ではありません。メゾソプラノで、しかも若さを印象付けるにはかなり軽い声が求められると思います。メゾの方が、カルメンや「セビリアの理髪師」のロジーナのような、一筋縄では行かない感じが出てしまって、本来若い独身のヴァルバラの方が年上の感じになってしまいます。

以上の主役・準主役級のうち、特に全体の印象を左右するのは、カーチャ、カバニハ、クドリアシの3人と思っています。という線で・・・

手持ちCD評

マッケラス/ウィーンフィル盤
1976年録音、多分国内盤CDになったことのある唯一の録音ではないかと思いますが、現在は輸入盤(Decca 421 852-2)しか入手できないと思います。非常に評価の高かったシリーズでした。しかしこのCD許せない所が2点あります。1点目はゼーダーシュトレームの歌うカーチャ。下手というのではなくて、完全なミスキャストです。作曲者の選択に無理のあるところですが、だからといって運命に挑戦し運命に翻弄される人妻には絶対聞こえません。もう1点は、第3幕の嵐の場面で本当の雷の音を流す点。ヤナーチェクの管弦楽は嵐を象徴的に印象づけるのに十分な力があります。その中で生の雷の音の闖入は異質なものとしか感じられず興ざめも甚だしい。
これが私が初めて聴いた「カーチャ」であり、気に入ると同時に違和感も強く感じ、もっといいのがあるはず、と思ってさらに買い漁ったわけですが、今でも結構この演奏を聴いています。というのも、軽く伸びやかな声のクドリアシと、硬質で力あるカバニハはどちらも最高です。特にこのカバニハの最後のセリフに比べると、他の2つでは幕が切れていない気がします。

クロムホルツ/プラハ国立劇場盤
私が2番目に入手したCD(Supraphon 10 8016-2 612)です。1959年録音。上記2点は完全に解決していますが、カバニハが弱いのが唯一の欠点。ボリスとクドリアシの声が似ていて紛らわしいのは有り難くはないですが欠点とも言えないでしょう。そのクドリアシ、上記盤ほどは突出しませんがやはりボリスを食ってしまいます。ちょっと古いですが、非常に優秀な録音で、歌手の音像がしっかりしています。当時のことですから、オーケストラをピットに入れて、歌手は本物の舞台に載せて、少ないマイクでシンプルに録音したのではないでしょうか。総合的に一番安心してお勧めできます。

マッケラス/チェコフィル盤
1997年録音(Supraphon SU 3291-2 632)。カーチャはウィーンフィル盤より断然いい。ほーら、ゼーダーシュトレームさんを起用したばかりに再録音したくなったんでしょうが。しかし、カーチャ以外はウィーンフィル盤が良かった気がします。雷の方は相変わらず懲りていないし。ただ、ウィーンフィル盤よりは違和感の少ない音にはなっています。3組中では一番中途半端に思えます。

この他にカンブルラン盤も輸入CDで出ていますが、後述のDVD(国内版)の方をお勧めします。

ボルトン指揮ロンドンフィル/グラインドボーンオペラ : VHS (01.08.16追記)
amazon.com で VHS & Janacek でサーチすればすぐ出てきます。グラインドボーンに対する密やかな不平はイエヌーファのページを御覧下さい。歌手ではカーチャを歌っているナンシー・グスタフソンを「こうもり」のロザリンデで見たことがありました。 この人もリリックな方ですが、極端に軽い声でもなく、ドラマティコの役もやればできる人だろうと思います。美人とも言い難いですが、目の表情が豊かです。このカーチャに対して、カバニハはちょっと弱い、クドリアシは更に弱い、というところです。英語字幕はこれも非常に優秀、トータルでお勧めできるかというと、、、ちょっと迷います。カンブルランのDVDと比べるとはっきり分が悪い。

 

カンブルラン指揮チェコフィル : DVD (02.02.12追記)
1998年のザルツブルク小劇場のライブで、NHKでオンエアされたことがあるものです。
とにかく先ず演出について一言述べたくなります。衣装を見る限り時代設定は完全に現代で、ちょっとすさんだ感じもするアパートの中庭のような背景の一角に非登場人物のオヤジが佇んでいる状態で最初から最後まで通しています。語彙不足を省みず感想を述べれば、見た目も重視した配役による小劇団のアングラ劇場での実験的舞台風、です。音声でしか知らない頃漠然とイメージしていたものとも、グラインドボーンの舞台とも全然違いますが、個人的には結構楽しめました。出来れば本来のト書きも頭に入れて、この演出のとんがった部分を理解しながら見て欲しいと思います。そうでないと「演劇」が「音楽」を駆逐しかねないような気が少しします。
音声は録音を含めて実にいい音がします。これには小劇場であることが効いているように思います。歌手全員が余裕を持って歌っています。歌手の評価としてはメトロポリタン歌劇場に響き渡ったバルツァ(カルメン)の声と同列には語れないようにも思いますが、DVDで楽しむ側としては、より上手に聞こえる環境で歌って貰って何も悪いことはありません。
カーチャを演じたデノケは、低音がやや響かないので大劇場だとどうなのかな、と思わなくもないものの、声だけでも若妻のイメージが湧く上に見事な容姿で、最高に近いカーチャだと思います。カバニハもマッケラス/ウィーンフィル盤に次いで良いと思います。クドリアシの声ではもっといいのがありますが、ボリスを食い過ぎないように配慮したのかもしれませんし、それ以上にオペラ歌手にあるまじき痩身はこの演出では外せなかったでしょう。ヴァルヴァラがれっきとしたメゾながら若く聴こえる声なのも有り難いし、ボリスもティホンも中々良い。カンブルラン指揮のチェコフィルの入念な演奏も文句なしです。
ヤナーチェクのオペラの映像としてVHSの「マクロプーロス事件」に次いで素晴らしいと思いますし、現在手に入る唯一の日本語字幕付きですから一番のお勧めになります・・・でもクロムホルツ盤を聴かなくなるとは思いません。普通の演出の方が結局飽きが来ないだろうに、とも心の片隅で思っています。

 

アームストロング指揮ウェールズ国立オペラ (10.11.07追記)
operashare#84298、1982年の英語版での公演のTV放送録画です。当時の家庭用VTRとしてはやむを得ない水準の音と映像で、聞き取りが全然出来ないにもかかわらずメロディと台詞が合っていないことだけは分かる英語版ということもあり、物好き以外には鑑賞に耐えない代物ですが、私にとっては、大いなる懺悔を込めてゼーダーシュトレームを再評価する映像となりました。ヤナーチェクのオペラには他のオペラに先んじて音声記録が主力だった時代に触れたので、その限りにおいては、ゼーダーシュトレームの声が主役の声に聞こえない!という不満には一定の妥当性があったと思うのですが、映像で見ると存在感と雰囲気のある奇麗な叔母様で演技も達者、文句無く若奥様役に見えます。柔らかく可愛らしい声質はCDで聞いていたのと変わらないように思うのですが、全体の印象は天と地ほど違います。前述のようにこの映像自体はほぼ鑑賞に耐えない状態でお勧めはできませんが、万一私のゼーダーシュトレーム批判を真に受けてしまった方がおられるなら、一度御覧になるのもよいかもしれません。他の歌手はヴァルヴァラが中々美人なのを除くと、穴にはならないものの余り印象に残りませんでした。演出は無難なのかもしれませんが、もう少し金回りの良い家のようにした方が私のイメージには合うように思います。
Katya - Elisabeth Soderstrom
Boris - Dennis Bailey
Kabanicha - Rita Gorr
Tikhon - Jeffrey Lawton
Kudryash - Arthur Davies
Varvara - Cynthia Buchan
Dikoy - David Gwynne
Glasha - Elisabeth-Anne Price
Feklusha - Anne Morgan
Kuligin - Julian Moyle
Orchestra and Chorus of the Welsh National Opera
cond.: Richard Armstrong

 

Jenkins指揮ウィーン国立歌劇場(17.11.19追記)
ベルリンフィルの「女狐」が素敵だったので、2週間前の公演のこちらも期待して見てみたのですが、かなり残念でした。
まず演出が「どうかしている」ように私には思えます。開幕すぐにボルガ川を見ながら「なんて素晴らしい景色だ!」と第一声を放つはずのクドシアシが、何故かその瞬間に顕微鏡を覗き込んでいるところから既に幻滅です。そのクドリアシもボリスも私のイメージとは違うのですが、それはいいでしょう。しかし、カーチャは違い過ぎます。
出てきた瞬間から、姑に言いたい放題言わせる前に離婚を宣告するような女性にしか見えないので、この作品のストーリーが成立しそうに思えないのです。大体「封建的」背景の作品を現代風の衣装で演じるだけでもリスクがあるのに、見るからに気の強そうな人に露出度高めの服を着せていては、楚々とした耐える女性には全然見えません。せめてこの人のスカート丈を全て10cmずつ長くすべきだったでしょう。
画像を見ないとしても、カーチャに魅力がありません。馬力だけのヴィブラート過多の絶叫調ばかりで耳障りです。カバニハは声質は合ってますが全くの馬力不足で幕切れが締まりません。ヴァルヴァラはいいです。男声陣も声はまずまずです。
ベルリンフィルの「女狐」のところに、「オペラでのオケや指揮の上手下手が分かる、とは自分で思っていない」と書いたばかりですが、この「カーチャ」の指揮はかなり下手なような気がします。どうもやかましくていけません。第1幕の終盤、カーチャが頼んだのにティホンが言わなかった言葉をカバニハから言わされる場面の緊張感が、やかましいオケにかき消されて聞こえてきません。「間」を取るのがこわいのでしょうか。
カンブルランのDVDの方がどこを取っても勝るように思いました。
Wiener Staatsoper 07-11-2017
Orchester der Wiener Staatsoper
Conductor: Graeme Jenkins
Director: Andre Engel
Dikoj Wolfgang Bankl
Boris Herbert Lippert
Kabanicha Janina Baechle
Tichon Leonardo Navarro
Katja Evelyn Herlitzius
Kudrjas Carlos Osuna
Varvara Margaret Plummer
Kuligin Marcus Pelz
Glasa Alexandra Yangel
Feklusa Simina Ivan
BUHNE Nicky Rieti
KOSTUME Chantal de La Coste
LICHT Andre Diot, Susanne Auffermann
DRAMATURGIE Dominique Muller
REGIEMITARBEIT Ruth Orthmann

 

 

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