利口な女狐の物語

大人のための童話・・・多分

多分一番有名なオペラ、代表作とされている、はずです。私には「死者の家から」の次に聞いたオペラで、その時点では「当惑」としかいいようがありませんでした。今ではお気に入り順第3位です。それでもこの不思議なオペラを「死者の家から」や「カーチャ」と同じ水準で理解している気はしません。

あらすじはこちらに紹介されています。さて、訳が分かりましたでしょうか?。例えば、穴熊の巣を乗っ取ることにどういう意味があるのか。校長が酔っ払って向日葵を昔の彼女とみまちがえることにどういう意味があるのか。主役のはずの女狐がなぜ第3幕の開幕早々にあっけなく死んでしまうのか。このあたり、このオペラを、登場人物に感情移入して観劇(感激)できる作りの普通の劇と思っている限り、どうにもならないのです。

登場人物に感情移入しないならどう聞くべきか。個人的には、舞台全体を俯瞰するつもりで聴けるようになって、ようやく腑に落ち始めました。女狐ビストロウシュカは精一杯生きてやがて死ぬけれど、その生命は森の中に受け継がれていく、というのを象徴的に歌い上げる最終場面に山を持っていくには、比較的あっけなく死んでもらった方が具合良かったのでしょう。非西欧的な輪廻の感覚がこのオペラの主役だ、なんて言うと格好いいですが、どうも私自身のではない、借り物の表現になってしまいます。

このオペラをご存知無い方のために、さらに頭の痛いことをお教えしますと、
穴熊と神父、校長と蚊、が同じ歌手の一人二役で歌われることになっています(もっと他にも居るけれど)。こうなると研究者連は象徴的な意味を探すのに張り切ってしまって、主役の女狐は舞台に登場しないテリンカと象徴的に二役である、とか色々言うわけです。そうであって悪いとも私には言えません。

本国にあっては、動物の着ぐるみがたくさん出てくるから子供にも人気あるということですが、登場人物への感情移入をさせないこの作りは、本当は一番ひねた大人のための童話のような気がします。

以上のように劇としては何とも不思議ですが、音楽は素晴らしい。それこそ舞台を俯瞰する思いでこの音楽に浸れれば、「死者の家から」「カーチャ」の自然主義的(イタリア語のヴェリズモ、を充てても悪くない)的迫力とは違いますが(第3幕冒頭とか迫力あるところもある)、悠々として迫らない流れは見事なものです。隙とムラの無さでは一番かもしれません。

あえて文句をつければ、「カーチャ」に続き、声の使い方の面でしょう。かなり女声に偏っています。ズボン役?が、猟場番の息子、その友人、犬のラパーク、雄鶏のホホルカ(これはキツツキと酒屋のおかみとの3役)、男狐ズラトオフシュビーテク、とこれだけ居ると、男と女の場面が軒並みソプラノとメゾの掛け合いになってしまって、音だけで鑑賞するのには苦労が増えます。最終場面の猟場番の独白と並ぶ最高の聞かせどころになる女狐と男狐との愛の場面(第2幕後半)もその例に洩れません。男声の数が少ないわけではないですが、酒場の場面など、今度は男声ばかりになってしまうのです。

こういう苦情は全て舞台で見れば一挙解決かもしれません。しかしチェコ語で歌えてしかも踊れて(踊る場面が多い)、という歌手を大変な数で揃えなければならないこのオペラ、そうそう上演できるものではありません。日本初演は1977年ということですが、その後どれほど上演されたのやら。LDでは3種類くらい出ていたように記憶していますが、買いそびれたのを今頃後悔しています。国内DVDはまだ見たことがないです。

手持ちCD評

マッケラス/ウィーンフィル盤
1981年録音、現在は輸入盤しか入手できないと思いますが、私は国内盤で持っています。まずタイトルロールがゼーダーシュトレームではなくてルチア・ポップなのがいい。素晴らしい芸達者です。猟場番も立派だし、マッケラス/ウィーンフィルのヤナーチェクオペラ5作中では最高の出来、音源としては文句無しです。音源としては、と断るのは対訳に文句があるのです。
「ヤナーチェクの意図に副った、逐語的対訳表現であることをご理解ください」と断っていますが、こんなもの悪文以下、日本語ではありません。こんな不規則な単語の羅列より「カーチャ」を英訳で聴いた方が余程訳が分かるというのは言語道断と思っています。もう少しまともな対訳であればこの不思議のオペラがもう少しよく分かるのではないか、と思っています。同じ翻訳者が「ブロウチェク氏の旅行」のノイマン盤でも対訳を担当していますが、こちらも超絶の悪訳で、良識を疑わざるをえません(ノイマン盤「死者の家から」LPの対訳も同じ翻訳者ですが、これは読めます)。そういえば、ですが、第3幕の子狐が「ターボル町へ」とか「馬鹿なヤンだ」とか言っているのは、「ブロウチェク氏の旅行」にも同じ言葉が出ているのですね。ということは、多分チェコのフス教徒時代を踏まえた言い回しなのですから、一般の日本人向けには当然注釈があるはずべきではないですか。穴熊の巣の乗っ取りの場面では女狐は尻尾を持ち上げて(女性自身を見せ付けて?)穴熊を挑発しているらしいのですが、どういうことなのかさっぱり分かりません。まあ結局のところ悪訳にも腹が立たないくらいに達観して初めて聞こえてくるオペラであるような気もしております。

 

ノイマン/チェコフィル盤
私が最初に聴いた演奏、1979,1980年録音、実はこのCDは持っておりません。その昔に図書館から借りたLPの違法ダビングテープを持っているのみです。もともとかなり痛んだLPだった上に今のメインの装置にカセットデッキがつながっていないので、マッケラス盤と比較はできませんが、久しぶりに聴いた印象ではこれもいいと思いました。女狐も猟場番も声の感じが少し(大幅ではない)違いますが、全般にマッケラス盤と似ていると思います。このLPの対訳こそ当初の当惑の元だったのですが、少なくとも日本語にはなっていたと記憶しています。CDの対訳はどうなのでしょうか。いっそのこと英訳を求めて輸入盤にしましょうか。こちらの日本盤は比較的最近でも見かけます。

 

マッケラス/パリ・シャトレ座o.盤(リージョンコード1のDVD)
1995年製作。どう評価するか微妙な所です。個人的には画面を消して聴くだけの方が良く聴こえましたが、音だけで評価するならマッケラス/ ウィーンのCDの方が勝っていて、存在理由が希薄になります。 最初にこの作品を知って以来の当惑の時期を思い出せば、初めてこの作品に触れる人には大いに助けになるだろうとは思います。当惑の 時期を通り過ぎた者にとって頭に描いた映像と違うからと言っても、却って発言権が無いような気がします。 女狐役は視覚的には合っているようですが、好きではない。その歌はポップには負けますが悪くは無い。アレンの猟場番は、元々好きでない バリトンですが、これは悪いと言いたい、けれど女狐を小脇に抱えて平然と歩いていたのには敬服しました。

 

Denis Russell Davies/パリ・オペラ座(バスティーユ)(Operashare#60946
オペラ座のサイトでネット公開されていた
2008年の映像、普通にはダウンロードできないものだったのをダウンロードした方がOperaShareにアップロードしたものです。英語字幕付き。非常に奇麗だったオリジナルに比べるとブロックノイズが大幅に増えていますが、許容範囲とします。
指揮者も歌手もほぼ知らない人ばかり、
唯一校長役のキューブラーはロッシーニでいくつか見ていて、良いと思ったことのない人です。しかしこの映像は気に入りました。何と言っても女狐が若く溌剌として可愛いのが決定的によろしい(画像の左側、右は雄狐、クリックで拡大)。猟場番の抜けたような顔も良い味を出していて、この二人の間に父娘の間にも似た愛憎を積極的に示した演出がまたよろしい。アナグマの巣の乗っ取りの場面も理屈は分からないままですが分かった気分に成れます。これだけ映像が気に入ると音声はどうでもよくなるのですが、多分映像抜きで聞いても鑑賞に耐える出来でしょう。声とオケのバランスは上手く録れています。
制作にNHKが加わっているようなので、いずれBSなりで放送があるかもしれません。とりあえずキャストを載せておきます。・・・と、よく見てみるとラグランジェも「悪魔のロベール」で見たことある人でした。既に堂々たるおばちゃんになってました。
Vixen: Elena Tsallagova
Gamekeeper: Jukka Rasilainen
Fox: Hannah Esther Minutillo
Instituteur: David Kuebler
Priest: Roland Bracht
Harasta: Paul Gay
Gamekeeper's Wife/Owl: Michelle Lagrange
Inkeeper: Nicolas Marie
Inkeeper's Wife: Anne-Sophie Ducret
Dog: Letitia Singleton
Cock/Jay: Elisa Cenni
Crested Fowl: Natacha Constantin
Pivert: Xenia Fenice d'Ambrosio
Mosquito: Paul Cremazy
Badger: Slawomir Szychowiak
Chorus of l'Opera National de Paris
Maitrise des Hauts-de-Seine choeur d'enfants of l'Opera National de Paris
Orchestra of l'Opera National de Paris
Musical Director: Denis Russell Davies

BSで放送されました。実に良いです。音だけで聞くとすれば、オケのまとまりの悪さが気になるかもしれませんが、この舞台を見ながら聞けるとなるとほぼ無敵でしょう。パリ・シャトレ座盤では映像だけでも比べるまでも無いほどの大差がつきます。
ダウンロードしたものより大幅に画質は向上して細かいところまで良く見えるのがうれしいです。女狐はやはり素敵です。他に付け加えると、少女達が可愛い・・。最初と最後に出てくる子狐役の子も可愛いですが、黙役のキリギリスの子がお人形さんのようにさらに可愛い。キューブラーはロッシーニの主役級を歌っていたのが何かの間違いで、元々この位の役をやるべきテノールだったのでしょう、丁度いいです。
日本語字幕が自然です。台本として通して読むと多分訳が分からなくなると思いますが、演出が「行間」を埋めて、自然な流れが「分かる」というより「伝わる」「しみ込む」ような感じです。
「ビストロウシュカが少女のように見える」→「ビストロウシュカが狐のように見える」という無茶なト書きを逐語的でなく見事に解釈し直したところなどが一例になりますが、演出には最初から最後まで関心しっぱなしでした。
アメリカではDVD化されていました。英語字幕がダウンロードしたもののと同じであれば出来は良いです。日本語字幕付で出すなら余分なことはせずにBS放送時の字幕をつけて欲しいものです。(10.01.16追記)

 

 

ノイマン/コミッシュオーパーベルリンOperashare#31530
1957
年制作の独語版モノクロ映画仕立て。フェルゼンシュタイン演出でその方面では有名な映画のようです。制作当時としては非常に良く出来ている作品だったのだろうと思いますが、バスティーユのを見てしまった後では取り柄がありません。愛嬌のある顔の女狐もドアップでは皺が見えるオバチャンで、決して美声ではありません。リアリズム志向の着ぐるみがクドイです。口パクが画面と合わないのも勿論気になります。役の上の性別どおりの歌手を配したのも、バスティーユのと見比べると無駄な心遣いだったと思えてしまいます。今となっては歴史上の記録に過ぎないように思われます。なお、Operashareにアップされているものは冒頭約1分にわたり音声が欠けています。
Rudolf Asmus (Forester)
Werner Enders (Schoolmaster / Dog)
Ruth Schob-Lipka (Forester's Wife / Owl)
Irmgard Arnold (Vixen Sharp-Ears)
Manfred Hopp (Fox)
Josef Burgwinkel (Priest / Woodpecker)...

 

ラトル/ベルリンフィル
Operashere で「24時間だけ載せるね」と出されたのを取ったのですが、「金銭の支出無く本映像を保有する事の妥当性に疑問の余地が無いとは言えない」もののようです。それはともかく、見て聞いてみる価値は大いにあると思います。
会場がベルリン・フィルハーモニカー、「カラヤンのサーカス小屋」、舞台の周りぐるりと客席があります。ここでオペラを上演するのに、オケはいつも通りで、その前に指揮台から繋がった、もう一段高い小舞台を作っています。これで後方の客席からでもバイオリン奏者の頭に邪魔されずに見えるのでしょう。
この規格外の舞台に加えて、衣装は全て黒づくめで、蛙も蚊も見るだけでは分かりません。字幕は独語と英語が付き、英語自体は平易ですが、背景が白くなると字幕が読み取り困難、そして、字幕が読めたとしても、蛙も蚊も何だか分からないことには変わりありません。
こういう「作品を予め熟知していないと理解不能な演出」には、例えば「リゴレット」であればそれだけで否定的になってしまうのですが、この作品の場合は何だか認めてしまいます。演奏会形式の上演に演技を少し加えたようなもの、とも見えますが、ピーター・セラーズの演出はそういう制約を「物ともせず」になのか「逆手にとって」なのか、とにかく大胆です。
女狐が猟場番の愛情というより劣情の対象で、女狐役がそれに相応しい色気満点の素敵なソプラノ、雄狐のデノケもまだまだお奇麗です。
オペラでのオケや指揮の上手下手が分かる、とは自分で思っていないのですが、ラトル指揮のベルリンフィルはそういうのを超越して、問答無用にめちゃめちゃ上手い!と思いました。オケも声も上手く撮れています。
14 Oct 2017
Berliner Philharmoniker
Sir Simon Rattle
Gerald Finley bass baritone, (Gamekeeper)
Pauline Malefane contralto, (Gamepeeker"s Wife)
Burkhard Ulrich tenor, (Schoolmaster / Mosquito / Cock)
Hanno Muller-Brachmann baritone, (Harasta)
Angela Denoke soprano, (Fox /Hen)
Lucy Crowe soprano, (Vixen)
Sir Willard White bass, (Parson / Badger)
Anna Lapkovskaja mezzo-soprano, (Mrs. Paskova / Lapak)
Vocalconsort Berlin, David Cavelius chorus master,
Vocal Heroes Children's Choirs,
Peter Sellars stage direction

 

 

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