マクロプーロス事件

誰に歌わせれば良いのか

'01.06.23初回公開分はそのままとして、VHSを見て後の感想を最後に付記します('01.08.09)。

原題 Vec Makropulos (本当は e の上に v みたいな記号が付く)は、マクロプーロスの「出来事」、という意味にはならず、マクロプーロスの「もの」、が正しいらしく、従ってどうせ意訳するなら「マクロプーロスの秘伝」の方がむしろ原題を汲んでいることになり、実際台本中でも vec Makropulos というセリフがまさに秘伝書を指している箇所もあるのですが、でも日本語にしたとき断然格好いいから「マクロプーロス事件」でいいことにしましょう。

最後から2番目のオペラですから、作曲者の技もいよいよ極まり、、、とは思いますが、不思議な台本と歌手に対する要求が厳しすぎるのとで、十分な魅力を発揮できていない作品のように思います。

あらすじは例によってこちらを紹介しておきます。オペラの魅力は虚構の魅力と思っているのですが、舞台設定はやたらと現代的な市民生活、そこに「事件」を起こすのは不老不死の薬、という極端な組み合わせのこの台本、どうもオペラらしさを感じ取りにくいのです。

加えて幕切れが、良く言えば余韻を残す、正直に言うとよく分からない作りになっていて、マルティは薬の秘伝書をクリスタに渡したかったのか燃やして欲しかったのかも分からない(演出でどちらにも倒せる)し、最後の最後でマルティが「倒れる」のを絶命とみるか解放とみるか、も解釈の余地があるのではないでしょうか。

日常的な雰囲気を演出している音楽が、台本から受けるその印象に輪をかけます。「カーチャ」の歌の美しさは無いし、「女狐」の不思議な余韻も無いし、「死者の家から」のド迫力も無いし、「日常」というものが悪いというわけではないですが、オペラにはなりにくいと思っています。喜劇と見るか悲劇と見るか、そんな分類はどうでもいいこととしても、鑑賞する側の心構えが難しくなります。個人的には喜劇だと思って第2幕まで聴くならそれなりに楽しめます。

歌手の選択ではとにかくマルティです。マルティ対その他大勢という図式になっている作品なのです。出てくる男という男(おっと女もだ)が、会うなりマルティに惚れぬいてしまう、というのを聴衆が納得しないと成立しない話なのです。この役柄の要求に真に応えられる歌手が果たして存在しえるかどうかとさえ思いますが、ともかくモーツァルトとヤナーチェクを除くと急に貧弱になる私のオペラ関連知識から、この役柄を考えてみましょう。

ヴェルディのソプラノとは完全に異質だと思うのです。ヴェルディのソプラノは軒並み運命に翻弄される弱い存在なのです。もっと強い存在が多いヤナーチェクの女声陣の中でも、とりわけマルティは「魔性の女」「したたかな女」なのです。

とするとまず思いつくのは「カルメン」です。それから、「セヴィリアの理髪師」のロジーナ。どちらもメゾの役、ところが、作曲者の指定ではマルティはソプラノになっています。けれど、割と低い声を出させているところが多いような気がするという以上に、この役はメゾのキャラクタだと思っています。

ソプラノという呼び名にこだわるなら、思い切り重い声のドラマティコ、でしょう。となると一般的にはブリュンヒルデやイゾルデ、ということになるのでしょうが、「マイスタージンガー」以外のワーグナーは苦手の私には何とも言えないのです。ただ、ワーグナー歌手が歌うことが多いという「トゥーランドット」なら、これも冷酷にして魔性の女、というキャラクタで、いい線いくと思います。ちなみに第3幕後半の愛を知って以降のトゥーランドットというのはどうも締まらないと思っております。

チェコ語を歌えるかどうか、音域が合うか、は抜きにして、私の乏しい手持ち音源から選ぶなら、カルメンを歌ったアグネス・バルツァとか、ロジーナを歌ったテレサ・ベルガンサとか、トゥーランドットを歌ったエヴァ・マートンとか、が候補に上がります。あるいはマリア・カラスでしょうか。チェコ出身で世界的歌手で私のお気に入りではありますが、ルチア・ポップがこのオペラに出るならクリスタ役だったでしょう。

手持ちCD評

マッケラス/ウィーンフィル盤
1978年録音、国内盤CDもあったような気がしますが、手元にあるのは Decca 430 372-2 です。マルティにゼーダーシュトレーム、これはもう「唖然とするほどのミスキャスト」と言ってしまいましょう。337年生きた古狸が最後まで可憐な声しか出さないのではどうしようもない。同じタイトルロールでも役割の大きさが「カーチャ」の比ではないですから、他の歌手がいくら良くても取り返しがつきません。マッケラス/ウィーンフィルの5作中の最悪でしょう。

グレゴル/プラハ国立歌劇場o.盤
1965,66年録音。Supraphon 10 8351-2 612。マルティを歌っているプリロヴァ(読みは信じないで下さい)はアルトのような太い声の持ち主で、その迫力でもって「マルティ対その他大勢」の図式をほぼ実現しているのは高く評価できます。ただ「品位」「色気」は不十分。ガラっぱちの「悪声」の部類で、オペラの花形歌手のイメージでもありません。この盤の配役で注目すべきは、メゾ役になっているクリスタを「ブロウチェク氏の旅行」では少年給仕を歌ったタテルムスホヴァーが歌っている点です。というのも少年給仕役というのが最高音域での軽い声を求められる、コロラトゥーラに近いリリコの役なのです。このマルティとクリスタの声の対比が非常にいい。翻って、作曲者の「ソプラノ」「メゾ」の指定にこだわって、本作及び「カーチャ」にて唖然とするようなキャスティングをやってのけたマッケラス/ウィーンフィルのプロダクションのセンスを深く疑うわけです。

かなわぬ夢とは思いますが、バルツァが歌うマルティを聴いてから、このオペラの真価について語り合いたいものだと思っております。

 

カナディアンオペラ盤
さて、この作品を初めて映像で見ることができました。amazon.comから購入した英語字幕付きのVHSです。ゼーダーシュトレームが "artistic consultation" したプロダクションで、Berislav Klobucar 指揮のカナディアン・オペラ、マルティは Stephanie Sundine 、この人も含めキャストは全部私には初めての人達です。これは気に入りました。まず、音だけの時に感じていた、オペラらしさの欠如が全くの勘違いであることが分かりました。舞台への頻繁な出入りが映像付きだと自然です。「余韻の残る」結末はそのままなのですが、充足感のある余韻になりました。マルティの彫りの深い個性的な顔はイメージぴったりで、全員の心をかなりいいところまで支配しているように見えます。衣装やセットも趣味がいい。英語字幕も分かりやすい。DVDでないのが残念ですが、映像付きヤナーチェクとして真っ先にお勧めしてもいいと思います。

音楽の方も、VHS再生環境が最悪なのでコメントできないに近いのですが、画像無しでも手持ちCD2種を上回りそうです。マルティの声質は多分ゼーダーシュトレームとは全然違っていてソプラノ・ドラマティコでしょうか、迫力があって納得できます。バルツァならもっと凄かろうという期待には変わりはありませんが。その他大勢はどうでもいいようなものとは言いながら、英語圏のファーストネームと見える各キャストが歌も演技も達者だと思います。ホールが録音のやり易い適正規模のようにも感じます・・・音の点では今の装置での感想は怪しいものですが。(’01.08.09追記)

 

A.デイヴィス/グラインドボーンオペラ盤
少々残念なことに、リージョンコード1の輸入盤しかなく、リージョンフリーのDVDプレーヤと、英語字幕に向かう覚悟と、は用意していただかないといけないのですが、カナディアンオペラ盤と並んで、ヤナーチェクオペラの映像として最高の作品と思いました。こちらの方がさらに入りやすいかも。

以前イエヌーファのページで書いたように、グラインドボーンの劇場はオペラを演ずるには狭すぎると思っていたのですが、全て室内で進行するこのオペラを演ずるのにはハンディにならなかったようです。広い舞台を暗く使って奥行きを出していたカナディアンオペラとは条件が随分違いますが、出来上がった舞台の雰囲気には意外と近いものがあります。客席に人がいる気配が無かったのですが、撮影だけのための舞台だったのでしょうか。

全知全能に近いマルティが崩壊していった風のカナディアンオペラに対し、こちらは最初からミステリー風。マルティの魅力に対する唯一人の不良導体であるコレナティが、ルパンに対するショルメス(意味分かるかな)くらいには存在感があります。出だしでマルティが強すぎない分、滅んでゆく姿に無理が無く、結末もミステリーの解決編という感じですんなり終われます。

その演出の中で、シリアのマルティは文句無しです。収録時実年齢55歳の怪しい雰囲気満点の初老婦人です。演出に誤魔化されているかな?と映像無しで聞いても十分に迫力ある声で演じています。他の歌手もオケも、狭い劇場と優れた録音にも助けられてか、非常に上手に聞こえます。(’05.06.05追記)

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