第9巻:ソナタ、エレジー、コンソレーション、他 お勧め度:A

よくもまあこれだけ名のある曲を集めて、この後のアルバムで目玉が無くならないのかしら、と見つけた時に思った贅沢な一枚。振り返ってみれば、ハワード&ハイペリオンは後の方で目玉なしのCDを出すことに何の躊躇もなかったようです。序文で述べたような理由での表向きお勧め度A。

序文でちょっと触れたとたんに、リストファンの皆様から反応をいただいてしまった大作、「ソナタロ短調」(1851-1853)が、第1級の名作、最高傑作の有力候補、であることは間違いありません、が、この曲の名誉のことを考えると現状は不幸な形で有名になりすぎていると思うのです。もう少し神棚に置いておいてあげたい。既にこの曲を愛している人はそれぞれの愛し方をすればいいのです。でも、未だこの曲について行けていない人達に「読書百遍、意自づから通ず」みたいな調子で、良いと思えないのは聴きこみが足りない!的な圧力をかけるのは、この曲にもリストにも申し訳ないことをすることになりませんか?

曲の解説はどこでも見かけられると思うので、簡単に。演奏時間は30分前後、単一楽章のソナタ形式のようでもあり、その提示部=第1楽章、展開部=緩徐楽章、再現部=終楽章、の通常の3楽章のソナタのようでもあり、という両義的な構成を持っています。単一主題で全4楽章を統一してアタカでつないだシューベルトの「さすらい人幻想曲」がこの曲の先達というのはよく指摘されるところです。

このように全体に目配りしながら種も仕掛けもある曲を作る、というのはリストでは極めて珍しい。他には2曲のピアノ協奏曲くらいでしょうか。これらとて規模がソナタより大分小さい。「構成されていること」はリストの殆どの作品において、作曲時の中心課題でもなければ、魅力の中心でもありません。そのような作品群にあって、このソナタは極めて例外的です。大変に手が込んでいて、しかもその構築の仕方が(さすらい人幻想曲が先達とはいえ)歴史的な「手の込んだ構築物」と全然似ていない。全然慣れていないはずのことをここまで見事にやってのけたこの曲はリストの頂点かもしれませんが、作品群の中心からは大きく離れた所にいます。その結果として、この曲だけはむしろ良く解る、という人も当然いるでしょう。しかし一般的にはこの曲は他の作品群から飛び抜けた難物のはずだと思っています。

ショパンが全体に目配りするのはいつものことだし、そうすることはショパンのクラシカルな美学からして当然であり、その構築の仕方も類型に堕さない新しいクラシカルを生み出しつづけられるだけの誇り高い美意識を持っていた、と思うのです。それに対して、ロマンティークの申し子リストが何のために、何を思って、こんな手の込んだことをこの曲(だけ)にしたのか? それが解って初めてこの曲を理解したことになるなら、私も全くの未熟者です。

繰り返しのようなものですが、「幻想ポロネーズ」を初めて聞いた人が、変な曲ね、と感想を述べたとしても、ショパンファンたるもの、そこで講釈を垂れるか別の曲を勧めるか、慌てず騒がず何か出来るはずです。愛の夢も聞いた、ハンガリー狂詩曲も聞いた、もっと本格的なのも聴いてみたい、とソナタに挑戦してくじけた人に対して、リストファンはどうすべきか? 「ダンテを読みて」を勧めたのでは多分「ダンテ」ごと嫌われるでしょう。「超絶技巧」も本格的ですがベクトルが違いすぎる。ワルツ集?ますます違いすぎる。個人的には第3巻を推してみようか、と思うのです。謎の構築物に尻込みしたなら、歴史的に認知された構成の構築物から。ちょっと無理かな? こんな理屈こねずに選ぶなら「詩的で宗教的な調べ」や、後の方からなら、自作自編の第14,19巻や第28巻の1枚目あたり、を勧めることになるかも知れません。

演奏のことに触れますと、かなり速いです。全部で24分3秒。全体的に速い中でスローパートが特に速いのではないかと思いますが、勿論これだけの有名曲の録音について十分なサンプル数を有しませんので、想像で書いております。ハワードさん有名曲そっけなく弾くの原則の典型で、感情移入が足りないと言われたらまさしくその通りですが、曲自身の魅力に語らせているように思えて、個人的にはかなり好きです。また初めてこの曲に触れる人のことを想像すると、速い分退屈する危険が少ないのではないかと思います。とはいいながら非常に優れた演奏と言えるかというと「超絶技巧」の場合以上に自信はありません。ホロヴィッツのRCAの方は一度聴いてもらいたいです・・・勿論とりあえず一度でいいですよ、びびったなら。そういう時はおなじCDの葬送曲の方を聴いてください。

とまあ、ソナタを勧めているのかどうかすらよく分からん文章だけでかなりの字数になってしまったのですが、また最初「ワルツ集」を書き上げた時に、これ以上長い文章を書くことはなかろうと思ったのを、「クリスマスツリー」で更新し、今回さらに上を行きそうですが、気にせずに続けます。

2曲の「エレジー」(1874と1877)は曲想も演奏の雰囲気も、第2巻に入れられても、さぞ具合良く収まっていたのではないか、と思えます。「巡礼の年第3年」の4曲のエレジーと比べても、"funeral odes"の3曲と比べても、明るく軽いエレジー(?)です。もう少し大人しいCDの中にいればもっと目立ったのかもしれませんが、ここでは完全に「つなぎ」です。

コンソレーション」6曲(1844-1849)は、「慰め」などという題名でさえなければ結婚式の出し物の常連にもなれたのではないか、と思います。題名で損してもなお最も有名な作品の一つになります。この曲集及び Berceuse「子守歌」がショパンを偲んで書かれた、最もショパンの手法に近い作品、と言い出したのは私ではなくてピアニストの園田高弘氏です・・・さらにその種があるかどうかは存じませんが。演奏時間1分から4分程度の小さな作品ですが、ショパンの作品群のどれに似ているかと言うと、リストが名前の上では継承していない夜想曲集でしょう。・・・前奏曲ならリストにもある、というのはギャグにもなってませんね。一番有名なのが第3番ついで第2番と思いますが、他の4曲も穏やかに落ち着いた曲です。全くのショパン調ではないのですが、リストを聴いた気にはなりにくいかもしれません。

グレートヒェン」(原曲1854-1857,編曲1867)、リスト自身の最大の管弦楽作品である「ファウスト交響曲」の第2楽章のピアノ編曲。原曲の第1楽章が「ファウスト」、第3楽章が「メフィストフェレス」の間に入る、それはそれはかわいい純真な女の子のような曲です、とはいいながらしっかり15分以上かかる。原曲がリストのオーケストラ作品としてはかなり良く出来ている方なので、必ずしもピアノ版の方が楽しいとも言い切れませんが、この編曲も良く出来ています、が、どちらの版でも少し長すぎて退屈。・・・と当初書いておりましたが、オペラ編曲物にさんざん親しんでから聴くと、これも実によろしいものでした。

死の舞踏」(原曲ドラフト1849,全バージョン出版1865)のピアノ独奏版は、ブックレットの書き方によると、管弦楽付き版と同時出版らしいですが、こういうのを編曲と言うのか、対等なオリジナルというのか、リストの場合には拘っても始まりません。「幻想交響曲」にも出てくる「怒りの日による変奏曲です。音楽としては例えば「泣き、嘆き、憂い、恐れ」の主題による変奏曲と比べたら落ちるとは思いますが、豪華絢爛です。考え込まずに楽しんだ方がいい。管弦楽付き版が正常とされていて、演奏機会も多く、耳にする機会も多いのですが、その耳で聞いてもこの独奏版に不足を全然感じない! ここまでやってくれるなら管弦楽いらないと個人的には思っています。原曲(?)でピアノソロになっている部分はそのまま転用し、管弦楽が入る部分も二役を殆どそのままやらせたような編曲(?)だそうです。この豪華な独奏版がゲテモノにとどまっているのは難しいからなのでしょうか? 私が耳で聞いて難易度を判断できるレベルを超越して難しいのは明らかなので想像しか出来ませんが、もし私の想像が正しいとしたら、それをここまで弾いた当時のハワードの技量はやはり相当なものです。

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