第43巻:巡礼の年第2年−イタリア お勧め度:A

「第3年」がBで「第2年」がA?まあいいでしょう。「第3年」の巻(第12巻)は周りにやや難ありだったし。ハワードの演奏は前巻に続き好調ではありますが、前巻ほどの幸せ一杯には達していないようです。

巡礼の年第2年−イタリア」(1837-1849)の個々の曲にはややデコボコはあるとしても傑作揃いだと思っています。問題があるとすれば、曲集として見た時どうか。あまりにも見事に構成された「第3年」に対し、「第2年」では構成のことをまるで考えていないように思えます。特にペトラルカのソネット3連発は本来続けて聴くことを想定されているとは思えません。

婚礼」は文句無しのとろけてしまいそうな傑作です。ラファエロの絵に霊感を得たことになっています。聖母マリアの婚礼ですから、結婚行進曲的にぎやかさは無く、荘重な中にも親しみやすい、ちょっと例えに窮する雰囲気をたたえています。シンコペーションが拍子感覚をあいまいにするあたりの処理が弾く側として迷う所。残念ながら後半のオクターブ連続は簡単とは言えません。

物思いに沈む人」はミケランジェロの彫刻に霊感を得た作品で、「3つの葬送頌歌」の第2曲「夜」として管弦楽化され、それがさらにピアノ編曲(第3巻)されています。この曲については第3巻の最終形態の方がいいと思います。あちらを聴いてからこちらを聴くと中途半端の感があります。「サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ」は元気よく屈託ない小品、とやかく考えるような曲ではないです。

続いて「ペトラルカのソネット第47番」「同104番」「同123番」の3曲です。よく出来た自作歌曲編曲なのですが、イントロを除けば3曲の雰囲気が殆ど同じなのですね。第21巻の紹介にて、原形(第1次ピアノ独奏編曲)の方が続けて聴く分には退屈しにくい、としたゆえんです。ただこんな駄文を書くために一気に聴いていますが、一曲一曲味わいながら聴く、どうせなら弾いてみる、となれば、この最終稿の方が琢磨が行き届いていると思います。とは言いながら弾いたことは無いので難しさの程はよく分かりません。

ダンテを読みて−ソナタ風幻想曲」は単独曲としても「ソナタ」に次ぐ規模と重要性を持つ大曲の一つです。ハワードの演奏で17分半、「第2年」全体の1/3強を占めます。減五度の連打による印象的な幕開きの後、さらに印象的な和音連打を伴う主部が提示されます。この冒頭に近い部分が実は全曲で一番印象的である点で、スクリアービンの第5ソナタと同じ問題=残りの部分をどう聞かせるか=を抱えているように思えます。私が今まで聞いた中では、冒頭から飛ばしまくってその余韻で最後まで酔わしてしまった稀有の演奏(「スケルツォとマーチ」を聞かせてくれた例の一流素人です)もありますが、大体が中盤でだれるのです。その点、ハワードは「著名曲さりげなく弾く」の原則通り、冒頭はむしろ押さえ気味にして、最後まで行き届いた演奏をしており、この曲の演奏の一つのお手本としてよいかと思います・・・でも飛ばしまくり路線にも大いに魅力を感じるのですが。

ヴェネツィアとナポリ−巡礼の年第2年補遺」(1859)は全てイタリアの作曲家の作品に材料を得たものです。まあリストにはよくある事で、だからどうしたということではありません。全3曲中第1曲と第3曲の初稿は第21巻に含まれています。どちらもいいですが、一般的にはやはりこちらでしょう。楽譜の入手も余程簡単ですし。

ゴンドラをこぐ女」はペルチーニの歌が原作、初稿よりすっきりしています。暗いトレモロに導かれる「カンツォーネ」はロッシーニ原作、思えばロッシーニ絡みは打率が高いように思います。最後解決されること無く続けられる「タランテラ」はコットラウ原作、初稿より不思議な曲になっているはずですが、好調のハワードは不思議さを強調することなく趣味良くまとめています。

フィルアップが「第1年」の最高傑作「泉のほとり」(1863)、これは弟子(といっていいものか)のSgambati(1841-1914)に送ったコーダの改変案、というところのようです。コーダまでは本稿そのもので、最後の最後で聞き覚えのないおまけがつきますが、オリジナルの方が趣味がいいと思います。

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