第53a巻:ピアノと管弦楽のための作品その1 お勧め度:C

リストの協奏的オリジナル作品&編曲が一堂に会しています。しかし、まず、巻No.がふざけていると思いませんか?。全57巻だと思っていたら、突然「53a」「53b」と来るもんだ。

最初は1巻4枚組にまとめるつもりだったのが、
ボーナスCD分まで録音してしまったので5枚になってしまった、
ところがベートーベン交響曲編曲集の5枚組は蝶番の具合が良くなくブックレットの出し入れも非常にやりにくく不評だったので(私には不評です!)、2巻に分けることにした、
しかし何らかの理由で、次の巻が第54巻となること、あるいは全部で57巻とすること、が既成事実になっていた、

ので、こうするしかなかった、のでしょうか。以上何の根拠も無い勝手な想像です。

リストの協奏曲集のCDというと、「協奏曲第1番」「同第2番」「死の舞踏」「ハンガリー幻想曲」まで一枚に、というのが、標準的な詰め込みパターンですが、ここではしっかり詰め込んでCD4枚+α、資料価値は高いと思います。こだわれば「協奏曲第1番」「同第2番」の初期稿等がないのはどうした、ということになりますが。しかし面白いかというと、特にこれというのは・・・・・。有名曲も含め、管弦楽の響きがありきたりなのです。これは演奏水準にも依ると思いますが、ハワードのピアノもせいぜい「まあまあ」というところ、K. A. Richenbacher 指揮のブダペスト交響楽団の方は曲の姿を知るに差し支えることは無い、という以上のものではないと思います。

CD1は「ピアノ協奏曲第1番変ホ長調」(1830s, 1849, 1853, 1856)の有名なファンファーレから始まります。しかしこれ、聴いていてやや恥ずかしい。ファンファーレに限らず非常に有名な曲ですが私は好みません。リストはこの曲の改訂をしつこく繰り返したわけですが、どうもそれに見合う曲とは思えないのですね。単一楽章にアレグロ−緩徐楽章−スケルツォ−フィナーレ、の要素を織り込んだ、シューベルトの「さすらい人幻想曲」を先達とする、「ソナタ」と同じ趣向の作りですが、個々の主題の魅力・琢磨でソナタに劣るだけでなく、皮相的という印象を与えてしまって通受けがしにくい。オーケストレーションも大したものとは思えないのです。

ベートーベンのアテネの廃墟の動機による幻想曲」(1837, 1848-1852, 1855)は第18巻の同名曲の管弦楽付きバージョン。ピアノソロ版が今一つだったのに比べれば、そう悪くない。ベートーベンの楽想がピアノより管弦楽に向いているのでしょう。ピアノソロ版に無理が感じられる一方、この版は自然に出来ているように感じられます。管弦楽だけのイントロの後いきなり不協和音で出てくるピアノは効果的です。たしかにこのコントラストを一人で付けるのは難しい。全体を通じピアノソロ版で感じた時代錯誤感は感じません。

死の舞踏−”怒りの日”によるパラフレーズ」(1852-1859、最終稿)も、ごく有名な曲です。ベルリオーズの「幻想交響曲」でお馴染みの主題による変奏曲です。この曲では個人的には第9巻のピアノソロ版か、第53b巻の妙な版の方が楽しめます。オーケストレーション自体はリスト作品としては一番いい部類だと思いますが。

ベルリオーズの「レリオ」の主題に基づく「交響的大幻想曲」(1834)ですが、元曲の「レリオ」の特異にして何ともいい加減な成り立ちについては倉田さんのページを参照ください。全6楽章(但し全部旧作のリメイク)中第1、3楽章のみをリストは取り上げています。ごく最近草稿が見つかって、それによると1834年という早い時期にしてオーケストレーションをリストが自分でやっていることが分かるとのこと。このオーケストレーションは意外と良いです。ベルリオーズの元曲がいい参考になったのかもしれません。「交響的」の名に恥じず、ピアノも良く溶け込んでいます。曲もちょっと長いのを我慢すれば、なかなかいいです。

CD2は「ピアノと弦楽合奏のための協奏曲ホ短調」(1833)からです。一般にMalediction (呪い)というタイトルで呼ばれるが、スコアに Malediction と書かれているのは、冒頭の耳を引くパッセージ・・後年「巡礼の年第1年」の第5曲「嵐」(第39巻)で再利用しています・・に対してのみであり、曲全体の呼び名にするのは不適当、とのことです。続いて現れる「涙、苦悶」のテーマも印象的です。以下、ソナタ形式のような多楽章ソナタのような単一楽章曲、というのは、他の協奏曲と同じ流れですが、これは結構いけます。ピアノソロ版を作っておいて欲しかった曲、というのが正直な感想です。やっていれば「演奏会用大独奏曲」(第3巻)にも見劣りしなかったのではないでしょうか。弦楽合奏だから上手下手が出にくいのかと思えば、やっぱりバックの「ありきたり感」は気になります。原因は作曲半分演奏半分でしょうか。

ピアノ協奏曲変ホ長調(遺作)」(1836-1839)は無責任に第3番と呼ばれることもある曲、ハワードが補筆していて、その版としては世界初録音ということです。第1番、第2番と同時期に作曲されながら、この曲だけ後年改訂されることなくお蔵入りとなったというものです。そういうものだと思って聴くと悪くない。第1番よりいいかもしれません。でも、ぜひこの曲を聴こう、と思うほどの魅力は感じません。やはり、リスト式単一楽章ソナタ、ですが、この方式での真の成功作は「ソナタ」だけ、かもしれません。「ソナタ」の紹介(第9巻)の中に書きましたが、全体を見渡して構成しようとするのは、リストの作曲の本線ではありません。

続く「Grand Solo de concert (管弦楽付きバージョン)」(1850)に来ると、悲しくなります。親戚の多い曲で、この大全集での登場順でいうと、「演奏会用大独奏曲(Grosses Konzertsolo)」(第3巻)、これの初稿にあたる「Grand Solo de concert」(第50巻)がピアノ独奏曲、さらにこの大全集には収録されていない2台のピアノのための「悲愴協奏曲」は第3巻に更に手を加えた曲のなっていて、そのまたピアノ一台+管弦楽バージョンが第53b巻に収録、となっています。そのピアノソロ用はどちらもかなりいいのに、管弦楽つきはもうがっかりです。「呪い」のピアノソロ版を作っておいて欲しくなった、その発端がここにあります。

ヘクサメロン」(1839)となると、第10巻に登場のピアノソロ版すらピンと来ないのですから、もう全然駄目です。管弦楽付きでの演奏記録があるにもかかわらず管弦楽パートは不完全にしか残っていなかったのでハワードが補筆して仕上げたというのですが、誰が悪いのか、打楽器が鳴るところなどチンドン屋なみの馬鹿馬鹿しさです。原曲の成立事情は第10巻を御覧ください。ウェーバー原作による「華麗なるポロネーズ」(1848-1852)の成立事情もピアノソロ版収録の第49巻を御覧頂くとして、まあ、どうでもいい曲です。

 

53b巻:ピアノと管弦楽のための作品その2 お勧め度:C

本来は一つの巻のはずだったのですから、前置きは省いてどんどん行きましょう。「ピアノ協奏曲第2番イ長調」(1839, 1848,1853,1857,1861)は第1番より地味ですが、リスト自身、第1番とは対照的な曲に仕上げようとした節が随所に窺われ、1ランクいい曲だと思います。それでも「ソナタ」と並べる気にはなりませんが。伝統的4楽章仕立てが表に出ている第1番に対し、ストーリー展開が込み入った自由な接続曲になっていて、表情の変化が面白い。その分、曲の顔になるような印象的な箇所が無いとも言えます。

深き淵より−管弦楽とピアノのための器楽用詩篇 (De profundis - Psaume instrumental pour orchestre et piano principal)」(1834-1835)は完成寸前だったオーケストレーションをハワードが補筆したものです。これもリスト式単一楽章で出来ていて、単一曲としては、この大全集中で一番長い曲(36分13秒)です。異端的思想家ラムネ師に捧げるはずの曲だったとのことです。技巧を積極的に誇示するようなところは殆ど無く、独自の真剣な世界に入ったまま色々な表情を見せますが、聞き手の側で、若き日のリストの混沌とした情熱についていけるのであれば、これは凄い曲です。「超絶技巧練習曲」の元稿をも上回る、この時期のリストの最高傑作、かも知れません。

シューベルトの「さすらい人幻想曲」については、この紹介シリーズの中でも何度も触れましたが、今度はこの曲の管弦楽付きへの編曲、「Franz Schubert : Grosse Fantasie opus 15 - symphonisch bearbeitet fur Piano und Orchester」(1851)です。無理の無い編曲で聴きやすいと思います。管弦楽とピアノとで上手く手分けしている感じです。第49巻のピアノソロ版より余程趣味はいい。原曲と比べると、、、まあオーケストラを動員する必要なかったかもしれませんが、曲を壊した、とまで言われるようなものでもないと思います。以上CD1はお勧め度Bでもいいかな、です。

CD2冒頭の「悲愴協奏曲」(1885-1886)の親戚群については第53a巻で紹介した通り、この最後に登場するこの版は、弟子の Eduard Reuss が作った管弦楽付き編曲にリストが大幅に手を入れたのだけど、出版にあたっては弟子の名で出版させたので、リストの作品カタログから洩れることになった、というシロモノです。こちらも悲しくなるのは第53a巻と同様です。この2曲では、それこそ曲を壊しているように感じられます。

ウェーバーの「コンチェルトシュトゥック・ヘ短調」(1872)にはリストが実にややこしいことをしています。ピアノソロに編曲した(第49巻)上で、今度はピアノソロ版のアイディアを管弦楽付き=協奏曲版に持ち込むべく、ウェーバーの管弦楽部分は全くいじらずに、ピアノパートだけ独自の版を作った、ようです。オーケストレーションにリストが関わっていないからか(?)悪い曲では無いですが、原曲を知らないので(!)これ以上のコメントは差し控えます。

死の舞踏−”怒りの日”によるパラフレーズ」(1849、初稿)、ちょっと注目です。世界初録音とは書いていないから、他でも聴けなくもないのでしょうが、珍品のはず、自筆稿の持ち主の許可がもらえなかったので、ブゾーニ監修の楽譜を使ったとのことです。冒頭いきなり銅鑼の響きから始まって驚かされます。その後暫くは耳新しいものは少ないのですが、後半に、いきなり「深き淵より」が闖入するあたりから怪しさが増してきて、コーダもお馴染みのとは全然違います。例によってこういう妙な版の方でこそハワードさん張り切っている気配もあります。個人的には、どうせ管弦楽付きで聴くなら、耳に新鮮なこちらですね。

有名な「ハンガリー幻想曲」(1852-1855)のタイトルはちゃんというと「ハンガリーの民族のメロディによる幻想曲」となります。ハンガリー狂詩曲第14番のピアノ+管弦楽版、のようなものなのですが、成立順で言うと、ハンガリー狂詩曲の方が後、従って、この曲の元曲は第29巻の曲集の第10曲及び第21曲、とするのが正しいのだそうで。まあそんなことはどうでもよろしい。にぎやかな曲ですが、オーケストレーションのありきたり感は強いです。

この2枚で入りきらなかったのが3枚目=ボーナスCD、17分だけ、に入っています。これが訳ありで、「ハンガリー風協奏曲」(1885?)、これは最晩年に弟子のゾフィー・メンター(1846-1918)の依頼で作曲したものだが、オーケストレーションまで行き着かなかったので、メンターがリスト作であるこを隠してチャイコフスキーにオーケストレーションを依頼した、というもので、その怪しげな経緯から、リストの作品かどうか長く疑われてきたが、近年ようやく、メンターの手が入っているにせよ、真作であると認定されるに至った、のだそうです。曲はハンガリー調は聞こえるもののリストの作品とは思えません。よほどチャイコフスキーしています。

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