フィガロの結婚

初めてTVで見たオペラ、2回目もこれ、全曲盤をLPで買ったのもこれが最初、勿論最愛のオペラの一つです。しかし、このずば抜けて優れた作品を最初に知ったことが幸せだったのかどうか。

オペラというのはストーリーそっちのけで歌のための歌を延々と歌う、それはそれは馬鹿馬鹿しいものなのです、本当は。ロッシーニの「シンデレラ」を見よ、魔法使いもビディビバビデブも無しに2時間半も引っ張っているではないですか。歌のための歌を歌って、それでも長くなり過ぎないためには、お話は馬鹿馬鹿しい方がよく、そういう馬鹿馬鹿しいお話を堂々と進めるに舞台という特殊な空間が必要になる、と私は思っているのです。

しかしこの曲だけは違います。元々が極めて優秀な戯曲であるのを、オペラ化するにあたり最小限の省略で詰め込んでしまったのです。おかげでアリアにしろ重唱にしろ、歌いながらどんどん話が進んでいく、あるいは心理状態がどんどん変遷していく動的な歌ばかりとなりました。(ケルビーノの2曲は歌のための歌ではありますが、劇中で本当に歌っている設定なのですから、これも筋の中で生きている歌といえると思います。)

これだけ筋立てが充実しておれば、オペラの舞台という特殊な空間でなくとも、演出さえ良ければ馬鹿馬鹿しくなく見ることが出来ます。ちょっと古くなりましたがその最良の例がベーム/ウィーンフィル/ポネルの作品、だと思うのです。私が初めて見たのもこれです。

しかし、これがオペラだと思ってしまうと、まず間違いなく2番目に好きな作品を見つけるのに苦労するだろう、とも思うのです、私自身がそうだったように。もし、「ノルマ」からオペラというものに触れて、かつ好きになれたとしたら、その人は歴史上の有名オペラ全てをすぐに好きになれると思うのです。私はこの文章で「ノルマ」を落としめているつもりはないのです。典型から入れたら、特殊に進むのは楽だろう、というだけです。「フィガロの結婚」は極めて特殊です。ついでにいうと、「カルメン」も結構特殊。

しかし、典型とは言っても、現代人の感覚からは遠くなりつつある、「ノルマ」「アルジェのイタリア女」あたりをまず聞けというのもどうかと思いますし、それをいうならヴェルディも軒並みどうかと思うしかないですし、なら、「トスカ」かな・・・と迷っていても仕方が無いので、やっぱり「フィガロの結婚」、そして「カルメン」を初めからお勧めすることにしましょう。

声の選択

手持ち音源が古いのばかりなので、1960年代のベストキャストを夢想するという馬鹿馬鹿しいコーナーです。優れた戯曲を原作に持つこの作品、とにかく一人一人が腹に一物持ちながらの化かし合いに終止しますので、声の分離が欲しいのです。声の溶け合いがまず第一の「コジ・ファン・トゥッテ」とは違って、個々の役について特徴のはっきりした歌手を選んで集めたいのです。それも情熱よりも知が先行する人達、つまり腹に一物が自ずとにじみ出る雰囲気の歌手を物色することになります。

スザンナ:
フレーニもモッフォもグリストもポップも、みんないい。けれどここはグイ/グラインドボーン盤で歌っているグラツィエラ・シュッティに止めを刺します。誰と一緒に歌おうと絶対に埋もれない、これぞスーブレットという声で、しかも色気も品位も十分です。フレーニ、モッフォ、ポップではやや溶け合いすぎるし、グリストは確かに埋もれないけれどシュッティに比べると平板です。

フィガロ:
大抵の人がプライを推しそうなので、天邪鬼を決め込むならシュッティの相手をしていたブルスカンティーニ。プライより少しだけ軽い声でやんちゃな感じが出ます。けれど勿論プライでも文句無しです。違和感が強かったのがタディ。エヴァンスは違和感はなくとも平板です。

伯爵:
これはF=ディースカウ。ヴェヒターとかヴァイクルとか、似たようなレパートリーのバリトン、軽めのバリトンですね、が似たような歌い方をしていますが、ここは本家本元で決まり。バキエはバスよりでしょうか。バルトロみたいに聞こえますし、フィガロともアントニオとも紛らわしいので成功しているとは思えません。カラブーゼもバスに近い声ですがそれ以前に力量不足。

伯爵夫人:
これもシュワルツコップで決まり。キリ・テ・カナワは映像にはいいけれど、あの声では腹に一物の化かし合い合戦には加われません。ユリナッチも力不足。ゼーダーシュトレームはヤナーチェクを歌っている時よりはるかにいい雰囲気だけれど妙な音程の揺れが所々耳につきますし、バキエに一方的に力負けしています。

ケルビーノ:
男の子らしさを出したいなら本当はソプラノ、それもレジェーロに歌わせた方が良かったと勝手に思っているのですが、モーツァルトの選択はメゾの音域、大体駆け出しのメゾが歌うことが多いのですが、そんな中にコッソットが紛れ込むと、軽さと強さを兼ね備えて他を圧倒してしまいます。鶏を割くに牛刀を持ち出すのきらいはありますが。ベルガンサもいいし、ベーム最後の来日時のバルツァも評価が高かったのですが、この二人とも成熟女性向きの声で男の子の感じは出にくいのです。

 

手持ち音源
グイ、ジュリーニ、ベームにそれぞれ満足して意外と枚数が増えなかった、というところです。

指揮者 スザンナ フィガロ 伯爵 伯爵夫人 ケルビーノ 一言
ベーム フレーニ プライ F=D カナワ ユーイング ポネル演出がでしゃばりすぎのようでも結局それが楽しいLD/DVD、お勧めです。
ジュリーニ モッフォ タディ ヴェヒター シュワルツコップ コッソット 快調なテンポ、タディが違和感大だけれど、これもお勧め。
グイ シュッティ ブルスカンティーニ カラブーゼ ユリナッチ スティーブンス 伯爵夫妻は落ちるが、このオペラが好きなら是非シュッティを聴いてください、これもお勧め。バジリオのアリアが入っているのも評価してます。
クレンペラー グリスト エヴァンス バキエ ゼーダーシュトレーム ベルガンサ 大好きな指揮者だが、この曲でのこの遅さはどうかと思う。何故か歌手が皆平板に聞こえる。
ショルティ ポップ ファン=ダム バキエ ヤノヴィッツ フォン=シュターデ *1
ベーム ポップ プライ ヴァイクル ヤノヴィッツ バルツァ 思い出のベーム最後の来日の際の上演ではあるが、入手したHouseOfOpera盤では音揺れが酷すぎて聞くに堪えず。

 

*1:ショルティ盤入手(04.11.14追記)

パリ・オペラ座で1980年7月収録。舞台で演じられるオペラをTVで初めて見たのが同年末のベーム最後の来日の際の上演だった私には、ポップとヤノヴィッツの名前が懐かしく思えて買ってみました。78年オペラ座収録の「シモン・ボッカネグラ」の画質音質の悪さから、このDVDでも覚悟していましたが、それよりは画質音質ともマシ、「ナブッコ」となら画質は良くて音質は同レベル、です。左右の拡がりが殆ど無く観客の拍手すら引っ込んで聞こえる録音ですが、音量を上げればそこそこ雰囲気も出てきます。一ヶ所だけですが第3幕の手紙の二重唱のところでテープの回転がおかしくなる箇所があります。

ストレーレルの演出は簡素で、特に第2、第3幕ではもう少し華やかでもいいように思いますが、好みの問題でしょう。
20年以上前に見たときから好きだったポップはやはり歌も姿も演技も素敵です。日本でもスザンナを歌って間もなく「フィガロの結婚」への出演では伯爵夫人に転向したこの人の声はヤノヴィッツの声とは溶け合いすぎる位なのですが、画像があればそういうことは余り気にならないことを確認しました。
フォン=シュターデは2曲のアリアで嵐のような拍手をもらっていて、しかしそこまで上手かったかな?とも思うのですが、子供以上大人以下の色気をふりまく姿の素晴らしさは、ユーイングやバルツァでは体験できなかったものです。
クレンペラー盤ではさほど気に入らなかったバキエですが、画像が付くと、時代劇の悪代官そのもののようなストレートな悪役顔で、フィッシャー=ディースカウとは違うけれども納得できる伯爵でしたし、ファン=ダムもプライとは違うけれど納得できるフィガロでした。
ショルティの指揮は、歌手が合わせにくそうにしているところが散見されたような気もしますが、全体にごく普通のテンポで特に問題ありません。

・・・と、いろいろ書いておりますが、このオペラが時代を超越して素晴らしいということを再確認した、という思いが一番強かったりします。こんな画質音質のでなくても良いものがいくらでもあるだろう、というのも本当でしょうが、こんな画質音質でも作品の素晴らしさに酔わされてしまった、というのが実感です。

しかし、いい時代になったものです。私が初めて買ったときには、グイ盤が唯一格安の廉価盤で、それでも 3900円(これ以外だと 6000円以上はしていたはず)、当時すねかじりの私は清水の舞台を飛び降りる思いでこれを買い、さらに対訳本を買ったのでした。それがこのショルティ盤は 2940円で日本語字幕がちゃんとつきます。この字幕が妙に分語調ではありますが、重唱の陰にまわる声まで丁寧に拾っていて、初めての人でも分かりやすいのではないでしょうか。もしかしたら逆に「字が多すぎてよく分からない!」となるのかもしれませんが。

 

Rhorer指揮エクサン・プロヴァンス・フェスティバル(2012)

Operashareより。映像化時代以前から音声で親しんでいたこの作品だと、次々出る映像をチェックする気にもなりにくいのですが、パトリシア・プティボンがスザンナで出ているので迷わずダウンロードしました・・が、変顔メイクはそれ程でもないものの、引っ詰め髪が気になります。プーランク「カルメル派修道女の対話」(DVD)での余りの可愛さから、色々とチェックしているのですが、紹介済みのコシ・ファン・トゥッテ(デスピーナ)でも、未紹介の「後宮からの誘拐」でも「ルル」でも、「可愛い」「綺麗」と言われるのを拒絶するかのようなメイクと演技が目立ちます。本当に綺麗に見えたのが第4幕で伯爵夫人の扮装をした場面だけ、なのはやっぱり勿体無い。デスピーナの時は、腕の太さに目が行きましたが、今度は脚とか腰周りが立派になって、タイトスカートがちょっと厳しい感じになってきました。歌のほうは、第1幕はGまで上げるのも苦しそうに聞こえたのですが、第2幕以降は喉が温まったのでしょうか、「プティボンのスザンナ」に期待する通りの声で、まずまず良かったと思います。
伯爵夫人は、第2幕のアリアは音程が不安定で全然だめ、その後は多少持ち直しましたが。見栄えもマアマア止まり。
ショットの伯爵は格好いいのですが、なんというか、内からにじみ出るワルさが不十分というか、微妙に不満です。
メガネっ子のケルビーノは見かけで最高なので、平凡な歌唱は不問にしましょう。
で、主役陣ではフィガロが一番良かったように思います。
オケは上手いし音も良いと思うのですが、舞台上のアンサンブルの乱れを頻発させたのは指揮に問題があったのでしょう。
そして一番の不満が演出です。第1幕を事務所の一角に設定するまでは何とか許容するとしても、とにかく周りに人が居過ぎます。あれだけ人の出入りがあるのであれば、ケルビーノの一人くらいそこに居ても問題になるはずないのです。第2幕の開始でも、伯爵夫人、スザンナ、フィガロ、ケルビーノ以外の人間がその場に居るということ自体とっても違和感です。幕切れでも伯爵の面前でのバルトロとフィガロの殴り合いというのもピンときません。第4幕の最後も平謝りしたばかりの伯爵がすぐに不埒な活動を再開したのを見せたところで幕を降ろすのも私には趣味悪としか思えません。
結論としては、プティボン追っかけの殿方か、ショット追っかけのご婦人方にしかお勧めはできません。

Figaro: Kyle Ketelsen
Susanna: Patricia Petibon
Il Conte di Almaviva: Paulo Szot
La Contessa di Almaviva: Malin Bystroem
Cherubino: Kate Lindsey
Barbarina: Mari Eriksmoen
Marcellina: Anna Maria Panzarella
Bartolo: Mario Luperi
Basilio: John Graham-Hall
Don Curzio: Emanuele Giannino
Antonio: Rene Schirrer

Chorus: Les Arts Florissants
Orchestra: Le Cercle de le Harmonie
Conductor: Jeremie Rhorer
Director: Richard Brunel
Set design: Chantal Thomas

 

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