プロコフィエフのオペラ

賭博者」 (The Gambler) (1917)
三つのオレンジへの恋」 (Love of Three Oranges) (1921)
炎の天使」 (The Fiery Angel) (1927)
セミョーン・カトコ」 (Semyon Kotko) (1940)
修道院での婚約」 (Betrothal in a Monastery) (1946)
戦争と平和」 (War and Peace) (1953)

「賭博者」 (The Gambler)

この項を書こうとして、「三つのオレンジへの恋」に先立つ、1917年・・ロシア革命の年・・に完成した作品であることを改めて認識しました。メイエルホリドの演出で舞台の準備をしていた(第一次世界大戦の真っ最中なのに?)ところで、革命が起こって、初演が流れてしまった、のだそうです。ネット上でオペラの粗筋は見つけられませんでしたが、wikipediaの原作の解説頁にある粗筋で大体分かると思います。主人公アレクセイが大勝ちして、なのにポリーナには振られて、しかし大勝の余韻に浸っている、その場面でオペラは終わっています・・・まあ、ハッピーエンドと見えなくも無い場面で打ち切った、という感じです。

メロディの印象が薄い点では、「三つのオレンジへの恋」「炎の天使」以上で、この作品を聞こう(見よう)とする時に踏ん切りがつきにくくなったりするのですが、一旦見始めてしまえば、メロディ単独では印象に残りにくいとしても絶妙な音楽に支えられて、夢中になってみることが出来ます。笑劇でもあり問題劇でもあるこの作品、かなり良く出来ていると思います(「三つのオレンジへの恋」に寄せた駄文も参照ください)。25、6歳にして既に豊かな音楽語法、さすが天才です。覚えやすいメロディ(ライトモチーフ)連発の「修道院での婚約」とは全然違っていて、しかしこのどちらも、どこを取ってもプロコフィエフそのものです。

手持ち音源:

ロジェストヴェンスキー(指揮)、ソヴィエト国立放送交響楽団&合唱団
最初に入手したのがこれ。その時点では唯一のDVDでした。それから4年以上経って初めて書いた紹介文はこうなっていました。今見返しても付け加えるところは余りありません。

1966年製作の白黒映画版で、役者と歌手は全て別人です。口パクの程度が著しい、英語字幕の出るのが遅くて消えるのが早く読みにくい、などあって、購入以来4年以上にわたりやや敬遠していたのですが、字幕に集中しながら見てみると、ギャンブル中毒を描いたドストエフスキーの暗いけどドタバタのストーリーにつけたプロコフィエフの音楽がかなり秀逸と思えてきました。写っている女優さんたちは美人です。演出はドタバタだと分かってしまえばそれを邪魔していないのですが、ぼんやり見ていた時はシリアスな話なのかな、と軽く誤解していました。音質は1966年のスタジオ録音として普通レベルに達しているかどうか、というところでしょう。前述の字幕の問題(英語自体は普通ですがタイミングの問題)もあり、このDVDはお勧めとは言い難いですが、このオペラとしては他の音源をもう少し当たってみたい気になってきました。

バレンボイム指揮ベルリン州立歌劇場
その次にこれをoperashareから入手しました。仏語字幕付きですが、勿論殆ど役に立ちません。映画仕立ての読みにくい英語字幕でなんとか話が分かった程度では全く楽しめませんでしたが、ゲルギエフ盤を見て細部まで理解してからこちらを見ると、アレクセイ役の声が前に出てきて、結構楽しめます。ポリーナ役も美人ですが、こちらは声も見た目もゲルギエフ盤の方が好みです。シリアスなのかドタバタなのかはっきりしない現代風舞台は、マアマア以上だとは思えません。

Staatsoper Unter den Linden Berlin 2008
General - Vladimir Ognovenko
Polina - Kristine Opolais
Alexei - Misha Didyk
Babulen'ka - Stefania Toczyska
Marquis - Stephan Rugamer
Blanche - Sylvia de la Muela
Mr Astley - Viktor Rud
Prince Nilski - Gian-Luca Pasolini
Baron Wurmerhelm - Alessandro Paliaga
Potapytsch - Plamen Kumpikov
Casino Director - Gleb Nikolsky
First Croupier - Gregory Bonfatti
Second Croupier - Robert Hebenstrett
Dmitri Tcherniakov (producer, designs, costumes)
Elena Zaitseva (costumes)
Gleb Filshtinsky (lighting)
Staatskapelle Berlin Staatsopernchor
Daniel Barenboim (conductor)

ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場
2010年の収録、輸入盤ですが待望の日本語字幕付きDVDです。これを見てようやく話を理解できたようです。何と言っても「修道院での婚約」の、メンドーサ役が将軍を、ドン・ジェローム役が侯爵を、ドゥエンナ役がお婆様を、ドン・フェルディナンド役がアストレーを、それぞれ演じることで生み出される自然なドタバタ感が、シンプルな演出と相まって、見ていて安心なのです・・・「修道院での結婚」を見ていないと微妙に違う受け取り方になるかもしれませんが。
アレクセイを演じるガルージンは、録音のせいもあってか、声の力感ではバレンボイム盤に及ばず、また禿げかけた頭は、これはこれでありでしょうが、バレンボイム盤での見た目普通の若者の方がよりなじみやすい。とか書いてますが、強力準主役陣に囲まれた中で良い味出しているとも思います。ポリーナを演じるパウロフスカヤは、バレンボイム盤の人よりもイメージにより合っています。ゲルギエフ指揮のオケは文句なしでしょう。とにかくややこしい会話が続くオペラですので、まずは読みやすい日本語字幕のこの盤を見てから、だと思います。

 

 

「三つのオレンジへの恋」 (Love of Three Oranges)

プロコフィエフのオペラでは一番有名なのでしょうか。それでも粗筋紹介頁があまり無くて、この駄文を書こうとして探し当てたのがこの頁、これは参考になりました。登場人物が多いのも原作の時点では風刺として通じることを当て込んでいた、というなら分かります。逆にいうと、普通にオペラだと思って見るには散漫なのです。この粗筋は劇中劇に部分だけで、オペラではその劇中劇が革命期のフランス(?)で上演されることになっているのです。

劇中劇のような仕立てで、その中の世界と外の世界が交差するオペラとして、ロッシーニ「イタリアのトルコ人」、オッフェンバック「天国と地獄」を思い出しました。が、私にはこれら3作品全て、粗筋を読んだ段階では面白そうなのですが、実際に見てしまうと、理が勝ちすぎていて素直に楽しめないのです。「修道院での婚約」「炎の天使」の両方を散々見てから見直しましたが、やはり同じ感想でした。

音楽には退屈はしませんし耳障りでもありませんが、あまり印象にも残りません。「行進曲」がやたらと有名ですが、これしか残らないのです。技法としては「炎の天使」と同じ方向の大分手前という感じで、決して悪いものではないのですが、台本と相俟って理が勝ちすぎた印象を与えます。この時期の山っ気たっぷりのプロコフィエフには笑劇=この作品、よりも、問題劇=炎の天使、の方が合っているように思います。

そして、叙情を表に出した帰国後では、セリア=戦争と平和、よりも、コメディ=修道院での婚約、の方が合っていた、のでしょう・・・

手持ち音源:

ハイティンク指揮グラインドボーンオペラ
最初に見たのはこれ、上記感想文もこれに基づいて書きました。HouseOfOperaで物理的状態は正規盤に比べて良くないですが、舞台収録である点でナガノ盤よりは楽しめます。

ケント・ナガノ指揮リヨン歌劇場
バキエとかラグランジェとか知った顔も出てきまが、「劇場を舞台にした映画仕立て」であり、私の趣味にはあまり合いません。

 

 

 

「炎の天使」 (The Fiery Angel)

「火の天使」が正しいという話もありますが、(作品本体はともかく)存在だけはかなり有名なので、広く通った名を採用しました。
現在は入手困難ですがVHSとLDで発売されたことがあり、現在でもCDなら正規盤が入手可能らしいですが、その割にネット上に日本語で書かれた粗筋が無いのです。英語ではいくつか見つかりましたので、つなげ合わせつつ、入手したDVDの画像からの想像も交えつつ、粗筋を書いてみました。
PAL盤ですが正規盤DVDを入手しましたので、英語字幕から粗筋を紹介します。

舞台は16世紀ドイツ。宿屋に泊まっていた騎士ルプレヒトが隣の部屋の女の叫び声を聞きつける。そこには、目に見えない何かを振り払おうとしているレナータが居た。
レナータは、自分のところには幼い頃から天使マディエルが来ていたこと、マディエルに愛をささげたこと、マディエルが次は人間の姿で現れることを約束して消えたこと、彼女がマディエルの生まれ変わりと信じた伯爵ハインリッヒ(ゲンリフと発音)が彼女の恋人になったが捨てられたこと、その時以来幻影につきまとわれていること、等を語る。
宿屋の女将はルプレヒトに、レナータは悪魔憑きだという。
ルプレヒトはレナータを手篭めにしようとするが拒絶され、レナータがハインリッヒを探すのに協力することにする。
女将が女占い師を連れてくる。レナータに憑く悪霊が見えてしまった女占い師は、やがて血が流れることを予言する。

ケルンに行って、レナータとルプレヒトはハインリッヒを探し出すために魔術を用いる。するとポルターガイスト現象が発生する。「ハインリッヒに会えるのなら3回ノックしてくれ!」「トントントン」という調子で一見会話が成立し、二人は狂喜するが、レナータが「ハインリッヒに会うのだからあなた(ルプレヒト)は引っ込んでいて!」と言った瞬間にノック音は消え、彼らは悪霊にからかわれていたことに気づく。ユダヤ人ヤコブ・グロックは魔術の本を彼らに与え、魔法使いアグリッパ・フォン・ネッテシャイムに会いに行くように助言する。しかしアグリッパは(本当は魔法使いなのだが大審問官につかまりたくもないので一見のルプレヒトに心を開くことなく・・私の想像も入ってます)学者ぶって協力してくれなかった。

レナータはついにハインリッヒを見つけたが、ハインリッヒはレナータを拒絶した。
レナータは、ハインリッヒがマディエルのはずがない、自分が間違っていた、ハインリッヒを殺して欲しい、という。
ルプレヒトはハインリッヒに決闘を申し込むが、その時のハインリッヒに後光が差して彼がマディエルであるように見えたのでレナータの気が変わり、決闘を申し込んできたルプレヒトにレナータは、ハインリッヒを傷つけたら決して許さない、と叫ぶ。
ルプレヒトは決闘で傷つく。レナータは瀕死のルプレヒトに愛を告白する。

しかし後になって、レナータはその愛が罪深いと言い張って、すがるルプレヒトを拒絶し、まずは自殺を試み、次には女子修道院に行くと言って去ってしまう。
その現場になった宿屋にファウストとメフィストフェレスが居合わせている。
メフィストフェレスは酒だけ持ってきて羊肉をなかなか持ってこない宿屋の小僧を脅しつけ魔法(手品?)でいたぶっている。メフィストフェレスは、レナータに逃げられて呆然としているルプレヒトをからかって楽しむことを目論み、ルプレヒトに一緒に来るよう誘う。

レナータが入ってから修道院に異変が続くので、修道院長がレナータを詰問し、異端審問官を呼び入れる。異端審問官はレナータを問い詰め、彼女は幻影の話をする。この間に他の修道女に悪霊が憑いて大混乱となる。メフィストフェレスに連れられたルプレヒトが高みからこの様子を見守る中で、審問官はレナータを魔女として火あぶりにすることを命じるが、レナータは審問官こそ悪魔だと言い返す。悪霊と修道女達の乱交状態の中で幕となる。

 

・台本について:

原作はロシアシンボリズムの中心人物である、ヴァレーリー・ブリューソフ(1873-1924)の代表作である同名の小説(1907)だそうです、と書いている当人も、プロコフィエフと同じ時代の原作なのね、としか理解していません。これを元にプロコフィエフ自身が台本にしたのですが、上演禁止も当然のお話で、1927年に完成しても上演できず、演奏会形式初演すらプロコフィエフの死後になってしまいました。

 

・音楽について:

こんな台本に負けない、とんがった響きの音楽です。プロコフィエフの米欧時代の最高傑作は多分スタイリッシュな(あまりとんがってない)ピアノ協奏曲第3番であり、このオペラの音楽を材料にして作られた第3交響曲の魅力はこれより大分劣るように思われます。ということは、音楽だけ取り出せば当時のプロコフィエフの最高のものとは言えない・・・となりますが、オペラの魅力はこれだけでは決まりません。大体、交響曲第3番より「炎の天使」の方がずっとずっと魅力的です。

ある英語サイトで指摘されていたように、ストラヴィンスキー「火の鳥」に似たところがあります。確かに、レナータのモチーフは、火の鳥のモチーフの拍子をずらしたものです。ポルターガイストの場面は第3交響曲に転用されても存在感があります。肝心のラストが画像抜きで聞いてしまうと意外と大したことないのが少々残念です。

 

手持ち音源

ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場、映像としてはたぶん唯一のものです。
最初に手に入れたのは、HouseOfOpera 盤 (dvdm296) です。画質音質ともここのものとしては最高ですが、冒頭に約5分間分の欠損があります。字幕はありません。
PAL正規盤はリージョンコードは2なので、パソコンで再生する分には何の問題も無く再生できます。こちらでは英語字幕が選べます。AV機器を使って再生するなら、PAL対応DVDプレーヤーを用いるのが簡単かつ高画質なのでしょう。私はNTSCに変換しましたが、字幕付きできれいに変換するには少々苦労しました。当時のやり方よりここに書いたやり方の方がまだ簡単です。

レナータを歌うゴルチャコヴァが圧巻です。ヴェルディの「運命の力」のところでは「決して美男美女でなく」と一括してしまいましたが、ここでは男共が引っかかってしまうヒステリー女として説得力満点の美女に見えますし、声の表現力も演技力もすさまじいものがあります。ヒステリー女をこれだけ演じられるから、「運命の力」でもあれだけ演じられるのか、とあらためて感心しました。レイフェルクス以下の共演者にも文句ありません。

未成年者お断りは間違いない映像です。装置は簡素ながら要領よく作られています。悪霊は全身を白で塗られた褌一つの男たちで表現されていて、少々気持ち悪いながら動きはきわめて達者です。最後の場面は修道女が次々と全裸になってしまいます。脱ぐのはスタイルの良いバレエ団員であるにもかかわらず、美しいともエロチックとも言いにくく、むしろグロテスクなのですが、インパクトは最強です。

 

 

 

「セミョーン・カトコ」 (Semyon Kotko)

2019年現在、wikipedeaの充実ぶりには目を見張るものがあり、プロコフィエフのオペラも本作に至るまで、簡単なあらすじが紹介されるに至りました。その昔探した時には存在していなかったDVD、それも日本語字幕付きまで出てきましたので、手を出してみました。
プロコフィエフが全力で共産主義体制に媚びを売ろうとした作品、ところが作曲中にスターリンとナチスが手を結んだので、舞台が第1次大戦の対独戦からウクライナ内戦に修正された、と英語wikiにはありました。何せ、スターリンの大粛清の真っ最中に作曲していますから、こんなことにも命がかかっていた、のでしょう。現にこの作品を演出することになっていたメイエルホリドが、初演より前に射殺されています。
そんな共産主義御用達の作品ですが、共産主義が過去のものになってきた近年になって、初めて「西側」でも、歴史的な作品として評価されるようになったのではないかと思います。少なくともプロコフィエフはその音楽に全力投球しています。出来栄えでは、「修道院での婚約」の方が上だろう、と私は思いますが。敵が村を焼き討ちする場面など、音楽は単純ですが、迫力では「炎の天使」の大詰めをも上回ります。

手持ち音源

ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場、映像としては恐らく唯一のものです。
舞台装置は微妙に変ですが、十分に許容範囲です。歌手陣が皆余裕たっぷりに聞こえるのはプロコフィエフの他の作品と同様で、よほど歌いやすく作ってあるのでしょうか。女声陣は美人揃いです。ソフィアは「賭博者」ゲルギエフ盤のポリーナだったことに今気づきました。
日本語字幕はやや不自然ですが、実用には耐える範囲内です。
プロコフィエフのオペラを買いそろえている人が、最後のオペラのDVDとして買うようなものだろう、とは思いますが、そういうものとしては十分に出来のいいものだろう、とも思います。

 

 

 

「修道院での婚約」 (Betrothal in a Monastery)

ネット上の日本語情報の乏しい作品です。1940-1941年に作曲、1946年初演、くらいのことしか分かりません。ソビエト連邦への最終的な帰国後で、「ロメオとジュリエット」よりあと、「戦争ソナタ」「交響曲第5番」の直前という絶頂期・・異論はありましょうが・・の作品であるにもかかわらず、です。あらすじが見つからなかったので、ゲルギエフ盤の英文解説からご紹介しましょう。日本語字幕付きDVDを作成しましたので、興味ある方はお問い合わせください。字幕データは betj2.sub になります。輸入盤DVDを購入して、この頁のやり方でデータを吸い上げて、この字幕データと結合してDVD-Rに焼けば、お問い合わせいただかずとも日本語字幕でご覧いただくこともできます。

主要登場人物 青字:男性赤字:女性、◎:特に重要な人物
  ジェロームの家の人々:
◎ジェローム セビリアのかなりいい家のお父さん、フェルディナンドルイザの父
 フェルディナンド クララに夢中で、芝居の始まるところでは訳あってクララを失いかけるが最後には結ばれる。
◎ルイザ ヒロイン。アントニオと相思相愛、大活躍の末最後には結ばれる。
◎ドゥエンナ (人名ではなく、乳母ないし子守り女あたりを指す名詞らしいが、ここでは固有名詞的に表記します)使用人でルイザの子守り役。メンドーザとは結婚したくないルイザのために大喜びで身代わりになり、最後には強引にメンドーザと結婚してしまう。


◎メンドーザ

周囲の人々:
金持ちの中年(ないし初老)魚商人。ルイザを嫁に求めるが・・・・
◎アントニオ 貧乏だが二枚目の若者。以前はクララの追っかけもやっていたが、芝居の始まる時点では既にルイザ一本。
 クララ 芝居の始まる直前には継母に部屋に閉じ込められてしまっていた。フェルディナンドが合鍵を作って部屋に入ってきたのはいいのだが、熱愛のあまり強く抱きしめられたことから、かえって彼の愛を疑ってしまい、修道院行きを決意する。しかし誤解は解けて・・・・
カルロ メンドーザの友人だが、拝金主義でお下品なメンドーザと違って騎士道気取りが強い。言行を一致させようとしているのが救い。
第1幕
第1場: ジェロームが自宅の前でメンドーザと商売の相談をしている。メンドーザが二人の絆にとジェロームの娘ルイザを嫁に求め、ジェロームも承知する。二人が去ってからフェルディナンドが恋人クララの気まぐれを嘆く。そこにルイザに恋するアントニオがギターを鳴らしてセレナーデを歌う。フェルディナンドは追っ払おうとするが、「アントニオがまたクララを追いかけるようになってしまうよりはマシ」と思い直す。ルイザがバルコニーに出てきてアントニオと愛の歌を歌うが、ジェロームが起きてしまい、アントニオを追っ払う。ジェロームが娘を持つのは大変と歌う。カーニバルの夜、仮面の踊り手が繰り出してくる。
第2幕
第2場: ルイザドゥエンナに、メンドーザとは結婚したくないと言う。ドゥエンナは「自分だったら金持ちのメンドーザは大歓迎よ」と二人が入れ替わるルイザの計画に協力すると言う。ジェロームフェルディナンドとやってきて、ルイザメンドーザと結婚するようにいうがルイザが拒否するので怒って愚痴る。

ドゥエンナアントニオからのラブレターを持っているところを、わざとジェロームに見つけさせ、それをきっかけにしてジェロームを挑発する。ジェロームドゥエンナにクビを宣告する。ドゥエンナが荷物を取りに部屋に入ってから家を出て行くふりをするが、実際に出て行ったのはルイザ

第3場: 女達が魚を売っている。メンドーザカルロのそばで皮算用をしている。クララが現れて、家から脱出できたことを喜ぶ一方、フェルディナンドのやったことを行き過ぎだと怒っている。ルイザアントニオを見つけられないと嘆く。クララルイザが出会い、クララは修道院に行くといい、ルイザは自分がクララのふりをすることの了解をとりつける。

ルイザメンドーザに気付き、クララを名乗って「アントニオを連れてきて欲しい」と頼む。メンドーザアントニオルイザを追いかけていると知っており、「クララアントニオをくっつけられれば厄介払いできるぞ」と考え承知する。メンドーザは(クララを名乗っている)ルイザカルロに託し自宅に連れて行かせる。

第4場: ジェロームが自宅でルイザメンドーザに会わせようとする。ルイザのふりをしているドゥエンナは「ジェロームが席を外さなければメンドーザとは会わない」と頑張る。ジェロームが席をはずしてからドゥエンナが現れる。メンドーザドゥエンナの醜さに一瞬たじろぐが、すぐドゥエンナの手管にかかって、その気になってしまう。ドゥエンナは「この私を得たければ私をさらって行くくらいロマンチックでなくちゃ」とメンドーザを焚きつける。
第3幕
第5場: メンドーザの家に連れてこられたアントニオは、「クララが会いたがっている」と言われて何かの間違いだと言い張るが、(クララを名乗っている)ルイザの居る部屋に押し込まれてすぐにイチャつき始める。メンドーザカルロのたしなめるのも聞かずその様子を鍵穴から覗いている。カルロはやがて出てきたアントニオを「友人の恋人を盗む不届き者」とののしるが、メンドーザは上手く二人をくっつけることが出来たと喜んで争いを止めさせる。
第6場: ジェロームが自宅でミニ楽団と一緒に浮かれている。メンドーザルイザ(実はドゥエンナ)をわざわざさらったのを怪訝には思っているが悪い気はしていない。そこにカルロメンドーザの謝罪の手紙を届けにくる。直後にルイザ(本物)から、好きな人と結婚させて欲しい、という手紙が来る。なぜ別便になったのか多少訝りつつも深く考えず、ジェロームは喜んで承知する旨を書いて返信する。
第7場: 修道院の庭でクララが運命を嘆いている。ルイザがやってきて、クララが「もしフェルディナンドがここまで追いかけてくるなら全てを許すのに」と言うので兄のために喜ぶ。アントニオがやってきたところにジェロームからの返信が届き、ルイザアントニオは大喜びで結婚しに行く。

フェルディナンドがやって来るが、「アントニオクララと一緒にここまで来たに違いない」と嫉妬に狂っている。その様子を見て、クララは「あの嫉妬は自分が愛されている証拠」とひそかに喜ぶ。

第4幕
第8場: 修道院で生臭坊主共が飲めや歌えやの大騒ぎ。新入りの修道女に乾杯しようとして、目が青いか茶色かで口論している(クララルイザの混同)。メンドーザアントニオが結婚の許しを求めてやってくると生臭坊主共はすぐに祈りの歌に切り替え、結婚の許しなどおこがましい!ともっともらしく言うが、メンドーザが財布を落とすふりをしてそれを拾わせるので、生臭坊主共は態度を翻す。ルイザが連れて来られたところに、「アントニオクララと結婚しようとしている」と信じ込んだフェルディナンドが乱入し、アントニオと決闘になりかかるが、そこにクララが現れて一挙解決。メンドーザドゥエンナを連れてきて、3組まとめて結婚の祝福を受ける。
第9場: ジェロームが自宅で結婚披露パーティーの準備をしながら、メンドーザルイザが来ないのであせっている。ようやくメンドーザがやってきたが、連れてきたのはドゥエンナ、父としての祝福を求められたジェロームは腰を抜かす。そこにさらにルイザアントニオを連れて同じく祝福を求めるのでさらに驚く。メンドーザルイザと結婚しそこなったばかりか、自分が恋敵の結婚成就に協力してしまったことにショックを受け、ドゥエンナから逃げ出そうとするが、ドゥエンナは彼を放さない。フェルディナンドクララを連れてきて、ジェロームは皆を祝福する。祝福のバレエで明るく終わる。

 

・台本について

ご覧のように、罪の無い明るいお話です。設定の時と所は18世紀のセヴィリア、まさしく「フィガロの結婚」「セヴィリアの理髪師」と同じですが、雰囲気ではむしろロッシーニのファルサ、「成り行き泥棒」「ブルスキーノ氏」あたりが近いように思います。ただし合計3組のカップルが誕生するこの台本は1幕物のファルサには収まりまらないでしょう。

原作は1775年にロンドンでヒットした"The Duenna"ということですから、モーツァルトの時代の作品と言うことになります。これをプロコフィエフが24歳年下の自分の生徒、後の後妻と一緒に台本化して作曲していたのが1940-1941年だった、というのをどう受け止めるか。独ソ戦開始前だとしてもスターリンの大粛清直後ということにはなるのです。

第5場のルイザとアントニオの出会いの瞬間や、メンドーザによるドゥエンナの誘拐シーンなど、舞台で演じるには劇的過ぎて始末に困りそうな場面を舞台裏で行わせるなど、中々憎い台本です。

 

・音楽について

ドタバタにもできそうな台本ですが、思い切り叙情的な方に寄せています。プロコフィエフの最高傑作の一つと断じても良さそうです。「ロメオとジュリエット」と「第5交響曲」の間の作品と思ってもらえればよく、より近い時期の「戦争ソナタ」とは比較的距離があります。激しい音楽は生臭坊主の乱痴気騒ぎのシーンくらいしか現れず、シリアスな激しさではありません。とはいうものの、どこを取ってもプロコフィエフそのものです。

ライトモチーフ的な作りを用いています。非常に直接的な用い方で、テーマソング的と言った方がピンと来るかもしれません。「ジェロームの嘆き」「メンドーザのうぬぼれ」「カルロの騎士気取り」あたりは個人専用のモチーフなので初めて聴いてすぐ分かる人も多いでしょう。夢見るような雰囲気のアントニオのセレナードは、実はルイザとアントニオの相思相愛のモチーフであり、この二人は初めから相思相愛なのでルイザにも早くから歌わせています。フェルディナンドのテーマソングと聞こえる詠嘆調のモチーフはクララとフェルディナンドの相思相愛のモチーフなのですが、こちらはクララが彼の愛を疑っている間はフェルディナンド専用で、愛を確信してから初めてクララに歌わせる、など、繰り返し聴くと凝った作りが分かってきました。

 

・バレエとの融合/演出

ロッシーニ「ウィリアム・テル」、ヴェルディ「シチリアの晩鐘」といったイタリア人作曲家のパリ向けオペラに付いて来るバレエシーンには「取ってつけたような踊り」という印象しかありませんでした。オペラの中のバレエでこれまで凄いと思っていたのはボロディン作曲「イーゴリ公」の「ダッタン人の踊り」ですが、この作品は(オペラの体裁になってはいますが)本質的にバレエであり、歌っている場面の方が仮の姿というか、それこそ「取ってつけたような歌」になっているきらいもある、と感じています。

そんな中、この「修道院での婚約」でのオペラとバレエとの融合ぶりは最高というしかありません。そのバレエ、飛んだり跳ねたりは控えめですが、身体の線が凄く美しい。そのバレエを生かした演出・装置・衣裳も比較対象すら思いつかない美しさです。

 

・演奏

ゲルギエフという指揮者は傑物なのだろう、という気がします。歌手ではブレークする前のネトレブコが注目です。昨年ザルツブルクで歌った「ラ・トラヴィアータ」をTVでちょっとだけ見ましたが、大人の女としての成熟度はともかく、美しさではルイザを歌ったこちらでの可憐さの方が上だと思います。クララはヴェルディ「運命の力」のペテルスブルク初演版でプレツィオジッラを歌っていたタラソヴァです。歌にちょっと硬さがありますが、この人も大人の美人です。その他は知らない人ばかりですが、フェルディナンド役がいささか大根なのを除けば、皆さん歌も演技も達者です。プロコフィエフが比較的簡単に歌えるように書いているのが大きいような気がします。

 

*その他映像
・ブルノ国立歌劇場(チェコ語上演の映像、1972)

OperaShareの#65147になります。
ロシア語作品のチェコ語による映画仕立ての字幕なし、登場人物相互の関係をはっきりさせるような部分のカットが細々と入ります。例えばアントニオは登場していきなりセレナードを歌い始めます。というわけで、予め作品を知らない人には決して鑑賞が容易とは思いませんが、OperaShareを視聴可能な方で、ゲルギエフ盤の購入に踏み切る前に作品の感じだけでも掴んでおきたい、という目的には使えるかもしれません。
内容は画質・音質・指揮・歌手・演出、どこをとってもゲルギエフ盤には遠く及びませんが。
Don Jerome......................Zdenek Sousek
Ferdinand.......................Jaroslav Soucek
Luisa...........................Jindra Pokorna
Luisa's Duena...................Anna Barova
Antonio.........................Vladimir Krejoik
Clara d'Almande................Daniela Suryova
Mendoza.........................Jan Hladik
Don Carlos......................Eduard Hrubes
Padre Augustin...................Jiri Prichystal
Padre Eusatach...................Jiri Holesovsky
Padre Chartereuse................Stanislav Bedrissky
Padre Benedict...................Jindrich Doubek
First novice/First mask.........Bohumil Kurfurst
Second novice.....................Pavel Steiskal
Lopez...........................Antonin Jurecka
Lauretta........................Kveta Mala
Pedro...........................Jindrich Sedlak
Pablo...........................Miloslav Hort
Miquel..........................Jiri Bahala

Chorus master.......................Josef Pancik
Orchestra and chorus of the State Theatre in Brno
Conductor........Frantisek Jilek
Choreography....................Rudlolf Karhanek
Stage Director...V. Veznik
Camera..........................I. Bojanovsky
Director of Television Film.......I. Kotrc
Czechoslovak Television 1972
(09.02.15追記)

・バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場

今年4月のホヤホヤ映像です。
昔から好みではなかったはずのバレンボイムの指揮ですが、その指揮も含めて音楽的には全く不満ありません。ただ、容易にはお勧めできません。

映像入手源からの下記配役表には8人載ってますが、舞台に現れるのは、(最後の披露宴のシーンだけ現れるコーラスを別にすると)その8人に加えてもう一人の合計9人だけで、しかもその9人が舞台に出ずっぱりです。
9人が演じているのは、「修道院での婚約」というオペラ、で は な く て、「9人目の人物が指導者になっての、オペラ教室」という場を演じている、らしいのです。

例えばフェルディナンドの詠嘆調は誇張して演じられた挙句に、「オペラ教室の他の生徒達」の嘲笑の対象になっていたりします。歌手9人では全然足りませんので、メンドーサの従者などは他の役の人が回ってカバーしているのですが、これ、ゲルギエフ盤を何百回か見ている私には平気ですが、初見の人にはまず理解不能ではないか、と思うのです。修道院の場面に至っては、ドゥエンナ役のウルマナ(メゾソプラノ)が、結婚の許可を求めるドゥエンナを演じつつ声では修道院のボス役(パードレ・アウグスティン:本来バス役)を歌うという一人二役を同時にやっています。

ルイザもクララも中々可愛いし、男声陣も見た目に違和感無く、怖い顔のウルマナもドゥエンナを演じるのなら文句無く、歌いやすく作曲されているのもあるのでしょうが、歌唱には全員満足できるので、私には演出も含めて楽しめましたが、「遊び過ぎの演出でぶち壊しになった」と評価されても不思議ではないシロモノでしょう。
Staatsoper Unter den Linden 22-04-2019
* Sergei Prokofiev: "Die Verlobung im Kloster" ("Betrothal in a Monastery")
Staatskapelle Berlin
Staatsopernchor Berlin
Daniel Barenboim (Conductor)
Dmitri Tcherniakov (Stage Direction)
DON JEROME Stephan Rugamer
DON FERDINAND Andrey Zhilikhovsky
LUISA Aida Garifullina
DIE DUENNA Violeta Urmana
CLARA D'ALMANZA Anna Goryachova
MENDOZA Goran Juric
DON ANTONIO Bogdan Volkov
DON CARLOS Lauri Vasar
(19.05.05追記)

 

*その他音源

・ユロフスキ指揮ロンドンフィル(2006グラインドボーン)
OperaShareの#17082になります。音声のみ。
Surguladzeで検索して掘り当てました。ここ最近追っかけているグルジアの美女スルグラーゼはクララで出ていますが・・あんまり合ってはいません。クララも家出を敢行する位の強い女性ではありますが、それが「堅物」の「狂信的」強さなのですね。「はしをわたってはいけません」の看板があったら梃子でも渡らないタイプ。これがカルメンなら、真ん中を渡るとか、ジャブジャブ渡るとか、船頭をたぶらかしてでも渡るとか、渡りたいなら何をしてでも渡るところに強さを発揮します。で、スルグラーゼは声だけでもカルメンタイプに聞こえます。映像込みの方がクララを演じているのが伝わったのかもしれません。スルグラーゼの他の音源と比べても無理な発声をしているようにも聞こえます。
ゲルギエフのDVDを(LP時代の古語を使うなら)擦り切れんばかりの回数で見て聞いている身には客観的な判断は無理というものですが、それにしても速いです。速過ぎて落ち着きません。ほぼ全域にわたりゲルギエフより速い中で、ほぼ唯一、家出同士のルイザとクララがばったり出合うシーンだけが何だかモタモタ遅い、という印象です。(男声陣はもうどうでもいいのですが)ルイザの声が重くて粘りすぎるように思います。こちらも声だけでは才気煥発娘のイメージにちょっと合いません。
CDで発売されているのと同音源かもしれません。歌手は同じ名前が並んでいます。但しダウンロードしたものでは第5場の終わりと第6場の頭とか1分ほどラップしていました。
Lyubov Petrova (Louisa)
Nino Surguladze (Clara)
Vsevolod Grivnov (Don Antonio)
Andrey Breus (Don Ferdinand)
Sergei Alexashkin (Mendoza)
Alexandra Durseneva (The Duenna)
Viacheslav Voynarovsky (Don Jerome)
Alan Opie (Don Carlos)
Glyndebourne Opera Festival Chorus
London Philharmonic Orchestra
Conductor : Vladimir Jurowski
(10.09.04追記)

 

 

「戦争と平和」 (War and Peace)

原作はトルストイの有名な小説ですから、粗筋は紹介するまでもない・・・こともなくて、この私も原作を読んだことはありません・・・こちらにオペラの粗筋があります。プロコフィエフのライフワークになった超大作、ということらしいですが、「修道院での婚約」「炎の天使」「三つのオレンジへの恋」とそれぞれ全然異なる音楽に充満していたプロコフィエフらしさが十分ではない気がします。

プロコフィエフを敢えて二言で言ってしまうと、「冷ややかな叙情性」だと思っているのですが、一方この作品は巨大叙事詩です。各々の感情を音楽で表現する暇もなく、とにかく膨大な台詞をどんどん掃いていかなければならないのです。これでは叙情の出番はありません。という根本的な問題以外にも、なにかしら生命力の後退のようなものも音楽から感じます。

DVDはあまりに高価なゲルギエフ盤を避けてベルティーニ盤を購入したのが上の感想を補強した可能性は否定しませんが、それでもあれだけしゃべらなければならないとなると、オペラというより劇伴音楽付き舞台のようになってしまうのは避けられないと思うのです。

そのベルティーニ盤、男声陣の見栄えは可もなく不可もなしですが、ナターシャを演じるグリャコーワは実にぴったりで、それこそ歌の無い舞台で演じてもはまり役に見えるような気がします。悪女エレン役も美人、と女声陣は目に麗しく、これはこれで見て良かったと思えたのは幸いですが、

やっぱりプロコフィエフらしさが十分でない気がします。

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