44.涸沢(その1)(からさわ)(2018.08.12)

 

3回目の北アルプス・テント泊山行は、長男が中3生ということもあり、規模を縮小して涸沢往復としました。その計画から登山一日目までです。

 

 

1.計画

槍ヶ岳登山の頁の最後に書いたとおり、「次は穂高に行きたい」とか、男共はほざいていたのですが、家内に「にべもなく」却下されました。今年は長男が中3の受験生なので、そんなに遊んでは居られません。名古屋発の夜行バスで朝の上高地に到着し、涸沢まで歩いてテント泊、翌日上高地に戻り、夕方発の名古屋行きバスで帰る、というのを一旦計画しました。

というところで、家内が、「子供が大きくなって手狭になったので一人用に泊まりたい」 と言い出しました。ステラリッジの1、2型、クロノスドームの1、2型が候補になりましたが、「今後二人だけで行くことがあっても、その時には4型を持っていけばいいのだから、正真正銘の一人用でいい。」ということで、サイズ重量最小のステラリッジ1型を購入することにしました。

モンベルのお店に行ってみると、内袋で完全防水できる新製品のアルパインバック60に目が行きます。今回は泊数を減らすのですが、テント一張り増えるとなると、前回並みにザック総容量に余裕無くなりそうです。現品に重りを入れて担いでみると、背面長調整できるショルダーハーネス(肩紐)の端が肩甲骨に当たるのだけは気になりますが、ますます気に入りました。他ならぬ私が欲しいのですが、泣く泣く長男の背中に合わせてフィッティングしてもらって、これも購入しました。45Lのザックを、これまで30Lを背負っていた次男に回したので、公称総容量で30L増になります(私:55L、長男:45L→60L、次男:30L→45L、家内40L)。

当初予定は涸沢一泊だけだったのですが、家内が「自分のテントで徳沢でも泊まりたい!」というので、涸沢のあとで徳沢にも泊まることにしました(長男は受験生なのですが)。

名古屋−上高地のバスは一日一往復だけで競争率が高いので、天気予報を見てから予定を決めることはできません。大雨になったとしても上高地バスターミナルからすぐの小梨平キャンプ場に2泊でもいい、と割り切りました。皆の都合だけで8月11日夜出発14日帰宅と決めて、予約受付開始直後の7/11の朝8時過ぎにネット予約を申し込み、首尾よく往復共取れました(往きの便はその日のうちに満席になっていました)。
食料計画は前年以上のいい加減さで適当に多目に用意して準備完了としました。

 

2.移動日(2018.08.11)

出発前の週間予報は、(愛知県はその期間多少降りそうですが)上高地は降らなさそうなことを言っていました。

夕飯は外食にして、入浴を済ませて、万一JRが止まっていても名鉄で何とかして名古屋まで行けるよう、早めの21時過ぎに出発しました。そのJRは止まりも遅れもせず、10時前に名古屋駅についてしまいました。

まずは、乗り場の様子を確かめよう、という訳で、名鉄バスセンターまで行きましたが、碌な待合スペースがありません。暑いです。たまらず外に出ました。発車までまだ1時間以上あります。近くのスタバで時間をつぶすことにしました。22:30のスタバ閉店後は乗り場に戻って23:00発のバスを待ちました(右、22:41)。

バスはまずまず快適でした。空調が程よかった上に、毛布もある(夜行便のみ)ので、手持ちで持ち込んだフリースを着込むまでもなく過ごせました。が、そうは言っても横になって脚を伸ばして寝るのとは大分違います。道中眠ったり起きたりを繰り返していました。途中の「ほおのき平」「新穂高ロープウェイ」「平湯バスターミナル」での停車は知っているような知っていないような、でした。

 

3.涸沢へ

上高地到着は時刻表の5:15より早く、5:00少し過ぎだったと思います。まず各自のハイドレーションを満タンにしました。

そういえば、今回はネット登山届けしていなかったな、とインフォメーションセンターに登山届けを出しに行って見ると、「パノラマコースは通れません」との声が聞こえたような気がしました。係員の方に確かめてみると、

「徳沢から屏風のコルを越えて涸沢に至る”パノラマコース”が今年は未開通」

とのことです。2日目に、逆向きで行けるものなら行こうか、と秘かに目論んでいたのですが、通行止めならすっぱり諦めがつきます。

ところで、涸沢からザイテングラートに至る2つのルートの一方も「パノラマコース」らしいのですが、皆さん涸沢周辺に2つの「パノラマコース」があっても平気なのでしょうか? 屏風のコルを越える道は、手持ちのガイドブック「ヤマケイアルペンガイド7」では「パノラマ新道」と紹介されていますが、これで統一されている訳でもなさそうで・・・。

靴紐を締めて上高地を出発したのが、5:26です(右上)。

明神に着いて、持参のお握りと唐揚げの朝食をいただいていると、目の前を鴨の親子が散歩していきました(下、6:41)。

徳沢には7:45到着、男3人だけソフトクリームを食しました。徳沢の出発時刻も不明ですが、横尾到着は9:09です。

夜行明けの体は、疲れる以前に眠さで重く、1時間歩いて休憩ポイントに着く度に長い休憩を取ることになりました。横尾でも自販の飲み物を飲んだり、の長い休憩となり(下左、9:16)、出発は9:38(下右)となりました。

 

横尾大橋を渡ってからは、左側に見える屏風岩の絶壁を回りこんでいく道になります。横尾から1.3kmの表示のある「岩小屋跡」を10:02に通過したあたりから、少し山道感が出てきます。と言っても本谷橋までは「ごく普通の山道」の範囲内です。

「横尾から2.8km、涸沢まで2.4km」の看板のある本谷橋までは、休憩を取らずに歩いて10:42到着(下左)、横尾からここまでの区間に限れば、まあまあのペースだと思いますが、本谷橋でまた長い休憩を取って、出発が11:03です(下右)。

 

ここまでは「普通の山道」だったのが、本谷橋を出発していきなり急登です。階段状に整備されていて、その段差も大きすぎないので、岩だらけの道の急登としては歩きやすい方ですが、それでも本谷橋までの道と比べると一気に大変になります。急登が一段落しても、何となく想像していたより狭くて険しい道が続きます。涸沢を甘く見ていました。

12:02に涸沢ヒュッテが見えてきました(下左)。ただし、「ヒュッテが見えてからが先が長い」との予備知識は頭に入っていました。家内が「ここらで小休止したい」と言ったのですが、次男が「小便がピンチなので早く行きたい」。そういうことなら、長男と一緒なら先に行っていいよ、何ならテントの場所を取っておけ、と先に行かしました(実は長男もピンチだった、というのは後で聞きました)。それまで大人しく私のペースに合わせて歩いていた子等は、あっという間に駆け上がっていきました。

 

涸沢に近づくにつれ、傾斜が急になり、足元も悪くなっていく中を、家内と二人で必死に登り続けて、12:33に涸沢ヒュッテと涸沢小屋の分岐に到着しました(上右)。テントの扱いは「小屋」ではなくて「ヒュッテ」の方、と子供達は分かっていたかな?と一瞬心配しましたが、そこは分かっていました。それよりも、「早くトイレに着くことの方が大事だったのだが、その観点でもヒュッテの方に進んで正解だった」、ということのようです。

ヒュッテの建物まで行くと「テント受付はテント場中央にて13:30から」とあったので、そのままテント場に進み、場所を確保している子等の方に向かいました。
#その子等は、「急いでいるので」と先行者をぶち抜きながら駆け上がったらしいです・・・申し訳ない・・・。

上高地から涸沢まで7時間と少し、休んでいた時間を除けば6時間を大分切っている、とも言えますが、その「休んでいた時間」が長すぎます。良い子達はともかく、その老父母には、夜行バス明けでは、これが精一杯だったようです。

 

 

4.設営・夕食・就寝

子供達が確保していたテント二張分のスペースは、ヒュッテから直線距離ではそう遠くない、のはいいのですが、涸沢ヒュッテと涸沢小屋とを結ぶメイン通路からかなり下っているのがやや問題、メイン通路との間はガレガレの岩で、余り行き来したくなくなる場所でした。
(下、12:45、オレンジ色のテントの前二人が我が子等)

テントの下に敷くコンパネの貸し出しを期待していたのですが、そのコンパネも既に出払い済みでした(10時には売り切れだったらしいです)。

それでも、広さも足りているようだし、何より、「もう動きたくなかった」ので、その場所でそれぞれ設営を始めました。広げてみると、四人用の方は微妙に平地面積が足りませんが、一人少ないのだから良いことにしました。2年前に作った手作りメッシュアンカーを、今年は家内用にもう8つ作り足して持参しており、それで岩に引っかけてテンションを確保して設営完了としました。四人用テントに入ってみると、一辺に岩が大きく食い込んでいます。テンションを掛けようとしている間にずれたのでしょう。ずらし直すことも出来たはずなのですが、それすら面倒で、三人寝る分には十分広いから、と良いことにしてしまいました。

下左画像の、青いテントが家内用のステラリッジ1型です。上段の黄色いのがステラリッジ4型で、男三人がマットを膨らませているところです(13:29)。テントにマットを敷いて、横になって・・・そのまま男三人で寝てしまいました。テントの受付に行ってくる、という家内に生返事をしたようなしていないような、この辺り記憶薄弱です。

 

一寝入りした後、四人で涸沢小屋に行ってみました。涸沢小屋に近いところまで進むと、まだメイン通路沿いに良さそうなテントスペースの空きがありましたが、移動してテントを張り直すことなど考えられませんでした。涸沢小屋の食堂にて、お腹が空いたという子供達はカレー、親はソフトクリームです。食堂のTVで流れていた高校野球は、7−1とリードされた済美高校が星陵高校に8回裏の大逆襲を始めるところ、そのまま延長13回の逆転サヨナラ満塁ホームランまで見入ってしまいました(その間コーヒー2杯追加)。その後、子供にTシャツを買って、雲間から射してきた夕日に輝く前穂高岳に見とれたり(上右、17:42)、してからテントに戻りました。

夕食は、各自出発前に選んだフリーズドライのシチューorカレーとアルファ米、のはずでしたが、涸沢小屋でカレーを食べたばかりの長男は、そんなにいらない、翌日の昼用の混ぜ飯でいい、と言います。元々適当だった食糧計画が更に適当になりました。

ともかくも、家内のテントの横で作った食事をそれぞれ食べ終えました。まだ辺りは明るいのですが、「お休みなさい」して、それぞれのテントに戻りました・・・と、その次の瞬間からポツポツ降り出しました。テントに引き上げてからの雨になったのはラッキーでした。降ることになっていたんだっけ?と思う内に雨はどんどん激しくなり、バケツをひっくり返したような雨に加えて、絶え間ない雷鳴です。それが7時台に1時間弱続きました。

雨と雷の音が止んで、しばらくした8時過ぎに「満天の星空だよ!」という声が聞こえてきたので、全員で顔を出してみました。晴れているところは天の川まで見えていましたが、いかんせん、「1/4天」くらいしかありません。2年前の蝶ヶ岳の、「正真正銘の満天プラス流星雨」に比べたら大したことないや、と早々に寝床に戻りました。

 

(「涸沢(その2)」につづく)

 

 

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