愛知県碧南市 どこか新しい風を感じる 開放的な東山の秋祭りに明るい未来

碧南の祭へ行こう!

東山の秋葉神社

「楽しむ」ことこそ生きる意味 東山の秋祭りはどこか開放的な雰囲気が

チャラポコに本殿

<東山は将来、重要な地域となる。脅威を牽制する砦として碧南市の北東を守るという大切な役目を担う事になるだろう。そんな重責を担う東山の秋祭りは、いたって開放的。どこか南米的な明るく開放気分が漂う雰囲気> その東山の街を守る神様、秋葉神社の秋祭りに行ってみた。 境内で出迎えてくれたのは、まちのひとの笑顔。拒まれる事の多いボクの風貌でさえ、街の人々は暖かく接してくれる。 疑念の目を向けてくる者はいない。基本的に祭はその地区のものである。 余所者を拒否する雰囲気は、どこでも少なからずある。だが、ここは、”いいじゃん、祭を楽しもうよ!”といった開放的な空気。 露店は出ていない。だが、境内を生き生きと動き回る人々の活気に満ちている。 人々は、昔からの行事だからといったふうに、投げやりに動いている訳ではない。 「自分に何が出来るか」と前向きに行動している。かつて大浜の枝郷であった東山の街。決して目立つ存在ではなかった。 「何かをしてもらうのを待つのではなく、まず自分から…」東山の秋葉神社から始まるムーブメント。 新しい方向性を模索する碧南市にとって、東山はその道筋を示してくれているようだ。

ヘボト自画像ヘボトの「踊躍歓喜(ゆやくかんき)」

餅投げ紹介ボードを掲げる子供

「東山は昔、棚尾村の飛び地だった」

東山の集落は昔、「西山」と合わせ、南にある棚尾(旧棚尾村)に属していた。明治16年(1883)5月8日、東山と西山の合わせて177戸の集落が「北棚尾村」として本郷である棚尾村から独立する。 これは新川が大濱村より独立する明治16年(1883)11月28日より6ヵ月以上も前の事であり、東山の気風を伝える史実である。北棚尾村は明治22年(1889)に北大濱村と合併し棚尾村と肩を並べる程の規模に。明治25年(1892)8月2日には「新川町」となっていく。 東山の秋葉神社で行われた「餅投げ」の景品を紹介。 一等<10万円旅行券・1本>、二等<5万円商品券・2本>、 三等<1万円商品券・5本、四等<『お~いお茶』(伊藤園)2リットル6本詰め・100本>、 五等<洗濯用洗剤・300本>ほか。子供の部では、お菓子の詰め合わせ、『ポケモンヌードル』(サッポロ一番)など。(記事内容・2003年10月12日)

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