愛知県碧南市 街道の出発点となる大浜「湊橋」に これから先どんな事態が

旅する大浜街道

第1回 湊橋からはじまる

東海道「鳴海宿」までの長い道のり 故郷に漂う潮の香りを胸にいざ出発!

角谷大十商店前

<はじまりは湊橋北交差点、角谷大十商店軒先の歩道から。 昔の道幅はこの歩道ぐらいしかなかった。振り向けば旧大浜警察署が見える。大浜の中心地、角谷大十商店前から旅はスタートする!> ボクは今、大浜・湊橋のほとり、角谷大十商店前にいる。北を向けば、成錦堂の鯛看板が見える。南は名刹・称名寺へと続く道。西を向けば、半田・武豊への渡し船が出た埠頭。 東には魚為さんの賑わい、その先は岡崎へと向かう岡崎街道である。 角谷大十商店前は、各地へ向かうターミナルのような場所。 安政元年(1772)、なすのからし漬け・瓜漬けを始めた角谷大十商店の扉は、昭和60年以後、固く閉ざされたまま。現代のかさ上げされた地面より下、低い軒先の地面は往時のままの姿を偲ばせる。 この歴史ある角谷大十商店前から、私は”大浜街道を旅行く人”となる。

大浜本町商店街の通り

<海は遙か以前になくなってしまったのに、波の揺らぎ・潮の香りがどことなく残る。 大浜街道は、県道50号と名を変えても、昔と変わらない道筋を行く> 黒く高くそびえる西方寺の太鼓堂の美しき景観を惜しみ、鳴海へと向かう。かつて港通りと呼ばれた大浜本町商店街の通りへと入る。 名古屋・鳴海へと向かう大浜街道は、ほぼ現在の県道50号(名古屋・碧南線)に沿った形で 存在。無粋な名に変わり果て、大浜街道は、正体を隠しながらも今に生きながらえている。 道幅、景観は大きく変貌したが、碧南市内では、昔と変わらない道筋。 その名が薄れようとも、人々の心には、潜在的に大浜の名を冠した街道は存在しているのである。

ヘボト自画像ヘボトの”ここもぜひ見ておきましょう”コーナー

宝珠寺さんから来る道を西から見る 「本当の道」 現代の道は、大浜湊橋から西方寺さんの辺りまでは真っ直ぐな道です。しかし本来の大浜街道は違います。 海徳寺さんの白壁に沿って鰻屋さんとの境界辺りに来ますと、白壁が内側に向く部位があります。 本来はそこから鰻屋さん・赤堀眼科さんの東を通って宝珠寺さんからの道へと交差していました。 現在では宝珠寺さんからの道を除いて、入口は塞がれ、私有地となっているため通る事が出来ません。

二宮金次郎さんの陰知っていると便利、勉強しましょう!

湊橋(みなとばし) 湊橋は1600年代に堀川が作られた年に出来る。以前は大雨が降ると低くなる場所だったらしい。 現在の橋よりほんの少し東寄りに橋は作られた。明治以後の橋の欄干は、大浜下地区の妻薬師、十王堂横に展示されている。

次回予告です、お楽しみに!

第2回 「新川のまちを越えて」

商店連なる大浜本町通りを抜けて「羽根町」交差点を越えると、次第に港町風情を持つ大浜独特の感覚は薄れていき、天王に向かって寂しい雰囲気の道を一直線に行く。一見平坦に見えても高低差のある道だ。 この道、明治の頃は見渡す限り畑で、道沿いに松並木が続いていた。今となっては街道の松も全く無く、往時の面影を偲ぶことも出来ない。かつて街道沿い、今の石橋町のあたりに「二ッ池」という池があった。街道を行く人は何故か気味悪がり、その恐れは里唄にも残っている。 大浜街道は天王を越えて「道場山」の急勾配へ。戦国時代、織田信長が大浜に攻めてきて、この辺りで戦になり、碧南の民話「十三塚」が生まれた。 道場山を越えると旧・北大浜村である「新川」へと入る。■ 第2回 「新川を越えて」

< text • photo by heboto >


Copyright (c) 2002-2010 heboto All Rights Reserved
このページに関する御意見は【公式ブログ】までお願い致します。