愛知県碧南市 老婆の想いある「地尻地蔵」は 街道を行く人々を今も見守る

旅する大浜街道

第7回 さよなら高浜・地尻にて

高浜の出口にお地蔵さんあり 賑わいもなく寂しげな石柱の姿に心痛む

寂しげに立つ石柱

<高浜の出口に「地尻地蔵」あり。今は、ただ忘れ去られていくのみのお地蔵さんは、大浜から来た人民をずっと見守ってくれていたのだろう> 大浜街道が県道50号と出合う地点、少し来たに行った場所に1つの御堂「地尻地蔵」がある。 明治の時代に、大浜街道が新しく県道として整備される以前からあったという。 薄汚れたガラスのため、なかは全く見えず。ずいぶん前から人の手が入っていない様子。 傍らに1つの石柱。何やら道標的でもあるが、解読不能。 昔はお地蔵さんで盛大な祭が行われていた事を聞いた。一人のお婆さんが子供達のために私費を投じて行っていたそうだが、時代と共に忘れ去られてしまった。 ポツンと置かれた石柱が、賑やかだった時代を懐かしみ、淋しく立っている。じつに心痛い光景である。

歩道橋から南方を見る

<歩道橋から見渡す。新旧の道々が出合うターミナルのような場所。集落の端に道を集める意味、それは一体?> 県道50号に架けられた歩道橋に上ってみた。この地尻という場所、名の通り、高浜の端にあたる場所である。 その向こうは別の集落、吉浜。この地尻で、田戸の渡しから来る道、坂上橋から来る道、そして大浜街道が合流する。 分散していた道が集落の端で1つになる意味は一体何か?治安維持のためか。出入り口を1つにするなんて、まるで西洋の城郭都市みたい。 高浜の集落は最後まで”おとぎ話”のような世界のようだ。

ヘボト自画像 ヘボトの”ここもぜひ見ておきましょう”コーナー

商店脇の小道 「高浜の商店街」 ドカン坂あたりから地尻までの道は、面白い商店が並んでいます。 真っ黄色なホルモン専門のお店・ジジババと呼ばれる老人憩いの店・レコード時代を想像させる音楽関連のお店・昔ながらの仏具屋さんなど、 個性的で懐かし雰囲気のお店が現役で頑張っている姿を見るととてもうれしく思います。ぜひとも高浜を訪れた際には、こうした地元の 商店へ入ってみてください。

二宮金次郎さんの陰知っていると便利、勉強しましょう!

地尻地蔵(ちじりじぞう) 由緒は不明。明治の初め頃に大浜街道が拡張整備された時には、もう存在していたらしい。 しかし、このお地蔵さんに伝わる話がある。昔、このお地蔵さんのあった辺りは刑場であった。 村が発展し、この辺りにも人が住み始めると、奇妙な事が起こる。 家々の男の子がみんな早死にしてしまう。祟りだと恐れた村人達はお地蔵さんをまつった。 御堂の前にある石碑も以前は吉浜よりにあり、その奇妙な話にも関係があるという。

次回予告です、お楽しみに!

吉浜へ向かう脇道

第8回 「吉浜の入口は2つ」

地尻地蔵ある場所から県道50号を横切り、北東方面へ向かう道がある。旧・高浜村の村境から旧・吉浜村へと至るルート。 道沿いには現在、住宅が建ち並ぶ風景となっているが、どこか往時を偲ぶが如く埃っぽい。御先祖達が往来した当時は荒涼とした野原だったのかも知れない。 途中、名鉄三河線の踏切に差し掛かる。狭く、いくつかの道が集まる地点にある踏切なので、対抗する自動車の運転者同士が睨み合い。殺伐とした雰囲気をみせる。 踏切を渡った後、道は緩く右にカーブし、左手に一方通行の標識が見えてきた。そしてどこか清涼とした風が頬を撫でてくる。空からは高架を行き交うトラックの騒音。明治用水に架かる橋を越えれば、そこは吉浜の集落となる。 ■ 第8回 「吉浜の入口は2つ」 へ

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