愛知県碧南市 街道の曲がり角に 「表方」と親しまれる鳴海八幡宮を訪ねて

旅する大浜街道

第31回 鳴海八幡宮

秋の例大祭が有名な鳴海八幡宮 「成田商店」先に道標のお地蔵さん

鳴海八幡宮の拝殿

<鳴海の表方と呼ばれる「鳴海八幡宮」を訪れる。秋には5台の山車が旧東海道に繰り出し、猩々が子供を追いかけ回す「鳴海八幡宮例大祭」が行われ人気を集めている。厳かな雰囲気とは別のどこか優しげに迎えてくれる風情は、前之輪の人々の心が創る> 古い街並みが続く街道が右へと傾きを変えた辺りに見えてくる「鳴海八幡宮」。 前之輪の集落はこの鳴海八幡宮と共に栄えてきた。参道入口に向かえば、真っ赤な灯籠の並びが拝殿へと導いてくれた。 地元では鳴海八幡宮を表方、北方にある成海神社を裏方と呼んでいる。 五台の山車が旧東海道の通りに繰り出し、猩々(しょうじょう)も現れ、数百の提灯が照らすという鳴海八幡宮大祭が有名。 創建年月は不明であるが、貞永元年(1232)の記録が在ることより、それ以前とされる。 明治5年(1872)までは「八幡宮」との名称であったが、以後「八幡社」とし、昭和43年(1968)に本殿を新築した際に現在の「鳴海八幡宮」となる。 静かな境内を巡る私に上品な立ち振る舞いをする婦人が声をかけてきた。「どちらから来られたのですが?」と微笑みの表情。 前之輪はどこか優しい雰囲気を持つ街だ。

成田商店先にあるお地蔵さん

<鳴海八幡宮を詣でたあとに立ち寄った『成田商店』は懐古趣味を満足させる雰囲気。店先にあるお地蔵さんは「左 ナルミ道 右 ありまつ道」と道案内の文字が刻まれている。大浜街道の行方を追うヒント?> 鳴海八幡宮から再び街道へと足を戻すと、ふと一軒の店が目に留まる。 薄暗い店内にどこか懐かしい香りが漂ってくる。遠い昔を呼び起こさせる雰囲気を持つ『成田商店』だ。 鳴海八幡宮参拝客が利用する売店という趣。 昔そのままのドリンククーラーより瓶に入った清涼飲料水を買い求め、店のおばちゃんに昔話を聞く。 「外のお地蔵さんあるでしょ、あのお地蔵さんが昔の道標だわ」と、店先にあるお地蔵さんを指さすおばちゃん。 確かに自販機の横、小さな御堂の中にお地蔵さんがいた。聞けば「左ナルミ道 右ありまつ道」と道案内の文字が刻まれているという。 これは大浜街道を探る上で重要な手掛かりとなる。そしてお地蔵さんにある「右ありまつ道」が何とも心に引っ掛かってくる。

ヘボト自画像ヘボトの”ここもぜひ見ておきましょう”コーナー

鳴海八幡宮の御神木 「鳴海八幡宮の御神木」 鳴海八幡宮の参道を行くと右手に巨木が見えてきます。樹齢1100年とも1200年ともいわれる「鳴海八幡宮の御神木」の楠の木です。高さ30メートル、枝の広がりが18メートルという大きさ。 石積みの土台に玉垣が施されて、さらに外を柵が囲うという厳重な仕様は、いかに地元の人々に大切にされているかを物語ります。 立て札に書かれる説明によりますと、「…無病息災・延命長壽・開運の神木として崇められています」と記されています。 千年以上の樹齢ですから、大浜街道を行き来した御先祖様たちも同じ姿を見たはず。 前之輪の集落周辺が開発される以前の時代には、この「鳴海八幡宮の御神木」は街道の目印としたことと思います。

次回予告です、お楽しみに!

県道50号に出た

第32回 「本当の道はこの道?」

大浜街道の現代版にあたる「県道50号・名古屋碧南線」は、鳴海の旧東海道「作町」交差点で接続し終点を迎える。 しかし、その「作町」交差点との接続は大正11年(1922)以後に作られたもの。以前は名鉄鳴海駅横を通過する「本町」交差点接続ルートとなっていた。 つまり古来の大浜街道を辿るなら、東へ一本、道をずれなくてはならない。ゴールはあくまで「本町」交差点だ。 残念なことに、鳴海八幡宮から先の一帯は区画整理され、往時の姿を辿ることは難しい。 だが、地図をよく見ているうちに碁盤の目の中を斜めに進む不思議な道筋を見つけた。これは何か? ■ 第32回 「本当の道はこの道?」 へ

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