愛知県碧南市 辛い仕打ちに耐えかね…命を 鷲塚「お初池」の由来となる物語

碧南の不思議な話

お初池 (おはついけ)

故郷の池に身を投げた娘「お初」 悲しみの物語は池の名として後世残る

ススキの穂が連なるシルエット

<貧しく綺麗すぎた故の不幸か。身分違いな家に嫁いだお初は仕打ちに耐えきれなくなり、故郷、鷲塚の家へと身を投げる。以降、池はお初池と呼ばれるようになった> 鷲塚の農家の娘、お初は地元でも評判になる程に綺麗な娘だった。しかし、家は貧しくて食べていくにもやっとの生活。口減らしのためにお初は女郎として身売りされてしまう。 綺麗なお初は、たちまち店で人気となり、裕福な家柄の男に気に入られて、その男のもとへ嫁ぐこととなった。 しかし、身分違いな結婚であったため、一族・周囲から冷たい仕打ちを受け続ける毎日を送る。 耐えきれなくなったお初は、家を飛び出し、故郷・鷲塚の池に身を投げてしまう。 お初を可哀想に思った鷲塚の村人達は、池の畔に地蔵尊を建てて、その霊を弔う事にした。 お初が身を投げた池は、いつしか人々の間で「お初池」と呼ばれるようになった。

思多橋のお地蔵様を覗く

<お初池の畔にあった地蔵堂は、お初を弔うためでなく、無実の罪に問われ、自害した武士を弔うために建てられたものであった。事実は違えど、悲しいストーリーを持つ思多橋地蔵。毎年8月には盛大に地蔵盆が行われ、鷲塚の人々から大切に祀られている> お初が身を投げた「お初池」が埋め立てられ、姿を消したのはいつの頃だろうか。もはや地元の人でさえ、正確な時期を答える人はいない。 お初池の畔には、かつて一本松と確かに地蔵堂があった。一本松は鷲塚の人々の間で「船繋ぎの松」と呼ばれて親しまれたが、昭和48年(1973)頃に枯れてしまった。 地蔵堂は、現在でも健在である。池のあった時代より、少し北へ移動することとなったが、今も大切に祀られる。 だが、このお地蔵さんは民話のストーリーとは異なり、お初さんを弔うために建てられたものではない。 地蔵の名は「思多橋地蔵尊」といい、往時、鷲塚の地が島であった時代に架けられていた「下橋」から名付けられた。 ちなみに「お初池」は、その海の名残であるという。「思多橋地蔵」には、ある由緒が伝わる。 昔、無実の罪を負わされた武士が、悲しみ憤るあまり、自害した。その霊を弔うために建てられたのが「思多橋地蔵」である。 毎年8月には盛大に地蔵盆が行われる。鷲塚の人々が、いかに「思多橋地蔵」を大切にしているかを見てとれる。

ヘボト自画像ヘボトの「街談巷説(がいだんこうせつ)」

ひょうたん池のあった場所

「ひょうたん池にまつわる話」

旭北部にある鷲塚には代表的な池が3つあった。「お初池」と「しゃもじ池」、そして「ひょうたん池」である。 ひょうたん池はその名の通り、ひょうたんの形をしていることから名付けられた。 お初池は名の由来となった悲しい物語から、あまり水遊び等をする人は少なかったが、ひょうたん池はまた別の意味で訪れる人も少なかった。 ひょうたん池には、奇妙な噂が古来より伝わっていたのである。 「池の真ん中に井戸があり、大蛇が棲む」とか、「いくら水を汲み上げても干上がることはない。なぜなら油ヶ渕と繋がっているから」といった話。 また暴風雨の来る2,3日前には水面が濁って知らせたという。 今は完全に埋め立てられた「ひょうたん池」だが、私はある事実を発見、 「ひょうたん池は決して枯れることはない」の言葉通りの情景を偶然に目にしてしまったのである。だが、この事は胸に内にずっとしまっておこう。

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