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厄除け 厄払い 西尾の総鎮守

愛知県西尾市伊文町17番地鎮座
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由緒略歴




御祭神


<主祭神>
          素盞嗚尊(スサノオノミコト)

     大己貴命(オオナムチノミコト) 文徳天皇(モントクテンノウ)

<末社>
     琴平社 大物主神   多賀社 伊邪那岐命   稲荷社 倉稲魂命
    秋葉社 迦具土神   三姫社 多紀里姫命 多紀都姫命 狭依姫命

安政元年11月29日、正一位の宣下を賜る。明治5年9月、郷社に列し、明治40年10月26日、神饌幣帛供進神社の指定を受ける


由緒略記

 伊文神社は今よりおよそ1,500年前の平安文化華やかなりし頃、人皇五十五代文徳天皇の皇子八條院宮が三河国渥美郡伊川津の地より当地へ御轉住の折に、随遷し奉祀されました。八條院宮は、文徳天皇の皇子とも弟とも云われ、朝廷の命により、吉良の地を根城にしていた兼光・兼森という兄弟の逆徒討伐の為、西尾の地に赴かれました。その際に屋敷の東西に御祀されていた、天王社(現伊文神社)と八幡社(現御劔八幡宮)を随遷されたと伝わっております。
 ※伊川津の地では現在も、八條宮のお屋敷、東西の天王八幡両社を地名に窺うことができる。

 社名については、天王社、天王宮、伊文山牛頭天王、伊文山天王宮等と称しましたが、文政の頃には伊文山とつくと寺院の山号に紛れ易いとして、伊文社となり、明治維新以降は伊文神社とされ、「伊文さん」「祇園さん」等と親しまれています。『国内神名帳』には正三位内母大明神と記載されております。

 承久(1219〜1222)の頃より、本所の産土神、総鎮守として西尾城主を始め士民一般の崇敬厚く、特に夏の祭礼は祇園祭と称され、神輿の渡御を中心に六ヶ町(天王町・肴町・本町・中町・幸町・須田町)の神賑行事も盛大に町中総出の賑わいで、西尾の町の風物詩として広く親しまれてまいりました。

 また江戸の世になってからは、神階における最高位である正一位を宣下賜わり、徳川幕府より朱印地十八石五斗の寄進を受けるなど益々神威を増し、夏の祭礼においては、祭事を厳ならしめんと西尾城主より遣わされた鉄砲・弓・槍等を神幸行事に随行させ、また祭費として米五俵銭四貫などを奉納することが通例となっていきました。


  昭和54年1月1日、不慮の火災にて拝殿及び琴平社拝殿が炎上するも翌年には御社殿再建委員会が組織され、委員各位の弛まぬ努力と氏子崇敬者の素晴らしきご厚志により、翌年コンクリート造の御社殿として見事に復旧いたしました。



御劔八幡宮

 八幡社(現御劔八幡宮)は天王社(現伊文神社)と共に、伊川津の地より八條院宮に伴い、西尾松山(現山下町)に遷って参りました。
 足利義氏が承久の乱での功績により三河国守護職に任じられた際に、この地に城(西條城)を築くにあたり、本丸の東北に松山にあった八幡社を奉遷し、城内守護の神として御祀りされました。その際には、義氏に贈られた源家所縁の髭切丸という宝刀と源義家が用いた白旗を御奉納され、爾後御劔八幡宮と称されるようになりました。その後、統治者は変われど、歴代城主の崇敬厚く、江戸に入ってからは、三河五社八幡の一に数えられ、徳川幕府より朱印地五石を寄進されました。安政元年には伊文神社と共に、神階正一位を宣下賜りました。


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愛知鎮座伊文神社

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伊文神社

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愛知県西尾市伊文町17番地
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