●ここはどこでしょう・・・・
@ A B
C D E
F G−1 G−2
【回答】
@昔の知立駅 【このページのトップにもどる】
弘法通りの真上に、当時としてはめずらしい橋上駅として建設されました。左上の写真はその入り口だったところです。
三河線と立体交差し、乗り換えのために100メートル程の通路が三河線ホーム(現「三河知立駅」、写真左下)まで続いていました。駅前には舶来品を扱うお店も軒を連ね、この地方一番の威厳を誇っていたそうです。
昭和37年、ターミナル化した現在の知立駅ができた後もしばらくの間「東知立駅」として存続。弘法さんの駅としてみんなから親しまれていました。
いまでは、雑草に埋もれ、廃墟と化していますが、この場所を通るたびに昔の勇姿を思い出す人も多いはずです。
A明治用水西井筋遊歩道 【このページのトップにもどる】
明治用水西井筋は明治14年(1881年)に開削されました。
当時の用水は土を掘った水路でした。その後、改修されてコンクリート水路になり、現在では管水路(管が道路の中に埋めてある)となっています。管水路の上部は、「緑あふれる用水の道」として整備され、明治用水の水を利用して目に見える用水「せせらぎ・池」を再現しています。
この遊歩道は、知立市内だけでもおよそ3.8kmもあり写真はほんの一部です。
ここを歩くと、写真以外の面白い場所がもっともっとあるでしょう。一度散歩してみてはいかがでしょうか。(ここは来迎寺町です)
B知立中学校の1階の廊下(職員室側から体育館側を見たところ) 【このページのトップにもどる】
この校舎は昭和45年、47年、49年と3回にわたって増築された結果、横幅の総延長は160メートルを超えてしまいました。廊下部分は一直線で、やろうと思えば100メートル競争が十分できてしまう迫力です。 私もこの中学校を卒業しました。
C新地公園 【このページのトップにもどる】
新地公園は、市制20周年(1990年)記念公園として整備されました。園内にはウォータープラザ、プレイマウンテン、吊り橋、からくり時計等が設置され、水面きらめく水のせせらぎや深まり行く紅葉など、季節の推移に即し、さまざまな形で多くの人々を迎え入れてくれます。
D松並木 【このページのトップにもどる】
山町御林より牛田町新田南にかけて約1km、道路に沿って立派な松並木が続いています。
昔は鬱蒼とした古松が茂り保存状態は良好でしたが、伊勢湾台風の被害でたくさんの古松が倒されてしまいました。それ以来並木の保存運動が起こり、昭和45年には幼松158本の補植が行われました。江戸時代、知立の松並木では毎年長期間の馬市が開かれたため、道の両側に副道があるのが特徴だそうです。
E名鉄知立駅の踏み切り 【このページのトップにもどる】
知立駅の東側には名鉄本線と、豊田、刈谷、碧南方面へ延びる三河線の踏み切りが並んでいます。
西三河の交通拠点となる知立駅に入る電車の数はとても多く、駅の東側にあるこの二つの踏み切りは、1日に合わせて10時間くらい閉まっているそうで、「開かずの踏み切り」と言う人もいます。
F牛田のやおやさんの前の4つ角【このページのトップにもどる】
旧国道が東西に走る見通しの悪い交差点です。信号機が無いので、なかなか、互いの道路から出にくいところです。
信号機設置は、安城署管内(安城市、知立市)で年間5箇所程しかなされないそうですが、早期に設置をしてもらうよう、この写真とともに、お願いをしているところです。あと、来迎寺公園付近の交差点については、今年度中(15年3月)に信号機が付くということで、そちらの方に自動車が多く流れるように、規制の依頼をしているところです。
G−1,G−2工事中の衣浦豊田線(国道419号線)【このページのトップにもどる】
現在、工事中の衣浦豊田線です。
G−1が、高架下で、G−2が高架上(実際の道路部分)です。2つの写真とも、牛田町から、八橋町に向かっての写真で、ちょうど、来迎寺小学校区の子供たちが竜北中学校へ登校する通学路付近です。
G−2の写真の手前までは道路ができており、軽飛行機の滑走路のような感じがします。また、このあたりは、料金所にもなり、自動車の通過するゲートは、合計で12台分というひうじょうに大きなゲートとなります。
この道路は、碧南、高浜、刈谷、知立、及び豊田の各都市を縦貫していきますが、この知立部分のみ、名鉄と、国道1号線を高架して行くなどひじょうに建設費がかさむということで、1回通ると、100円から200円の予定で、徴収されるようになります(知立市の歳入ではありません) 。
完成は、愛知万博の開催(2005年3月)までということです。