七年前に達成した、四国八十八ヶ寺のお遍路を、還暦記念として、再度挑戦しました。先回よりも苦労も多く難行でしたが、なんとか結願しました。
つたない文章ですが、お読みいただければ幸いです。


空港行バス停



バスに乗り込む


3月28日(水) 晴れ さあ出発だ。

 地元の高棚を午後3時12分発の中部空港行きのバスに乗り込む、乗客は自分以外に一名と空気を運んでいるバスだ。途中三河高浜駅ににて、二名乗り込む。それにしても、乗客は全部で四名と大型バスでは、完全に赤字路線だ。そんな心配はよそに置いて、バスは中部空港に到着だ。徳島空港行きの飛行機は午後7時出発ということで、約2時間30分も待ち時間がある。何もする事がないことは非常につらいが、待つしか方法はない。腹ごしらえをしたいが、まだそんなにお腹はすいていない。ただ待つのみだ。空港内の待合室で観察していると、いろいろな人がいらっしゃる。海外旅行組、国内旅行組、仕事での出張組と動作や顔を見ているだけでその人の心の中がみえてくる。18時40分搭乗手続き開始だ。定員約50名程のフッカー機はほぼ満員のお客になりそうだ。機は一路徳島空港に向けて出発した。
 約一時間で徳島空港に到着だ。とても安心できる飛行で乗客の顔色もとても良く見えた。飛行機を降りて自分は本日の宿、阿波観光ホテルに向かう。飛行機とバスの連絡状況がとてもすばらしく、待ち時間なくバスは発車した。約30分で徳島駅に到着だ。ホテルは駅前で探すのには苦労しなくて見つける事が出来た。フライトでお腹も空いて食欲もありホテルのレストランで夕食を取る。明日からの長いお遍路紀行に備えてお腹いっぱい食べて、スタミナを付けたい所だが、気持ちが高まり自宅居る様に腹一杯食べる事は出来ない。夕食を済ませ部屋に戻り明日に備えて早く塾睡したいものだが、気が高まり明日からの歩行予定やいろいろの心配事が頭を駆け巡りあまり眠る事が出来ないまま朝を迎えてしまった。



霊山寺の山門



極楽寺山門



十楽寺本堂


3月29日(木) 晴れ  一番札所霊山寺へ
 
 8時24分発の板野行きの電車に乗り込み一番札所の駅 板東駅8時50分に降り立つ。いよいよ四国八十八ヶ所巡り(二回目)向けて出発だ。
 板東駅から歩いて約15分一番札所霊山寺に到着した。早速、遍路用品の購入だ、ローソク、お線香、教本、さんや袋、納め札、金剛杖、管笠以上を買い揃え一番札所で納経させていただき、二番札所の極楽寺へと向かう。向かう途中に、ふと、金剛杖に目が行き杖に持ち主の名前が記入されているのを発見。自分が早川さつきさんの杖を確認しないで持ってきてしまった。なんとあわてもの!引き返して交換しようとも思ったが、歩いて一番まで戻る事は考えられず、早川さつきさんには大変申し訳ない事をした。この場を借りてお詫びします。すみません。初日にこんなミスを犯して恥知らず。今回のお遍路を細心の注意を払って行いなさいという戒めを、心にして、三番札所金泉寺、四番札所大日寺、五番札所地蔵寺、六番札所安楽寺、七番札所十楽寺と打って本日の宿『越久田屋』さんに素泊まりとなる。
 『越久田屋』さんは新しい民宿で、近くに温泉施設が開設されて、風呂と食事はその温泉施設済ませる宿泊施設だ。近くにこのような施設があれば、食事を作る心配をしなくて、お遍路客を宿泊させる事が出来る。この宿のの主人は頭が切れるぞと思った。宿泊代4,200円は手ごろの値段で、お風呂と食事を外で済ませていただければその手間賃だけでも、安く収まる勘定だ。宿は、新設されたばかりで、静かで気持ちよく眠りに就けた。
【本日、気がついた所】
 確か、七番札所で、私たちお遍路数名で休憩をしていたら、私たちのベンチに向かって歩いてくる若い衆が一名。私たちに差し障りのない様に、金の納め札をちらちらと見せつけている。その時には何も不自然さは感じなかったが、後で思い出してみると、少々不自然な事をしているなと思った。推測するに、納め札がお守りの役目や願い事がかなうと耳にした事がある。錦、金、銀と全部の納め札を売って小遣い稼ぎをしているように見えた。せちがない世の中になってしまったなと思う。万事お金か。



桜咲く熊谷寺


吉野川の沈下橋


11番札所藤井寺


3月30日(金) 晴れ  吉野川越え

 『越久田屋』さんを、7時10分出発 八番札所熊谷寺、九番札所法輪寺、十番札所切幡寺と打って、吉野川を渡る。吉野川の中洲は大変広くて、所によっては、幅が二キロ位ありそうな気がする。農地はとても良く整備されて、農作業を行うには効率良く出来そうみえた。河川敷きは私有は認められず、国から借地をしている様に思える。中洲を通過して、遍路紀行の一つの注目点の「沈下橋」を渡る。粗末な橋だが吉野川の激流と侵食に耐えて、しかもお金を掛けずに橋の役目を果たす事が出来る橋だ。橋の幅が狭く車がすれ違うのには、少々苦労する橋だ。現在は下流に大きな橋が建設されこの橋を利用するのは、地元の人達だけの様に見えた。吉野川のこのあたりは下流域であるが、水はとても綺麗である。上流に大都会がない事が一番かな。堤防や河川敷の木々には、ポリエチ袋や新聞紙等が絡まっているのが見られ、現在の日本各地で見受けられる光景だ。
 今日の歩行距離は、明日の焼山寺越えを控えている為に約18キロと短かい。心にも余裕があり、快調に本日の宿『民宿 吉野』を目指す。本日、同行してしただいたのは、東京都日野市の澤田さんだ、社会勉強も良くされていて、又、一度、車で八十八ヶ所を回っていらっしゃるとの事で、お遍路の事も良く研究されいらっしゃるように見受けられた。ただ、少々、体重が重たい様に見受けられた。
 澤田さんの本日の宿は『ふじや本家旅館』で明日の為には一番いい宿だ。自分も電話を入れたが満室の為、宿泊する事は出来なかった。自分は藤井寺より少し離れた『民宿 吉野』さんに宿泊する事になった。『吉野』さんは新築間のない宿で、設備、環境、客への対応がすばらしく、今回のお遍路巡りの中の良宿三傑に入った宿だ。(俺の判断)
食事、お風呂、寝室、洗濯場所、どれを見ても良く研究されて作られていた。再度、宿泊したい民宿である。

 今日、頭に浮かんだ句。
 満開の 桜が迎える 切幡寺
 急流の 四国三郎 粗橋打つ


 

焼山寺の大師堂


3月31日(土) 晴れ  焼山寺詣で

 朝6時20分 『民宿 吉野』を出発、十一番札所藤井寺を通過して、いよいよ、最大の難所と言われる、焼山寺へ向かう。出発してまもなく、険しい上り急勾配に入る、約300mから350mを一気に登る。息が切れる、少し休んで又出発だ。休憩していらっしゃる遍路さんを数名抜いてしまう。この山道はお遍路さんだれしもが苦しんでいる所なので、お互いに励ましながら、長戸庵へ。小休止して、次に如水庵へ向かう。昨日知り合いになった、東京の澤田さんを抜いてしまう。左足の親指の爪が痛いそうだ。テーピングを薦める。如水庵から、一本杉地蔵へ。この道も険しい。一本杉地蔵からは、ゆるやかな下りが続く。険しい下り坂の最後の所で、先日徳島駅でお会いした東京の方にお目にかかる。奥さんの足が痛いとの事で、公共交通機関の事を聞かれた。山を降りた所まで行き着けばバス等が有りますと答えておいた。
 いよいよ、最後の難所だ。焼山寺は、簡単には征服出来ない。急勾配を約30分登ると、林道に入った。先回には無かった道路だ。先回は、弘法大師の銅像が迎えてくださったのに、道路が整備されて、弘法大師の銅像には、お目に掛かれなかった。
 焼山寺到着は11時10分、約5時間の行程だ。最大の難所をどうにかこうにかクリアーした。昼食に売店のうどんを楽しみにしていたが、閉店したとの事、残念。『民宿 吉野』さんで購入したおむすびを頬張る。昼食後、浜松の方と、本日の宿、『明日香』に向かう。14時40分民宿『明日香』に到着。早い到着で、民宿の女将さんにほめられた。明日は何キロ歩けるかな。
 民宿『明日香』も、宿にはお風呂が設置してなくて、すぐ近くに村営の温泉施設があり、その入場券をいただいて、入浴することになる。温泉であり、設備も充実。歩いた疲れを取るには最適だ。湯から上がって、缶ビールをグーと飲み干していると、その姿を見ていらっしゃた方から、美味そう!と声を掛けられた。このビールが後で災いを引き起こすのである。



13番大日寺


14番常楽寺


15番国分寺


4月1日(日) 晴れ  記念写真

 朝6時45分 民宿『明日香』を出発 宿泊代金はビール代を含めて7,242円
 次の札所十三番札所大日寺を目指す。約18kmの下り道路だ。快調に、隣の民宿『ふじ荘』に宿泊された岡本さんと飛ばす。岡本さんは二日目の宿で同じ宿泊客であった。昨日も焼山寺を下る時も一緒であった。今朝は、岡本さんは、何の打ち合わせもしないのに、自分を待っていてくださったのだ。お遍路客は、ほぼ同じ時間に出発する事はご存知の様であった行動である。昨日の同部屋に宿泊した、大阪堺市の I さんのイビキには参ったぞ。往復イビキで一晩中イビキをかかれたら、同室に宿泊する者はお手上げだ。当然寝不足に陥る。その様な方とは、おさらばしたい。
 10時10分大日寺に到着した。昨日、同宿した名古屋の家族連れと再度お会いした。お寺で記念写真をお願いされ、家族4名と自分とで5名撮っていただいた。大日寺を打って、次の札所十四番札所常楽寺を目指す。常楽寺までは、約2.3Kmと短く、歩きの自分達と車の方と余り時間差なく、到着出来る。
 再度、先ほど写真に収まった名古屋の方とお目にに掛かる、写真をお送りしたいから、住所を教えていただきたい、との事。自分は、ホームページにて配信している事を伝えて、納め札をお渡ししなかった。大変失礼な振る舞いをしてしまった事を反省している。あの時、納め札をお渡ししていれば!
 いまだに、写真が郵送されないのは、ホームページにアクセスされていない証拠だ。この遍路日記を是非御笑覧下さい。
 十五番札所国分寺、十六番札所観音寺、十七番札所井戸寺と打って、本日の宿、徳島市内の ビジネスホテル『オリエンタル』に午後4時に到着した。今日は約30Kmの行程で少々強行軍かな。足が少し疲れた、エアーサロンパスを購入して、ふくらはぎに塗付し疲れを取る。いろいろと、必要品が現われ、ウエストポーチが欲しくなった。明日に備えて足のマッサージを行う。今日は一人部屋で他人のイビキに邪魔される事なく眠れる。しかし、コインランドリーが設置されていないとは。自分は毎日洗濯するのを日課としているのに。コインランドリーがビジネスホテル無いのは落第点の宿泊施設だ。



立江寺旧山門


恩山寺大師堂


恩山寺本堂


4月2日(月) 曇り 納経所

 徳島市内のビジネスホテル『オリエント』 7時20分に出発。昨日、同宿した奈良県の松浦さんと岡本さんと三人で十八番札所恩山寺を目指して快調に歩を進める。徳島市内へ市内へと、通勤者の車がとても多い。二車線道路を肩をつぼめながらどんどん進む。昨日、徳島市内で近道と教えていただいた道だ。へんろ道保存協会の本に載っていない道路である、おそらく交通量が多いため本に載せなかったのであろう。途中、ガソリンスタンドで、トイレ休憩をさせていただい所、社長様が出ていらっしゃって、いろいろと、世間話をさせていただいた。愛知県からのお遍路さんを多く見かけるとの話だ。又、愛知県から、わざわざ遠方よりお遍路にお越しいただきありがとうとの事、など、世間話に花が咲いた。休憩後再び恩山寺を目指して歩を進める。恩山寺到着した。今日は平日で参拝客は少ない、恩山寺を打って、10時50分次の札所十九番の立江寺向かう。
 11時30分立江寺着。お参りの後、納経をさせていただいた。納経所の従業員(住職の倅かも)が携帯電話を操作しながら、くわえタバコで納経をしている、なんと無礼な。納経所でのマナー教育をしているのか。俺達は必死に歩いてやっとの思いでたどりついて納経しているのに、感謝の気持ちの微塵も見えないぞ。
 そんな、立江寺を出発後、近くの喫茶『赤い屋根』にて昼食。ミートソーススパゲッティを注文する。お店の中はとても乱雑で、早く食べて店を出たい雰囲気の店だ。おそらく、夜、カラオケスナックを本業としている店だ。昼食後12時30分スタート、快調に本日の宿『金子や』に向けて歩を進める。途中、野菜の苗を販売しているお店でみかんを購入し食べていると、他のお遍路さんも合流して、遍路よもやま話に花が咲く。本日の宿『金子や』は明日の鶴林寺、太龍寺に行くには宿泊せざる得ない宿、等々に花が咲く。遍路よもやま話も皆さんの貴重な体験話や、お四国大学講義となり、自分の人生の経験談として語り継ぐ良い話なるのだ。



鶴林寺の参道


大龍寺本堂


大龍寺の天井画


4月3日(火) 晴れ  天井の龍

 7時に民宿『金子や』を出発。二十番札所鶴林寺に向かう。『金子や』を出てすぐに厳しい山道に入る。途中、何度も休憩を取りながら、約3.1Kmの登山道を同宿の4名で必死に登る。宿で頂いたペットボトルのお茶も直に少なくなってしまう。8時20分 鶴林寺に到着。早速お勤と納経と済ませる。標高約500mの山頂は少々寒く感じられ、長居は出来ない。早々に次の札所二十一番札所太龍寺を目指す。東京の澤田さん、奈良の松浦さんは鶴林寺の登りの山道で相当遅れて、到着だ。人それぞれの体力やペースがあるから強要出来ない。岡本さんと二人で太龍寺の参道の山道6.7km必死に登る。この山道も遍路道の中で三本の指の中に入る険しく、きつい道で、息も絶え絶え太龍寺目指して登って行く。やっとの思いで、太龍寺に到着、早速、納経を済ませる。太龍寺には、ロープウェイが通じていて、それを利用して、大勢の参拝客が石段を息を切らして登っていらっしゃる。我々に比べれば大変楽をして登って来るのにね。
 太龍寺は本堂も立派であるが、離れの龍の天井画が特に有名で、早速、ガラス越にカメラに収めた。綺麗に取れている事を確信して、次の札所二十二番平等寺に向かう。途中、昼ご飯を食べるのだが、今朝、宿で購入した、ご飯だけの御握りであるが、実に美味しい。体を動かしてお腹が空けば、何でも美味しくいただける事がよく解る。昼食後、次の札所平等寺目指して、岡本さんと向かう。平地は自分の好きな道路なのだから、どんどん飛ばす。時速5.5キロメートル位は出ている、へんろ道の急坂に二人はばて気味だ。やっとの思いで、二十二番札所平等寺に14時30分に到着。納経をしていると、昨日の宿の一団が続々と到着してきた。他の皆さんは、へんろコースではなくて、一般道(車道)にて到着された様だ。本日の宿は平等寺の隣の民宿『さざんか』さんで、早速入室、洗濯、入浴、明日に備えて休息を取る。今日は相部屋で浜松の岡本さん、奈良の松浦さんと3人で40畳位の部屋で休ませていただく事となった。



太平洋を望む


薬王寺の山門


ライトアップ


4月4日(水) 晴れ 気温12℃から15℃  薬王寺のライトアップ

 朝、7時20分民宿『さざんか』さんを出発、同宿の岡本さん松浦さん澤田さん高松の藤田さんと5人で遍路隊を組んで一路二十三番札所薬王寺に向かう。今日の歩行距離は約二十二kmと距離も短く、平坦な道路ということで、全員安心気分で歩くスピードも遅く休憩も多くその上、絶景の場所も多くて、写真を撮ったり、と、することが多い。ホームページに乗せる写真も撮る事が出来た。昼食を取る食堂もなく、食料品店でパンを購入して昼食にする。ダラダラ歩きでも何とか14時10分に薬王寺に到着した。女厄坂33、男厄坂42の石段を登り本堂、大師堂と参拝。納経所で御朱印をいただいている時に、大阪から来ている若い衆に再会した。明日、一日歩いて大阪に帰るとの事、元気で、帰省する様に激励し、自分は、用事が生じなければ、全部打つまで帰らない事を話して、別れた。本日の宿は『薬王寺会館』で15時に入館する。
 本日は、とても楽な一日であった。けれども、遍路紀行は、まだまだ続き、余り無理をすると、たちまち体調を崩す事を肝に命じ、体が馴染むまで、自重した方が成功率が高い事を確信して進めて行きたい。
 薬王寺の多重塔は、夜間ライトアップされている。八十八ヶ寺の中で、この様な幻想的な風情を見させていただけるのはこの寺だけだ。デジカメにて撮影したが、上手に写っている事を願って宿に帰った。
 同宿した埼玉県の男性はとても律儀な方で、コインランドリーを利用するにも、他人の洗濯物が終了し、自分の順番が来るまで、洗濯機の前で待っていらっしゃた。とても感心した。又、彼のお遍路の巡り方も少々変わっていて、自宅から四国まで車で来て、数ヶ寺前の寺か宿に車を停めて置いて、電車かバスで、又、以前の場所まで戻り、又、歩き始める方法でお遍路紀行をされている方だ。時間と費用が多く掛かるが、全部打った帰り道には、九州とか沖縄まで、足を延ばして定年後の第二の人生を楽しんで行きたいとお話しして下さった。学校を卒業後、仕事一筋で働いて来て、余暇時間を何もする事が無くて、濡れ落ち葉でいる多くのサラリーマン定年者には良い見本の方だと思う。第二の人生を楽しんで下さい。







鯖大師本堂


4月5日(木) 晴れ 15℃〜16℃位  ジャンボの町

 薬王寺で早朝のお勤めに参加させていただいた。(6時〜6時20分)ここの住職の読経は上手に聞こえた。毎日々々、同じお経を読んでいれば、上手になるのは当たり前かもしれないが、心がこもっていない読経は薄ぺらに聞こえ、聞いている人に感動を与えなくて、すぐに飽きが来てしまい、心地良い子守歌になるのが落ちだ。けれども、自分が感じたのは、迫力もあり、聞き心地も良く、聞き入ってしまった。これも、今回初めて宿坊に泊り、早朝のお勤めに参加し、お遍路に来ている事で、心境の変化を来たしたのかな。又、この寺には、多くの若い修行僧が見受けられた。皆、剃髪し、墨染めの作務衣をきてきびきびと働いている。全国の薬王寺系列の総本山らしく、頼もしく感じる。
 7時5分薬王寺会館を出発。一路本日の宿『H』を目指して、歩き始める。本日の歩行距離は約32.8Kmと時間にして、約7時間の行程だ。札所巡りは番外の鯖太師だけだから、とても気が楽だ。山道もなく、歩みはどんどんと、前へ進む。岡本さん、松浦さん、澤田さん、全員快調だ。今回の遍路紀行を始めて初の長距離歩行だが、道路が楽なことで、快調に歩は進む。昼食を食べる所が無くて困ったが、苦労して歩行距離を延ばして海陽町でラーメン店を見つけて、ラーメンをすする。この町は、旧海南町で、ジャンボ尾崎選手の出生地である。先回の時に、大きな看板『ジュンボ尾崎誕生の地、海南町』を見付けたが、今回は、見逃してしまった。(後で耳にした話で、看板は健在との事)残念。徳島県南部のこの地方の海はとても綺麗で海の底まで見る事が出来て、気持ちがいい。特に日和佐海岸は海亀の産卵で全国的にも名前が知られていて、町のあちこちに、海亀の看板が目に入ってくる。又、高台から、太平洋を見下ろすと、地球が丸い事が感じられるし、海面が、湿気のため浮き上がって見える。そんな海岸の風景を見ながらの歩きであるが、やがて、15時15分本日の宿『民宿 H』に到着した。女将さんの案内で、自慢の温泉風呂に入浴させていただいた。肌がつるつるで、本当に気持ちのいい温泉だ。この湯であれば、都会に近ければ賑わうのになと思った。本日の夕食が楽しみだ。

 夜中の出来事。
エアコンの室外機の低周波の為、岡本さんと自分は熟睡出来ず。エアコンを設置した業者は設置時に周囲を観察して下さい。室外機は地面に置くのがベターです。
 自分は体調が良く、ハマチの刺身や焼きカマを食べてもジンマシンは発病しない思って、食べたが、体調の良し悪しか、疲れの為か、食べたために、約10日ジンマシンに悩まされた。今回の遍路紀行、最初のパプニング。 
 『民宿H』の御主人、私は見てしまいました。あなたは、くわえたばこで、食事を作っていらしゃいましたね。民宿を経営する時に、保健所に講習に行かれた事と思います。初心に戻って、精神誠意努力して下さい。お客様の目は見ていますよ。



土佐日記で
有名な甲浦の浜


4月6日(金) 今、話題の東洋町

  朝7時『民宿H』を出発。一路、本日の宿『民宿徳増』を目指して歩を進める。本日の歩行距離は約27Kmで、体調を整える為の調整日である。途中、東洋大師にお参りして、その後、宿、目指して歩く。今日は遍路紀行の中でも2回か3回しかない札所のない一日でただ歩くのみである。
 この数日、日本中を騒がせている、核廃棄物の最終処理施設建設地予定地の予備調査を受け入れるか否か、町内が騒然となっている高知県東洋町を通過した。町役場の前を通ったが、役場の中は余り人影は見受けられず、何事もない様な静けさであった。しかし、上空には数機のヘリコプターが飛来しており、核施設の影響かなと思った。他人ごとながら、遍路宿で交わされる意見は賛否両論であるが、調査段階で断る事は無いという考えが大方に見えた。
 町中を通って見ても、反対の立て看板は2本しか目に入らず、この住民投票は賛成の方向で決まるように思えた。
 ところが、後の選挙結果は案に図らずや、反対投票の方が多くて、受け入れ調査はご破算になった。自分達、外野席の人間と地元の住民とでは、やはり考えや対応が異なる事がよく有る事の典型的な例になった問題である。
 今日は、旧暦二の馬という事で、地元、高棚馬頭観音さんの命日で、高棚の仲間の皆様が豊橋市の小松原東観音寺の本山にお参り行き、帰り道で参加者全員で、形原で祝杯を挙げているとの電話が入り、自分を激励して下さった。大変嬉しく、感謝しても、感謝しきれない事である。
 夕食後、テレビの天気予報を見るのが、いつもの日課である。今回のお遍路紀行に入ってから、運の良い事に、雨に降られた事はあっても、夜間に降り、未だに一度もポンチョのお世話になっていない。大変有りがたいことだ。明日もテレビの天気予報では、早朝までは雨が降るが、歩き始める頃にはやんでいる予報でお天気にはめぐまれている。
 東洋町からは、高知県に入る。、江戸時代までは、土佐の国である。阿波の国から土佐の国に入り、はるばる遠くの国まで来たものだ。



御蔵洞



中岡慎太郎の銅像



25番津照寺大師堂


4月7日(土) 小雨のち晴れ 快調に飛ばす

 朝7時、『民宿徳増』をスタート。室戸岬と二十四番札所最御崎寺を目指して、黙々と岡本さんと歩くスピードを上げて進む。『民宿徳増』より室戸岬の青年大師像前までの距離約13kmを2時間10分の所要時間で踏破してしまった。自分自身こんなに早く長時間を歩けるものかと思う位ノーストップで歩き続けた。御蔵洞で、奈良の松浦さんが休憩されていらっしゃて、再度、合流して、弘法大師の手洗い池や室戸岬周遊散歩道を歩いたり、中岡慎太郎の銅像をカメラに納めたり、御蔵洞の納経所で働いらっしゃる方と世間話に花を咲かせたりと約1時間を過ごす。その後、最御崎寺に向かう、急坂も何もないような速度で踏破し寺で納経をしている時に、岡本さんが、錯覚を起こされて、私達が先に次の札所に向かってしまったと思われ、一人で、次の札所津照寺に向かわれてしまった。その原因は、実は自分にある事に後で気がついた。自分が、リュックを別の場所に移動してしまい、自分のリュックが見あたらないので、先に次の札所に向かったと、思われてしまった様だ。
 松浦さんと二人で次の札所二十五番札所津照寺を岡本さんを探しながら目指した。津照寺の手前のコンビニで、岡本さんがひょこり出てこられて、再合流し、津照寺に向かう。津照寺は急な石段を約100段位登った所にある。納経所の手前にリュックを置いて、本堂にお参りをして、下る時に、金剛杖を忘れしまい、再度、本堂まで石段を登らなければならず、なんとドジな俺だ事。納経後、一人、寺の前の食堂で、「冷やしざるうどん」をすすった。なんと美味しい「冷やしざるうどん」
 昼食後、次の札所金剛頂寺に向かう。(26番札所)3.8キロmの距離だから楽な行程だ。寺に入る前に少々急坂があるが、さほど気になる坂ではない。気にならないのは、本日の宿、『民宿うらしま』に、リュックを置いて、参拝した為だ。自分の荷物は約7kgで、他の遍路さんと比較すれば、軽い方だ。これは、一回目の経験が生きている証拠だ。リュックを背負はなくて、登るのとても楽に感じる。足も良く進む、小雨の中だが、気にはならない。15時に再度『民宿うらしま』に到着した。本日の歩行距離は約32kmで順調に終了した。
 宿は、鉄骨作りで、人間が歩くと建物がゆれていて鉄骨作りの弱点を象徴していた。



27番神峯寺山門



神峯寺本堂



神峯寺大師堂


4月8日(日) ただ、鳴くだけ

 朝7時、民宿『うらしま』を出発、一路本日の札所、二十七番札所神峯寺を目指して、歩き始める。今日は、平坦なコースと思って歩いていたが、へんろ道に入ったら、約100mの高さを登る所が有り、その急坂には閉口した。途中、吉良川地区にて、町並み保存地区を通った。江戸時代に作られた「なまこ壁」の住居や土蔵の建物が旧土佐街道の道の両側に林立し、とても綺麗に保存され、いまでも当時の様な建物が新築されている所で、歴史を感じさせる地区である。又、見学コースが設定されて、見せている場所だ。自分もこの地区を歩いて、時代錯誤に落ちいってしまう程の良く保存された地域だ。この街は、再度車で来て、ゆっくりと見て歩きたい所だ。この地区は江戸時代には、相当景気もよく、金回りが良い地域であったのだろう。おそらく、漁業は鰹節、農業は除虫菊の栽培かなと思う(間違いかも)。最近、テレビで放映されて、見させていただいた、漂流者「音吉」もこの地域から漁業に出て、漂流し、アメリカまで行き、日本に帰ってきて、通訳者として活躍された人の出身地の様な気がする。
 そんな、地区を抜けて、へんろ道を歩いていると、40歳年配の女性二人組みに追い抜かれてしまった。ナ!ナント!背中にリュツクを背負いながら、ジョギングで、月1回数ヶ寺を巡っているとの事。リュックを背負って走るなんて、なんと無謀な事を思いついて、実行されているかと、感心させられた。彼女達が走り去った後、澤田さんが、「あの二人はきっと、足を痛めて、リタイアされてしまうだろう」と言われた。自分も、多分途中でダウンされてしまう様な気がした。今回は、種間寺まで、ジョギングで向かうとの事、旅の安全を祈るのみだ。
 11時15分、本日の宿、『浜吉屋』に到着。リュックを置いて、本日の札所、神峯寺に向かう。急な登り坂が延々と続く険しい札所である。先回の時は、遍路道を歩いて、痛い目に遭っているので、今回は初めから、車道を登って行く事を岡本さんに提案したら、直ちに、了解されて、車道を登って行く。途中、数回休憩して、何とか神峯に到着した。この札所は太平洋が見渡され、とても、景色のいい所だが、今日は、春霞がかかっており、太平洋は余り良く見えなかった。寺の名物は、『土佐の名水』という事で、手洗い場所で、流れている水は、飲むとなめらかで、やわらかい感じで、非常に美味い水だ。多くの参拝者が、ポリ缶に入れて持ち帰っていらっしゃる。納経所で、歩き遍路と申し出た所、住職が、手作りの手芸品を、お接待としてプレゼントしてくださった。品物は何であっても、その気持ちがとても嬉しい。先回は、お抹茶とお饅頭の接待であったが、今回の手芸品も感じが良い。感謝、感謝。
 急な下り坂の帰りは、足がスムーズに進む。約45分で、本日の宿『浜吉屋』に帰って来た。早速、入浴、洗濯、と忙しい。本日の夕食が楽しみだ。何のトラブルもなく一日を過ごせた事にも、感謝、感謝だ。

   今日、自分ながら、感じた言葉を書きます。
 
   「仏法とはなんぞやと 蝉に問うてみれば
   体震わせ ただ シャアシャアと鳴くだけ」
          第六十四代 防衛庁長官  中谷 元

   「体感  体得」
          民主党 幹事長  菅 直人

   「現在を受け止め生き抜く事」
                 小生




歩き遍路仲間



お遍路無料接待所



快適な遍路道



28番大日寺本堂


4月9日(月) 晴れ 22℃位  快適な遍路道

 朝から、快晴だ。今日は約37kmの歩行距離の為、浜吉屋での朝食は6時にいただく。朝食の時、愛知県愛西市の女性の方と同席になり、いろいろと世間話に花が咲き、盛り上がった。その方は、種間寺まで、打って帰られるとの話で、がんばりを期待したいものだ。自分に対し、とても若々しく見えますよとお世辞にしても、話半分でも、持ち上げてくださった事にも、感謝。
 本日の札所は、大日寺一ヶ寺なので、ひたすら目指して歩を進める。途中、琴ヶ浜という海岸は、黒砂の浜辺であるがとても長く続いている。松林も良く整備されて、歩いていてもこの上なく心地良い。へんろ道の傍を第3セクターの黒潮鉄道の「奈半利、御免線」が走っている。列車の本数は少なく、赤字路線の象徴の様な気がする。この線は、7年前には建設中であったが、全線開通に合わせて、自転車道と歩行者用道路二つがともに、綺麗に整備されて、歩いていても、大変気持ちが良い。橋本大二郎高知県知事が、県民への公約で実現したと思われる。この道路は、一見の価値があり、是非、感心のある方には、歩いていただきたい歩行者用専用道路だ。途中、「おへんろ接待所」として、個人で、自分の土地に10坪位の小屋を建てて、お茶とコーヒーのお接待をされていらっしゃるのには、脱帽した。なんと、奇特方がお見えになることか。この様な事がいつでも平然と出来る人間になりたいものだ。
  やがて、必死の思い出、本日の札所、二十八番札所大日寺に到着した。大日寺を打ってから、本日の宿、ビジネスホテル『ダイワ』に4時15分到着した。早速、いつも通り、コインランドリーに行って洗濯をしようと洗濯機の前に行ったが、100円玉がない、受付に行って、両替をしていただき、今度は、洗剤を購入しよう思った所、10円玉がない。又、受付に行って両替を行なわなければならない。何と、自分が、間抜けな事か。又、受付の女性が一言声を掛けて下されば、何度も往復しなくても済むのにね。この様な事は、自分にも当てはまる事がたくさんある様に思える。今後の反省点だ。腹を立ててはいけない。グッと我慢々々、馴れない事を行うには、いろいろ、気を使う事が多い世の中だ!



29番国分寺山門



国分寺本堂



庭に咲く牡丹



30番善楽寺本堂



31番竹林寺の
五重塔



夢に出なかった
坂本竜馬


4月10日(火) 晴れ 20℃〜22℃ 竜馬よ、日本の将来を語ろうぜよ!

 宿、ビジネスホテル『ダイワ』(土佐山田駅前)を6時30分に出発。(朝食抜き)
 一路、本日最初の札所、二十九番札所国分寺に向けて歩き始めた。高知県道195号線は道幅が狭く、大型トラックが通過する時は非常に危ない。肩すれすれを通って行く様な気がする。途中でコンビニに寄って、本日の朝食のパンを購入し、朝食とする。
 8時50分、国分寺に到着。納経後、山門前でダンゴを食べようとしたが、開店時間になっていない。又、このお店は、柿渋を塗ったおへんろ用の笠を販売している店で、この笠は良品で、わざわざこの店まで、管笠を購入するのを我慢して、この店で買われるとの事。良い品質良い評判は、口伝えで広がって行く事が理解出来る一つの例だ。
 国分寺を出発して、次の札所、三十番札所善楽寺を目指す。途中、少々道路を間違えたが、何とか到着することが出来た。納経後、ベンチに座って休憩していると、何か気になる様子をされていらっしゃる方が何度も自分をチラチラと見ておいでになる。自分もどこかで、お目に掛かった様な気がするが、間違えではと声を掛けるにも気が引けて、しばらくして、お互いになんとなく声を掛けたら、となり街小垣江町の平野さんとその奥様にバッタリ遭遇した。平野さんは、自分が役職を努めている時にテニスコートのベンチの屋根を修理していただいた記憶が有り、又、ゴルフの練習場が一所で、良くお顔は拝見していた方だ。又、奥様は、高棚出身で、お父さんは自分も大変お世話になり、又、迷惑をお掛けした事のある方の長女さんである。3人でお遍路話に花が咲き、しばらくの時間を過ごした。お二人の姿をを写させていただき、帰ったらプレゼントする事を約束して、別れた。そんな出来事の後、次の札所三十一番札所竹林寺を目指す。高知市内をただ、黙々と3人で歩くのは辛い、単調であるが、お四国遍路の言葉に「修行道場高知」のことわざが、ますます身にしみて来る。竹林寺を納経後、13時に遅い昼食を、門前の食堂でいただく。昼食はいつもの、冷やしざるうどんの大盛だ。うどんは消化も良く、歩きには最適な食べ物である。竹林寺には、大勢の外人さんが見学にいらっしゃった。古いくても、良いものは誰しも認め、日本の伝統も理解しようと、勉強されている様にも見える。
 昼食後、次の札所、三十二番札所、禅師峰寺に向けて出発した。この道は、1年半前に逆打ちをしているので、道路は、頭に入っていて、自分の足はスムースに進んだ。寺に入る前の急坂も気になるが、何とか打つ事が出来た。寺院内の見物台からは、太平洋を見下ろす事が出来、その眺望は抜群だ。遥か右前方には、本日の宿が有る。桂浜も見る事が出来る。納経後、本日の宿、国民宿舎『桂浜荘』を目指して、ただひたすらに歩く。途中、浦戸大橋を渡るのだが、歩道と車道の間隔が短く、大型車が肩すれすれを通って行く、杖が車道に出ない様に気を使いながら、歩を進める。橋の最上部からの高知市内の風景や、太平洋の波の様子や、地球が丸い事解る景色だ。やっとの思いで、本日の宿に到着だ。16時40分。今日も良く歩いたものだ約32km。昨晩は、部屋の気温が少々高くて充分に睡眠が取れず、岡本さん、松浦さんのお二人には同行を辞退させていただきたいと思ったが、朝方、少し睡眠が取れたお陰で、快調になり、無事一日を消化する事が出来、やれやれだ。
 本日の宿は、坂本竜馬の銅像が眼下に見える場所にあり、浦戸大橋からも良く見えた建物で、高台にあり、その眺望はすばらしい。竜馬を足元に置き、グッスリと眠って、日本を変革させる様な大きな夢でも見させていただいて、熟睡したものだ。

朝、昨夜は、桂浜に打ち寄せる、黒潮の波音を子守歌に、今回の遍路紀行の中で一番良く眠る事が出来た。朝の寝起きが心地よい。しかし、残念な事に、竜馬は夢に現われていただけなかった。まだまだ、修行が足らないか。竜馬と同等位大きな人間にならないと、竜馬も夢を語るにふさわしくないと、見過ごして行って行かれた様だ。



33番雪渓寺



35番清滝寺山門



清滝寺本堂
4月11日(水) 22℃〜23度  本当の弘法大師

 朝食は7時からという事で、歩き遍路さんには、少々遅い朝食だ。食堂に行くと、焼き魚(地元小魚)がとても旨く、又、朝食の内容、バランスが良く取れていて、全部いただいてしまった。三人で、小櫃のご飯が足らなくなり、追加をお願いしてしまった。朝食後、排便をしたが、昨日までの、消化不良も無くなり、良く眠る事も出来たし、気分がいい。宍喰町でのジンマシンも快方向かっている証拠だ。
 7時30分国民休暇村『桂浜荘』を出発、一路、本日の最初の札所、三十三番札所雪渓寺を目指して歩を進める。約30分で到着した。7年前の時には、本堂は建築中で、建物全体がシートで覆われていて、その全容を見る事が出来なかったが、今回は、木造作りの立派な本堂が、俺達を迎えてくれた。四国の札所は、相当お金回りが良さそうで、各寺院が、寺の施設の新築や改修にお金を投入しているのがよく解る。納経後、次の札所、三十四番札所種間寺を目指して、歩を進める。のどかな田園風景が続き、お天気も良く、歩の進みは順調だ。1時間少々で、種間寺に到着して、早速納経だ。納経所の女性の対応がとても良く、いろいろと親切にしてくださり、ありがたかった。納経所の対応一つにしても、八十八ケ所、寺があれば、いろいろだなと思った。納経後次の札所、清滝寺を目指す。地元の高棚に似た様な田園風景が続き、とても快適なへんろ道だ。途中、仁淀川の堤防を歩き、川の中では白鷺が魚をついばんでいるのも目に入る。左側に、土佐市の町並みを見ながら、又、前方の小高い丘の上にある、清滝寺を見つめながらの歩行だ。道路は曲がりくねり、街の中を通過する為に、思ったより、距離がある様に感じる。途中、コンビニで昼食を摂り、そこに、リュックを預けて、三十五番札所清滝寺に向かって登って行く。急坂は短くて、一気に清滝さんに到着だ。本堂、大師堂とお参りを済ませ、納経後、休憩だ。納経所前のベンチからの風景は、土佐市が一望出来、市民の憩いの場所だと、理解できる所だ。
 13時30分、次の札所、青龍寺を目指して出発した。コンビニでリュックを受け取り、歩を進める。岡本さんとへんろ道の案内書を見て、県道36号線を直進という事で、二人の意見は一致し、歩を進める。途中、松浦さんがへんろマークを発見されたが、二人は県道36号線を信用して、直進する。ところが、何と、ある大きな交差点の案内標識に、四万十市や、須崎市の案内になり、三人は不安になり、通行人に尋ねると、誤りを指摘されて、戻る事になった。道を尋ねた一人の方が、自転車で、私達が道を間違えない様に先導して下さった。本当にありがた事だ。この女性も以前のお遍路を経験されて、私達の苦労が身にしみて、解っていらっしゃる様だ。これが、本当の弘法大師だとつくづく思った。やっとの思いで、県道36号線に戻り、一路、本日の宿、『酔龍』を目指して、歩を進める。酔龍さんには、7年前にも宿泊した事があり、良宿だと思ったが、今、文章を書いている最中だが、設備に手が入っていないという事は、お客の入りが悪いのだと思う。部屋の蛍光灯も一本点灯しない。少し暗い。夕食が楽しみだが、どうも、てんぷらの様だ。部屋の前の道路も通行量が心配だ。よく眠れるかな。以前に宿泊した時は、道路とは、反対側の民家側で物音もなく熟睡出来た。案の定、夜10時位まで、車は走り、暴走族も列をなして、走り去って行き、午前0時位まで、眠る事が出来なかった。



36番青龍寺



36番青龍寺大師堂



36番青龍寺山門



青龍寺多宝塔


4月12日(木) 晴れ 22℃〜24℃ 修行の地

 民宿、『酔龍』さんを、朝6時50分、三十六番札所青龍寺に向けて歩き始める。宿からは、約1k位の所で、リュックを宿に置いたまま、青龍寺に向かう。青龍寺は、大相撲横綱朝青龍の名前の寺として有名である。宿の隣には、明徳義塾高校の宿舎が有り、高校の相撲部の監督が元大関朝汐のお兄さんである事などで、うなづける。(お四国大学での講義内容です)又、横綱は、高校生の時に、この、青龍寺の石段を何度も々も往復して足腰を鍛え、その練習量は他高校生とは、比較出来ない程の量であったと耳にした。約100段位の石段を登り切った所に、本堂と大師堂があり、こじんまりとまとまった寺院のように感じる寺だ。階段を下り、納経後、本日の宿、須崎市の民宿『ひかり』を目指して、歩き始めた。7年前と同じコースで、7時30分から13時まで、左側に内海を見ながらの風景が延々と続く風景で2時間も3時間も景色が変化しない所を歩くには、とても、精神力がいる。眞の修行の道場だと思う。高知県が修行の道場の意味が理解出来る場所だ。
 途中、本日の昼食のパンを購入して、リュックに入れて、食べる場所を探しながら歩く。11時30分、道端に電柱の廃材を見つけて、三人並んで、昼食を食べる。昼の休憩もそこそこに、宿、目指して、歩き始めた。車道のへんろ道ではなくてへんろ道を歩いた。須崎市内は現在、土地の区画整理事業が、施工されていて、へんろ道は大きく様子が変貌していて、案内書は当てには出来なくなっている。何度も々、道行く人に道を尋ねながらで、宿の主人も、遍路さんがこの辺りで苦労しているのが分かっていらっしゃる様子で、携帯に電話が入った。私達の現在地を確認されて、安心された様子であった。須崎市内は現在、高速道路の建設中で開通後には、街の様子が一変しそうな雰囲気である。須崎市には、大阪セメントの須崎工場がある。高知県で一番大きな製造工場の様に自分には見える。遥か、愛媛県との県境から、距離43kmの石灰石輸送コンベアで原料を運んでセメントを製造している工場で、敷地も広く、大勢の従業員が働いていて、地域の発展を支えている工場の様である。
 やっとの思いで、民宿『ひかり』に到着、毎日の如く、洗濯をし日記を書く。夕食になつて驚いた。この民宿は、今日見た、高速道路建設の作業員の宿泊場所にもなっており、多くの作業員と一緒に夕食をいただいた。彼らは、全国各地より、この地で、建設作業の為に働きにこられ、家族の生活を支えていらっしゃるのだ。自分達、お遍路客とは、180度感覚の違いがある方と食事や、世間話をするにも、気が引ける。我々は、安全作業を祈願するのみだ。
 左足親指上部に靴擦れが出来てしまい非常に痛い。テーピングをしたけれども、今日は、余り効き目はなかった。両足とも、同じ場所に靴擦れが出来そうで、苦しい。けれども、これ位でリタイアする事は出来ない。
 今日は、須崎市内で私達が行く道を何度も々尋ねた。その度に、丁寧に土佐弁で、教えてくださった。遠方から来た私達には良く理解しずらい言葉も耳にしたが、わすれてしまった。残念。
 天気予報では、明日の夕方から、雨模様とのこと。朝早く出発して、早く宿に入りものだ。



37番岩本寺山門



岩本寺本堂



境内のイチョウの木に宿る花


4月13日(金) 曇り 19℃〜23℃ 約半部を踏破

 朝食6時10分 民宿『ひかり』6時40分スタート一路本日宿と札所三十七番札所岩本寺を目指す。
 今日の歩行距離は約32.8km。途中、大阪遍路峠を越える、急坂を何度も何度も休憩をして、峠を越えるのだが、急坂の距離が短いのが救いだ。どうにか、大阪峠を征服して、長い休憩をとる。
 徳島県からここ高知県の四万十町まで同行していただいた、浜松の岡本さんと、奈良の松浦さん、失礼だが、二人とも年齢の割りには、足腰が強い、岡本さんは、登山の経験が豊富な様で、自分より山道(登り)が強い、又、歩くスピードも自分と同じ位の速度で歩かれる。そして、月に数度長距離歩行も経験されていらしゃる方だ。松浦さんは、二回目の歩き遍路で、計画性も高く、黙々と正確に踏破される方で、自分には、とても参考になる。松浦さんは、トンネルが苦手の様で、トンネルに入ると、一刻でも早くトンネルを抜けてしまいたいらしく、二人よりスペードを上げて歩いて行かれる。トンネル内の排気ガスが気になるとの事。人それぞれだ。
 二日前より、左足親指の靴擦れが非常に痛い。何とか、痛さを我慢して歩き続けているが、足が少しムクレている。何とか、騙し々、二人に付いて行くしかない。雨が降ってくれて、一日位休みを取れば、足の痛みも取ることが出来ると思うのだが、雨は降っても夜の見込み、来週の火曜日には雨が降りそうだから、何とかそこまで、我慢していける所まで行くしかない。(人間勝手がいい事ばかり、願っているものだ。)
 本日の宿、岩本寺には、4時15分到着。明日の朝6時より、本堂にて、朝のお勤めがあり、参加する様に連絡が入る。宿坊には、テレビがないので、明日の天気予報を知る事が出来ない、自分としては、苦しい状況が続く事になる。
  岩本寺は37番札所であるが、歩き遍路の最短距離1,111kmから、算出すると、今日位で約半分を踏破した事になると思う。これまでに、要したした日数も17日と前回とほぼ同じペースで進んでいる。弘法大師に、左足の靴擦れが早く治る様に、お願いして、今夜も早く眠りに着こう。熟睡できれば、一番幸せに感じるのにねエ。



太平洋の遠景



久万地崎
  
4月14日(土) 晴れ(黄砂現象) 24℃〜25℃  八十九ヶ寺

 早朝6時より、岩本寺本堂にての、朝のお勤めに参加させていただいた。お経は全部3回繰り返し唱えて、終了したみたいだ。(無知な証拠)最後に、住職より法話があり、へんろ道を世界遺産にしようと、四国四県の知事さんが先頭に立って、いろいろと活動しているとの事。そして、へんろ道にゴミや廃材、廃車等の産業廃棄物が投棄されているのが各所で見受けられ、地域の住民、遍路歩きの方にゴミ等の持ち帰り運動を訴えられた。全くその通りだ。又、人間は108の煩悩が有るから、四国八十八ヶ寺プラス二十ヶ寺の番外霊場作り、全部で108としている事をお話なされた。四国の寺院関係者が欲の塊の様な気がする。又、最近のお遍路さんは、始めに、高野山をお参りし、また、最後に再度高野山にお参りされる方が有ると。そうすると、全部で、八十九ヶ寺の巡拝になるとお話してくださった。全く同感だ。
 7時、岩本寺をスタートして、本日の宿、民宿『日の出』を目指す。本日の歩行距離は約32km、高低差も無く、体には、楽な距離と道路だ。先先日より、傷めている、左足親指の靴擦れも今日はしっかりとテーピングをした為に、余り痛みは感じない。岡本さんのスピードに合わせて、歩く事が出来た。今日は札所が一ヶ寺もなく、ただ、ひたすらに歩くだけである。本当の修行の様な気がする。左側に太平洋、右側に小高い山と、いくらあるいても、景色がなかなか変わらない。左側の太平洋を見つめると、地球が丸く見える様な気がする。左側と右側の端が少し落ち込んで、中央の部分が盛り上がって見える。確かに地球は丸い。コロンブスの言った事は、本当だ。又、ホエールウオッチングの案内看板が所どころ見かけられ、遠方より、観光客が、鯨を見る為に、ここまで来られる様だ。今日も、昼食は冷やしざるうどんの大盛を食べ、少し休憩して、本日の宿『日の出』さんを目指して、頑張った。14時30分宿に到着だ。歩き遍路の到着時間としては、早い時間だが、宿のおばあちゃんは快く向かえ入れてくださり、早速、洗濯、入浴、遍路日記の記入と、夕食までの間に行う事は、たくさん有る。
 部屋の窓からは、太平洋が見渡す事が出来る。磯に打ち寄せる、波の音も耳に入ってくる。潮騒の音は耳に心地良い位の音で、今夜の絶好の子守歌になりそうな気がする。この頃ようやく、体調も馴染んで来て、夜も熟睡出来る様になってきた。後は、足の靴擦れが心配だ。又、天気予報が悪ければ、一日位休養を入れたいと思う。体調を崩して、途中リタイアでは、目もあてられない。日数を競うものでもないし、八十八ヶ寺全部を打つ事が、目的であるから、しかし、今回は5月の連休中には、仕事の予定から、帰宅しないといけない。何番札所で、終わろうと、全部打つ事が出来なくても帰る事!



四万十川の屋形船
4月15日(日) 晴れ  20℃〜22℃ 四万十川を渡る

 民宿『日の出』の朝食は6時、6時40分スタート。本日の宿、民宿『岡田』を目指して、歩を進める。納経する札所はなし、という事で、気は軽い。けれども、左足親指上部と小指に靴擦れが出来て、歩行は非常に厳しい。全然スピードは出ない。松浦さんも足に靴擦れが出来て、岡本さんと自分に、先に行って欲しいと言われ、お先に失礼する事にした。左側に太平洋、右側に小高い丘が続く風景は、相変わらず続き、やがてトンネルを通過する事になった。1,610mの新伊豆田トンネルだ。新しいトンネルで、車道と歩道も広く歩き易い。
 四万十市に入り、へんろ道を歩く予定の所、入り口を見落としてしまい、国道56号線を歩いてしまったが、丁度いい所に、入り口を見つけられて、余り大廻しなくても、四万十川を渡る橋にたどり着いた。四万十とは、アイヌ語で、[何もかも、非常に恵まれた土地という事](岩本寺の住職のお話)。日本でも、数少ない清流数えられる、四万十川の下流を数km歩く今回のへんろ道であるが、川の水は地元の矢作川の水と余り変わりはない様な気がする。確か、この川は、ダムが一つも無く、自然のままの状態で流れているのは、すばらしい事だ。もう一つ感心させられるのは、屋形舟が数舟見る事が出来、一舟が営業で動いているのが見える。自然の川で、風流な舟遊びとは、又一つ、「おつ」な物を見させていただいた。四万十川を後に、今日の宿、民宿『岡田』を目指して歩を進める。今日の昼食はへんろ道案内書により、ドライブインに入る事に決めて、その場所を目指して行く。朝から、岡本さんは、今日の昼食はカツ丼にしようと決めていて、自分は煮カツが食べたいと、話ながら、歩いている。毎日歩いていると、昼食だけが、自分できめられる食事になって、食べる事も大きな楽しみの一つである。ドライブインの店員さんに煮カツは有りますか と尋ねても意味が解らないらしく、店主(おばさん)が出ていらっしゃり、カツ丼しか作れないとの事で、カツ丼を注文した。いざ、カツ丼が出て来て食べれば、揚げカツに煮物(卵、たまねぎ)が、乗っているのだから、その中にカツを入れれば煮カツになるのになと。岡本さんと苦笑いで、煮カツ談義は終わりにしよう。
 ドライブインで、大判焼きを売っていたので一つ購入した。後の休憩の時に食べる予定。普段は余り、甘いものは食べない自分だが、体が疲れている証拠に思う。駐車場で、移動みかん店があったので、覗いた。そこで、「はるみ」を試食させていただいた所、たいへん甘く美味しかったので、三箱自宅に送りたいと申し出たが、一箱しか在庫はないとの事で、一箱送っていただいた。このみかん、自分としては、初めて食べさせていただいた物だ。宇和島産と箱に印刷してあるので、宇和島を通過した時に、見かけたら、再度送ろうと思う。
 三日前より出来ている、左足親指、小指の靴擦れを、宿に入ってから、自分なりに、治療しようと試みた。親指の上部は治りが早く、ほぼ完治に近く、皮膚も盛り上がってきて、余り痛くはない。小指の方には、大きな水ブクレが再び出来てしまい、歩いている時は、とても痛かった。早速、水抜きをして、痛みの引くのを待つしか方法は無い。明日の朝までに、痛みが引いてくれる様に、お大師さん頼みだ。
 今晩泊る部屋の名前が「うめ」だから、二十数年前他界した母親の「うめ」が見守っていてくれる様な気がする。普段には全然頭に浮かんで来ないのに、こんな場所で浮かんで来るとは、弘法大師のお陰か、体が疲れていて、ナイーブになっているのかな。母親の供養も充分ではないとの事かもね。



38番札所金剛福寺
納経帳



経帷子


4月16日(月) 曇りのち雨(雷雨) 世界遺産に登録できる?

 四国へんろ道を世界遺産に登録しようと、四国四県の知事さんが先頭になって活動されているいらっしゃるようだが、僭越ながら、この道を半分歩いてみて、感じた事を書こう。
 四県の知事さんが先頭になって、いくら活動しても、なかなか難しい気がする。岡本さんと道中歩きながら、意見交換をしているのであるが。この道を綺麗にするには、自分の考えは、八十八ヶ寺霊場会、二十ヶ寺番外霊場会、四県代表、ボランテァ団体の代表、各寺の檀徒総代等の代表さんが、協議会を作り、活動体制を整え、実施区域を割り当て、寺院が先頭に立って、檀家さんの協力を得て実行しないと綺麗にならないと思う。
 実際、歩いている目に入ってくる産廃が多く有る。廃車、廃建材、廃家電製品、家庭ゴミ、廃農機具、等。
 例えば、廃車。車を買い換える時に下取りに出せば何も問題は発生しない。廃農機具、廃家電製品も同じ。四国の県民性か、愛知県では、廃車、廃農機具など、民家の庭先では、見かける事はまずない。
 へんろ道周辺を綺麗にする事は、口では簡単に言えるが、距離も長く、山深い所もあり、その苦労は想像超えるものがある。けれども、声だけで、終わってしまうのも残念だから、地道に実施出来る所から、気長におこなって、住民、各関係者、観光客、お遍路さんの頭の中を変えて行く事から、始め行かなければ。



39番札所延光寺
山門



本堂



大師堂


4月17日(火) 晴れ 何とか耐える

 6時15分朝食、6時40分スタート。一路三十九番札所延光寺目指してして、歩き始める。左足の痛風は医者の薬のお陰で、何とか耐えられる。しかし、左足小指の靴擦れは非常に痛い。ビッコを引いて歩いている様な気がする。バランスが悪い為、思うようなスピードでは歩けない。何とか、騙し騙しにて、本日の宿、『へんくつ屋』に到着した。『へんくつ屋』は、名前の通り、御主人がへんくつで、この名前を付けられたとの事。宿の中に入って見ると、いろいろな雑貨品が、所狭しと置いてあり、御主人の趣味の広さを感じさせるものだ。しかし、自分には、すばらしいとか、欲しくなる様な物は一点も見受けられない。老夫婦が経営している民宿であるので、過大な要求は出来ないが、現代人をお客として受け入れるには、どうかなと思う。お風呂やトイレももっと使い良くして、リピーターに来ていただかないと、将来がない様に思う。又、宿泊代6,000円は、普通だが、お金をいただくのなら、もっと設備に手を入れていかないと、若い人や女性客は寄りつかないと思う。又、夕食を4時30分に食べさせられて、片付け仕事をしている様に見える。この宿を継承する二代目がないと、お金を投資して、リフォームや改築は出来ないのも理解出来る。
 今日は、体調が最悪の為、辛口の批評ばかりだで、御免なさい。
何とか、足を治して、明日から元気で歩ける様に、弘法大師にお願いして、床につきたい。
 本日、通過した、三原村において、村議会議員の選挙の告示となった様で、全立候補者14名で私達が歩いている間に9割方の候補者が街宣車に乗って街宣していらっしゃった。小さな村で、選挙期間も5日と短い上、親族、知人で、顔見知りの方ばかりの選挙だなと思った。私達、遠くから、歩きに来ている見ず知らずの人間にまで、街宣車から、手を振って頭をさげて、一生懸命になってみえる、関係者にご苦労様と言いたい。現在、自分の地元では町内の皆様が、立候補者の為に、仕事も顧り見ず、懸命に応援されているのに、自分は四国のお遍路で、勝手な事をさせていただいて、申し訳ない気持ちで一杯です。



国境の石柱
是より伊予の国



40番札所
山門



40番札所
観自在寺本堂



4月18日(水) 雨  土佐の国から伊予の国へ

 民宿『へんくつ屋』を6時30分スタート。一路、四十番札所観自在寺を目指して歩き始める。早朝より降り始めた雨は、シトシトと私達二人を頭から打ち続ける。自分のポンチョは小雨なら、使い勝手は良いが、今日位の雨になると、足元が濡れて調子はよろしくない。購入した時に、同封されていた、足を包む、塩化ビニールの筒状の品物は、粗悪品で、使い物にならない。一度着用したが、雨の重さで、下がってしまい、ビニールを引きずる事になり、装着をあきらめた。ズボンのトレーナーは綿製品の為、水を吸って重く、靴の中は、雨水で、グチュグチュだ。又、左足の裏側に靴擦れが出来てしまった。今日の様な日は、距離を短かくして、早く宿に入るのが正解だが、昨日の話し合いで、35kmと、長めになってしまった。がんばるしかない。観自在寺には12時50分に到着した。今日は、土佐の国と伊予の国の国境である、松尾峠を越えた。歴史上にも何度も出てくる有名な峠である。坂本竜馬や中岡慎太郎も何度も通った事のある峠で、感慨深い。峠は今日の雨でとても寒い。おそらく5℃位で手がかじかんでボタンが容易に止められない。早々に峠から、観自在寺に向かった。この峠には、二個のゴミ籠が置いてあり、多くの紙くず、食べ物の包装紙が、籠から出て散乱していた。誰が管理されているのか、ゴミ処分はどのようにされているのか、問いたい。自分は、このゴミ籠は撤去して、この峠を通る人に責任をもっていただき、持ち帰る事にした方が良いと思う。
 観自在寺を打ってから、本日の宿、ドライブイン『シーサイド』に向けて、歩を進める。約8kmの行程だが、雨中の歩行はきつく、長く感じる。3時40分に宿に到着だ。7年前にも、宿泊した宿だが、あの時以来、建物には全然手が入っていない。トイレはクサイ。建物は傾いている。食堂では、魚を出荷する為に、男衆が包丁で魚をさばいている。どうやら、ドライブインは名前だけで、魚の卸商を行っているようだ。昨日のへんくつ屋、今日の泊る宿と、だんだんと宿のレベルが下がっている様に思う。洗濯機はあるが、乾燥機はない。雨が降って、着ている物全てビショ濡れだ。何とか、部屋に暖房を掛けて、乾燥させるしかない。明日の朝までに、乾いて欲しい。そうでないと、着るものが無い。今日の夕食は旨いとの評判でこの宿に予約したので、期待しよう。再度、トイレが臭いぞ、目が痛い。又、夜中にハクビシンが宿の屋根を歩いて大きな音がして目が覚めた。四国は何もかも、想像を超えた所のようだ。(田舎だ)
  朝食をいただいている時に、宿の御主人の説明で、遥か西の方向に九州宮崎の山並みが見える事を教えていただいた。西のを見ればなるほど、遠くかすんで山並み目に入って来る。九州の地をこの目で見る事が出来るなんて、ラッキーな面と、遠くまで来たものだと思った。



ここまで頑張ってくれたM社製のウォーキングシューズ




今日から出番の
M社製のハイカット
登山靴
4月19日 晴れ 朝方4℃〜5℃位  文旦を送る

 朝5時に起きて、早速、昨日出来てしまった、足の靴擦れの治療だ。左足小指には、大きな靴擦れだ。小指全体が、変色(白色)してしまっている。一般の方なら、おそらく、リタイアしてしまうと思うが、相棒の岡本さんも、足に大きな靴擦れを作りながら、一生懸命頑張っていらっしゃるので、こちらも、音を上げる訳にはいかない。7年前の時は、高知市内にて、登山靴に買い代えたら、それから、一度も足の故障はなかったのに、今回は、距離が延びる程、足にいろいろトラブルが発生してくる。靴の選択を誤った様な気がする。やはり、自分には、ハイカットの登山靴が、正解の様だ。登山靴は少々重たいので、今回も、M社製のウォーキングシューズにしたのに、へんろ道半ばで、故障続発にて、非常に気が重い。けれども、何とか、松山まで行きたい。靴屋さんがあれば、登山靴を購入したい。
 今日も、何とか頑張って、本日の宿舎、『国民年金健康保険センターうまじま』に14時40分に到着した。本日の歩行距離は約35km位だ。岡本さんと、自分はまあまあの歩くスピードがあるので、午前中にノーストップで15km〜20km位稼いでしまい、本日の歩行距離だと、この時間に宿に到着してしまう。けれども、後5km延ばす気は余りない。早出、早入りで、たくさん睡眠を取って、明日に備える歩き方で、成し遂げたい。13時20分に、地元のI様よりTELがあり、松山道後温泉に高棚から、来ていただける話で、E様も電話に出られて、来週の火曜日位に、松山を通過する予定であると答えておきました。お金が掛かるから、余り無理をしなくても良いのにと思う。又、今日は、7年前と同じ場所で、愛媛県名物の「文旦」を自宅に4箱宅配便にて、送る事にした。「文旦」は見た目より安く、一箱800円で、送料は900円だ。皆さんに、食べていただき、喜んでもらえれば、充分だ。配り方は、家内にお任せだ。



41番札所
龍光寺本堂



42番札所
仏木寺山門



大師堂



43番札所
明石寺山門


4月20日(金) 晴れ 20℃〜22℃位 登山靴

 『国民年金保険センターうわじま』を7時30分スタート。一路、本日の札所四十一番札所龍光寺を目指す。三ヶ日前からの左足小指の靴擦れと、他にも出来た靴擦れが痛い。全然歩くスピードが出ない。岡本さんに大変迷惑を掛けてしまっている。本日の宿も、自分の足の調子を見てから、決めたいとおっしゃていただいている。いける所までいくしかない。とりあえず、四十一番、四十二番、四十三番と札所巡りは、どうにか出来た。今日の最低目標は達成する事が出来た。もう少し距離を延ばして、宿を取りたい所だが、自分の足の具合からは、本日の宿、宇和パークホテルより先は無理と、本日の歩行距離は30kmとやや少なめだ。ホテルには、3時40分到着で、少し遅い宿入りだ。足の靴擦れ対策として、西予市の『ワケスポーツ店』で登山靴を購入する事に決めた。現品が無い為に、明日、大洲市内の姉妹店にて受け取る事に決めさせていただいた。この店のオーナーの息子さんの自分に対する対応は実にすばらしく、又、お母さんの決断も早く、明日に手に入る事になった。この店を紹介していただいたのは、今日の昼食を食べさせていただいた民宿レストラン『みやこ』様の御主人のおかげだ。この主人さんも車で八十八ヶ寺を巡っていらっしゃって、自分達歩き遍路の事を心配なさってくださったと思う。大変有りがたい。地元に帰っても、こうした気持ちで、皆様に接して行くことが、大切だなと感じた。
 今回の遍路紀行を始めて、三日目から同行していただいている、浜松の岡本さんには、自分のこの様な足の具合になってしまい、予定が大いに狂うのに、良く辛抱して、付き合っていただけるものだと、大いに感謝しなければならない。とりあえず、明日まで、同行していただけるが、俺の足の状況を見てから、単独行動を申し出なくてはならない事態だと思う。何も関係ない、俺に義理だてする必要もないのに、付き合っていただけるなんて、感謝の一言に尽きる。早く足を治して、自分の思うスピードで、歩きたいものだ。



十夜ケ橋
(永徳寺)

4月21日(土) 晴れ 25℃〜27℃  良宿

 ビジネスホテル『宇和パークホテル』は二食付き6,500円で、夕食、朝食共にバイキング形式で、部屋のお風呂の他にも、一階に大きなお風呂の設備を備えられ、従業員も良く教育されていてとても感じの良いビジネスホテルだ。今回のお遍路紀行の中で、良宿の1に推薦する宿だ。次に車で巡る時も、是非宿泊したいホテルだ。夜間の騒音もなく、熟睡出来た。ビジネスホテルだから、朝食は7時と、遍路さんには遅いが従業員だから仕方無い事だ。それは我慢しよう。
 7時30分 ホテルをスタート、宿の予約はなし。打つ札所もなし。昨日予約した登山靴を購入する為に、ワケスポーツ大洲店を目指す。宿から約20kmの距離を、足の痛いのを必死にこらえ、岡本さんの後を追う。11時30分、ワケスポーツ大洲店に到着、早速、試着だ。25.5cm3Eだから、大きさに問題はない、少々先端部分の細さが気になる所だが、履いてみて、感じはとても良く、購入する事に決めた。両足履いて早速歩いて見る。左足は、もうガタガタだから、何を履いても余り感覚の相違は無いが、神頼みか、いやお大師さん頼みで、何とか、この登山靴で残り450kmくらいを征服出来ればと思う。足に靴擦れがなければ、何も不自由な所はないのに、非常に悔しい。五体満足で八十八ヶ寺を歩き抜く方は、多分誰もいないと思うから、これも、いい試練だと思い、全勢力を傾けて頑張ろう。明日は、難所の一つ、鴇田峠越えだ。大宝寺を打てば、今回の遍路の2/3を征服した事になる。(札所は半分)足も回復して、元気良く快調に進める事を願う。
 昨日の夜には、予約してなかった宿であるが、昼前に『松の屋』旅館に電話をした所空き部屋があり、宿泊出来る事になり『松の屋』さんに向かう。大洲市内を通って、旅館に向かうのであるが、この街は、伊予の小京都と呼ばれている様に、古い町並みが綺麗に残っており、それを売り物に観光客を誘致して、街が栄えている。又、珍しく、肱川で鵜飼も行われている所が。この街も、再度訪れて、ゆっくり散策してみたい街の一つだ。旅館にしては、珍しく、洋室のベッドであるが、日本間を改装したものあるから隣室の物音や、テレビの声が良く聞こえるのが耳障りだ。



44番札所大宝寺
入口



山門



本堂

4月22日(日) 曇りのち小雨  長生き出来ますよ

 旅館『松の屋』の朝食は、5時45分。女将さん手作りのおにぎりお接待を受ける。
 昨日の夕食は、全11品、入れ替わり立代わり、次々に料理が運ばれて来て、大変驚いた。お遍路さんには少々贅沢かなと思うが、自分としては、良い経験であった。昨晩の予測通り、隣室のテレビの音が10時位まで聞こえてきて、なかなか、寝付けなかったが、音が消えた後は熟睡出来た。岡本さんは、どうも、良く眠れなかった様だ。熟睡出来た自分は朝の目覚めも良くて、久振りに快調に行けそうな気がする。
 6時15分、『松の屋』旅館をスタート、本日の札所、四十四番札所大宝寺と『おもご旅館』を目指して歩を進める。岡本さんは、充分に睡眠が取れなくて、体調の悪さを訴えられて、スピードが上がらない。自分は、昨日購入した、登山靴の調子が良くて、約10日ぶり位に足も快調でスピードも出て気持ちよく歩ける。足の靴擦れは徐々に回復しているが、完璧ではない。50%〜60%位の体調かな、足の小指の爪はもう全然だめで、生え変わるのを待つしかない。今日の歩行距離は約27kmで、途中、鴇田峠越えが、難所であったが、予定よりも1時間程早く、旅館に着く事が出来た。『おもで旅館』にリュックを置いて、大宝寺に向かった。山門はとても荘厳で、大きくて作りは素晴らしい。山の傾斜地を上手に使った建物の配置で、見ているだけで気持ちの良いお寺だ。しかし、納経所の受付テーブルが、奥の方に控えられていて、納経帳や白衣をさしだすのに、小々苦労した。納経所の係りの女性はおそらく、住職の奥方だと想像するが、白衣に御朱印を押していただく時に自分の死に装束だと冗談を言ったら、女性は、自分でこの衣装に朱印を押して、持っていらっしゃる方は、長生きされる方が多いですよと、笑顔で、お話してくださった。長生きは目出度い事だが、自分の体が自由に動けなくて、生きているのは辛い。充分に節制して、五体満足にて、長生きする事が出来れば最高だがね。
 岡本さんと相談の結果、明日の宿は浄瑠璃寺前の『長珍屋』に決めた。遍路さんの間では、名前の売れた宿との事だ。約37kmの歩行距離になる。明日の天気が良ければ、安心がだね。



45番札所
岩屋寺本堂



大師堂



46番札所浄瑠璃寺
大師堂



47番札所
八坂寺本堂


4月23日(月) 22℃〜23℃ ベスト歩行

 朝6時15分朝食、6時40分スタート。本日の歩行距離は、今回のお遍路紀行最長の長さの見込み、という事で、昨日の夕食時に同宿のお遍路さんから、情報を仕入れ、今日は長いぞ、相当な覚悟がいるぞと、肝に命じスタート。『おもご旅館』にリュックを預けての歩きなので、スピードは上がる。自分の足の靴擦れも、大分快方に向かっている。しかし、左足小指の爪は完全につぶれてしまったので、生え変わるのを待つしかない状態だ。歩を進める度に少々痛みはあるが、こんな事で、へこたれていては、へんろ道の完歩は出来ないと思い、痛さを我慢して、歩を進める。
 四十五番札所岩屋寺まで、約11kmの距離を2時間20分で踏破し、岩屋寺を打って、再び、『おもご旅館』に引き返す。その途中で、昨日、実施された、安城市議会議員選挙投票結果の情報が、知り合いから入り、地元のI候補は、過去にもない様な立派な投票結果で、初陣を飾られた様だ。もう一人自分の知り合いの候補者は、残念ながら落選されてしまった。これからは、仕事一筋で、頑張って欲しい。自分だけ、四国に逃げ出してきて、選挙協力が出来なくて、申し訳御座いません。お許し下さい。
 自分は、本日の宿、長珍屋目指して今は頑張るしかない。 岡本さんと、必死に歩き、予定時刻よりも、1時間以上早く、宿に到着だ。宿の前の札所、四十六番札所浄瑠璃寺と1km先の四十七番札所八坂寺を打って、本日の歩きは終了だ。二人の足はとてもスムーズに動き、少々の疲労感はあるが、今夜はグッスリ眠り、しっかりと、疲れを取り、明日の歩行が出来る様にしたい。今日は、今回のベスト歩行だ。 



48番札所西林寺
山門



49番札所
浄土寺大師堂



51番札所石手寺
山門



道後温泉
本館



52番札所
太山寺山門

4月24日(火) 曇りのち雨 18℃〜20度  にわか遍路では

 朝5時45分朝食、お遍路客5名の為に朝早くから、この様な朝食を作って下さる、遍路客を受け入れる、各旅館、民宿には、本当に感謝の一言に尽きる。前日の夕方にお客の受付を行い、低料金で、対応するには、大変な苦労がいると思う。又、突然のキャンセル客も多いと聞く、身勝ってな行動はつつしまなければならない。
 朝6時15分、本日の宿、長珍屋をスタート、昨日、四十七番札所八坂寺は打ってあるので、四十八番札所西林寺を目指して歩を進める。本日は、昨晩の予定で、53番札所までと、決めているので、相当スピードを上げて歩かないと宿に到着するのが、遅くなるので、岡本さんと、必死になって歩く。49番、50番、51番と順調に札所を打つ。五十一番札所石手寺は、松山市内に有り、参拝者も多く、約100m位続くアーケイド門前町を形成しており、お客の多いのが予測出来る。今日は、まだ朝方で、又、平日という事で、境内は閑散としている。本堂、大師堂と手を合わせ、少々休憩だ。境内にある三重の塔は、立派な建物で歴史を感じさせてくれる。休憩していると、同じ歩き遍路をしている方から、この先、道後温泉の本館の建物があるから、その前を通って行くと良いと、教えていただき、本館を目指して、歩き始めた。7年前には、松山市内で道を間違え、大変なロスをした経験があるので、案内書を確認して、慎重に歩を進めて行く。目指す本館は、苦労することなく見つける事が出来、カメラに納めた。その後、次の札所五十二番札所太山寺を目指して、歩き始める。松山市は大都会だ。おそらく、四国最大の都市であろう、道後温泉本館の付近には、多くの観光旅館が林立しており、その従業員の為のマンションも多く見かけられた。又、大都会の中に、悠然と小高い丘の上にそびえ立つ松山城にも、頼もしさを感じた。
 太山寺までの距離は、約11kmであるが、町中を通過する、へんろ道であり、道を間違えない様に歩くのは、時間もかかるし、神経も使う。必死に歩き、太山寺に到着した。本日の宿は次の札所、五十三番札所円明寺を打ってから、まだ、8km先の、太田屋ビジネス旅館だ。今日の歩行距離は、約40km弱と大変長い。岡本さんと必死なって歩く。やっとの思いで、大田屋さんに到着した、午後4時、途中に少し雨に降られたが、予定通りに着いて、やれやれという所だ。だが、距離が長い為、体がきついと訴えている。また、痛風が再発しそうな雰囲気なので注意したい。再発したら、今回のお遍路紀行もだめになってしまう。今夜もビールは飲めない!
 昨夜はグッスリと眠れた。三日続けて35km以上の歩行で、相当体が疲れていたのであろう。又、旅館は古いが、車の騒音もなく、ツインベッドであったが、一人使用で、誰にも気兼ねなく、気持ち良く、朝を迎えられた。朝食も大変美味しく、たくさんいただけた。昨日の夕食も地元の名物品「鯛御飯」という事で、お替りもしてしまった。心配していた痛風も徐々に快方に向かっている様に思う。このまま、八十八番まで、痛みも出ずに、終わりたいものだ。弘法大師様、薬師如来様、どうぞ、御加護をよろしく。一時のにわか遍路では、無理なお願いかもね。



54番札所延命寺
山門



55番札所
南光坊山門



南光坊本堂



泰山寺大師堂


4月25日(水) 晴れ 22℃〜24℃  半月板損傷

 朝6時位まで雨が降っていたが、幸いな事に、朝食中に雨は上がり、絶好のお遍路日和になった。朝食は7時からと、お遍路さんには少し遅い朝食だ。7時15分に出発、本日の宿、『笑福旅館』を目指す。今日はほぼ平坦なコースで、松山市内から、今治市内へと抜け、西条市内へと向かうコースだ。国道179号線を東進する。途中、昼ご飯にはやや早いが、10時45分に本日の昼食を食べる事にした。うどん処「だいにち」さんにていただいた。冷やしざるうどん大盛830円は、少々高いが、うどんの量は非常に多く、全部食べきれない様に思えたが、完食してしまった。板前の御主人が、くわえタバコで、調理場の作業をしていらっしゃるのが、見えてしまった。以前、徳島県の民宿「H」でも、その様子を見てしまった。タバコを吸わない者としては、非常に不清潔で、お客様に対して、大変失礼な作業態度だと思う。料理をされる方は、初心に戻って、調理していただきたい。この事は、自分の不動産業としての、仕事の態度、言葉使い、服装等、石川土地のお客さまへの反応につながる事だと思う。なお、一層気を引き締めて、仕事に取り組みたいものだ。
 昼食後、本日最初の札所、五十四番札所延命寺に到着。納経後、今日の歩行距離は短いので、札所の山門の前で、アイスクリームを、岡本さんと一緒に頬張った。余り美味しくないアイスクリームで、保健所の許可も取っていない様な車で販売していて、自分は少々贅沢な事を言っているのかな。
 次の札所、五十五番札所南光坊目指して、歩き始めた。7年前に道路を間違えた所なので、へんろマークを必死に探しながら、南光坊を目指す。何もトラブルなく到着だ。
 本日、この日記を書いている最中に、東京の澤田さんより電話が入り、膝の半月板にひびが入り、整形外科病院に通院されて、いるとの話だ。この日記に書いた通り、澤田さんは、身長の割りに体重がありそうで、膝に負担がかかり過ぎて、膝を痛められたのだと思う。岡本さんや、松浦さんや、自分の様に、少々の故障があっても、ここまで続けられて来た事に感謝しなくてはならない。又、体を丈夫に産んでくれて育ててくれた、両親にも感謝、感謝だ。



57番栄福寺
本堂



57番栄福寺
大師堂



58番仙遊寺
山門



本堂


4月26日(木) 晴れ23℃〜24℃  実業家

 朝6時40分『笑福旅館』を出発、一路本日の札所五十六番札所泰山寺を目指す。今治市内を通過するへんろ道で、早朝の為、通勤者の車は少なく、狭い道路も車に注意しなくて歩く事が出来る。『笑福旅館』に昨日、女性の遍路客が夕方、宿泊に訪れられた。夕食も朝食も食べない、いわゆる素泊まり客であった。女性のお遍路さんは、トイレが心配という事で、どうもコンビニにを大いに利用されるようで、少量の食べ物を何回にも分けて購入されて、そのつどトイレを利用させていただいてみえる様だ。女性の苦労がわかる。男に生まれてきて良かったと、実感する時だ。
 56番を打ってから、次の札所に向かう。今治市内の田園地帯を抜ける約3kmの距離だ。順調に進み、途中、蒼社川を渡る所に出た。以前は、川の中を歩いて渡るのがへんろ道であった様だが、川に堰ができてしまい、水位が高くなり、現在は川を歩いて渡る事は出来ない。やや上流の国道196号線の橋を渡らざるをえない。
 五十七番札所栄福寺に到着し、次の札所、五十八番札所仙遊寺を目指す。仙遊寺の住職は愛知県から御養子に見えられた小山田さんで、お兄さんが愛知県内のゴルフクラブで支配人をされて、面識が有る。7年前には奥様が納経所に座っていらしたが、今回は残念なことにお目に掛かる事は出来なかった。
 この仙遊寺、7年前時には会館を建築中であったが、今回は立派に出来上がり、温泉が湧き出るという事で、多くの遍路客で盛況を呈しているとの事、先ずは目出度し。四国八十八所の寺院の多くが、庫裏の改修や、脇堂の新築とかで、数箇所の寺院が建物に手を入れているのを見させていただいた。年間20万人を越える参拝者が各寺院を訪れる事を耳にして、単純な計算でも、数千万を越すお賽銭と納経代が入ってきて寺が潤っているのが実感出来る。特に仙遊寺さんは、寺までの車道も整備され、又、寺から見下ろす今治市内の景色も良く、バスツアー客が来場される様だ。ツアー客には絶好の環境だと思う。宿泊施設を作り、住職さんは、今では実業家の一翼をなされている様に思う。遍路客が減り赤字にならない様に祈るばかりだ。
 15時30分、本日の宿『栄家旅館』に到着した。明日は、難所の一つ、横峯寺に行く。この付近の宿に宿泊しないと、距離が長くなり、明日の横峯はつらくなる。



60番横峯寺
山門



本堂



62番宝寿寺
本堂



大師堂



63番吉祥寺
本堂



64番前神寺
本堂
自分が一番気に
入った本堂



4月27日(金) 晴れ 22℃〜23℃ 難所の一つ

 朝5時50分朝食、6時10分スタート。本日最初の札所、そして、難所の一つと言われている六十番札所横峯寺を目指す。早朝6時台の丹原町は静かで、通勤者の車も少なく、道で出会う人は、散歩を楽しむ人達位だ。丹原町を抜け、いよいよ、横峯寺に向かう車道をどんどんと歩を進めて行く。横峯寺までの距離およそ12kmの山道を、岡本さんと飛ばす。二人とも快調だ。途中、同宿した事のある、東京の鈴木さんを追い抜く。この山道は、数年前の集中豪雨での土砂崩れの為、車の通行は出来ず、通る車は工事関係者の車だけだ。
 やっとの思いで、湯浪の登山口に到着だ。昨日出会った、カナダ人と日本人の若い二人組も登って来て、休憩中に、昨日、先に61、62、63と打って来て、横峯を打って64番へ向かうとの事。若い人は羨ましい。登る途中、若い女性お遍路さんに出会ったが、激励して、追い抜いていく。この山道は、傾斜もきつく、距離もとても長く、何度も何度も休憩して、9時15分、横峯寺に到着した。片道約3時間の行程だ。良く頑張ったと思う。岡本さんは自分より少々早く到着されている。さすが、登山で鍛えられている。足は強い。平地になれば、自分の方が少し早いが、登りの山道ではかなわない。今日の歩行は距離があるので、早々と横峯寺を出発して、次の札所、六十一番札所香園寺を目指す。横峯から香園寺までの下り坂は、先回の時に一番気に入っている下り坂である。約9.4kmを1時間30分で下ってしまう。時間をとても稼げる道で、11時15分香園寺の奥の院に到着だ。横峯を5時間で征服した事になる。よく頑張ったと思う。
 11時50分、香園寺に到着した。この寺は、本堂、お庫裏、宿泊所、事務所と小さな祠以外、建物は鉄筋コンクリート造で、大きな構えの寺院だが、1200年前から続いているお遍路巡りには、何か不似合いの気がする。大師堂も本堂の中に移動されいて、靴を脱いでの参拝になり、歩き遍路さんには少し面倒臭い。このお寺は、子安観音で有名になり、相当収入も上がっているとの話を耳にした。この様な大きな建物を維持管理して行くにも、大きな金額が必要だから仕方ない事だと思う。
 香園寺を打ってから、六十二番札所宝寿寺に向かう。途中、うどん店があったが、本日は定休日で、コンビニで昼食を摂る事にし、パンとジュースを購入して、昼食にする。早々に宝寿寺に向かう。国道11号線沿いにあり、小さな寂れたお寺だ。香園寺の勢いがよすぎて、1.4kmと近くにあると、こうも勢いの差が出るものかと感じた。宝寿寺を打ってから、次の札所六十三番札所吉祥寺に向かう。この寺も1.4kmと近い為に、すぐに到着した。極ありふれたお寺だ。納経所で、若い雲水が納経帳に押印して下さったので、まだ、少しは、価値のある寺院かなと思う。60ヶ以上の寺院を巡ってくると、納経所の職員の対応や、署名していただける人の、年齢、性別が色々変化して面白いが、やはり一番は、お寺の住職、次にその奥方、その次に跡取り息子さん。臨時のアルバイト(定年後の方)では、一生懸命歩いて来て巡って来ても、拍子抜けの感がある事はいなめない。まあ、いろいろ事情があって、納経所に座っていらっしゃるのだろうが。
 63番を打って、次の札所六十四番札所前神寺に向かう。約3.2kmの距離だ。のどかな田園風景の中、西条市内を歩いて、約40分で到着だ。前神寺は本堂、事務所と銅板葺のお寺で、本堂はとてもバランスが取れた建物で、自分のホームページの写真に採用したい建物だ。(うまくデジカメに収まっていれば)この寺で納経していただいたが、こちらが、挨拶しても一口も口をきかず職務だけを済ませる感じで、とても印象が悪い。愛想良くとはいわないが、自分としては、500円を支払うのだから『ありがとう」の一言位は言ってもいいと思うのだが。そんな事を思いながら、本日の宿、西条駅前のビジネス旅館『君の家』に到着した。夕食は外食という事で、旅館の前にある食堂に食べに行く事になる。



お遍路さん必携の
案内書



4月28日(土)
歩いたコース

4月28日(土) 晴れ  24℃〜25℃  だんじり祭り

 昨日の夕食は、旅館から100m位離れた所にあった、居酒屋「耕ちゃん」というお店でいただいた。居酒屋さんだけあって、お酒類は沢山カウンターや棚に置いてあり、有名銘柄の名前も見受ける事が出来た。又、おつまみのメニユーも美味しそうな地元の瀬戸内海で取れた新鮮な魚介類が豊富に乗せてあり、お酒のつまみには最適な品揃えに見えた。宿の御主人は恐らく、自分達がお酒を飲むものだと勘違いされて、このお店を紹介していただいたのではないかと、勘違いする程であった。自分達が食べた、巻き寿司もネタは新鮮でたいへん美味しく頂く事が出来た。このお店は、歩き遍路ではなくて、西条市の秋祭りが開催される、10月15日16日に、見学に訪れてこのお店で景気付けをして、祭り見学に行く事が出来れば、楽しいのにね。
 女将さんの計らいで出していただいた、鯛の荒汁は最高でした。旨い。
 西条市は「だんじり」で有名な町である様だ。宿にも、祭りの大きなポスターが貼ってあり、御主人は「だんじり」の話になると、身を乗り出して、真剣に説明して下さった。愛知県半田市の汐干祭りにも招待されて、見学に訪れたことなどもお話して下さった。話をしている時の御主人の目を見ていると、命を掛けて祭りを守っていらっしゃるのがこちらに伝わって来た気がする。自分達も祭りを起こして12年目を迎えるが、あの気迫に負けない様に頑張らないと!
 西条市には、現在130台の「だんじり」があるそうで、一番数が少ない町内では、30戸の戸数で「だんじり」を維持されていらっしゃるそうだ。毎年、10月15日16日に挙行される祭りには、全国各地で働いていらっしゃる西条市出身者は、正月やお盆には帰省しなくても、この祭りの時には帰ってきて、祭りに参加して、楽しんで、再び働いている所に帰って行かれるそうだ。又、祭りの当日は官庁を始め、学校、職場等もお休みになる程に伝統と格式をもって祭りを開催されている事などをうかがい、私達の高棚町も、もっと力を入れて、祭りに取り組まないと、ジリ貧になってしまうぞ。根付くまで、あと、少々のがんばりだ!
 7時10分、宿を出発。本日の宿、ビジネスホテル『ロンドン荘』を目指す。四国中央市は伊予三島市、川之江市、土居町が合併して出来た市の様だ。街の産業は、大王製紙を中心とした、製紙業が盛んで、恐らく、豊富な地下水が取水出来るのであろうか(多分間違えている)。市の南側には標高数百mの山々が連なっており、緑も豊富で、目に沢山飛び込んで来る。市街地は南側から北側に傾斜しており、少ない平地を活用して、街が形成されている。何本もの川を越えたが、各河川には、水は流れておらず、これらの河川は、雨が降らなければ水の流れない川なのか。それとも、上流のダムで堰止めて、下流には必要以上流さないのだろうか。川に水がないということは、農業、特に水田を維持するには、相当苦労するという意味で、溜池が必要になってくる事も大いに理解出来る。満濃池という、広大な溜池も弘法大師によっ作られた溜池であるそうで、一度訪れて実際にこの目で見たいものだ。
 明日は、今回の遍路紀行の中で、最後で、最大の難所と言われている、六十六番札所雲辺寺を打たなければならない。幸いな事に、お天気は好天の様であるので、何とか頑張って三角寺、雲辺寺と打ちたいものだ。体調も心配する所もないので、必ず出来ると確信して行きたい。宿の朝食が用意出来ないとの事で、隣のスーパーでパンを購入した。朝6時位に出発して、挑戦するつもりだ。


 

65番三角寺
山門



大師堂



66番雲辺寺
山門



本堂



67番大興寺
山門



大師堂


4月29日(日) 晴れ 25℃〜27℃ 雲辺寺に登る

 昨夜は、眠れなかった。部屋のすぐ下を県道が走っており、部屋には防音装置などなく、このホテルの一番環境の悪い部屋での宿泊になってしまった様だ。充分な睡眠が取れない事と共に、本日の朝食の用意が出来ないという訳で、昨日、隣のスーパーで買い込んでおいた、パンとジュースとプリンで朝を済ませる。岡本さんも自分と同じ様な食事の内容だ。今日は、六十五番札所三角寺、六十六番札所雲辺寺で、二ヶ寺共に、山の中にある。特に、雲辺寺は八十八ヶ寺の中で標高約900mと一番高い場所にあるお寺という事で、それを売り物にしているお寺である。昨夜の睡眠不足と本日の強行軍で、幾分かの心配を胸に出発した。
 朝5時30分スタートだ。まだ太陽は充分には登りきってはおらず、大型連休二日目の日曜日という事で、四国中央市の町並みは、静かなたたずまいの中だ。二人は、一路、三角寺を目指す。その三角寺は、標高約500mの高さに有り、町中から直ぐに急勾配で登り、その後なだらかな登りが続き、到着したのが三角寺だ。日曜日の午前7時15分でも、もう多勢の参拝者がいらっしゃるなんて、なんて信仰心の深い方達なのだろうかと、感心するばかりだ。今日は、長距離の強行軍という事で、早々に、三角寺を打って、雲辺寺を目指す。雲辺寺に行くには、途中から三通りの行き方が有り、どれを通って行くか決めかねていた。岡本さんが、途中の、栄福寺(椿堂)の住職から、境目トンネル手前から、左折する道が良いと、アドバイスを受けられ、その道で行く事とした。最初の予定は、民宿『岡田』まで行って、左折の予定であったが、予定はあくまで予定だ。状況判断に任せる良い例になった。けれども、そのアドバイスが、山道が得意な岡本さんには、凶と出た様だ。自分にとっては、車道の歩行なので、なだらかな登り坂が続くのは余り気にはならなかった。一回目の時の、雲辺寺の登り山道には相当苦労したので、今日は、自分にとっては、ラッキーで、苦労も少なく雲辺寺に到着する事が出来た。距離が相当延びた為、到着時間は、30,40分位余分に掛かってしまった様な気がする。
 雲辺寺は標高約900mと八十八ヶ寺の中でも、一番高い所にあり、本日の気温も14℃〜15℃と、とても心地良い涼風が吹いている。歩き遍路には、心地良いが、ロープウエイで上がって来られた方は、長袖を一枚余分に着込んでいらっしゃる様だ。また、雲辺寺からの眺望は大変すばらしく、展望台も用意されていると聞き、早速、向かったが、工事中で登る事が出来なくて残念。ところが、展望台その物が、弘法大師の像になっており、その大きさに圧倒される。早速カメラに納めた。
 今日は、長距離という事で、早々に本日の宿、民宿『大平』に向けて出発した。故大平元総理大臣の御身内の方の経営されていると聞いている民宿だ。昨日の様に、車の騒音で眠れない事がない様にと願う。民宿にリュックを置いて、六十七番札所太興寺を打たせていただいた。明日の出発が早いので打つ事が出来ない為だ。明日もお天気は良さそうだから、今晩はよく眠って、明日、善通寺までがんばるぞ!あと一息だ。



70番本山寺
大師堂



五重塔



71番弥谷寺
山道



73番出釈迦寺の
遥拝所から
奥の院を仰ぐ



75番善通寺
五重塔



本堂



本堂前にて



御影堂を望む


4月30日(月) 晴れ 24℃〜26℃  善通寺

 民宿『大平』はさすが、田舎の民宿だ。夜間の車の通過は一台も無し。テレビを8時に消して、直ぐ眠りに落ちた。普段は夜中に一度はトイレに行くが、水分の摂取が少ない為か、一度も行かずに熟睡出来た。今回のお遍路紀行の中で、一番よく眠れたかな。よく眠れると、体調も良く、歩くスピードも上がるし気分も良くて、すがすがしい。
 今日は、75番善通寺までという事で、68番、69番、70番、71番、72番73番、74番、75番と八ヶ寺打つ事になる。一ヶ寺打つのに15分〜20分を要するので、打つ事だけで、約2時間を要する。
 本日、最初の札所、六十八番札所神恵院、六十九番札所観音寺は同じ境内にあり、打つのには効率が良い。神恵院の本堂は鉄筋コンクリート造になっており、読経をする声が反響する様に音響面に配慮された本堂の様だ。住職が代変わりするとこの様な建物を造る典型かなと思う。まだ、旧本堂も残されており、そちらにお参りされる姿も多く拝見した。この寺の鐘楼は八十八ヶ寺の中で一番華麗な建物で、総彫刻のとは言われないが、多くの柱に彫刻が施され、荘厳に見える。
 二ヶ寺を打つた後、次の札所七十番札所本山寺に向かう。本山寺の本堂は国宝に指定されていて、相当古い建物だ。豪華さはないが、素朴さの中にも、存在感を感じる造りだ。隣にある五重の塔は、檀家の中一人が、明治時代に寄付をされて造られた物の様で、奇特な方がこの地方にもいらっしゃるのかと、感心させられる。火災に留意して、いつまでも、守っていただきものだ。本山寺を打ってから、次の札所、七十一番札所弥谷寺に向かう。途中、今朝歩いている時に、御接待でいただいた夏みかんを食べた。歩いている途中、岡本さんと二人の会話で、この夏みかんは甘いだろうか、または余り美味しくないのではないかと話をしながらのみかんだ。いざ皮をむいて食べてみると何と美味しい夏みかん!民家の庭先に生っているのを、もいでくださった物だ。みかんをくださったおかあさんに感謝します。
 今日の昼食は、弥谷寺近くのうどん屋さんで食べた。「喝屋」さんである。お決まりのざるうどんの大盛だ。うどんは大変美味しく、上出来だ。一つ残念なのは、従業員の皆さんが、頭に何も被っていらっしゃらなかった事だ。もちろん、うどんをお客さんの前で、打っていらっしゃる御主人も、頭髪は短かったが、被り物はなかった。やはり、食べ物を扱う店は、頭には、頭髪が落ちない様に工夫していただきものだ。
 昼食後、うどん店から、約1kmにある、弥谷寺を目指す。この寺は、階段の多いのが有名なお寺だ。最初から数えれば500段前後はあると思われる。又、この寺は、納経する時に、靴を脱いで上がって納経しなければならない事でも、知られているお寺だ。素朴さの中に存在感を感じさせる寺だ。今回は、リュックを寺の前にある、俳句茶屋に預かっていただいたので、たいへん楽に階段を登れて助かった。これも、先回の知恵が生きている。
 現在の八十八ヶ寺の中で、苦労して登って参拝しなければならないお寺は、この弥谷寺と四十五番札所岩屋寺が挙げられてている。
 弥谷寺を打って、次の札所七十二番札所曼荼羅寺、七十三番札所出釈迦寺へ向かう。出釈迦寺までの距離も大変短く、数百mの距離だ。出釈迦寺は奥の院が山の頂に見える所で、遥拝所が設けてあり、特別な計らいがおもしろいお寺だ。又、このお寺の伝説も気に留めて置きたいところだ。73番を打って、次の札所七十四番札所甲山寺に向かう。穏やかな、田園風景の中、約2kmの道だ。約30分で到着する。こじんまりとまとまり、次の札所、善通寺の露払いをしている様に感じる。余り印象を強く感じさせないが、納経所で、若い跡取り住職と、その御子さんを抱いた若嫁さんの顔を拝見出来たのが幸いだ。この寺もこれで、50年位は安泰だな。
 次の札所、七十五番札所善通寺は八十八ヶ所巡り中最大のお寺で、弘法大師さんもこのお寺でお生まれになった。広大な敷地の中に建物が林立し、境内には屋台の出店が多く、まるで、東京浅草浅草寺の感がする。また、本堂、金堂、御影堂、五重の塔、いずれの建物もすばらしい。五重の塔は建物の中が拝見出来る様であったが、靴を脱がなければならず諦めた。
 15時15分に善通寺の宿坊に到着した、今日は七ヶ寺も打って、約33kmも歩き、この時間に宿坊に入れば、御の字だ。今回の遍路紀行の中で3回目の宿坊泊まりになる。この善通寺の宿坊のお風呂は、お大師風呂と呼ばれ、石造りの大きな浴槽が二つあり、大変豪華であった。食事は、まあ、普通くらいであった。気にいらないのは、隣の席で食事をしている連中(歩き遍路さん)が、他のお客さんがいらっしゃるのに、大声で話し、酒を酌み交わしている。自分達だけの食事場所ではない事を全然わきまえていない。いい大人が恥ずかしい行為だ。
それに、完歩するには、まだ100km以上も残っているのだよ。



77番道隆寺
山門



本堂



78番郷照寺
本堂



79番高照院
山門



本堂



80番国分寺
本堂



売店


5月1日(火) 雨のち晴れ おいしい味噌汁

 午前5時起床、夜半から降り出した雨は、早朝には、土砂降りとなり、宿の外の道路を打ち続けている。今日の昼間の天気が気になる所だが、善通寺さんは早朝のお勤めがある。5時30分より御影堂の中で、僧侶10数名が読経して、最後に一般の方と般若心経を唱えて終わった。その後に、約20分位法話があった。最初に私達が一番心配している、お天気の事から入られて、今日の天気は、上がりは早くて余り心配しなくても良いとのお話。次に、弘法大師のお話に入られて、4月29日から5月5日までの間、真魚祭りを開催している。「真魚」とは、弘法大師の幼名であり、子供たちと両親家族が、元気で仲良く生活していただきたい、という願望をこめて、催しを開催しているとの事。昨日、境内を歩いた時に、ファーファークッションとか、輪投げとか、射的とか、子供さんが興味を引く様な遊具が境内に多く並べてあった。その催しの為と理解できた。次に、弘法大師が長岡京に勉強にでかけられた時のことで、都に住んでいる生徒は12歳前後だが、地方から行く生徒は15,6歳の生徒が多かったというお話。次に、弘法大師は中国に渡られるのだが、当時、中国に勉強に行く事は、死にも直結していて、大変危険な事であった。自分の姿を肩身として残して置く為に、水に影を映し、自ら彫刻された木造が御影堂に飾ってある。(御影堂の意味がよく理解できる)父親の善通(よしみち)と母親の玉依(たまより)も左右に配置されていて、法話が終わり次第、見ていっていただきたいとの事。その案内で見させていただいた像は高さ40cm〜50cm位で、およそ千二百数十年位前の作である。確かに古さは感じるが、自分が無知である為にその価値が理解できないのがもどかしい。朝食後、本日の最初の札所、七十六番札所金倉寺を目指す。外は、雨がしとしとと降り続けている。善通寺会館の中で、ポンチョを着込み、早速、出発する。へんろ案内書には、赤門通りから善通寺を出る様になっているが、本日、最初の間違えで、違う場所から出てしまった。よく案内書を見なかったのと、雨の為、先を急いでしまったのが原因だ。500m〜600m位歩いても、へんろマークが出ないので、再度、案内書を岡本さんと確認。一本南側の道路を歩いている事に気づき、ただちに修正。その道路でへんろマークを発見して、へんろ道を歩き始める。その途中、自分達より後に出発したはずの、東京都中野区の女性が自分達より前を歩いているのを発見した。彼女とは今日の宿が同じと知り、一緒に歩き始める。善通寺より3.8km距離にある金倉寺を三人で打って、次の札所七十七番札所道隆寺を目指す。金倉寺で、二、三日前より何度も顔を合わせている、埼玉県朝霞市の男性と再会した。この方は、ここ数年、年に2回以上、歩き遍路をされていらっしゃる方で、たいへん道をよく御存知である。コンビニ、食堂、トイレのある場所等的確に教えていただいた。とてもありがたい方だ。先回この76番から77番まで間で、自分は相当道を間違えて大廻してしまった事があるので、今日は助かった。道隆寺までの3.9kmを歩いている間に、急速にお天気が回復して、青空が見え出して来た。ポンチョを着ていると少々体が汗ばんで来る程になり、早速、道隆寺でリュックにいれる。道隆寺は、目の病に御利益があるとの事で、昨年、左目に出来た白内障を手術したので、今度は、右目には出来ない様にと、丁重にお願いをしておいた。
 人間とは、勝手がいいもんだ。今回、このお遍路で各地の寺院で見受けるのは、自分自身の欲望、願望ばかり、家内安全、身体壮健、病気平癒、商売繁盛、等等、自分か自分の家族の勝手のいいお願いばかり。神様仏様、自分の勝手のいいお願い、欲望、何か達成できるのですか。ここでの自分の願いも、その典型的なものだ。
 自分には、いろいろな欲望、願望は、自分が努力して勝ち取るのが普通だと思っている。自分の限界を知って、中途半端な所であきらめるか、何も努力しないで、ただ、自分勝手に神様仏様へお願いをする。それで一体何が達成出来るのか。世の中そんなに甘くないぞ。自分の出来る範囲で最大の努力をしても、自分の願望を完全に達成する事など簡単には出来ない。それでも人が、欲望、願望を持ってしまうのは、持たないことで人間が生きている価値、あるいは、存在価値がなく、世間から見放された様な気になり、生き辛く感じるからだと思う。これまでの自分の体験からそんなことを思った。
 77番札所で、ポンチョをリュックに入れ、次の札所七十八番札所郷照寺を目指す。約7.2kmの距離だ。お天気もよく、気分良く三人で丸亀市内を歩く。右側小高い丘の上に丸亀城がそびえ建って見える。石垣は相当高く、敷地も広く、戦後に建築されたお城だと思う。先回見た時には、桜に囲まれたお城であったが、今回は新緑の中にそびえるお城であった。
 現在一緒に歩いている女性の方は、Sさんで、東京で飲食店を経営されていらっしゃるとの事。生き馬の目を抜くと言われる東京で、妹さんと立派に商売を成り立たされていらっしゃるのに感心するばかりだ。年齢は、0うん歳で、家にいる自分の娘と同じ年頃である。区切り打ちで、今回完歩されるのだが、ここまで来るのに7年もの年月を重ねられて、気持ちを切らずに頑張られた事に脱帽します。
 郷照寺を打ってから、次の札所七十九番札所高照院に向かう。約6km距離だ。途中で腹が空いてきたので、街中で、うどんのおいしいお店をお聞きして、製造直売の店、うどんの「喜樂」さんにて食べさせていただいた。うどんに各種のてんぷらを乗せて、自分でたれを掛けるセルフ形式のうどん店だ。大盛うどんにかき揚げと、アナゴのてんぷらをのせて430円と格安の店であった。こんなうどん店が地元にあれば、毎日うどんを食べに行くのになと思う。
 全国的にも有名になった讃岐うどんであるが、この様に美味しければ当然である。聞く所によると、香川県は讃岐うどん専用の小麦を栽培し粉にして、需要に応えているようである。うどん好きにはたまらない話だ。地元にもおいしいうどん店はあるが、この安さには到底勝てない。てんぷらうどんが1350円で常識化した値段で通っているのが現状だ。自分だけおいしいうどんを食べて喜んでいてはいけないと思い、家に送る事にした。一パック400円で20パックを自宅に宅配していたたく事にする。うどんの配り方は家内にお任せするが電話だけはしておこう。
 昼食後,、高照院目指して歩を進める。途中、坂出市の中心市街地を通り抜けるへんろ道だが、何と、7年前にはそうでもなかったのに、シャッター商店街になってしまっているではないか!車社会の現在、アーケードで覆った駐車場のない商店街は、郊外の大型店にお客を奪われてしまう現象が、如実にこの坂出市で見られた。街中に若い方の姿が見られず、この商店を継ぐ後継者が無く、おそらく、近い内に、閉店されてしまうのだろうか。中心商店街の抜本的な打開策を、政府は取り始めているが、そう簡単に解決出来る問題ではない。少し高尚過ぎるかな。
坂出市中心部を抜け、七十九番札所高照院に到着する前に、寺の近くにある、ところてん屋「八十八」にて、ところてんをいただいた。ところてんに「からし」を添えるのには驚いた。地元の三河では、二杯酢か三杯酢に、煎り胡麻を添えるのが、当たり前になっているのに、「からし」とは、初めて口にした味だ。所変われば、味変わるという事か。
 高棚を離れて、早一ヶ月、この頃、歩きながら思うのは、おいしい赤味噌のお味噌汁と、おいしい鰻丼と、、、最近よくお腹が空くので、三河のおいしい食べ物の事が、頭に浮かんで来る。7年前とは、異なる事が頭に浮かんで、人生とはおもしろい。現在自分の置かれている環境や、経済状態や、体調とかで、人間自分の勝手のいい事ばかりが頭に浮かんで、勝手な欲望願望を、口に出して行動している、自分本位な勝手人間様だ。
 高照院を打って、次の札所八十番札所国分寺を目指す。約6.6kmの距離だ。綾川のほとりを3km位歩くへんろ道だ。左側(東側)には明日向かう、白峰寺の小高い山を見つつ回り道をしながら、80番に向かう道だ。空から、この巡り方を見れば、何ともったいない、大回りをして巡るのですか、と言いたい様な巡り方だが、へんろ歩きの人は、何も言わない。ただ決められた順路で、順序よく、回り続けるしか能がない。80番をやっとの思いで打って、本日の宿、民宿『A』に到着した。本日の歩行距離は約30kmで、早朝の雨も上がり、歩行距離も少なく、終盤では、楽な一日の様に思う。明日は81番の標高280mを登って、81番82番と後、八ヶ寺を残すのみになった。いよいよ、仕上げの歩き遍路となりそうだ。 



81番白峰寺
山門



本堂



大師堂



82番根香寺



83番一宮寺
本堂



大師堂




5月2日(水) 晴れ   最大のミス

 昨夜の宿、民宿『A』、部屋から約10mの所を国道11号線が走ており、一晩中車の騒音と、建物が古く、又、修理されてなくて外壁のトタンが風で、トタンとトタンのギィーギィー擦れる音で、ほとんど眠る事が出来なかった。又、この民宿は、食事を各部屋に持って来てくださるのだが、調味料とか、お茶のお替りなどを求める事が出来ない。宿の主人は、御飯は充分に丼に盛ってあるから、お替りの心配はない。それに、お客様に入っていただく食堂の様な部屋もなく、今の方法を取りいれていらっしゃるのだと推測する。今回、少々発言させていただく。自分達お遍路は、猫や犬ではないぞ、人間だ、食事の時にお客さんと顔を合わせていろいろとへんろ談議をするのも、需要な情報源で、とても必要な事なんです。また、一膳飯とは、自分達は犯罪者ではないぞ、立派なお客なんだ、もっとお金をいただく事に対し、真剣に取り組まないと、この民宿は間もなく閑古鳥が鳴きますよ。へんろみち保存協力会も旅館の一覧表から、削除する位の事をして欲しい。
 体調が優れずに、八十一番札所白峰寺に向かう、八丁坂は、とても辛い。距離は短いのだが、へんろころがしとも呼ばれる急坂で、自分は体に相当なダメージを負ってしまった。(これが、後になって、とても痛い間違えを起こす原因になる)。気分もすぐれない内に、八十二番札所根香寺を打つ。八十三番札所一宮寺に向かう途中昼食を取る事になり、例のごとく、うどん店を探しながら歩く、うどん屋さんを見つけ中に入る。香川県は、町のあらゆる所にうどん店がある。住宅街のど真ん中や、農村地帯の田舎でも、そしてどの店も旨い。この店も、宅配をしているとの事で、宅配便で送ろうと思ったが二日連続では、クドイと思い注文しなかった。
 今日は、明日の宿との関係で歩行距離が約30kmで、距離の調整をしながらの歩行で気持ちが緩んでいる。一宮寺を打って、本日の宿、ビジネス旅館『『三鈴』を目指す。ここから、今回の遍路紀行最大のミスが起きてしまう。岡本さんと二人で歩いているのだが、へんろマークは所々で見かけ、間違えのない事を確信して歩いているが、へんろマークの色がいつもの赤色ではなくて、青色であった。約一時間ほど歩いた所で、車に乗られた男性から、道が違うと指摘され、あわてて近くにあった測量事務所にて、宿泊する旅館の電車の駅を伝えてその方向に変えて歩き出した。一宮寺から宿までの距離は6.6kmだから、普通なら1時間半位で行けるのに、ここは、なんと倍以上の約3時間20分位要してしまった。今回間違えた最大の原因は、二人共頻繁に案内書を見なくて、また、地図の方角確認を怠った、又、今日は距離が短いというので、油断が相当あった事も確かである。又、自分が体調がすぐれず細心の注意を怠った点も確かである。
 倍以上の距離を歩いて、ようやく、ビジネス旅館『三鈴』に到着した。旅館は、おばちゃん一人で経営されている様に見受けられ、一人で何もかも対応するには大変だ。今日の宿泊客は四人で人数が少ないから、まだ助かるのだが。この宿にも、愛知県の女お遍路さんが宿泊されていらっしゃる、食事の時に、へんろ話に花が咲き、一日20kmから25km位の歩行距離では、時間と日数が掛かりとても苦労して、ここまでたどり着いた、とか、愛媛県と香川県は山が高くて歩くのがきつい、とか、こぼしていらっしゃた。八十八番まで行くのに、まだ、自分達より二日余分に時間を掛けて結願されるとか。御苦労さまです。
 昨晩の寝不足で体調が悪く、今日の歩行でとても疲れ、又、水の飲みすぎで胃をこわし、食欲は全くなし、夕食はほとんど手を付けずに残してしまった。一生懸命作って下さった、おかあさん御免なさい。
 今晩はしっかり眠って疲れを取り、明日に備えたいものだ。



84番屋島寺
山門



本堂



85番八栗寺
山門



本堂



86番志度寺
本堂



五重塔



87番長尾寺
山門



諸願一覧


5月3日(木) 晴れ 23℃〜25℃ 後一日

 5時15分起床、昨夜は7時30分に就寝、体調不良(睡眠不足、食欲不振、道路を間違え長距離を歩いた事による疲労)の割りには、グッスリ眠る事が出来た。少々疲労は残っているが、昨日よりも体調は良い。後二日なので、何とか無事に全行程を済ませたいと思う。
 本日の最初の札所、八十四番札所屋島寺に向かう。高松市内を岡本さんと洲崎さんと三人で懸命に向かう。標高280mにある、屋島寺は市民の絶好の早朝散歩コースになっているようだ。大勢の方が、運動靴を履いて、屋島寺を目指して、歩いていらっしゃる。市内にこの様な、歴史的にも有名な場所があるのは、とてもいい生活環境だと思う。この屋島寺の本堂も鎌倉時代の建築という事で、重要文化財に指定されている。なんとすばらしい事か!建物は余り大きくはないが、鎌倉時代を代表する様なたたずまいを残していて、俺にとってはとてもいい感じの寺院だ。
 屋島寺を打って、次の札所八十五番札所八栗寺を目指す。屋島寺を出発してから、「へんろ道」を行くのだが、今回の遍路紀行の中で、一番整備されていない道を歩いたと思う。今日はお天気が良かったから少し気を使って歩けば良かったが、もし、雨が降っていれば、足が滑って怪我をしても不思議ではない程、整備されていない「へんろ道」であった。早急に整備を望みたいものです。しかし、その半面で、昔のままの道を残しておいていただきたいとの要望も、関係者に届いているのかもしれない(しかし、けが人が出てからでは遅い)。
 途中、「行列の出来るうどん店」を発見、午前10時15分というのに、およそ50名〜60名(連休中のせい)の大人の方が店の前で、開店するのをじっと待っていらっしゃるのだ。我々も、うどんは食べたいものだが、時間も早いし、並んでまでも、待っていられないという事で諦めて、通りすぎてしまった。(翌日、松浦さんに聞いた話では、松浦さんは、食べられて、今までに食べたうどんの中では、一番美味しかったとの事、いつか高松市に行った時は、うどんの「山田屋」に行きたいものだ。)
 八栗寺に向かう山道も、距離は短いのだが、急な登り坂がつづく、少々頑張ればクリア出来る山道だから、やがて到着だ。この寺へ登るにもケーブルカーが運行されていて、多勢の参拝客で境内は賑わっていた。八栗寺を打ってから、次の札所八十六番札所志度寺を目指す。約7kmの平坦な道だ。岡本さん、洲崎さんと三人で快調に歩を進める。今日の昼食は何にしましょうか?と、相談してみるが、うどん、コンビニ、レストランと、昼食を食べるのも大きな楽しみの一つであるが、早速、目に入ったのが、コンビニでそこで昼食を済ませる事にした。自分にとっては昨日からの食欲不振でパン食で充分なので、一安心だ。コンビニで代金を支払う時に西日本だけの宝クジが目に入ったので、購入したが、修行をしている最中に二つも三つも、自分の得たい物を手に入れる事は欲が深いな。当たる事はまずないが、当たらなくても良いと思い直す。昼食を済ませ志度寺に向かう。平坦な道路で、旧街道にあるへんろ道を歩く。昔は重要な街道であったのだろうが、けれども、車社会から見放され、いたる所で、歯抜け状態、空き家、売り家、売り地、空き地と相当厳しい状況の様だ。こんな事も、歩いて回っているから目に入って来る現実なのだ。車では、バイパスを走り、先を急ぐ余りに見落としてしまうのが現実だ。
 志度寺に到着だが、山門の前に、江戸時代の科学者で有名な平賀源内翁が眠っていらっしゃる墓所があり、翁の生誕の地を知る事が出来た、また、お四国大学の講義内容に厚みが増した様だぞ。寺に入ると、左側にベンガラ色が剥げている五重塔が目に飛び込んで来る。本堂、大師堂と打って、イスに腰をかけていると、岡本さんが、鳩の糞に見舞われてしまった。鳩公害も寺院にとっては、大きな頭の痛い問題の様だ。各寺院、鳩対策で、建物に鳩が留る事が出来ない様に、ネットで、覆って保護しているのが見受けられる。志度寺は緑も多く、静かで長時間の休憩を取りたい寺だ。
 香川県に入ると、お遍路さんが持っている、掛軸、納経帳、白衣等が盗難に遭うと、今回の歩行中に多く方より耳にした。インターネットで、売買しているそうで、体より離さない様にと教えていただいている。これも、悲しい現実の一つだ。
 志度寺を打って、本日最後の寺、長尾寺を目指す。平坦な道で到着時間も頭に入っており、ゆっくりと歩いていらっしゃる。後、二ヶ寺という事で、余裕が目に見える。そして、あと一日頑張れば、見事『結願』と心ウキウキでほくそ笑んでいる所だ。
 長尾寺に到着だ。本堂は現在新築中で仮本堂に参拝だ。本日の宿は寺の前の『あずまや旅館』で、おへんろ客は明日、結願という事と、距離が短いという事で、アルコールの力を借りてへんろ話に花が咲き、遅くまで食堂で歓談をされていらっしゃる、まあ、ここまで来れば大いに理解出来る所だ。歩きへんろをされて見える方は、それぞれ違った環境や経済状態の中で歩かれているのであって、決まったルールもなく、自分の出来る範囲で頑張れば、皆全部良しだ。この経験を基に、また次の人生をしっかり歩んでいかれれば、最高の人生が送れると思う。



88番大窪寺
山門



山門前にて
記念撮影



参道



本堂



大師堂




結願の証

5月4日(金)晴れ 24℃〜25℃   結願

 5時30分起床、体調悪し、疲れで消化器官がガタガタだ。
朝食をいただく気分にもなれない、残り後15kmと少ないので、何も食べなくても、最後まで打つ気迫で歩くしかないと、気を引き締める。歯磨きと髭剃りと足にテーピングをして出発だ。夜中に何度となくオナラが出て体調の悪さを訴えているが吐き気はしない、胃は大丈夫だが、腸が参っている様だ、この様な時はトイレが心配だ。岡本さんに顔色が悪いと指摘されるが、それも仕方ない。ただ大窪寺目指して歩くのみの一日だ。
 途中、おへんろサロンに立ち寄った、歩きで完歩される方は、「おへんろ大使」に任命するという事で、任命証をいただいた。無料という事で、余り豪華さはないが、ボランティアで行っていらっしゃるのだから仕方ない。
 残り10kmで、大窪寺だ、前山小学校回りのおへんろ道コースで、急な登り坂はなく車道ばかりの道でも、岡本さんと洲崎さんに引っ張っていただいて、10時50分八十八番札所大窪寺に到着した。大窪寺は、連休中また結願の寺という事で、大賑わいだ。境内だけでも、200人〜300人位の人でごったがえしている。また、門前の食堂とかみやげ物店も多くの参拝者で一杯だ。
 納経所で結願の証(あかし)の賞状を購入した。先回は、全行程徒歩巡拝と書き入れて下さったのに、今はその様なサービスは行っていないと断られてしまった。平成19年5月4日 石川暉壽と記入するだけで、2,000円だ。お金はどうでもいいが、へんろ大使任命証より価値と重みがある様に見える、自宅に帰ったら、早速、額に入れて事務所に飾ろう。岡本さんと洲崎さんと三人で、ビールを飲んだり昼食を摂ったりして、結願に祝杯を挙げ、コミニティーバスの出発時間まで過ごす、その間に、先回大阪難波駅にて電車の乗客の方から異様な目で見られた体験から、今回はここで、白装束からトレナーに着替えてバスに乗り込む事にした。この白装束、四国を巡っている時は、とても自然に受け入れていただけるし、自分も全然違和感はないのに、本州に渡ると異様に見られ、本人もその目を意識するのは、まだ、人間が出来上がっていない証拠の様に思われるがどうかな。
 13時30分、コミニティーバスが到着して、バスに乗り込む、目的地の高速志度のバス停まで行くのには、このバスを利用するのが一番安い方法である、このバス、マイクロバスを少し大きくしたバスに見えるが、大窪寺で、満員になってしまった、お天気もいいし、連休中だし、大窪寺にお参り客の帰りで、全部が重なった事によるものだと思う。このバス、目的地の高速志度まで約1時間位乗せていただいたのに、料金はたったの、100円。な! 何と安い!地域住民の足の確保で、行政がほとんどを負担して運営されているバス、いつまでも続けられる事を願わずにいられない。このバスに10日程前より同宿した事のある、男女二人組も同乗された、二人は、15時51分発のバスに乗り込む予定で歩いてこられたのだが、予定よりも早く到着されて、あわただしく、このバスに乗り込まれた。歩き遍路は予定は未定、早く到着すれば、御褒美がたくさんもらえる、その一番は長い休息、明日へのスタミナ温存、足の手入れ時間が取れる、等で、その積み重ねが、四国一週約1300kmの歩き遍路が達成出来るものだと思う。
 バスは高速志度に到着、自分達は昨日、長尾寺前の大川バス本社営業所でJRバスなんば駅行のキップを購入しているので、そのバスは14時52分発という事で、約20分待つ事になる。定刻通りにバスが走ってくれれば、17時40分に難波駅に到着だが、バスは約15分遅れて到着。連休中で故郷から、都会へのUターン客で高速道路が渋滞している事を、バスの中の電光ニュースが伝えて、到着が遅れる事を告げている。途中、淡路島のサービスエリアで、トイレ休憩10分間で、その時に小さいトラブルが発生した。一人のお客が、このサービスエリアで、バスから降りたいと言い出す、少々アルコールも入っている様で、バスの運転手は本社に電話して、対応策を考えていたようだが、やっと、お客は再びバスに乗り込んでくれて、約10分遅れで出発した。淡路島を通過し、阪神高速に入ると道路は渋滞、車はノロノロ運転で、何時に難波に到着出来るか心配だ。運転手が何度も何度も到着時間が遅れる事を社内放送で伝えて、お客の理解を得ようとしている。こうなれば、乗っているお客は、運転手に身を任せるしか方法はない。やっとの思いで、バスはJRなんば駅前に到着だ。到着予定時間よりも、1時間50分遅れの到着だ。自分は、これからの仕事の事や体の疲れを取る為に今日中には、自宅に帰りたいと思っていた。岡本さんも途中から、予定変更だ。岡本さんは、明日、高野山奥の院に参拝して、納経する予定を、以前から決めていらっしゃたのに、バスの中で予定変更。明日は、朝から一日中雨で、高野山にお参りするのはきついとおっしゃられた。四国の中では、二日も三日も雨の中を歩いているのに、何で大変なのか、その意味が理解出来ない。岡本さんも自宅へ帰るという事で、近鉄難波駅に向かう。地下街を通り抜け近鉄の切符売り場に到着し、本日に、名古屋まで直通で行く事の出来る電車は21時30分しかないとの事で、直ぐに諦め、二人は、新大阪にむけてタクシーを飛ばす。難波から新大阪まで、6〜7km位あると思うが、タクシー料金2,400円は安く思えた。この代金は岡本さんが支払って下さった。(ありがとうございます)新大阪に到着して、自分は三河安城、岡本さんは浜松という事で、名古屋まで「ひかり492号」で行く事になった。岡本さんはひかり号が浜松にも停車するので浜松までという事になる。時速300km列車は早い、時速4〜5kmの歩きはなかなか前に進まない。大阪から名古屋までたったの1時間だ。自分は名古屋で降りる。岡本さんと握手して別れた。約一ヶ月間こんな俺でもよく付き合っていただけたと思う。足には靴擦れを作るし、痛風にはなるし、最後の二日間には下痢を起こすし、本当に世話の焼ける相棒ではなかったのではないかと思う。ありがとうございました、お世話になりました。
 岡本さんも自分がいて、見事四国一周が出来たと感謝してくださった。自分は、二回目だから、初回より少し知っている位で、余り役に立つ経験者ではない奴だと思う。なにはともあれ、名古屋に到着だ。今度は「こだま」に乗り換えて三河安城まで向かう、21時42分出発予定で、定刻に出発した。定刻、21時55分三河安城に到着、家までタクシーにて帰る、三河安城から自宅まで約4kmの距離だが、1,990円のタクシー料金は大阪の方が断然安く感じる。田舎のタクシーはメーターの切り変わるのが早いのが良く解る。22時15分自宅に到着だ。
 37日間、大した事もなく、無事二回目の四国お遍路巡りが出来た事に感謝感謝。



巡り終えた
経帷子



                   あとがき

 オギャーと生まれて60年と半、二本足で歩き始めて、およそ60年弱、この俺の二本足は何と頑丈なんだ!大きな故障もなく、無事に約1300kmを歩き続けてくれたものだ。丈夫な足を授けてくれた。まずは、両親に感謝したい。

今回のお遍路では、自宅を空ける事37日間、妻の幸子は一言も愚痴を言わず、快く送り出してくれた。また、時々、家に電話すれば、厳しい励ましの言葉を送ってくれた、やさしい言葉を言う事を知らない女だから仕方ないが、腹の中を見てやればかわいいものだ。

 7年前は、歩いている最中には、感謝、感謝の言葉がいつも浮かんで来た。
一、 丈夫な体に産んでくれた、両親に感謝。
一、 快く送り出してくれた、家内に感謝。
一、 自分が、家にいなくても、家族が生活出来る、経済的恵まれた事に感謝。
一、 40日間も家を空けても何もトラブル発生しない家庭に感謝。
 が、しかし、今回は前回とは異なり、時々頭に浮かんだり、日記にも書いたが、一番頭から離れないのは、『どんな事があって生き抜かなければならない。』という、思いがいつも浮かんで、仕方なかった。7年前とは年齢の差もあるし、体力的な事もあるし、両親も他界し、精神的な面もあるような、気がする。

 今回、二回目の歩き遍路をさせていただき、また、へんろ道が世界遺産に登録される様な気配もあるので、へんろ道、お遍路さん、へんろに関する各関係者について、自分ながら気が付いた事を書こう。
@へんろ道の周辺に廃車、廃農機具、建物解体廃棄物、廃家電製品 等で、目を覆いたくなる所がある。
Aへんろ道保存協力会のへんろマークのシール手作り看板が白色化 して、見にくかったり、徳島県には、多く見受けられるが、高知県、愛媛県に入ると、少ない所もあり、道路を間違える事があった。
B八十八ヶ寺の納経所の受け入れ態度が、目に見えて悪くなっている。観光化してしまい、納経所にて、「ありがとうございます」の一言が返ってこない。残念です。 
C民宿、旅館等のおへんろ客の受け入れ態勢や、状況について、感じた事を書こう。
 民宿、旅館、で、経営者の方が高齢で跡継の方がいらっしゃらない施設がある様に見える。へんろシーズンは、年2回で、数少ないお遍路さんを相手に、いつまでも待っている事は出来ないと思う。設備は老朽化する一方で、おそらく、数年後には、全行程を車を一度も使用しないで完歩する事は、非常に困難な気がする。タクシーを使って、前日の所から出発する方法を取らざるを得ない事態が近い内に来ると思う。



 

地域紙
安城ホームニュース
に載る

5月26日(土)  安城ホームニュスに載る

 今年の始めに、私事ながら、この新聞に二回ほど広告を打たせていただきました。広告の反応は残念ながら、電話による問い合わせが一件のみでした。新聞を見て、頑張って広告を出しているなと、思われた方は、多分多くあると思う。
 広告を載せるその前に、営業マンの方が事務所にお越しになり、7年前のお遍路の写真を拝見され、次回お遍路を実行されたら是非一報を下さいとのお言葉をいただき、結願後に早速連絡した所、翌日取材にお見えになり、1時間ほどお話をさせていただきました。
 自分としては、お遍路紀行は、簡単には達成出来ない事をもっと強調して、書いて欲しかったが、自分が余裕がありそうな態度で、取材に応じた為に強調度が足りない。通し打ちは簡単には出来ないぞ。





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