嫌われ爺のお遍路日記〜三回目の挑戦記〜

まえがき· 3

3月26日(木)· 3

3月27日(金) 気温:朝6℃ 最高気温21℃· 4

3月28日(土) 晴れ 気温10℃〜22℃· 5

3月29日(日) 朝10℃ 昼15℃· 8

3月30日(月) 朝10℃ 昼25℃· 10

3月31日(火) 晴れ 22℃ 朝10℃位· 11

4月1日(水) 朝10℃ 22℃· 13

4月2日(木) 朝10℃ 昼22℃· 15

4月3日(金) 朝15℃ 昼20℃· 16

4月4日(土) くもり 朝12℃ 昼22℃· 18

4月5日(日) 雨一日中 朝14℃ 昼20℃· 20

4月6日(月) 曇りのち雨 朝20℃ 昼20℃· 22

4月7日(火) 午前11時位まで雨その後曇り 朝12℃ 昼18℃· 24

4月8日(水) 寒いが歩きには最適な天気 朝7℃ 昼13℃· 26

4月9日(木) 曇り 朝7℃ 昼16℃· 28

4月10日(金)  雨のち曇り 朝8℃ 昼16℃· 30

4月11日(土) 晴れ 朝12℃ 昼21℃· 33

4月12日(日) 晴れ 朝12℃ 昼20℃· 35

4月13日(月) 雨午後から曇り 14℃〜17℃· 37

4月14日(火) 晴れ四国に来てから一番の好天 朝14℃ 昼21℃· 39

4月15日(水) 晴れ 最高のお遍路日和 朝12℃ 昼20℃· 41

4月16日(木) 晴れ 朝12℃ 昼24℃ 少々バテ気味· 43

4月17日(金) 晴れ 絶好のお遍路日和 朝12℃ 昼22℃· 44

4月18日(土) 晴れ 絶好のお遍路日和 14℃ 22℃· 46

4月19日(日) 曇りのち雨 12℃ 17℃· 48

4月20日(月) 一日中雨、止んだのは午後3時ごろ 15℃〜17℃· 49

4月21日(火) 晴れ 朝12℃ 昼20℃· 51

4月22日(水) 晴れ、歩くと少し暑い 朝12℃ 昼23℃· 53

4月23日(木) 晴れ 絶好のお遍路日和 12℃ 21℃· 55

4月24日(金) 朝12℃ 昼22℃ 54番と55番を打つ· 59

4月25日(土) 晴れ 絶好のお遍路日和 朝15℃ 昼22℃· 61

4月26日(日) 昼間は暑い位 朝15℃ 昼25℃· 63

4月27日 朝15℃ 昼25℃ 昼間は歩きには暑すぎます。· 65

4月28日(火) 曇り お遍路日和 朝12℃ 昼22℃· 67

4月29日(水) 曇り 朝14℃ 昼24℃· 68

4月30日(木) 朝15℃ 昼22℃· 70

5月1日(金) 暑い 朝14℃ 昼27℃· 73

5月2日(土) 晴れ 暑い 14℃ 28℃· 76

5月3日(日)· 79

後記· 81

 

 


 

まえがき

 

15年前と8年前に結願しましたが、三度目、四国八十八ヶ所の霊場を巡る事を決めて、挑戦してきました。この日記は、その道中の個人的な感想や思いです。つたない文章ですが、御笑覧下されば幸いです。

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3月26日(木)

夜9時息子にJR刈谷駅まで車で送ってもらい、いよいよ3回目の四国八十八ヶ所お遍路旅の出発だ。

息子には、2回目の本がプレゼントしてあるので、自分の歩き遍路はただの遊びではないことは少々理解していると思う。お嫁さんも息子から話しは聞いている様で、いつ出発されるのか何度も尋ねられていたので、心の中では気に留めていたようだ。この話はお嫁さんのお母さんからも、問われたこともあったので、お嫁さんから話は聞いていらっしゃるようだ。

深夜便で徳島に向かうのは生れてはじめてのことで、夜行バスは全然眠れないし、徳島への移動は飛行機が一番いいね。早く徳島に到着して余裕を持ってお遍路の行程に行った方が性根が座る。今回は朝5時10分に徳島駅に到着。乗客2名の一番列車で、一番札所のある坂東駅へ向け、徳島駅を5時53分に出発。こんな体験も人生初めてだ。電車を降りて一番札所霊山寺に向かう途中、早朝より朝食を食べさせていただく店に入る。この店の大将も顔を見れば遍路客とすぐわかるのだろう。どちらからいらっしゃったんですか?何回目ですか?とか通り一遍の質問をされた。まじめに答えて何とか理解してもらった。

 

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3月27日(金) 気温:朝6℃ 最高気温21℃

朝6時15分、坂東駅に到着。いよいよ3回目の四国八十八ヶ所お遍路の旅に出発します。今日の天気はよさそうです。早朝の気温は10度を切っていて寒いです。夜行バスの強行軍でここまできたせいかとても眠たいです。今日の行動は控えめにして、早く宿を決めて床につきたいものですね。なんで、3回も四国を歩く気になってしまったんだろうね。毎日のウォーキングの成果を見たいし、仕事も何とか頑張っているし、今年は節目の1年にしたいね。この年でもう一回ジャンプしたいね。生きがいを見つける旅にしたいね。そんな思いが重なっているのが現状です。

とても好天に恵まれて、ラッキーな一日でした。夜行バスでの移動の当日の行動はとてもキツイね、でもよく頑張りました。総距離15kmくらいの歩行距離でしたが、初日という事で、お参りの道具がうまく整理できず、参拝に時間を要しました。明日からは、もう少し順調にいきたいものですね。春のお遍路シーズンという事で、多くのお遍路さんがいらっしゃって、とても賑わっています。特に外国人の多さには感心します。西洋人、インド人と皮膚の色の種類の多さが見受けられました。開創1200年御開帳だと思っていましたが、昨年だったようで少々残念な気がします。(実際には、1200年の待遇はしていました)けれどもここに来られたことに感謝だね。

昼から少しの間、鹿児島のお寺の息子の高校生と一緒に歩きました。一人息子さんの様で、来年、愛知県芸術大学に入学する予定だといってらっしゃいました。さすがお寺の息子さんで、お経を唱えるのがとても速く、とても上手かったね。若いので元気に私を追い越して8番札所までいく予定だとか。宿の予約なしで行くのは驚きです。宿を早く決めてお参りするのが鉄則だよと助言をしておきました。参考になれば幸いですね。彼の話で、お寺と絵画は似ているらしく、父親も芸大に入学する事を認めたようです。世の中いろいろ捉え方があるようですね。感心!感心!!

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3月28日(土) 晴れ 気温10℃〜22℃

民宿「いしだ」を朝5時起床 スマホの目覚ましを同宿の堺市の三ノ浦さんにお願いしてセットしていただいた所、調子よく5時きっかりに心地よい音色とともに起床の知らせが入りました。6時の朝食に合わせて、洗顔、ひげそりと準備をこなし、朝食を済ませて6時50分に宿を出発した。

三ノ浦さんは、20分ほど前に出発していらっしゃったが、8番札所熊谷寺でお顔を拝見する事が出来た。

9番札所法輪寺10番札所切幡寺と順調に打つ事が出来たが、10番札所の納経所にて「同行二人」の本を8番札所の納経所に忘れて来たことを思い出して、一瞬顔は蒼白になりました。歩き遍路で一番大事な「同行二人」のこの本がなければ、絶対に全部打つ事が出来ない大切な本をリユックに入れ忘れてしまうなんて、なんて、ドジな俺なんだろうと、猛反省です。昨夜同した高知の野村さんにTELして、10番札所の門前にて遍路用品の販売をしていることは知っていたので、「同行二人」の本の購入を依頼した。野村さんは9番札所の納経所にいらっしゃって、そこでいろいろ調べられて、10番札所前の遍路用品販売店で販売している事を知られて、購入を確約していただいて、とても安心した次第でありました。

三ノ浦さんと私とは、歩きのスピードが少々自分の方が速いので、本日の宿「さくら旅館」を目指して自分は歩を進めた。お昼の12時前に、遍路道沿いのうどん屋さんでうどんとビールをいただいた。1050円であったが、店の大将さんが10円のお接待をして頂いた事も、小さな感動であった。その店のお客さんも、自分が店を出る時に大きな声で激励をしてくださったのにもありがたい事であった。頑張るしかないと、又、新たに決意をした所である。13時に本日の宿「さくら旅館」に到着。自分の部屋に案内されて、宿の大将のこれからどうされますか?の問いに、自分は三ノ浦さんから聞いていた、温泉「鴨の湯」に行きたい、と言って道を尋ねた所、約1.5kmとの事であったが、実際には2km強の様な気がした。温泉は湯の肌触りがとても気持ちよくて長湯をしてしまった。驚いたことに、先ほど別れた三ノ浦さんが到着されていた事だった。入浴した後、スマホに登録させて頂いた。三ノ浦さんは、本日自宅に帰られるので、温泉でお別れした。彼は堺市からバイクにて渡四国されていて、何度も遍路を経験されていらっしゃる様で、このあたりはとてもよくご存じでいらっしゃった。彼はレントゲン技師で東海三県にも会社の検診で出張されている様にもお話されました。宿に3時30分位に帰って来たところ、野村さんが隣の部屋に到着されていて、「同行二人」の本をお渡しくださって本当に感謝です。野村さんは足を痛められて、10番札所の前の売店に自分の荷物を置いて、わざわざ私の本の為に届けてくださったのです。本当に有り難いことです。

しかし、野村さんは本日で歩きは断念されました。明日の宿を予約されていたのですが、普通ならキャンセルするのですが、その宿を自分に紹介してくださったのです。その心遣いに又感謝です。その宿に迷惑を掛けたくないという思いやりに、又、感動です。明日の宿は12番札所後の「なべいわ荘」。その宿に向けてがんばります。約20km強の距離ですが、遍路道の中で最難関の中に入る所です。がんばりましょう。

本日の夕食は何かな、楽しみの一つです。この日記を書いている途中に隣の部屋で外国人の夫婦が英語で話をしているのが聞こえてきます。夕食時にお顔拝見するのが楽しみです。襖一枚なので、今晩良くねむれられるかな?隣の夫妻はカナダ人のご夫妻でした。年齢は50歳前後かな。それにしても、日本のお遍路の文化に興味を持って歩きをなさるとは、凄い人だなと感心だ。8年前は外国人は一人も見かけなかったが、今回は外国人の数に驚きだ。

 

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3月29日(日) 朝10℃ 昼15℃

昨晩、寝ながら考えた事ですが、白人は何であんなに顔が赤く見えるのだろう?頭に浮かんだのは、恐らく皮膚に色素がない為に、皮膚の表面の毛細血管の色が人間の目には赤く見えるのではないかなと、思いついた。余分な話題であるが。

 

朝、5時15分起床、洗顔、歯磨きと朝の行事をこなす。目の下が少し腫れている。睡眠時間は有るが、まだ熟睡出来ない為に多少の疲れ為だと思う。慣れない事だから仕方ない事だ。後2,3日で慣れて来たら解消すると思う。昨晩は良く眠れた方だと思う。今日は遍路道の中でも難所の一つ、焼山寺打ちである。頑張りましょう。

 

焼山寺打ちは非常に難行でした。朝、宿の出発の時から雨がシトシトと降り続き、雨が上がったのは午後2時位。強い雨ではないが、ポンチョを着ていると通気が悪く蒸し熱く、途中2度もポンチョを脱いだり着たりを繰り替えしました。リユックは濡れるし、山野バッグも濡れるし、とても苦労した1日でした。この焼山寺打ちは、八十八ケ所巡りでも、一番険しい山越えと言われていて、過去2回は、余り苦労せずに越えられたが、今回は非常に苦労しました。年のせいと天気と二重苦の1日でした。この苦労を忘れずに、後の行程も頑張るぞ。

本日の宿「なべいわ荘」は最近新築された宿で、各設備がとても考えられて作られてあり、とてもいい宿だと思う。車の騒音が全然聞こえない。現在4時15分であるが、裏山では鶯やメジロの小鳥がいい声で鳴いて自分を心地良くしてくれています。この宿へ到着時に、先客で外国人(オランダ)が2名来ていました。玄関で目が合い、二人も自分の顔を覚えていてくれて、笑顔で挨拶を交わした。夕食時にどんな話が出来るか期待される所だ。

 

本日同一行動をさせていただいた山崎さんは、奈良県の方で、法隆寺の近くで鉄工業を営んでいらっしゃるとの事です。御嶽山に別荘を所有されていらっしゃる様で、5,6月には、山菜採りに出かけられるとの事でした。山崎さんは、昨年もお遍路をされていらっしゃる様で、遍路に関してなかなか詳しい方です。お酒がとてもお好きな様で、昼食の時に日本酒とオールドをいただきました。山崎さんはそれ以外にもお酒を飲んでいらっしゃる様でした。山崎さんに仕事の話を伺った所、特別なビスを製作される工場を経営されていらっしゃる様で、和太鼓の鋲も製作されているようで、少し話題が合いました。

今朝、「さくら旅館」出発する時に、宿の女将さんより素敵な激励文をいただきました。小さな心遣いが又の来客を期待出来るという事に気付いていらっしゃる事に感心しました。自分にも当てはまる事だと思い、何らかの形でお客様に感謝の気持ちを伝える事に気付かなかった自分に対し、とても有意義なアドバイスをいただいたと思う。仕事に戻ったら何らかの形で表わせられれば素敵な事だと思う。お中元、お歳暮も良いけれども、考えましょう。

 

     石川様へ

   この度「さくら旅館」御利用いただきありがとうございました。

  歩いて八十八ケ所巡り出来ます事、大変お幸せですね。徳島で一番の難所十二番

  焼山寺、くれぐれも足元に注意して、マイペースで頑張ってくださいね。

  徳島でしか感じられない、愛知県では味わえない人との出会いふれあい、思いやり

  荷物にならない、想い出一杯リュックにつめてお帰りくださいね。

  心に写した写真、きっと一生色あせることなく、胸の奥深く残ることでしよう。

  又、いつかお会い出来そうでうね。楽しみにお待ちしております。

  お元気でいっていらっしゃいませ

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3月30日(月) 朝10℃ 昼25℃

今朝、食堂の部屋の作りが見事な事には感動しました。太い野物使って見事に材料の特徴を生かした建物には感心しました。宿のマスターが大工さんの名前を言われたが、地元の人間ではないので自分には理解出来ない。棟梁の息子さんが後を継がれたそうだから、素晴らしい大工さんになってもらいたいものだ。

今日は、13番札所大日寺を目指して黙々となだらかな下り坂を歩く。上り坂はほとんどなく、自分の快調なペースで鮎喰川沿いの国道を黙々と歩く。自分の地元は平たんなコースしか無いので、平たんな道はとても気持ちがよい。途中2回程休憩を入れ、13番を目指す。12時30分位に到着だ。国道沿いの小さなお寺で、団体様が到着されており、とても混雑していた。途中の休憩所で埼玉県の坂田さんにお目にかかった。今日の宿は、同じ「鱗楼」であるとの事。お参りに時間を掛けるので、早くには宿には到着出来ないといわれていた。定年退職された後のお礼参りと見受けられる。今夜の夕食が楽しみだ。

今日、又、重大な忘れ物をしてしまいました。これで3回目の忘れ物です。スマホの充電に必要なコードを「なべいわ荘」に忘れてきてしまいました。なんてアホなテルトシでしょうか。部屋を出る時よく確認をしたつもりでしたが、コンセントが入り口の所で、少し暗かったのと、充電が完了した時にコードを外せば良かったものを、取り外しを忘れて宿を出てしまったのです。近代文明の利器は一つ間違えると、大変な事になると身を以て実感しました。幸いなことに、奈良の山崎さんの知恵で、コードは「なべいわ荘」にTELして明後日の宿の「山茶花」に送っていただく事にしました。また、実際の充電には、遍路仲間よりお借りしました。皆様の好意に感謝です。涙が出る位です。3回の目の失敗。今後もまた発生しそうですが、注意を怠らずに!

 

 

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3月31日(火) 晴れ 22℃ 朝10℃位

好天に恵まれ、とても気持ち良く、17番から19番札所立江寺まで打つ事が出来ました。17番井戸寺は徳島市内のお寺で、朝の通勤時間の中を颯爽とお遍路姿で街の中を歩く。地元の方は慣れたもので、何も感心が無い様に朝の挨拶もまともにして頂けない。四国4県の都市部は、お遍路さんに対して余り関心がない様に受け止められる。8年前に比べると、徳島から室戸方面の車、その逆も交通量は比べものにならないほど増加している。ただし、乗用車は軽四が圧倒的に多い。

本日の歩行距離は、約37kmと今日まででは最も長くなった。宿の「金子や」に到着したのが午後4時と、ここまでのお遍路では一番遅く宿に到着した。この宿に宿泊しないと、明日の19番鶴林寺、20番太龍寺の山越えが厳しくなるので、お遍路の皆さんはこの宿を目指して、頑張って歩いてこられるのだ。車で数分の所に「なかよしの宿」という宿泊施設あるが、そこも好評で、宿を確保出来ないのが現状のようです。「金子や」の100m位手前に民宿があるが、「同行二人」の本には登録されていないので、残念ながら予約出来ない。早く登録していただきものだ。

この宿は15年前にも宿泊したが、何ら設備の更新はしていない。宿の女将さんはどうも死亡された様で、息子さんが経営者の様だ。洗濯機が1台しかない。何を考えているのだ。10数名の遍路客に対応出来るのか。幸い、自分は早く洗濯機を使用できたので気にはならないが、待っている人の気持ちを考えたら、経営者は1日でも早く洗濯機を導入しなければ、いつか遍路客から見放されるぞ。この場所だから経営が成り立っている様な気がする。これは、自分の仕事関しても言えることかもしれない。

今日、外国人の男性と一緒のお風呂に入りました。日本語がとても上手で、日本のタオルの吸湿性の良さを褒めていらっしゃいました。その外国人の方は、足が長い。身長は自分と余り変わらないのに、足の長さ(股下)は自分より、10cm位長い。日本人だから仕方ないね。

午後5時50分の天気予報で、明日は雨の予報が出ています。山登りの二ケ寺があるのに、又、雨にたたられそうだ。

本日、2回お接待を受けました。恩山寺の後では、おばあちゃんが家の中から小走りで来てくださり、ミカンを3個手渡しでいただきました。もう1回は、「金子や」に到着する前に、道端でおばあちゃんがティッシュ入れを下さいました。とてもありがたいお接待だ。この方はもう17年前から同じ事を実施されているそうです。頭が下がります。

 

 

 

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4月1日(水) 朝10℃ 22℃

20番、21番、22番と打つ。四国遍路の難所一つ鶴林寺、太龍寺と打つ事が出来た。急峻な山道を、2日目から同伴させていただいている奈良の山崎さんの後について、歩を進めて行く。「同行二人」の本によると、本日の歩行距離は約22kmあるが、山道は実際の距離よりも1.5倍位しないと要した時間に納得がいかない。午後4時本日の宿「山茶花」に到着した。2回目の時もお世話になっている宿であるが、経営者は変わられている様だ。今日は非常に強行軍の様な気がするが、昨日の宿に同宿した2名の方も、お顔を拝見する事が出来て、皆さん同じ行程になる事に納得だ。太龍寺からここまで来る間に民宿が2軒営業されているが、「同行二人」の本に場所や電話番号が掲載されていない。数年に一度位しか来ない自分達には掲載される内容は解らないが、是非この本に掲載していただきたい民宿だと思う。今日は昨日の夜のNHKテレビの天気予報で、降水確率が70%であったにもかかわらず、一滴の雨も降られずに今日1日を過ごせた事に感謝である。明日も好天を願うばかりである。

今回の四国遍路で肝に命じなければならない事がひとつ解った。先回までならば、前日に宿を予約すれば100%確保出来たのに、今回はとても無理。少なくとも、前前日に予約しないと宿は予約出来ないと判明した。同行させていただいた山崎さんは、今回の行程で、今日の宿だけは数日前に予約されていた方でした。用意周到でなければ、又、四国遍路に人気が出てきた事が伺える時節と受け止めました。

 

 

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4月2日(木) 朝10℃ 昼22℃

絶好のお遍路日和の中、本日目指すお寺は、23番札所薬王寺である。2日目から同行していただいている山崎さんの後に続く、私より2歳年上の山崎さんは昨年、区切り打ちで歩き遍路を経験されているとの事で、道路も詳しく、人間的にも素晴らしい方で、見習うべき点が沢山ある方だ。趣味は秘境めぐりとの事で、今までにアフリカのキリマンジャロ、ペルーのマチュピチュ、チベット王国のカトマンズ、アマゾン川でピラニアを食した事もあるし一緒に泳いだ事もあるよ・・・と、自分の今の環境では、絶対に行けない秘境巡りを趣味にされていて、私には体験出来ないことを多く体験されている方です。羨ましい限りだ。

お仕事は、特殊な鋲を製作する会社を経営されているとの事で、知多半島の東浦の「カリモク」にも鋲を納入されているとの事で、少し親近感が湧いている所です。御嶽山に山小屋を所有されているとの事で、今年の夏に一緒にゴルフでもしましょうと声を掛けてくださっています。今年の夏が楽しみです。他人ながら、少し心配な事が有ります。山崎さんは、少々お酒を飲みすぎる点です。自分にもあてはまりますが。自分はあれほど呑み助ではないと思っています。他人から見れば同じか、それとも自分の方が上回っているかもしれません。やはり度が過ぎた事は、控えめにした方が賢明だと思う。これからは、気をつけましょう。

明日はいよいよ、徳島県の一番西の地に向かって歩を進めます。明日の好天を祈ります。

 

 

 

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4月3日(金) 朝15℃ 昼20℃

23番札所、薬王寺前のビジネスホテル「ケアンズ」を朝5時に起床。昨日ホテルの隣の食料品店で購入したサンドイッチと野菜ジュースと牛乳で朝食を済ませ、6時にホテルを出発する。昨晩から、雨は止み間なく降り続いていたが、出発する時は止んでいた。雨の止み間の出発で、ポンチョも着用せずに出発だ。途中雨が強く降りだし、ポンチョもスパッツも身に着けて歩く事になる。ほぼ平坦なコースでスピードも上がる。途中コンビニで本日の昼食にと、おにぎり3個、缶コーヒーを購入した。リュックには、朝食の残りの大福餅が入っているので安心だ。途中、お遍路さんの休憩所で10時半位に昼食をとる。昼食を食べている時に、建設省の職員が道端に放置されている、空き缶、弁当の残りカス等のゴミを大型のピンセットで袋の中に入れている。そこで、おせっかいだが自分の持論を職員に伝えた。デボジット制度の導入だ。職員は感心していた様だが、見ず知らずのおじさんの考えなど右の耳から左の耳を通過している様だ。上司に伝える事をお願いしたが、どうなる事やら。

朝の出発が速い為、本日の宿に到着する時間も読めるので、少しペースを落とす。

10時40分、高棚町の前駐在の栗田さんよりメールが入り、折り返し電話をした所、自分が四国にいる間に、バイクでツーリングに来ていただける様である。とても力強い援軍で、ありがたい事だ。大歓迎で楽しみであります。

このままでは少々到着時間が早いので、途中で今回初めて喫茶店に入った。70歳位のママが一人で経営されている店で「ふくながcafe」といい、開店15周年を迎えた所だそうだ。

ママさんは、若い時は県の職員で、看護婦をされていたそうで、とても賢い方の様に見受けられた。自分に持論のデボジット制の事や、不動産業の現状、特に老人になったら生活の便利な都会住まいや、商店街の後継ぎがいない現状などの話題で話は盛り上がった。頭のいい方で、私の話を引き出すテクニックを知っておられる方だ。店のノートに私の住所氏名を書いていただきたいと頼まれ、何気なく記入してしまった。コーヒーの味は普通でした。愛知県のモーニングサービスの実施状況を話しても理解していただけない様だった。リタイヤ後の副業なら良い方だと思う。

歩を進め、本日の宿「遊遊NASAふれあいの宿」に到着した。国道よりの進入道路が急坂で歩きには大変だが、静かでとても良いホテルだ。少々値段も張りそうだ。風呂は天然温泉で、入浴したら肌はツルツルでとても気持ちが良い。温泉旅行ならGOODだが、お遍路の途中では気は抜けなし、3回目の中で一番のホテルかな。夕食が楽しみだ。この日記を書き終えた頃は3時30分で、本日の夕食までに2時間30分もある。一寝入りか、それともテレビ観戦か?

徳島県海陽町は、ゴルフのジャンボ尾崎三兄弟の出身地だが、先回の時は街道沿いに「ジャンボ尾崎誕生の地」という応援旗があったが、今回は見当たらない。三兄弟の活躍度が下がった為に収入不足かな。

 

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4月4日(土) くもり 朝12℃ 昼22℃

朝食を済ませ、歩き遍路の準備をして1階のチェックカウンターへ行き、代金を支払う。昨夜の夕食も今朝の朝食もとても豪華で文句の付け様がない。それでまた、宿泊料がアルコール抜きで8200円とは格安だと思う。この料金ならばもっと宣伝すればお客さんが来ていただけると思うが、所詮、お役人仕事で自分の懐に響かなければ何も考えないし、努力もしないのが日本人かな。(ホテルは町の経営との事)

7時20分に宿を出発する。本日はお参りする寺は無い。左側は歩いても歩いても太平洋。右側は小高い山という景色が永遠と続く。約90キロメートルの距離を2日半かけて、24番札所「最御岬寺」を目指して歩き遍路は黙々と歩く。途中昼食場所を探していたら、顔見知りの佐賀県の方を見かけ、一緒に昼食をとる。息子さんが知多半島武豊のニチユ株式会社で働いていらっしゃるということで、何かの縁で繋がっていると思う。佐賀県から愛知県に来てまじめに働ければ結婚もできるし、家を建てることもできる。愛知県はいいところだと思う。ちょうどそのような状態の若い無職の遍路さん(北海道)に出くわした。現在は27歳で無職、自炊しながら寝袋を持って遍路をしている方だ。27歳なら一番働き盛りで、結婚をしていてもおかしくない年齢だが、彼は職もなく、一人で歩き遍路をしている。自分の生き方を見つけるための修行の遍路だと思うが、そこで老婆心ながら、自分の携帯番号と石川土地の名前を彼に教えて差し上げた。その気があれば、また電話が掛かってくるだろう。帰るのが5月の連休明け後になると言っておいた。電話が掛かってくるのを期待しよう。私たちの地元では、まじめに働けば間違いなく生活できるし、結婚も出来る。頑張れば家も持つ事が出来る地域だ。なんと恵まれた地域に自分たちは住んでいるのだろうと思う。その関連で仕事をさせていただいている事もありがたく、自分の二人の子供は何も感じていないかもしれないが、こういう機会に恵まれている事をしみじみ感じてありがたく思う次第だ。

本日の宿「ロッジ尾崎」は、太平洋の波打ち際から県道と防波堤を挟んで30m位のところにある。一晩中波の音を聞いて眠ることになりそうです。自分の家は物音一つしない家なので、少々心配です。旅に出るという事はこういう事なんですね。自分の思うようにならない、それを全部受け入れ、また、宿の方には食事から部屋の掃除から全部お任せして2食付で6000円から7000円くらいで宿泊できます。宿の方の努力には頭が下がりますね。お客様が宿泊されなければ収入が上がらないし、上がらなければ生活も出来ない。今回の遍路で、「同行二人」の本の中で先回8年前より廃業された宿が多いように思います。新たに開業された方は、大きな都市のビジネスホテルくらいの様な気がするのです。

「ロッジ尾崎」さん、洗濯物の乾燥機が故障とはなんですか?営業する気があるんですかね。有料で洗濯機と乾燥機を使わせればいいんじゃないですか。若い2代目がいらっしゃるのに、2代目はおばあちゃんに進言できないのかな。それとも採算に合わないのかな。合わないのなら廃業された方がいいと思うよ。最善の努力をしていれば先が見えてくるのに。夕食時に男性を見かけました。たぶん息子さんだと思います。考えを少々変えた方が賢明だと思うよ。彼がこの文面をたぶん見ることはないだろうし、私は一見さんだから助言にならないけど・・・残念だね。

しかし、ロッジ尾崎さんの夕食は心のこもった夕食でした。自分の好きな煮魚「金目鯛」、とても上手に煮付けてありGOODだ。刺身は量が少ない。その理由は茶わん蒸しが付いているからか。自分はてんぷらが少々苦手にて、少し残してしまった。ごめんなさい。宿泊設備はとても古いが、夕食は最高だった。

夕食時にNHKの天気予報を宿泊客全員で見ているが、明日は天気が悪く雨模様だ。三日に一回は雨を覚悟しているので、仕方がないね。夕食時に遍路客で母親と息子さんの二人連れを見かけました。一昨日、薬王寺に行く前に追い越した二人ですがこの宿で顔を見るのは驚きと思ったら、バスを使っていらっしゃるという事で納得だ。息子さんには頭が下がる。40歳前後だと思うが、親の要望を聞いて同伴していると思うのだが、立派である。おそらく父親の供養のためにお遍路をされているのだと思う。又、頭が下がるね。

 

 

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4月5日(日) 雨一日中 朝14℃ 昼20℃

昨夜、9時過ぎに日頃コーヒーを飲みに行っている喫茶店のママよりTELが有りました。ママの娘さんが私のホームページを見ていただいて、私の「嫌われ爺のお遍路日記」を読んで感動したとの事。特に最後のページにはとても感動したと言われ、励ましていただきました。ママは最近ゴルフを始められて、地元に帰ったら一緒にプレーをしましょうと電話を切った。午後9時過ぎは、一番眠りの深い時で少々辛かったが、励ましのTELには文句は言えない。朝食時の「ロッジ尾崎」のお接待で、本日の昼食のにぎり飯、いれたてのブラックコーヒーをいただいた。コーヒーは焙煎したてで、とても美味しくいただきました。宿を7時15分に出発して、本日の札所24番最御岬寺目指して歩を進める事になるのだが、昨晩より雨が降り続き、宿を出る時から雨天用のフル装備だ。ポンチョもスパッツも軽くて雨も通さず、とても調子が良い。だが、ポンチョは蒸し暑くて仕方ない。汗が止まらない。

「ロッジ尾崎」さんの、前の太平洋の波の音は常に耳に入って来るが、眠る事に関しては余りじゃまにはなりませんでした。それより国道55線の車の騒音方が耳障りでした。

 

24番札所参りは必死に頑張りました。国道55線より700m位の遍路道は、急坂でなかなか厳しいものがあります。700mは短くて助かりました。24番最御岬寺は、お参りの方がとても多くて、特に今日は日曜日という事が重なっているのかなと思う。次の札所25番札所津照寺目指して歩を進める。途中でお接待のおにぎりを頬張る。おむすび一個では少し寂しい。国道55線沿いの商店、レストラン、喫茶店はほとんど廃業していて、昼食を摂るのは大変だ。コンビニや食料品店があれば、昼食、おやつは必ず購入しなければならない。そんな思いの中、本日の宿「民宿うらしま」に到着だ。3時には、30分ほど前だが、おかみさんは快く対応していただいた。自分より前に到着されているお客様がいらしたのだ。昨日乾燥機が使えなかった為に、厚手のソックス、ブリーフは全部乾燥機に入れなければならない。「うらしま」さんに乾燥機があってとても有りがたい。夕食時には、4名の方が同席した。宮崎県、熊本県、千葉県、とそれぞれ出身県は異なる。千葉の方は、歩きと公共交通機関を利用してのお遍路であるそうだ。熊本の方は、この宿に2泊されている。体調を崩されたそうだ。お互い気を付けたいものである。宮崎の方は、足に大きな水ブクレを作って、苦労されているのが実感できる。下駄箱にある靴を拝見させていただいたが、靴に関しては調査不足の様な気がする。自分が着用している靴下の話題になり、食事後にお二人に見せてさしあげた。自分は今の所、足の故障は発生していない。これを保って結願したいものだ。この靴下は、ゴルフショップ「アルド」で購入したもので、長距離を歩くのに適している様な気がする。足袋型のくつ下である。履くのに少々時間が必要なのが欠点である。

今夜、夜中に嫌な事が発生しました。いよいよ蚊の発生する季節になり、蚊の飛ぶ音が耳に入りました。電燈を灯し、蚊を発見して手でもって殺す事が出来ました。蚊は血を吸っていました。自分の物ではないと思う。蚊にも悩まされる季節になりました。

 

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4月6日(月) 曇りのち雨 朝20℃ 昼20℃

 

宿を7時15分に出発して、一路26番札所金剛頂寺を目指して歩を進める。山道に入ると、鶯やメジロが素晴らしい音色で自分を激励して歓迎してくれる。寺には8時前に到着した。自分が本日2番目の参拝者の様で、蝋燭が一本しか点灯されていない。二本目の蝋燭を点灯して、次の札所27番札所神峯寺を目指す。途中、室戸市の吉良川地区を通過。この町は国の重要文化財に指定されている所で、白壁造りの家が延々と1km位続いている町だ。そこの食糧品店で本日の昼食を購入して、店の女将さんにこの町の事を尋ねた所、この白壁の原資は、大阪に備長炭を出荷して原資を得て、その帰りにレンガを購入し、裕福さを見せつけたとの事であります。昼食を食べ終えた後、徳島でお世話になった、高知市の野村さんに電話をしました。4月8日は、高知市内の「サンピア・セリーズ」に宿泊予定なので、その日はどの様にされますかと伺った所、野村さんは気の良い方で、了解されて、その日は野村さんの案内で、高知市内で美味しい鰹のたたきが食べられる事が出来そうで楽しみだ。4月8日の宿も決まり、夜の行動も決まり、本日の2番目の札所27番神峯寺を目指して歩を進める。本日の歩行距離は、27番を打って宿に帰るとすると、35km位になる。神峯寺の急な坂道を登らなければならず、なかなかの苦行であります。神峯を打ってから宿の「浜吉屋」まであと数百メートルの所で、雨が強く降りだした。急いで宿に入り、洗濯と入浴だ。

本日、午後1時過ぎに息子のお嫁さんから電話が入りました。事務所に行ったところ、KATCHよりの郵便物の不在通知がポストに投函されているとの事。自分は、そのまま放置しておいてと答えた。KATCHは一ケ月位放置しておいても、何とかなると思うのでそれで良い。この旅の前に、お嫁さんに事務所の鍵を渡しておいたのが正解でした。

家内は強気の人間で、自分の勝手な行動は無視する人間である。お嫁さんに感謝だ。ありがたい。

10年程前から、パソコンの先生としてお世話になっている中村先生にスマホの「歩き遍路情報」のアプリにアクセスしたいと思って、導入の仕方を教えていただきたいと電話をしたのですが、自分の勉強不足と無知の為、アクセスは出来ていません。明日の宿、高知黒潮ホテルの若い従業員さんに教えてもらおう。

 

 

 

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4月7日(火) 午前11時位まで雨その後曇り 朝12℃ 昼18℃

 

朝食後、6時40分頃、宿「浜吉屋」を出発する。浜吉屋さんは15年前もお世話になった宿である。神峯を打つ為にはこの宿か、隣の民宿「きんしょう」か、ドライブイン「27」に宿泊しないと歩きでは無理な行程になる。歩き遍路の方は、100%この三軒の宿に宿泊していると思う。浜吉屋の女将さんはこまめに対応して下さる。高齢で、お金の面に関しては少々無理な様な気がした。男性の手伝いの方一名と女性の手伝いの方二名で本日のお遍路客10名に対して親切に対応して下さって、本当に有りがたい。真剣に民宿を経営されていると思うが、歩き遍路客としては洗濯機と乾燥機は必需品で、是非とも各2台は設置していただきたい。使用料は支払いますよ。汗臭い衣料で歩き遍路はしたくないのです。気持ち良く歩きたいのです。

本日の歩行コースの中に、海岸沿いで、とても良く整備された歩行者自転車専用道路が延々10数km続きます。歩き遍路の中で一番気にいっている歩行者用の道路です。この様な道路を毎日歩きたいものだと思っています。必死に歩いて、本日の宿「高知黒潮ホテル」に午後3時に到着しました。9階建てで、温泉施設を備えたレジャーホテルです。温泉は白濁していて、お湯の中に入ると、とても柔らかい湯の様な気がしました。何時間も、入浴していられる様な湯でした。次回、車でこの地方に来た時は、宿泊したいホテルですね。

明日は、徳島に来て最初の1番と2番を同行させていただいた、野村さんに再会出来るのが楽しみです。ホテル「サンピア・セリーヌ」にて再会する事になると思うが、美味しい鰹のたたきを食べさせていただけるお店に行って、美味しい高知のお酒を飲みたいものだと思う。誠に勝手な希望であるがどうなるか楽しみである。

三日前より同行して歩いている佐賀県の田上さんですが、この遍路の事をとても研究されていて、宿の名前とか、道路状況など、とても詳しい。昨年一回目を結願された様で、パソコンにて情報を入手されている様で、歩きのペースも一定速度を保っていらして、宿に入宿するのも、いつも午後3時から4時の間と決めていらっしゃる。今晩、夕食を同席させていただけると思うが、明日の宿は同じだが、その後の予定は未定である。夕食の時にしっかりお願いして、これからの同行をお願いして、了解していただきたいものだ。今日、香南市を通過している時に、三菱の創業者岩崎弥太郎の生家、3.3kmとの案内板見かけました。数年前にNHKテレビの大河ドラマで一躍有名になったものだから、この様な看板も立つものだと、感心した。

 

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4月8日(水) 寒いが歩きには最適な天気 朝7℃ 昼13℃

 

宿の、高知黒潮ホテル」を、朝食後7時10分に出発する。この遍路に出て一番よく眠れられた夜だった。物音一つせずに、ベッドの硬さも良く調整されていて、ナイスである。朝食時に、昨晩同じく食事をした外国人3人家族も一緒に食事をした。驚いた事に外国人3人は、29番札所でお顔を拝見する事になったのである。奥さんは、自分の顔に見覚えがあるらしく、とても丁寧に頭を下げられていた。人間一度顔馴染みになると、少々親しみを感じるのかなと思った。気になるのは、今日の外国人はタトゥーを入れられていた事である。昨日の夕食時には、顔の左半分しか見られなかったが、今日は右半分の方を見る事が出来た。タトゥーが入った手の方は長袖で全部は見る事が出来ないが、両手首から上腕にかけて入っている様に見受けられる。民族それぞれ風習の有る事は認めなければならないが、この様な機会にタトゥーが見受けられた、改めて世界は広いなと思わざるを得ない。宿の「高知黒潮ホテル」を出発して、28番29番30番と打つ。歩行距離も20数kmと自分としては厳しくはない距離と道路である。

この遍路に来て、初日と二日目に出会った高知市の野村さんは、慶応大学を卒業されて、東京海上保険会社に勤められていて、いわゆる転勤族で、日本全国の支店巡りをされていたようです。大学時代は相撲部に所属されていて、大相撲の部屋に出稽古に出掛けられていたとの事でした。野村さんは歴史に関して相当な博識で、自分の知らない事を理路整然と説明してくださって、感心するばかりである。又、自分の勉強不足が現れる場面と思う所である。野村さんとは宿を一日同宿しただけで、自分をこの様に歓迎してくださり、普通の遍路さんでは体験出来ない事を経験させていただける事に、感謝であります。野村さんの心遣いで、高知城、坂本竜馬像、長曽我部元親の銅像と歩き遍路さんでは体験出来ない様な体験をさせていただき、とても頭の下がる思いであります。野村さんの御配慮で、夜は高知県庁近くの小料理店で、高知県自慢の鰹のたたき、宇佐の鯖とこの地でなければいただけないお酒のおつまみをいただきながら、生ビールと芋焼酎を飲み交わす。話は政治から、野村さんの得意分野の日本史と江戸時代から明治にかけての日本経済の成り立ち、会社の経営方針等、野村さんがいろいろと勉強された事を、とても興味深く拝聴させていただいた。自分の地元では、この様に丁寧に理路整然と歴史を語っていただける方は見かけた事はありません。又、私もその様な機会は沢山あるでしょうが、進んで参加した事はありません。自分の勉強不足が現れました。野村さんはお別れをする時に、参考資料となるメモをお渡してくださいました。その心遣いにも又、感銘しました。もう一つのアドバイスは、この遍路で一日の歩行距離を一日25km位と定めて歩いて行けば、もっと仲間が増えるはずだよと、言われた。自分は一日30〜35kmと決めていたが、その距離でも、余り苦労せずに歩く事が出来るが、女性や歩行距離に自信のない方は、一日25kmが精一杯であるそうだ。野村さんのアドバイスは、私に一日歩行距離を25km位に抑えれば、もっと新しい出会いが生まれるよと言われた。目から鱗である。何も急がなくてもいいのだ。88番まで自分の体力のある限りで全部打つ事が出来ればいいのだ。明日はその方向に少々向かっている様な気がする。田上さんと山梨県の方は、33番札所雪蹊寺にて宿を取られる。自分も高知屋さんに宿を取ったので、明日の朝はとてもゆっくり出来る朝だと思う。あまり気を許さずに、と、床に就く。

 


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4月9日(木) 曇り 朝7℃ 昼16℃

 

昨晩のアルコールもすっかり抜けて、朝6時半に起床した。本日の歩行距離は約19kmと短いので気も楽だ。道は平坦と思いきや、31番札所竹林寺に入る遍路道は急坂であるが、しかし距離が短いので余り苦労なく31番札所五台山竹林寺に到着した。竹林寺の山門に入る前に、牧野富太郎博士の植物園を通過しなければならない。早朝とあって、お客様は一人もいらっしゃらない。しばらく歩いて、竹林寺の山門に到着だ。案内板もなく、少々とまどいながらよく確認して、竹林寺に入って行く。本堂に到着する前の石段はテレビや雑誌でよく見かけられる石段である。緩やかであるがとても幅が広い石段で、石の積み方に石工さんの意思が入っている。同じ大きさや組み合わせの段は一つも無い。登る途中から、赤色の五重塔が目に入る。屋根の幅が広く、重厚さを感じさせる塔だ。この五重塔は、後で見る事が出来ると思うが、麓の街からこの塔を見る事が出来るのだ。高知市民に愛される理由と理解した。竹林寺を打って、32番へと向かう。32番札所禅師峰寺は、地元の方は、峰寺と呼んでいらっしゃる様だ。寺に着いて、お参り後、太平洋を見下ろす事が出来る場所に向かい写真を撮った。太平洋が少々丸く見える気がする。昨日の坂本竜馬像の前からは、曇り空で良く見えなかったが、今日も曇りだが昨日より良好だ。32番を打って、33番に向かう。今日は、高知市営フェリーボートに乗る事に決めているので、出発時間に間に合わないと次の便までの待ち時間が長いので、歩を速めて進む。13時30分発の船に乗る事が出来てラッキーであった。乗船時間は5分位。距離にして200m位である。今は、橋も開通して船の役割は減って来ている様で、乗船客は6名と少ない。お遍路客が4名、地元の方2名だ。市民の足として定着しているが、この時間帯では仕方ない事だと思う。下船後、33番札所雪蹊寺目指して歩を進める。歩行途中に見かけた看板、酔鯨酒造所の前を通過する。いかにも高知を代表する酒造所であるようですが、大手の酒造メーカーの傘下に入った様だと、昨日、野村さんに教わった。世の中、継続することは難しいね。並大抵の努力では継続出来ない。他人の何倍努力しても結果は現れない。好結果は、時の運も味方をしてくれないと成就しない事が多いと思う。運と努力が必要だと思う。

いよいよ、鰹の季節に入りましたね。今日の夕食で、4日連続で鰹を食べました。やはり、地元の物は味がいいね。新鮮という事でしょね。自分も魚は好きだし、四国では、四足はほとんど出てきませんからね。

 

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4月10日()  雨のち曇り 朝8℃ 昼16℃

 

今日は、四国に入ってから4度目の雨天です。四国に入る前から、3日に1日は雨の覚悟をしてきているので、余り雨は気になりません。本日の参拝寺、34番札所種間寺を目指して宿の「高知屋」さんを6時45分に出発した。宿の女将さんは、昨日の夕食時も本日の朝食時も、ちゃんとお櫃の前に座っていらっしゃって、私達のお給仕をなさっています。夕食時には、私達の話を良くお聞きになって、適切なアドバイスをなさって下さり、遍路客の不安を少しでも和らげて下さっている事が伺えました。ただ食事を出すだけで、奥の調理場でテレビを見ているよりも、私達の話を聞いて下さるだけでも嬉しいのです。この様な心遣いが、宿の評判を上げて、現在のネット社会において生きていける秘策だと思った。又、ご丁寧な事に、朝、宿を出発する時に玄関先まで見送って下さり、頭がさがる。今回、四国に来て初めて体験する場面である。宿の前で女将さんの写真を1枚写させていただき、フェイスブックに載せておきました。

今回、四国に来て感じる事は、女性の遍路さんが多い事だ。外国人の多い事は初日から理解したが、女性の一人遍路の多さには、ビックリだ。今日も、35番清滝寺に向かう時に、仁淀川を渡るのですが、どうも道を間違えられた様子で、橋の上で私達を見て、アドバイスが欲しい様な顔をなさっていらっしゃた。どうにか工夫されて橋を渡られた様だが、一人遍路でいい度胸と感心する。

又、二、三日前から、度々見かける女性であるが、本日、36番番札所青龍寺の門前にいらっしゃって、外国人の方と英語で会話されていました。私が尋ねた所、彼女はアメリカに在住されていた様で、英語を見事に使いこなされていた。残念ながら自分には出来ない。日本人の海外進出がうなずける。自分も、もっと外国語を勉強しておけばよかったなと思う次第であります。まだ「遅くないぞ」と言われそうですね。自分にはやらなければ成らない事が多すぎると逃げ口上にしているこの頃であります。

36番札所青龍寺は、あの横綱「朝青龍」に名前が使用されたお寺であります。寺の目の前に高知明徳高校の寮があり、朝青龍関は毎日、寺の石段を登り降りして体を鍛え上げたというエピソードは有名な話で有ります。

本日、高知市内でお世話になった野村さんより電話があり、時間あればコーヒーを飲みましょうとお誘いがありました。私が洗濯の準備をしている時に部屋に電話が入った様で、受付に両替に行った所へ野村さんがいらっしゃって、外にコーヒーを飲みに行きましょうとお誘い下さり、国民宿舎「土佐」までコーヒーを飲みに連れていって下さいました。野村さんの勉強熱心なことや歴史好きは、数日の出会いでありますが、充分に理解出来ました。「土佐」で太平洋を見ながらコーヒーを飲み、今日までの出来事やこれからの日程の話になり、ここまで来ればペースも理解出来るし、体も慣れてきたし、油断さえしなければ通し打ちも出来るよと、激励して下さり、有りがたい事です。帰り際にメモを渡してくださり、三冊の本の題名が書いてありました。私に対して、是非読むようにと言われました。家に帰ったら図書館に行き、一冊でも読みたいものだと思う。人間死ぬまで、勉強しなければ・・・(笑)

本日、清滝寺を打って帰る際に、歩き遍路の苦痛の種の一つであろう「重いリュックを担いで同じ道を帰って来るのなら、何処かに置いておき、帰りに背負って行きたい」という思いは、歩き遍路さんは全員持っています。荷物を置く場所があれば、そこに荷物をおきたいのです。それが、今日のこの場所で起こりました。帰り道に荷物を置く場所を発見しました。清滝寺に向かっている時は、見つける事が出来ませんでした。帰り道で発見です。残念!大きな看板があればお遍路さんはリュックを置いて、清滝寺まで行きますよ。

案内板の設置をお願いしたい所ですね。

宿での夕食時、レストランの私達の席の上の電球が切れていたのです。ウエイトレスさんに場所の移動をお願いした所、承諾していただけませんでした。支配人さんの様な方が、いらっしゃて電球を交換する事になり、若い従業員の方が脚立を持って来て、電球を交換して下さいました。接客業をするなら、店の営業開始前に最低チェックする項目があり、確認するのは当たり前の作業だと思います。美味しい料理も暗い所では、美味しく感じません。細心の注意を払っていただきものですね。

 

 

 

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4月11日(土) 晴れ 朝12℃ 昼21℃

 

朝食後、宿「三陽荘」を7時15分に出発だ。少々肌寒いが、短パンとTシャツと白衣で元気よく歩を進める。昨晩の食事仲間、佐賀の田上さん、東京の三上さんとは、今日でお別れだ。今日は、今回最長の歩行距離目指して、浦ノ内湾の北側の平坦な道路を、常日頃地元で行っているウォーキングの調子で快調に飛ばす。出発して40〜50分位の所で、地元の漁師さんを追い抜いた、その時漁師さんの声が耳に入った。「そんなに早いスピードで歩くんかい」とおっしゃった。自分は早朝ウォーキングのスピードで歩いているだけで、早いとは思わないが、あっという間に追い抜いてしまったので驚かれたのだ。1時間位歩いていると、昨日少しの間一緒に歩いた静岡県袋井市の方に追いついた。お話しをしていると、自分と同年という事でした。自分から見ると、失礼ながら、2,3歳年上の方に見えました。その方も自分に対して、お若く見えますね、とお世辞を言って下さいました。この方は持病が多くある様で、糖尿と何やらとおっしゃっていらっしゃいました。この方の遍路の仕方は、ある所まで車で行き、車を置いて公共交通機関を使って昨日の場所まで戻ってきて、またそこから歩きを始めるという歩き遍路の方法です。宿が無ければ車の中で仮眠を取る事もあるそうで、何とか全部打ちたいとの意向の様でした。この方と須崎市まで同行しました。須崎市は、住友大阪セメントの須崎工場があり、広大な面積を要しているセメントプラント工場だ。約30kmの奥地にある石灰岩をベルトコンベヤーにて移送して、セメントを製造している工場の様です。そんな工場を見ながら、袋井の方と歩を進める。彼は途中で道の駅に入り、そこで別れる事になった。自分は、本日の宿、久礼駅前の「福屋旅館」目指して、一生懸命歩を進める。途中、山越えの遍路道があるが、本日の歩行距離が長い為、平坦な国道56号線を西へと歩を進める。中土佐町久礼は一回目の時に鰹を購入した多田水産がある所で、今でもパンフレットを郵送して下さる魚の販売店である。まず多田水産に行き、家に送る鰹を注文して宅配便をお願いした。店の娘さんだと思うが、良い鰹が入ったら宅配しますとの事。それで充分で、自分も出来るだけ美味しい鰹を送っていただきたいとお願いをして店を出た。いつ家に届くか楽しみだ。その後、本日の宿「福屋旅館」に到着して、いつもの事を粛々と実行するのだ。風呂に入り、洗濯機を回し、乾燥機に入れ、その間にこの日記を書く。この4時から6時までが、自分の時間だ。日頃書きなれない日記も、時間があると書けるもので、文章も頭の中から、湧いて来て、我ながら多く書ける事が不思議だ。本日にてお別れした東京の三上さんは、タブレット型のパソコンを持っていらして、石川土地のホームページを開いて下さっており、結願した時には第2弾を載せますと約束したので、是非とも、日数が掛かっても結願してお遍路日記を更新したいものです。

福屋旅館が好評なのが理解出来た。写真を撮り忘れたが、夕食が素晴らしく豪華でした。鰹の刺身、鰆の塩焼き、地元産のエンドウのマヨネーズ和え等とても美味しかった。

 

 

 

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4月12日(日) 晴れ 朝12℃ 昼20℃

 

部屋での朝食は、6時半から。前日同様40歳位の宿の女将さんが、部屋までが持参して下さる。朝食も前日の夕食と同じように、お遍路の食事としては、申し分ない日本食の朝食である。前日の夕食は完食であったが、本日の朝食もご飯は少々残したが、お菜は全部いただいた。久振りにイチゴが付いていて嬉しかった。大きなイチゴが2個とても美味しかったです。この宿、福屋旅館は女将さんと連絡を取るのは、インターホンで取る事になっていた様で、説明が充分でなくて、宿を出発する時に代金をお支払しようと思っても、女将さんが玄関に現れない。インターホンで連絡を取っていれば良かったのでしょうが。自分としては充分に理解出来ず、宿を出発するのにロスをしてしまった。近代機器の使用は現代人では当たり前のことだろうが、充分な説明をして理解できれば機器も便利だろう。しかし、説明するのが言葉だけでは理解が出来ない現代人もいると思う。文章と言葉と両方にて実施された方が賢明だと思います。

朝、洗面所で顔を合わせたお遍路さんに、本日はどちらまでを目指して歩かれるのかと尋ねた所、白浜までとおっしゃった。部屋で確認した所、自分より約10kmも遠方に行く事を目指していらっしゃるのだ。同行をお願いしたが、出発の時間を調整する気もない様らしく、再びお顔を拝見する事はできませんでした。自分は37番札所岩本寺目指して、一生懸命に歩を進める。四国に来てから、最長の距離を歩かなければならないので、強い気持ちで出発だ。宿を出てから、数キロでお遍路道があるが、自分は国道56号線をひたすら37番岩本寺を目指す。その途中、なんと、昨日2〜3時間同行した袋井市の方に追いついた。昨日は午後3時に久礼駅に着いて、車を列車に乗って取りに行き、また先方の方に車を置いて、今朝6時45分から久礼駅を出発して、37番岩本寺を目指して歩いていらっしゃるのだ。車で四国に来ていらっしゃるので、昨日とは違う靴で歩いていらっしゃる。車の中にはまだ他に、二足の靴が用意してあるとの事。車の便利さが理解出来る。二人で同行して岩本寺を打つ。自分は、途中、コンビニ等で食料品を購入するチャンスが全然なかった為、岩本寺の前で昼食を摂り、時間調整をして出発する事を袋井市の方に伝え、お別れする事になった。名前と住所はお互い交換しなかったが、考え方や行動等、自分と相当考え方の合う方である。人間生きている間が勝負。やれる事は挑戦した方が楽しい人生を送る事が出来ると、おっしゃってみえた。自分と考え方は同じで話が合う。納札を交換しなかった事が残念だ。

本日の宿「土佐佐賀温泉こぶしのさと」目指して歩を進める。岩本寺から、本によると10.3kmと記されているが、自分の足では2時間少々かなと思って油断していた。少々の登り坂と、長い下り坂、トンネルも3ヶ所通過して、ようやく本日の宿に到着だ。午後3時きっかりだ。ホテルの受付の男性が少し驚いた顔をされていたが、自分としては普通位の気持ちである。さっそく宿の佐賀温泉に入浴した。肌がツルツルに感じた。今回四国に来て2回目のツルツル感だ。万病に効果がある湯の様だが、この高知県の西の端では、大勢のお客様を呼ぶのも厳しい事だと思う。受付で明日の宿の案内をされて、お願いする事にした。今朝の天気予報で、明日は天気が悪い予報なので、短い距離に抑える事にした。20数kmだ。明日の宿はOKだが、4月14日、15日の宿を予定していた民宿「岡田」に電話した所、女将さんが病気で閉店中との事で、また情報を入手して考えましょう。

何と偶然な事に、納札を交換していなかった袋井市の下村さんが、夕食を宿のレストランで取っていた時に、中に入っていらっしゃいました。下村さんもビックリされていました。少々のアルコールを入れてお別れをしました。下村さんは39番を打ったら、仕事の都合で静岡に帰られるそうで、恐らく今日が最後になると思います。同年で、自動車修理工場と販売を行っていらっしゃるという事は、同年では先見の明のある方だと思う。息子さんが跡を継がれたそうで、うらやましい限りです。是非、2代目さんもがんばっていただきたいと思います。

 

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4月13日(月) 雨午後から曇り 14℃〜17℃

 

昨日の天気予報で本日は荒天が予測され、距離を抑えて宿を予約しました。昨日の佐賀温泉の姉妹宿泊施設「ネスト・ウエストガーデン土佐」は、佐賀温泉より約25kmの所にあるホテルです。南側の部屋からは太平洋が望まれ、とても静かで素晴らしい環境の中にあります。周りは松林とラッキョ畑に囲まれています。この宿がありがたかったのは、リュックを車で運んでくださった事です。車で25kmと言えば、20分か25分で到着してしまう距離ですが、雨の中6kg〜7kgのリュック背負って歩くのはとても苦痛です。又、今日は時折雨も強く降り強風も吹きました。同じ系列に入っている宿という事で、お遍路さんに対してのお接待という事でしょうね。昨日と今日も恐らくお遍路さん価格という事だと思います。ですから、自分の部屋から太平洋は見る事が出来ない北向きの部屋で、松林しか見えません。周りには何もありません。物音一つ聞こえません。部屋から洗濯機の動く音が聞こえる位です。お遍路料金なら太平洋が見えなくとも、仕方ないと思わなければ。

今日、袋井市の下村さんの不思議な行動に巡り合いました。確か午前10時少し前位でしたか、下村さんが逆打ち方向に歩いていらっしゃいました。下村さんは、車で一日前の所まで移動されて、電車で又前の所まで戻って歩き遍路をされている方です。車ですので、身つける物は沢山車の中に入れて在る様で、靴は3足持っていらっしゃるそうです。車で移動ですので、車内泊とか温泉泊とか考えられますが、列車の時間、駅から遍路道までの距離とか、どの駅を利用するか、よく研究しておかないと、ミス無く実行するのはなかなか難しい行動だと察しています。下村さんのお遍路も現代に則した方法かもしれませんね。下村さんは、39番を打ったら帰郷されるとの事でした。がんばっていただきものです。納札を交換しましたので、地元に帰ったらまた楽しみですね。

ただ今、日記の記入中ですが、前高棚駐在のKさんよりメールが送付されてきました。以前より、何度もメールをいただいて情報を交換していています。やはり、仲間は嬉しいものですね。又、近代機器は便利なもので、ありがたいね。自分は充分に使いこなす事が出来ないが、メールなら何とか出来ます。このお遍路に関しても、たくさんのアプリがあって、徳島を歩いている時に鹿児島の高校生が、道が不安な時はすぐにスマホを取り出して、こちらで間違いないよと、確認をしてくれた事を思い出す。もっと真剣にパソコンの先生に教えていただいておけばよかったのにと、後悔する次第です。でも、地図を頼りに何とか今日まで来ました。明日は、民宿「大岐の浜」を目指します。歩行距離は約30kmだと思う。好天を願う所です。

午後1時過ぎに家内より電話がありました。一昨日、久礼の駅前で宅配をお願いした鰹が自宅に届いた様で、その報告でした。家内はダミ声で風邪を引いた様で、機嫌悪そうでした。まあ、元気で家を守っていてくれれば。感謝しなければ。有難う。

 

 

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4月14日(火) 晴れ四国に来てから一番の好天 朝14℃ 昼21℃

 

宿「ネスト・ウエストガーデン土佐」の朝食は、四国に来てから、初めてのパンで、食が進んだ。家での日頃の朝食はパン食で、結婚してからの朝食はパンに決まっている。四国に来てからはご飯が主で、昨日の夕方チェックインする時にパン食を依頼したのが、自分としては腹の調子が良い気がする。朝食後、本日の宿「大岐の浜」を目指して快調に飛ばす。途中、日本で一番の清流と言われている四万十川を渡る。水は確かに澄んでいて綺麗だ。その理由は、流域に住んでいる人が少ない。工場もないし、ダムもないという事ではないでしょうか。という事は、四万十川流域は日本の最たる過疎地域になるのではないでしょうか。そんな景色を見ながら、宿を目指して歩を進める。今日は四国に入って17日目で、一番の好天だ。日が射しこみ、短パンで気持ちよく歩ける。四万十川に差し掛かる前に、同宿した方を追い越した。いろいろ尋ねてみると、今日の宿は自分より約10km先にある。その方は、毎日その位の距離を歩いていると言われていた。毎日45kmだと、四国八十八ケ所を三十日前後で巡る事になる。お年は自分と余り変わらない様に見受けられたが、トラブルを起こさなければ良いと思う所である。今日の歩行距離は、「同行二人」本では、32km〜33kmの歩行距離だと思うが、宿に午後1時40分に到着してしまい宿の女将さんにチックインは良いけれども、時間がもったいないから、これより先に歩いて行き、バスで帰っていらっしゃい。又、明日の朝はそこまで車で送りますからと言われた。宿から約6km弱の距離を1時間半掛けて歩き、3時37分のバスに乗る事を教えていただいた。足摺岬までの中間点になる室津の分岐点という所で路線バスを待った。バスは正確に現われ、乗車した。約6km距離で料金は300円。お客は遍路客が3名、地元の方が1名とガラガラの路線バスだ。自分の勉強不足で仕方ないが、バスを降りる所を「大岐の浜」バス停と思い、ボタンを押してしまった。実際の所、宿の名前は「大岐の浜」だが、バス停の名前は「小浜」。確認せずに歩いていってしまった事が、少々のミスになりましたが、数百mの歩行距離で助かりました。宿に入りチェックインして、女将さんがお茶を入れますか?と言われたので、即座にビールを注文した。ありがたい事に、女将はビールの当に、干し烏賊をあぶって持って来てくださった。酒飲みの気持ちが判る女将だと感心しました。うれしかったね。この様な心遣いが、再度お客を呼ぶネタになるのではないのかな。

ビールを飲んでいる間に、スマホに電話がありました。仕事の話で、岡崎のS交通の方が、駐車場を探しているとの事でした。S交通の担当者の方は、どこかの業者さんに、私が貸駐車場の看板を立てているのを知っていらした様で、事務所の来られたのだが、あいにく私は不在。事務所に連絡場所の張り紙をしておいた為、スマホに電話がかかってきたのです。明日地主様お会いに行かれると思う。どうも、電話では話が急な様で、少々不安であるが、S交通ならバスを沢山所有されているので安心だと思う。地主さんが何と言われるか気になる所だ。地主さんには御免なさいだ。まとまればありがたい話だ。

「大岐の浜」は長さ約2kmの広大な砂浜であります。海亀の産卵でも有名な場所で、保護区に指定されていて、遊泳禁止の措置が取られている様です。

 

 

 

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4月15日(水) 晴れ 最高のお遍路日和 朝12℃ 昼20℃

 

宿「大岐の浜」を7時15分に出発だ。嬉しい事に昨日、宿より約6km先まで歩いて行っているので、そこまで宿の関係者のトヨタプリウスにて送っていただいた。最高のお接待だ。昨日、宿の女将さんが約束してくださった事を守っていただいて有りがたい。室津の分岐から38番札所金剛福寺は、13km余りの高低差のない県道27号線を足摺岬に向けてひたすら歩を進める。約3時間後10時30分に足摺岬に到着だ。

一回目の遍路の時は、この岬に到達する前に、左側は太平洋、右側は約数mの石ガケで、そのガケ寄りに無数のお地蔵様が安置してある所を歩いた経験があるのだが、残念な事に今回は、そのお遍路道の案内は無く県道を歩くのみでした。恐らく、お遍路道を整備、維持するのに莫大な金額が必要な為だと思う。聞く所によると、その場所は自殺の有名な場所で、江戸時代から明治にかけて両親がお遍路に行くと息子に伝えて旅に出たが、いつまでたっても帰って来ない。恐らく口減らしの為、足摺岬で投身自殺を図ったのだろうと思った息子さんがお地蔵さんを奉納して供養したのだと、第1回目時に耳にした覚えがある。そんな縁起の悪い話は現代には通用しないし、そんな事で有名になって自殺希望者がどっと押し寄せて、福井県の東尋坊みたいにならない方がよいに決まっているから、この話はこの位にしましょう。

宿のお接待の握り飯を頬張り、その後一路帰路につく。先ほど自分で歩いて来た道だから、何の気遣いもなく、宿目指して一目散に歩を進める。途中、朝は通っていない遍路道があったので、興味本位にそこを通り抜け様とした所、路面の岩が湿っていて滑り、尻餅をついてしまった。左肘に少々かすり傷を負ったが出血はしていない。軽傷で済んでありがたい事だ。今回の四国遍路は、昨年企画したが、直前に仕事のトラブルが発生し、ドタキャンしてしまった。その時に購入しておいたミズノの登山靴でチャレンジしているのだ。登山靴とソックスは申し分ないのだ。雨の時の為に登山用のスパッツも購入して雨対策は完璧で、今の所足のトラブルは皆無だ。過去の経験が生きている所だ。ここまで来るまでに、多くの方に自分の装備を自慢している所だが、登山靴の底の溝がすり減ってきて、底の溝が浅くなってきているのです。その為の今日の事故とも思える。靴は人間を守る為にあるのだから、その身を削って御主人様を擁護しているのだと思う。底の溝が無くなれば、松山市内あたりのデパートに行って、登山靴の購入も頭に入れておかなければならない状況だ。明日は39番札所延光寺目指して歩を進める。およそ35kmの歩行距離になると思う。

 

 

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4月16日(木) 晴れ 朝12℃ 昼24℃ 少々バテ気味

 

宿「大岐の浜」を午前7時15分に出発する。出発する前に宿の女将さんが写真を撮って下さいました。女将さんのカメラでしたので、恐らく郵送して下さるのですかね。昨日の帰り道で岩に滑って、左肘に擦り傷が出来ました。その事を女将さんに伝えた所、「オトギリ草」のオリーブオイル漬を傷口に塗って下さいました。とても早く治った様な気がします。地元に帰ったら、薬品関係者に伺おうと思っています。その結果が楽しみです。本日の歩行距離は、「同行二人」の本によると38km位ですが、自分は少々疲れました。急な登り坂はないのですが、どれだけ歩いても目的地に着かない様な気がして、少々焦り気味になりました。39番札所延光寺を打って、本日の宿「民宿島屋」さんに午後3時30分に到着。御主人一人で経営されている様で、女手なしで大変な様に見受けられる。本日途中で、女性二人でお遍路をされている方に出会いました。道端で売っている文旦を買った所、重いので食べていただきたいと、お遍路さんよりのお接待です。大歓迎です。二人は大阪の方で、お年の頃は60歳〜63歳位で親しい友人の様に見受けられました。途中、道端に名も知らぬ花が咲いていました。食中植物の様な形態をしています。写真に撮りましたので載せましょう。葉っぱはドクダミに似ています。

歩き遍路は歩く事に無我夢中で、草花や景色についてはなかなか文章に出来ないが、今日のこの花は、生まれて初めて見た花です。自宅に帰ったら図鑑を調べるのが楽しみです。やはり所変われば品変わるで、オトギリ草も知らないし、名も知らぬ花が咲いている、狭い日本だと、口では言っているが、まだ知らない事が多すぎだ。こんな体験も、歩き遍路のお蔭だね。

今回の遍路で、遍路さんが多い事もさることながら、過去二回では見かける事の無かった、逆打ちをされている方の多い事です。お話を伺うと、2〜3回順打ちをされて、その後の挑戦の様です。ほとんどの方が、会社を定年退職された方ばかりです。年金をもらえるし、生活が安定している証拠に見られる。

 

 

 

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4月17日(金) 晴れ 絶好のお遍路日和 朝12℃ 昼22℃

 

宿の「島屋」さんを、朝の6時40分に出発する。埼玉県の秋田さんとは、昨晩名刺を交換していたので同伴する事になった。秋田さんは75歳位の方で、ゴルフもプレーなさるし、NTTに勤務されていた方で、とてもダンディーな方です。足は少々遅い方ですね。今日、同宿した高知県の方(名前は存じません、中先達の輪袈裟をされていました)の先導で、宿毛市まで同伴させていただきました。過去9回順打ちを経験なさっていらっしゃるとの事で、頭の中に住宅地図が入っている様に見えた。宿を出て300m位で右折をしました。同行二人の本には記載されていない道路である。自分の感覚では約1.5km位ショートカットしていると思う。とても助かる事です。今日は、秋田さんと相談して遍路道を行かずに、国道56号線を行こうという事になった。途中、コンビニで昼食を購入したが、その際秋田さんが、手袋を忘れた事に気が付いて引き返されました。自分一人、国道56号線をただひたすら、40番札所観自在寺に向けて一途に歩を進める。国道56号線はなだらかな上り坂の連続で、自分としては余り苦痛な道路ではなかったが、一緒に宿を出た中先達の方の発言の中に、「大回りですよ」と言われた事が本当に当たっていて、歩いても歩いても40番札所は見えてこない。途中、コンビニのヒサシを借りて昼食を摂った。コンビニの経営者の方が、今から40番に行くから車に乗せていきましょうかと声を掛けられたが、歩きにこだわっているので丁重にお断り申しあげた。地元の方の社交辞令だと思うが(心の中では、受けたい時もあります)、何とか40番札所観自在寺に到着した。納経を済ませ、一路、本日の宿、民宿「ビーチ」を目指す。本では40番から8kmであるが、ダラダラ坂を昇り、3時15分に民宿「ビーチ」に到着した。この宿は、以前にも宿泊した事があり、先回の女将さんの言葉使いを思い出している所です。15年前と、設備は全く変わっていなくて、お遍路客相手の宿泊業も大変厳しい現実が受け止められる。どうも後継ぎはいらっしゃらない様で、病気でもされたら廃業されてしまうのかと思う所です。

ところで、本日、地元の高棚駐在所に赴任されていた栗田幹夫さんが、はるばる名古屋からバイクに乗って、この宿を目指してツーリングに出掛けていただいております。気心の知れた方が、はるばる四国の一番西側まで来て下さるとは、感謝感激です。今晩のアルコールの量が増えそうです。栗田さんの無事故を祈ります。

栗田さんが、夜8時40分頃637kmの走行をして、はるばる四国の愛南町まで激励に来て下さいました。とても元気なお顔を拝見して、涙が出る位嬉しかったです。栗田さんは明日、足摺岬、桂浜、室戸岬を回って名古屋まで再びバイクを飛ばして帰って行かれるのです。この様な機会を生かす行動力に感心です。無事に名古屋に到着される事を祈ります。

 

 

 

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4月18日(土) 晴れ 絶好のお遍路日和 14℃ 22℃

 

朝食後、宿「民宿ビーチ」の前でカメラに収まった。遍路記念でカメラに収まるのも嬉しいが、栗田さんとツーショットなんて初めてだ。栗田さんの無事帰還を願ってお別れをした。

昨夜、宿の夜空を見ました。栗田さんのバイクを見たついでですが。ここまでの田舎になると街路灯一つも無く、夜空は満点の星でした。地元のもう何十年前の夜空でした。星の数の多さに見とれました。

今日からは、自分のスピードが少々速い為に、今まで数回お顔を拝見した方を後方においてきているので、一人でもくもくと本日の宿「ビジネスホテル菊水」へと向かう。本日の歩行距離は約33kmと普通の距離である。国道56号線をただひたすらに宿に向かう。途中には短いお遍路道もあるので、そこも通りながら黙々と歩を進める。菊水には午後3時前に到着した。4時にならないとチェクイン出来ないと昨日言われたので、街中のコンビニでビールを飲んだ。疲れた後のビールは旨い。宿に戻りチェックイン。宿に洗濯機が無いのに頭が痛い。やはり清潔な衣装で歩きたいものだ。特に靴下は良く乾燥したものを着用したい。宿の女将さんに明日の天気を聞きに伺いに行く。データ放送で明日の天気を確認して、明日の宿も予約した。明日の歩行距離は、約39kmと長距離だ。宿には食事もないし、心して明日の準備をしなければならない。昨日の民宿「ビーチ」さんは、15年前にお世話になった宿であって、宿の設備は15年前とほとんど変わらず。お遍路宿としては、残念ながら低いランクに入ってしまう。料金も格安だが、後継ぎがいない為投資も出来ない事も理解できる。この様な状況を見ていると、今後歩き遍路は全行程を実施しようとしたら、タクシーを利用しないと無理な様な気がする。お遍路シーズンは短いし、いつ来るか、又、何人来るか判らない歩き遍路を対象とした商売は難しい時を迎えたと思う。又、今回、街道筋の食堂、レストランが廃業に追い込まれて、昼食を食堂で食べるのが難しい事態になっています。朝一にコンビニを見つけたら必ず昼食を購入しないとだめな歩き遍路が現実です。

 

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4月19日(日) 曇りのち雨 12℃ 17℃

 

宿「ビジネスホテル菊水」を7時に出発する。前日、近くのコンビニで朝食を購入しておいたので、それにて朝食を済ませる。昨日の天気予報では、降水確率60%〜70%という事で、今日の歩行距離を抑えましょうと、「宇和パークホテル」までの約26kmの歩行距離になる。約26kmという事で心の余裕があるが、雨天の予報では無理は出来ないので、本日はこの距離で頑張りましょう。途中二回程、お目に架かった事のある、三重県尾鷲市の東さんに、又お目にかかった。足にトラブルがある様で、少々気の毒様な気がする。自分は今の所、靴とソックスがとてもマッチしていて、足のトラブルは皆無だ。歩き遍路の最大の悩みに心配しないで、歩きを続けられる事に感謝したい。

ゴルフショップ「アルド」で購入した、ゴルフ用のソックスが足に合っている様で、とても有りがたい。ミズノの登山靴も今の所無事であるが、靴底が擦り減ってきています。新品の購入を考える時に来ています。

4月19日は統一地方選挙の公示日で、地元では新人候補の選挙出陣式を行っている所だと思います。参加しなくて御免なさい、許してくださいね。当選されましたら、地元発展のために頑張っていただきたいと思います。

四国に来て感じる事が一つ有ります。先回も書きましたが、遍路道の傍に廃車した車や冷蔵庫、洗濯機、テレビ等の電化製品が放置されているのを、何度も見かけています。車なら、廃車すればスクラップとして引き取っていただけるし、又、電化製品は、家電商の方が廃棄代を徴収しているのだと思うのだが、その廃棄代を惜しんでいるのか、それとも、家電商の方が廃棄代を懐に入れてしまっているのか、なぜ正規に処分しないのかな。地元ではこの様な風景は見かけた事は有りません。四国の方、考えてください。

 

 

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4月20日(月) 一日中雨、止んだのは午後3時ごろ 15℃〜17℃

 

宿を出発する時からとても強く雨が降っていました。歩き遍路で一番嫌なパターンです。自分の持っている雨対策を最大に発揮して望むのですが、今日の雨は過去3回の遍路の中で一番強い雨です。車道を走るトラックからは道路の水たまりの水を掛けられるし、上から下から大変な雨です。今日で今回6日目の雨ですが、ポンチョとスパッツの組み合わせが良く靴の中に雨は入らなかったのですが、今日の雨は厳しかったです。

途中、コンビニで昼食を購入、本日の宿目指して黙々と歩を進める。11時30分位に昼食を摂る。大洲市市営体育館のヒサシを借りて昼食だ。昼食を食べている間に体はずぶ濡れなので、着ているもので交換出来る物は全部交換した。靴の中も雨が入り、グショグショでしたが、ソックスを履きかえ、中敷きも水分を拭き取り、グショグショ感は解消出来た。

本日の天気予報の降水確率は90%の予報でしたから、宿を近めの内子の「松乃屋旅館」に予約させていただいた。この宿は、以前にも宿泊した事がある旅館であります。途中で大洲城を見かけ、シャッターを押した。日本に残っている数少ない木造のお城であります。肱川の橋の上から見て、川の中に突き出ている様に城が作られている。昔の城主は、川もうまく利用して、天然の要塞ととらえて城を造営したものだと思う。宿の近くに、歌舞伎で有名な「内子座」がありました。とても手の込んだ建物で、すばらしい出来栄えの芝居小屋であります。こんな田舎町でこの様な芝居小屋が現存するなんて、素敵な事ではないでしょうか。この様な過去の遺産を守り通す、この町の皆さんに敬服したいと思います。恐らく、地域の有力者が目覚めていらして、守る事に全力に尽くしていらっしゃるのだと思う。この日記を書き終える頃に、西の空がようやく明るくなってきました。週間天気予報ですと、明日から4〜5日は好天に恵まれそうですから、気を引き締めてまた望みたいものです。明日は44番札所大宝寺の近くまで行きます。

今日の歩きの途中、大洲城の近くで、全国的に有名な肱川の屋形船を見かけました。岐阜の長良川、犬山の木曽川と数少ない鵜飼船ですね。

 

 

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4月21日(火) 晴れ 朝12℃ 昼20℃

 

内子の宿「松乃屋旅館」を朝7時15分に出発する。松乃屋旅館の昨日の夕食、本日の朝食はいずれも、材料を厳選した手の込んだお料理で申し分ない。お遍路客としては、代金が少々値が張っても一見さんなら仕方ない。いままでで一番のお料理でした。宿は、お客さんが11名宿泊されました(歩きは2名)。全員がお遍路客で、女将さんも大喜びでした。多分、松乃屋旅館の料理が遍路仲間で好評を得ているのだろうから、お客さんも多く来ていただけるのでしょう。女将さんも丁寧に遍路道を教えて下さって、ありがたかったです。女将さんが、本日の歩行距離約40kmも楽に行けると断言して下さった。本日の歩行距離は、いままでの最長を歩く事になる。今日の歩きは遍路道を回避して、一般道を歩く事を選択した結果だと思う。又、少し強行プランであったかも知れない。足は何も異常はないが、宿に到着する時間が遅くなると、自分のこなさなければならない事がたくさんあって、夕食までの間が忙しいのです。宿に到着すれば、洗濯、入浴、スマホのフェイスブック、それに日記と宿に到着後、1時間から1時間半位必要であります。

明日のコースを、自分が充分頭では理解していない為、宿の女将さんに2度も尋ねています。明日も少々強行軍なので、頭にしっかり入れておかなければ。不安なまま行くと、時間のロスが多く成る為、予め頭に入れておく為にアドバイスを求めているのです。明日もお天気は申し分ない様ですから、充分睡眠を取って頑張ります。この宿は、会社の出張の方の宿を主にされている様で、若い方には今日の夕食もペロッと完食してしまうでしょうが、自分の年齢では、少々量が多いと思います。本日の宿で、今回初めて4足の肉が出てきました。自分としては肉を少し腹に入れたいと思っていた時なので、嬉しかったです。明日の歩行コースを2回も女将さんにお聞きして頭に入れたので、明日は自信を持って、歩けるでしょう。

午後7時頃、今日途中に出会った埼玉県の秋田さんに電話を入れました。お年のせいで少し自分より後を歩いていらっしゃるが、順調に回っていらっしゃる様だ。御自分の家に帰る予定を5月中旬に定めていらっしゃるので、今のペースで充分だと思う。体に気を付けて頑張っていただきものだ。

本日、農祖峠を越えて久万町に入る時に、老婆さんよりお接待を受けました。オロナミンCをいただきました。その時、自分の旦那さんの姿が見えないとおっしゃいました。老婆は、年齢は85歳位で、軽四の乗用車で山へ山菜を取りにここまで来たのだとおっしゃてみえました。旦那さんが早く見つかればいいけど。朝、宿の女将さんに聞いた所、行方不明の二ュースは無いとの事でした。

今日は、歩き遍路の方は一名も見かけませんでした。自分がお遍路道を避けた為だと思います。

 

今日、44番札所大宝寺を打ちました。寺の数では半分ですが、歩行距離で計算するとおよそ3分の2位を歩いた事になります。ここまで来るとお遍路さんは、今までの経験で自分の体力、足のスピードと全部把握されているので、もう確実に全部打つ事が出来ると確信しています。お遍路さんの顔色が非常に明るく見えてくる頃です。私も、自分の予定通りに5月の連休中に自宅に帰れる気配になって来ましたので、少し余裕が出て来ました。

 

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4月22日(水) 晴れ、歩くと少し暑い 朝12℃ 昼23℃

 

昨日の宿「笛の滝」さんには、乾燥機が無い為、洗濯したものを全部部屋干しにしましたが、ソックスとブリーフは乾いていませんでした。45番札所岩屋寺が打ち戻りなので、女将さんに干していただく様にお願いして、宿を出発した。

45番札所岩屋寺目指して、一目散に歩を進める。この打ち戻りは2回目も経験しているので、要領は判っている。途中、八丁坂の遍路道があるが、急阪の為に自分は遠慮して県道を進む。単調な道路であるが、自分の足には合っている。約2時間で岩屋寺に到着だ。岩屋寺を打っての帰り道、山門近くで集団のお遍路さんが取り囲んで、男性に人口呼吸とマウスTOマウスの蘇生を行っていらっしゃいました。見かけた所、60歳〜65歳位の男性が倒れられてみえました。中年太りの方で、この急阪を登るのは大変な事で、恐らく急性心臓マヒだと思う。大勢で囲んでいらしたので手も掛けずに通り過ごした。その直後には、救急車のサイレンの音が聞こえて来ました。現代社会は恵まれているね。倒れられて10数分も経たないうちに、こんな山の中にでも救急車が到着するなんて。その救急車は自分が帰り道を急いで歩いている時に、久万町に向けて走り去って行きました。その後には、消防署の車と警察署の車も現地に駆け付けて行った様です。現代社会の人命に対する高配慮が伺われる一面を見ました。そんな事を感じながら、打ち戻りの県道を歩いていると、一昨日の宿でお別れした、岐阜の郡上八幡の山田さんとすれ違いました。山田さんは、松山にて帰郷される様で、マイペースで打っていらっしゃる様です。自分のホームページをスマホで見ていただき、第2弾を期待しているとの要望を受け、ますますこの日記も熱を入れて書き込まなければならないと、心を新たにする所です。

打ち戻りという事で、宿「笛の滝」に戻り、荷物をいただき、昼食の場所を女将さんに教えていただいた。宿の近くにおいしいうどん屋さんが在るとの事で、その店に出向いた。うどん「心」で、女性二人で店を切り回していらっしゃった。店の奥に男性が見えたかもしれません。テーブルが5卓、総数20名で満タンの店で、相席が常識の様で、皆さん相席だ。食べるのは釜揚げうどんばかり、その他は大盛りか普通かの差だけだ。大盛り400円普通300円で、サラリーマン相手に大繁盛だ。麺もおいしい。又、タレもおいしい。こちらではタレに生生姜を入れています。タレ入れのお猪口が小さいので、麺を箸で掬うとお猪口に全部入らない。麺が長いので食べるのに気を使う。地元の安城市で有名な「うどん」店の方がうどんは食べ易い。丼ですとうどんが切りにくい。自分には釡春の方が食べ易い。「心」さんは、うどん以外には何も提供していない。少人数で店を回すには、これは良い方法だと思う。他人の経営の口出しする事はないけどね。

昨日の夕食にキジ鍋が出ました。この宿の異なる入り口が、この地方でキジを育てる方の事務所になっている様で、関係者の方のキジが昨晩の夕食に出していただけた様です。

この建物には他の業者さんも入居されていて、お遍路客相手の民宿では飯が食えない為、経営者の方もいろいろと、考えていらっしゃるのだと思う。

今日は、宿を出て45番を打って、そこから約20km先の46番を目指すのですが、その途中に三坂峠という所があります。ダラダラ坂を久万高原町から、松山市内に入る為に延々と約9kmの登り坂を歩いて、ようやく峠の頂上にたどり着きます。頂上からは、直ぐに遍路道に入ります。過去にも通った事があるので、登りは長いのですが、下りは約半分の距離で通過するお遍路道です。必死の思いで46番札所浄瑠璃寺に到着した所、数日前にお別れした山梨県の深沢さんがいらっしゃいました。自分の頭の中では、自分より一日半か二日位後を歩いていらっしゃると思っていましたのに。お顔を拝見した時には驚きました。この遍路道は歩く道と方法が沢山あり、その選択によって時間と距離が短縮できる事なんだと思う。急峻な遍路道だと思いきや楽だったり、車道の方が楽がと思いきやとてつもなく大回りだったり、何回も経験すれば最短距離と超楽チンの道を選択するのだが、たかが3回目ではそんな事は無理。体力脚力を考え、通る道にも選択肢が多く有りすぎて、素人の自分には最善の方法は判断出来ない。自分が選んだ道が最善だと思はなければ、仕方ない事だよね。

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4月23日(木) 晴れ 絶好のお遍路日和 12℃ 21℃

 

7時15分、宿を出発する。次の札所八坂寺までは約0.9kmと短い。八坂寺を打って初めて判ったのだが、前日の淨瑠璃寺を納経していませんでした。お寺の境内にて山梨県の深沢さんにお目に掛かり、話に花が咲き納経に行くのを忘れていました。今回のお遍路では4回目のボーンヘッドかな。まだ0.9kmと距離が短いので、あわてて戻って46番を納経して、48番に向かう。松山市内には全部で八ケ寺あり、本日全部打つ事になる。途中の道後温泉本館の前で写真を撮り、フェイスブックに載せるつもりでおります。絶好のお遍路日和で、歩く道も平坦で足は思う様に進む。幸いな事に、いまだに足のトラブルは無いという事で有りがたい事です。51番札所石手寺を打って太山寺に向かう途中で、成願寺の西側で道路工事をしていて、全面通行禁止の案内板が小さく自分の目には入らなかった。車に乗っていらっしゃる女性2名より、通行止めでこの先通る事が出来ないと教えていただいた上う回路も案内していただき、何とか元の遍路道に戻る事が出来ました。工事関係者には、充分な配慮をお願いしたいと思う。太山寺に到着する前に、逆打ちをされている方にお目にかかり、工事中で通行不可と教えて差し上げた所、大変喜びになり、自分もお遍路さんに役立つ事が出来てうれしかった。その方に66番雲辺寺の登り方を教わった。手前の四国中央市三島に泊まり、民宿「青空」までなら何とか一日で行く事が出来る。(民宿、岡田に宿泊しない方法)との事でした。そこに日程を合わせる様にしましょう。

そんな体験をしながら、本日の宿「リゾートインまあめいど」に3時30分に到着した。早速洗濯機と乾燥機の事を伺い、乾燥機は無いとの事でした。なければ仕方ないので、洗濯はしましたが、部屋干しにて乾くのを期待するしか無い。宿から明日の宿の予約を取る。今治第一ホテルに電話をした所、乾燥機は無いとの事で、次に今治ステーションホテルに予約を取り、明日はそのホテルを目指して歩を進める事になる。今日の宿には、寝間着、バスタオル、洗面セットなどなしで、今回の歩き遍路の中では最悪の対応だと思う。宿の経営者の方も他の宿の設備や対応を研究しないと、この評判が他のお遍路さんの耳に入ったらお客さんは訪れないと思います。最善の努力をしてお客さんを迎えて下さい。お遍路さんはお金は持っていますよ、安いばかりではダメだと思います。今治第一ホテルさんも考えて直して下さい。

今晩の夕食時に自分の地元愛知県の話で盛り上がりました。同宿している建設業の方が、その方は50〜53歳位の方で、若い時に春日井市の勝川に4年程出張でお住まいをされていたそうで、名古屋の話で夕食が盛り上がりました。又、この宿の女将さんは名古屋市の瑞穂区汐路町の出身で、名古屋市立大学を出て松山にて教師をされていたとの事でした。ホテルのオーナーと結婚されて、今、この宿を経営されているとの事でした。道後温泉も大手の旅館も観光客が少なく、閉鎖したり、売りに出している温泉ホテルが少なからず在る様で、経営がどこのホテルも厳しい時代だとおっしていました。私達の三河でも、吉良温泉や形原温泉や三谷温泉でも閉鎖する温泉旅館が多く有るのが現実あるが、道後温泉でもその流れは同じで、観光業の厳しさが伝わって来ました。

もう一つ、愛知県の話題が今日はあります。通行不能となった所で、年の頃なら80歳前後の女性でした。自分から日常の挨拶をした所、貴方はどちらからお遍路にいらしたのとの問いに、愛知県からと言いました。私の生まれは稲沢だと言われました。その方は、幼い頃に誘拐されて、中国の大連に連れていかれたそうで、戦後に身請け人方が、松山の方で、ここに連れてこられて、その後、結婚しても松山に住まわれているとの事でした。彼女の話で、旧姓は熊沢だとおっしゃいました。自分の中学の同級生に熊沢君がいる事を思い出し、熊沢家は武家の出身で、二本木の開拓に来た事は中学生の時に耳にしていました。老婆の彼女の旧姓熊沢は、江戸時代には武家で、おそらく先祖はハイレベルな生活をされていたのでしょうが、何かのかけ違いで松山に来て、現在に至っているのだと思う。ほんの数分の話であるが、自分の周りの話が彼女の話に同調出来て、彼女の一瞬の心の安らぎになれば幸いだと思う。この年になると、昔話が盛り上がる事に年を感じさせるのかな。自分も良い経験をして来たのかと思うと、良い環境と経験をした事を幸せに思う。夕食時に、石川さんはどちらからとの質問に、愛知県というと、現在一番元気のいい県だとほとんどの方が言われる。どの方も納得で、地元のトヨタさんのお蔭を身にしみてありがたく思う所であり、自分の仕事もトヨタの大恩恵を受けている事は間違いのない事であります。娘の職業や息子のお嫁さんもしかり、西三河に生まれてよかった事が、四国に来て、又、その条件の良さを改めて感じる所です。

 

 

 

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4月24日(金) 朝12℃ 昼22℃ 54番と55番を打つ

 

宿「リゾートインまあめいど」より今日宿泊するホテル「今治ステーションホテル」までの歩行距離は約37kmと少々きつい距離だがほぼ平坦で、少し気を入れて歩けば無事に到着出来る距離だと思う。瀬戸内海の穏やかな海を左手に、一路54番札所延命寺を目指す。途中、太陽石油菊間製油所、新来島ドックと大工場を左手に見ながら歩を進める。11時半頃、昼食にざるうどんとビール1本、おにぎり2個で昼食を摂る。店員さんが代金を支払う時に、お接待で「はるみ」という夏みかんをくださった。54番を打ってからいただいたが、とてもおいしかったです。先日、自宅に8箱のみかんを送っておいたが、多分この「はるみ」だと思います。愛南町の道の駅で送っておいたが、品物を確認せずに送ったものだから、確信がもてない。本日、地元の江川さんより、みかんのお礼の電話が来ました。みかんの処分は家内におまかせだから、何も言う事はない。

54番を打ってから、55番札所南光坊に向かうのだが、先回の時も今治の街の中に入ってから道を間違えたが、今回も自分がキョロキョロしていると、70歳位の女性より進む方向を教えていただき、無事南光坊に着きましたが、自分は十二分に気を遣って遍路マークを探しましたが、街の中では見かける事が少なかった。南光坊に到着したらハプニングが待っていました。室戸岬の24番を打つ前に出会った、北海道の無職の青年とバッタリ出会いました。自分のメモ用紙を渡しておいたので、青年の方から自分の名前を呼んでいただいた。彼の言葉で「石川さん早いね、自分はここまでが精一杯です」と。謙遜していらした。彼とはそこでお別れだ。自分の言葉にインパクトがあった様で嬉しい限りだ。5月の連休後に、彼から電話があれば、最高の対応で臨まなければいけないものだと、心新たにする所です。

本日の歩行コースの中に、太陽石油精油所のプラントのわずか30m位しか離れていない所を歩きました。何かトラブルが発生したら、とても怖い様な気がします。新来島ドックには、自動車運搬船が新造されていました。沖の方にも一隻ありましたから、2隻が新造された様です。どこの国の船かは自分には判りません。

本日の夕食は、ホテルでは用意出来ない為、外に出掛けなければなりません。ホテルの受付の男性の受け答えは曖昧でしたが、ホテルの隣の薬局で、目がショボショボするので目薬を購入しました。花粉症だと告げると、アレルギー性の反応に対する目薬を薦められ購入。その時に食事場所を尋ねた所、とても親切に対応していただき、100m位先の食事処を紹介していただきました。店に入ると、大将が一人カウンターの中におられました。余り愛想はよくありません、職人気質の料理人なのでしょうね。店にはメニュー帳はなく、黒板に本日のお勧め料理と、料金が書いてありました。察するに、常連客で成り立ている店の様でしたね。そこで、生ビール、冷やっこ、芋焼酎と烏賊のゲソと、鰹のたたき定食を注文した。烏賊のゲソ焼きの塩のかけ方がとても良く、鰹のたたき定食は味も良く、量も最適で、この遍路の旅の中では自分に一番適した夕食様な気がしました。各民宿、ホテルも一生懸命に努力されているとは思うが、食べる楽しみを充分に満喫した夕食でした。店名は、今治駅前の定食屋「つくし」さんです。

 

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4月25日(土) 晴れ 絶好のお遍路日和 朝15℃ 昼22℃ 

 

宿の「今治ステーションホテル」を7時15分に出発して、一路本日の最初の札所、56番泰山寺を目指す。今治駅のコンコースを横切って、まっすぐに約3kmを快調に歩を進める。寺に到着した所、昨日も出会った北海道の青年がいて、朝の挨拶を交わす。昨日は八日ぶりに風呂に入ったとの事、テント持参で野宿するとどうしても食事に気を遣い、風呂の事は二の次なるとの事でした。彼は20数キロの荷物を背負っているので、自分とは足のスピードが少々違うので、お先に失礼という事になる。次の札所57番を打ち、58番の仙遊寺に向かう。寺からは今治市内の風景を見渡す事が出来て気も晴れる。今年は桜の季節も終わってしまったが、桜でも有名なお寺であります。

今日の歩きで、自分が寺に行けば顔を見るし、又、途中で追い越しを掛ける事のある男性に出会った。京都の方で、年齢は自分よりは2歳若いとの事。歩きの経験も豊富で、一年前には強行軍で足に怪我を負い途中断念したという。自分とは、足のスピードは相当合う。明日と27日、28日の宿泊予定場所を伺い、同宿する事にした。どうも、一週間全行程のホテルを予約されている様で、夕方、その宿三軒に電話した所、全部予約出来た。この遍路を相当研究されている方で頭が下がる。自分は、場当たり次第で予定を変更する人間である。今日の行程は、前日の予約で、少し楽過ぎる行程であった。ホテルに到着したら、女将さんがまだ先の寺を打てるからどうぞと言う事だ。61番、62番、63番、と午後4時から三ヶ寺を打った。63番からはタクシーで宿に戻った。明日の朝、タクシーで61番まで行き、そこから60番札所横峰寺を目指す事になる。三ヶ寺が打ってあるので、少々楽であると思うが、難所の一つの寺であります。何とか明日の宿、西条ステーションホテルに行きたいものだ。本日の昼食は、今回四国に来て一番の豪華版でした。59番の国分寺を打ってから、そろそろ昼食と思っていました。今回の掟、朝一のコンビニでの昼食の購入をしていない為、昼食場所を探していた所、目の前に寿司屋さんが現れました。質素な造りのお店ですが、しっかりした経営者さんの様で、地元の方も大勢昼食を摂りにいらっしゃって見えました。握り寿司と茶わん蒸しと味噌汁と生ビールで最高の昼食でした。満足しました。

ホテルの窓から外を見れば、遠くの海岸沿いには住友金属工業の大工場の勇姿を望む事ができ、四国は住友さんの一大工場地帯なのですね。

 

 

 

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4月26日(日) 昼間は暑い位 朝15℃ 昼25℃

 

宿の「ホテル東予」までタクシーに迎えに来ていただき、昨日打ち終えた61番札所香園寺に向かう。60番札所横峰寺目指して、逆打ちの方向で遍路道を歩く。四国遍路四大難所の一つ横峰詣での遍路道である。過去二回は、順打ちでこのコースを下って来たのだが、今回は登りである。同行二人の本によれば、9.6kmの表示であるが、登りであるので、二割から三割増しの感覚でいないと、思わぬ予想外の事が起きる事が懸念されるが、今回のこの登り坂9.6kmは、自分では想定内の横峰詣であった。昨日、61,62,63と打ってあるので、横峰寺からは64番札所前神寺を目指す事になる。横峰寺に着いた所、北海道の青年に出会いました。昨日は、公園にて野宿したけれども、食べ物は、牛タンを買って食べたと話していました。重い荷物を背負っての移動ですので、頭が下がります。この横峰寺にお参りに行くには、一般の方は有料道路を通って行く事になります。本日は帰り道に車道を歩行して来たので、その有料料金を徴収する係員に挨拶をして通って来ました。この帰り道は初めて通る道で、急坂を自分の感覚では約10km位下ります。この急坂を登って横峰を打とうと2名の青年に出会いました。寺まで後何分位掛かりますかと尋ねられました。二人とも辛そうな顔をされていました。自分も今日この車道を登る計画をしていましたが、宿でこの有料道路をバイクで通行した事がある女性にお目に掛かり、距離はとても長いよと言われました。又、タクシーのドライバーも車道は長いよとアドバイスをいただき、自分は今日の決断で61番から60番への逆打ちを決めました。結果的には、どうも正解の様でしたね。

前神寺を打って、本日の宿「西条市駅前のステーションホテル」に3時ジャストに到着しました。この宿は夕食の用意がないので、駅前ですから、何処か美味しい夕食を提供して下さる店を探す事になります。

この町は、三年前に祭りを見学するために訪れた事があります。ホテルの前は西条駅で、ここから数百m位海側のホテルに宿泊した覚えがあります。この町の祭りは、10月の第4土、日に行なわれたと思います。夜中の12時にサイレンが鳴り、若い衆が「だんじり」を担いで、街中を渡御する祭りだと記憶しています。とても立派な「だんじり」が、旧のお城址までお礼参りに訪れて、一年の感謝を捧げるものだとおもいます。夜中の12時からの渡御という事で、昼中に町のあちらこちらで若い衆が道端で寝そべっているのを見ました。祭りは馬鹿になればなるほどおもしろいね。

 

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4月27日 朝15℃ 昼25℃ 昼間は歩きには暑すぎます。

 

宿の朝食を済ませる。朝食を洋食にお願いしておいたので、サンドイッチとコーヒー一杯とわらび餅一皿と野菜サラダで、歩き遍路さんには少し量が少な過ぎる。部屋にあったチョコレートを食べて何とか腹ごしらえをして、本日の宿、旅館「大成荘」を目指す。

同行二人の本では、約35kmとなるが、京都市のMさんの考えによる案で、二日前に予約した宿だ。予約する時に、女将さんへ前日の宿の名前を「西条ステーションホテル」と告げたら4時頃になるねと断言されました。何とか早く着きたいものだと必死に歩くが、この一ヶ月の疲れと、この暑さでスピードは上がらない。途中で出会った栃木県那須の宗形さんに、宿はどちらと尋ねた所「大成荘」で気が緩む。明日の宿も同じで所を予約した。宗形さんは71歳で、2回目の挑戦で先月25日に出発された様だ。足摺岬からは海沿いを歩行されたという事で、スピードは自分と同じ位の様だ。(宮崎県側を歩くと、二日余り余分に日数が必要といわれている。)

必死の思いで宿に到着した。女将さんの言う通りで4時きっかりだった。長年の経験で、人間の歩くスピードは余り大差はないのだという事がよく理解できた。宿の前で道路拡幅工事をしていて、この宿も用地買収になった様で、以前は7部屋あったが、この工事の為に3部屋になってしまったと、女将さんは嘆いて見えた。冗談で補償金は、大分いただいたのでしょうと尋ねたところ。話はごまかされました。

今日の歩行中に、50年前の車、ホンダのスポーツカーS600を見ました。学生時代にこの車に乗って、颯爽と通学してくる学生がおりました。当時としては、自分では到底手に届く金額では無く、トヨタパブリカで我慢していました。50年前の車を今でも動く様に手入れされている方の車好きに感嘆しました。

今日、明日と同宿する予定だった京都のMさんは、宿の女将さんの話だと朝方に電話があり、足をねんざして歩く事ができなくなってしまったとの事で、残念です。明日のコースを考えて、同行しようと思っていたのに。夕食の時に、宗形さんとよく相談して明日のコースを決める事にします。

今日途中で、道端の土手の草採りをされているおばあさんに呼び止められました。お年は80歳〜85歳位の方で、道端の花を綺麗に咲かせる為に、ボランティアで一人にて草取りをされていました。頭が下がる思いです。おばあさんはカラオケ好きで、「空海の道」という曲をよく歌うとおっしゃいました。ここで歌って聞かせて上げましょうと言われましたが、丁重にお断りしてお別れしました。この様に、目に見えない所で皆さんに喜んで頂くために努力されている方に頭がさがる。自分も朝のウォーキングの時にゴミを拾い続ける事を決意する次第です。

 

 

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4月28日(火) 曇り お遍路日和 朝12℃ 昼22℃

 

朝5時45分朝食の合図がありました。女将さんの手作りの朝食をいただいた。今朝の3時半頃に、一階の台所でカタコト音がしていました、女将さんが朝食の準備をされていたようです。本当に有りがたい事です。わずか二人の為に、早朝3時過ぎから朝食の準備なさってくださって食べさせていただきました。お金を払えば済む問題ではない様な気がする。この様な皆さんが、縁の下の力持ちとなって、私たちの行動を支えてくださっているのだと思うと、頭が下がる。

本日は65番、66番雲辺寺。66番は、標高900m超高い所にあり、四国遍路では一番高い所にある札所です。雲辺寺は香川県で四国4県の最後の県になります。今日は薄曇りの天気で、昨日よりは歩き易い一日でした。雲辺寺に上るには、遍路道の中でも厳しいといわれて登山道を登らなければなりません。今日は栃木県の宗形さんの先導で、無事雲辺寺の登山道を1時間少々と短時間で登る事が出来ました。四国遍路の難所4ヶ所を制覇した事になります。明日からは香川県の22ヶ寺を巡る事になります。週間天気予報では、雨の予報もなく有りがたい事です。香川県は4日〜5日で巡る事が出来ると思います。気を許すことなく、無事全部打って高棚に帰りたいと思う。

 

 

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4月29日(水) 曇り 朝14℃ 昼24℃

 

6時30分朝食後、民宿「青空」を出発した。昨夕、夕食の時、宿の大将がお客4人を相手に地元の色々な話をして下さった。年の頃なら50歳〜52歳位の小柄の大将だが、話の内容は濃くておもしろかったです。どうも本業は林業のようだが、本業だけでは生活も厳しい様で、奥さんの協力で民宿を経営なさっている様だ。昨日宿に到着してから、洗濯機で洗濯が終了するのを待っている時、ラジオのバックグランドミュージックがジャズでした。小さな心遣いだが、田舎のこの様な所でジャズの軽快なミュージックが聞けるなんて、心がうきうきして来ました。宿の大将は林業が本業で、恐らく広大な面積の山林を所有されている大地主さんだと思います。本当は都会に出たいのですが、先祖から所有している土地を守る為に、この地に住んで、先祖からの林業で生計を立てていらっしゃるのだと推察します。話し方も落ち着いていらっしゃるし、地元の名士だと思います。その夕食を済ませ床に就きましたが、この民宿の部屋は改装した部屋の様で、隣の部屋方がトイレに行かれるときに、床から立ち上がるときに床が揺れるのです。昨晩、隣の方は二回トイレに行かれました。私もトイレ行きましたが、恐らく床は揺れていたと思います。トイレにいかれる度に目が覚めました。民宿を経営する為にこの家を作ったものではないので、少々の不満は我慢しましょう。

今日の歩行は、民宿「青空」を出発して、67,68,69,70、そして71番弥谷寺を打って、近くの天然温泉「いやだに温泉ふれあいパーク」宿泊するコースであります。本よると、距離計算で30km位である様に思いますが。三日前より同行させていただいている宗形さんが、69番の観音寺で足の不調を訴えられ、先に歩を進める事になる。宗形さんは、70番本山寺でお顔を拝見したので安心しました。本山寺の五重塔の建築年は知りませんが高さも充分にあり、保存をしっかりして、後世に残したい建物だと思う。地元の檀家の皆さんには、修繕の負担金で大変な出費で御苦労を察すると、頭が下がる。

世間では、どうもゴールデンウィークの連休に入った様であるが、四国に来てお遍路をしていると、どうも別世界に入ってしまうもので、世間から全く離れてしまって、月日や曜日の感覚が無くなってしまう。こんな事は、四国遍路をしないと体験出来ない感覚である。こんな別世界にいても、家族生活が成り立っている事はありがたい。連休明けから頑張りましょう。

本日、68番69番のニケ寺を打ちました。この寺の奥に銭型の砂模様を見学出来る展望台があり、そこまで歩を進めた。今日は、年二回のしか行われない砂ざらえの日という事で、展望台から見ると100人前後の方が、砂の掃除や銭型の成型に精を出していらした。この展望台からマイクで指示を出して成型されている事に、少々驚いた。現場で作業している方には、ある程度予測出来ても、数10m上から見て綺麗な銭型になる様に作業されていました。縦120m横90mの寛永通宝の銭型です。この作業を拝見出来て感動です。

 

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4月30日(木) 朝15℃ 昼22℃

 

四国に来て一番遅い朝食を済ませ、宗形さんと宿をスタート。一路73番札所出釈迦寺を目指す。72番が順打ちと思うのですが、73番の帰りに72番が存在するという事で、1番逆打ちの形になります。というのも、73番の納経所で72番が納経してなくて、白衣に印鑑が押して無い事を納経所の事務員さんに声を掛けた所、72番はこの下に有ります。と、念を押されてしまいました。恐らく、同じ様なチョットした勘違いがたくさんあり、この様な発声を多く聞くのだろうと推察する。72番に向かっている時に、宗形さんが杖を置き忘れて来た事に気付かれ、取りに戻られる事になり、自分一人で本日の宿を目指す事になる。72番を打って、74番の甲山寺、そして四国遍路最大の寺、弘法大師誕生の寺、善通寺を目指す事になる。

過去3回善通寺を訪れているのだが、広大な敷地に立派な本堂、五重塔とすばらしい建物ばかりだ。この寺の名前が、市の名称になっている事でも、この寺の存在価値が判るものだと思う。寺の周囲には観光客相手の門前町も、この四国の中では一番活況を呈している様に見える。今日は善通寺を打って、通過するだけの寺になってしまうが、調整出来れば宿泊したいものだと思う。これは勝手な思いで、自分が決めればいいことで、歩き遍路さんと同一行動を取った方が、安心感が強く二つの目より、四つの目と目が多くなれば、確認するのも楽だし、チョトした事故やトラブルに対しても安心感は一人よりも大きいと思うのであります。この様な事で、お遍路さんは、同一宿に宿泊する事が多くなるのだと思います。

善通寺は、参拝される方も多く、境内の中にも多くの商店があるが、今日は時間的に10時少々前という事で、売店は営業している店が少ない。メインの善通寺を打って、次の76番札所金泉寺を目指す。ただ一人歩くのも辛いが、平坦な道路でスピードも上がる。76番に到着したら、昨日同宿だった、京都の村山さんが参拝していらした。今日は、ホテルで朝食を取らずに、コンビニ弁当で出発されたのだ。自分より1時間半位前に出発されたのだが追いついてしまった。金泉寺には接待所があり、そこに地元のお母さん達がボランティアで野菜の仕込みをされていた。近くに美味しいうどん店はありませんか?と尋ねたところ、寺から数百mの所にあるとの事で、村山さんとその店を目指す事になる。その店は存在したが、今日は定休日で残念。おいしい讃岐うどんは食べる事は出来ないのかと一瞬思ったが、近くにガソリンスタンドがあり、店員さんに尋ねた所、数百mの所に、おいしいうどん屋さんがある事を教えていただき、二人で目指した。その店は営業中で、ぶっかけ肉うどんの大盛りを注文した。二人はとてもおいしくいただき完食だ。店員さんも、お遍路客と判り親切に対応して下さってとても有りがたい。おいしい讃岐うどんを食べて、パワーアップして、次の札所77番札所道隆寺を目指す。道隆寺は庭園の整備がきれいされていて、庭が自慢のお寺である。77番を打って、次の寺、郷照寺をめざす。途中には、石垣で有名な丸亀城を右手に見ながら歩を進める。78番を打って、本日の宿、坂出市本町の「みき旅館」を目指す。途中、アーケード街を通過するのであるが、今回のこの遍路で感じる事は、旧市街のアーケード街はほとんどシャッター街になっており、商店街の運営の仕方の変遷を感じる所である。自分もその仕事に携わっており、全国的にシャッター街は増えていき、その後は、ゴーストタウンになって行くのだろう。商店を運営して行く事の難しさが、身を持って感じる所である。自分も、地元の商工朋友会の長として思う所だが、地元も同じ傾向で、後継ぎのある商店や事業主はほんのわずかで、先の思いやられる事は、本当の事である。自分の所も今の所後継ぎの予定は無い。自分から息子に対して、後継ぎになる事を言う事は、絶対にない。自分の代で終わっても仕方ない。息子には息子の人生があり、それを父親の自分が決めてしまう事は、息子に対して気の毒である。後継ぎの意思や気持ちがあれば、そのうち言って来るだろう。

この10日間、雨に降られず実に助かる。3日に1日は雨を覚悟してお遍路をするのだが、10日も雨が降らないのは3回目で初めてである。天も味方してくれている様だ。お遍路も先が見えて来て、後3日で終える事が出来ると思う。当初の予定通り、連休中に自宅に帰りたいと思っていた事が実現出来そうで、有りがたいことだ。明日もお天気は良さそうだ。

 

 

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5月1日(金) 暑い 朝14℃ 昼27℃

 

朝6時に朝食をいただく、今回の宿では一番早く朝食をいただく事が出来た。女将さんの遍路の対する心遣いがとても良く判る。この宿「みき旅館」さんは、建物、設備はとても古く、建物を新築するには、とても投資する気になれない所だろう。坂出駅前の商店街のアーケード街は、見事なシャッター通りで、時間体が早い為お客さん顔は拝見出来ないが、アーケード街の7割方は閉店状態だ。15年前に通過した時は、このアーケード街はとても賑わっていた事を思い出す。8年前は、今日よりましだが、シャッターの降りた店が多かったのを思い出す。そんな商店街を、宗形さんと通過して、一路79番札所高照院を目指す。その高照院の手前約300m位の所に、八十場の水という湧水が出ている所があり、そこで、トコロ天を食べる事が出来る店があるのだが、本日は通過するが、早朝という事で店は営業していない。2回目の時に、食べた思い出がある。高照院を打つのだが、自分達にはとても判りにくい表示になっており、初めてのお遍路方には、苦労するお寺だ。自分の答えは、やはり、誰でも判り易く、案内表示版も多くして、苦労を掛けない霊場にするのが、関係者が気を遣わなければならい所だと思う。そんな苦労をして、次札所80番札所国分寺を目指す。高照院から6.6kmの距離で、平坦で歩みもスムーズに進む。国分寺の大師堂が納経所と同じ所にあり、カメラ撮影禁止となっており、大師堂をカメラに収める事が出来なかった。又、納経所の職員(多分、寺の息子さん。奥さん後からお顔を出された)さんの対応の悪さに気が滅入る。納経と白衣に印鑑だけで、500円を支払うのだが、気持ちの良い対応なら我慢出来るが、虫の居所が悪いのか、難しい顔をして横柄な態度で印鑑を押していただくのは気分が悪い。500円は落ちてはいないよ。そんな80番を打って、一路81番札所白峰寺を目指す。同行二人の本ですと、標高280mと標示されていて高をくくっていたのだが、過去には苦い経験はないのだが、この280mの高さと歩行距離約7km弱が、今回は少々キツイ登り坂となりました。30日以上の歩行の旅で、体力ももう限界を越えていて、やっとの思いで登り坂を踏破して81番札所白峰寺に到着しました。納経を済ませようとした所、大きな袋に掛け軸と白衣、納経帳を入れて肩に掛けて、御夫婦の様な方がいらっしゃいました。全部の数は、約30冊以上で、掛け軸は御主人が手際よく乾燥され、又、係員に手間暇掛ける事無く、印鑑を押していただける様に、順次作業をこなされていました。その発言の中で、明日、お客様を連れて来るからね、と、おしゃっていました。恐らく、観光業者の依頼で、当日では数が多い為、数日前から業者に委託して、納経帳、掛け軸、白衣と、押印されて、観光バスにてのお客様の迷惑を掛けない配慮をしているのだと思う。四国には、こんな商売も存在するのです。そんな風景を見ました。

次の札所、82番札所根来寺を目指す。この寺を目指すには、80番から、81番を目指して登って来た道路を、再度逆に2kmほど歩いて目指す事になる。どうせ同じ道を帰って来るのなら、重いリックサックを置いて行きたいものだが、誰もその管理を依頼する人もいないので、結局は背負って歩いて行く事になる。なんと、その途中に大きなリュックサックが道端に置いてありました。81番に差し掛かった所、外国人の二人組が歩いて来ました。年の頃なら30歳前後の二人組で、二人ともヒゲを囃しており、又一人はひざにタトゥが入っており、自分しては避けたい風貌の二人でした。その一人が何も持たないで歩いて来ました。恐らく、リックを置いて81番まで戻り、又、リックの所まで戻り、再び背負って歩くつもりだったと思います。81番を打って、82番根香寺を目指すのにその場所を通過するのだが、案の定リュックは無くなっていました。自分と京都の村上さんで、82番をめざして歩を進めている途中に食堂があり、入る事にしました。そこに、先ほどの外国人二人がうどんを食べていました。私もうどんを食べました。一人の外国人さんが、店のおばあさんに英語で話かけました。おばあさんは少々困った様子で、心配顔でした。その時、村上さんが中に入って、簡単な英語でしゃべっておられました。聞く所によると、二人の外国人の方は無料宿泊所を探している様で、この近くの足尾大明神では宿泊は無理との事で、村上さんの通訳で理解をした様でした。二人の外国人は、安く周りたい為に、善根宿を探している様でしたね。自分達が82番に着くと外国人二人もあまり差なく、到着してきました。82番を打って、本日の宿、予讃線鬼無駅近くの旅館「百百屋」を目指して歩を進めた。

この遍路も3月27日に歩き始めて、5月3日に終える事が出来そうです。総日数38日と、この年齢なら良く頑張ったなと思います。徳島県では少し歩行距離を抑えたので、2〜3日余分な日数が掛かったと今思っている所です。後2日で終える予定、体調に気を付けてがんばろう。

 


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5月2日(土) 晴れ 暑い 14℃ 28℃

 

旅館「百百屋」はJR予讃線の踏切のすぐ傍の宿です。列車が通る度に揺れる宿だ。昨日は午後9時半位まで宴会が行われていて、一階は騒がしいけれども一つ文句も言わずに私達お遍路客はただひたすらに眠るしかない。明日の為に、休養取るしかないのだ。自分達、遍路客相手では、旅館の経営が苦しいのであれば、本から削除して欲しい。この旅館がなければ、他に新しい宿泊場所を考え出すのが、この道の人だと思う。又、この宿の主人は、昨晩の内に代金の徴収を行われ、今朝は、顔一つ見せない。朝食も、スーパーで購入してきた漬物、つくだ煮とパック物で、何一つ手を加えた物はない。愛情のない朝食だ。

その宿を、6時半に同宿している宗形さんと、本日の札所83番札所一宮寺を目指す。昨日の夕食時に同宿した東京の方の話を少し書きましょう。お年は私と同じ68歳、今はお仕事をされていない様です。この遍路に2月20日過ぎに徳島に入られて、今日まで72日と言われていました。1日の歩行距離は10km〜15kmで、番外と本に載っている系列の寺院を全部巡っているとの事。今日の歩行距離は15kmと余裕でいらっしゃる。この遍路、人それぞれの周り方、日数の掛け方など、何の定めもない。遍路は自分に一番合ったやり方で周ればいいのです。この東京の方は余裕があって羨ましい限りです。でも、自分には性格的に出来ません。

一宮寺に向かう途中に、香東川のウォーキングコースを歩くのですが、その途中で、10数日前に若い女性と同伴してお遍路されていた方と出会いました。その方は、自分と会った時は順打ちでしたが、今日は逆打ちで周っていらっしゃいました。88番を打ってここまで来られたのだと思います。年齢は70歳の中頃で、お元気なのに敬服します。そんな出会いの後に、83番を打って高松市内を抜けて、84番札所屋島寺を目指す事になる。高松市内はお遍路マークも少なく、2回目も道を間違えているので、細心の注意を払って行くのだが、国道11号線から左折する場所が判らず、屋島ロイヤルホテルを目印にして歩き、そこにて左折して屋島寺を目指して、何とかトラブルにならずに到着する事が出来ました。

香川県はうどん県で、香川に来たら毎日、昼飯はうどんを食べようと決めていたので、今日はまだ早いが、10時過ぎに目に入ったうどん店でうどんを食べました。3玉の肉うどんを食べた。少し量が多かったが、ほぼ完食だ。朝6時の朝食で、4時間半過ぎていれば、何とかうどんは食べられるものだと思った。屋島寺を打って、次の札所85番札所八栗寺を目指す。屋島寺からの下りの坂道は、前回も感じたが、道路整備が悪く、足元が滑り易く細心の注意を払って進む。途中、讃岐うどんで有名な「山田屋うどん」店で、又、うどんを食べる事にした。そこで、注文した生ビールがなんとも美味しく、自分の喉を通って行った。量は少なめのうどんにしたので完食だ。山田屋を出てから八栗寺に向かう。道路は急坂の直線コースであるが、距離は短くノンストップで山門まで到着だ。八栗寺を打って、本日の宿86番の志度寺の「榮荘」を目指す。志度寺を打って宿に入り、夕食の時に歩き遍路6名が集まりました。全員の目的は、明日の88番札所「大窪寺」を打つ事なので、話題に事かかない。今までの辛い思いや、途中で経験した話など、普通でしたら午後7時前の天気予報を見て終了する夕食も、明日で最後という事で7時半までの長時間になった。明日で88番を打つのだが、その後の行動が又異なる事が面白い。和歌山の高野山に歩いて行く事を目指す人。高松市内にて観光をしようとする方、自分の様に自宅に向かう人と人それぞれで、88番が最後のお別れになるのだが、実際には本日の夕食が最後の別れとなる。明日の早朝の旅立ちの時間が人それぞれ異なる為に、今晩でお別れである。皆さんの旅の安全を祈りたいものだ。

今日は、86番札所に菅傘と杖を置いて来ませんでした。先回は2つとも、86番札所志度寺に置いて家に帰りました。置いて帰るというのは、次回、又、それを取りに伺いますとの謂れがあるそうです。

 

 

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5月3日(日)

 

結願の地、88番札所大窪寺をめざして、6時30分宿を出発する。昨日86番は打ってあるので、今日は、87番札所長尾寺と88番のニケ寺だけだ。もう頭の中は、88番しか入っていない。この数日、同一行動を取っている宗形さん村山さんは、足のスピードが出ないという事で、88番での町営バスの出発13時30分に間に合わせる為、宿を5時に出発されている。自分もそのバスに乗れれば最高だが、別に後1日余分に四国にいるだけだと思ったので、6時の朝食、6時半宿をスタートと朝食をお願いした。昨日の夕食時に、自分の右隣に座られた方も同時スタートで、87番長尾寺を目指す。ゆるやかな登り坂道であり、約7kmの道を2時間掛けて長尾寺に到着した。同行の埼玉県の方は、寺の隣の民宿に荷物を置いて88番を目指すと言われた。帰る予定を1日遅らせられる様だ。二人で88番を目指して、ゆるやかな登り坂を歩き、途中の遍路サロンに9時15分に到着。そこで署名をして、遍路大師の任命書をいただいた。係員の女性の方の説明では、88番へは三通りの道路がある。女体山の遍路道に二通り、もう一通は車道(県道三号線経由)で、所要時間は、いずれも三時間半から四時間位を要すると説明していただいた。自分は車道コースを選択だ。約11kmのコースで、ゆるやかな登り坂、下り坂のコースであるとの説明。自分は二回目に車道を通っているので、コースは大体頭に入っている。所要時間は三時間位と見ていたが、体調もいいのか、グングンスピードも上がる。遍路サロンを9時30分スタートで、途中休憩なしで、88番を目指す。車道を通行するお遍路さんは一人もいない。一生懸命頑張って、88番に到着したのは11時40分で、2時間10分位で歩き、88番札所大窪寺に到着だ。到着した時には、宿を5時に出発された、村上さんのお顔を拝見出来た。自分も納経して、そこで結願の証の証明書を購入した。村上さんに記念写真を撮っていただき、うれしい限りだ。そうこうしている間に、宗形さんも到着だ。三人で寺の前の食堂で昼食を取り、ビールで乾杯だ。3月27日からスタートして、徳島県では4日も雨にたたられ、愛媛県では3回の中で一番の大雨にたたられ、苦行であったが、38日の日数で結願できて、とても満足である。三人とも、13時30分発の町営バスに乗る為に着替えをしたりして、準備を終えてバスを待つ。遍路客だけしかバスに乗らない様だ。10数名の客がバスを待っている。町営バスは自分が一生懸命登って来た道を、全くの逆方向に志度町方向に向かって走って行く。今日5時間強の時間を掛けて必死に登って来た道を、バスはほとんど下り坂の道を、途中、町営施設などを巡りながら、40分位で高速志度のバス停に到着した。そこで自分は、大阪行のバスに乗るのであるが、全くのグッドタイミングで、10分位の待ち時間でバスが来た。運のいい事である。バスは約半分位の乗客で、途中トイレ休憩をして、鳴門大橋を渡る。橋の下の見事な渦潮を見る事が出来た。淡路島を通過して明石大橋を通り、いよいよ本州に入るのだが、連休と交通事故があった様で、車の量も多く、バスは約1時間遅れて、大阪阪急梅田駅に到着した。阪急梅田駅には、確か6時50分位だと思う。大阪駅から新大阪駅にタクシーで向かう。時間的には10分位で新大阪駅に到着だ。三河安城駅に向かう列車は、19時43分で、30分位の待ち時間で故郷の安城高棚に向かう事が出来る。現代の交通機関は、すばらしいの一言だ。また、その交通網を利用出来る場所に住んでいるという事もありがたい。「こだま」は、21時07分三河安城到着で、無事自分の家に到着して、このお遍路の旅の終わりを迎える事になった。

 

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後記

 

今回は、三回目の通し打ちのお遍路であった。歩き遍路の一番の心配は、足の故障である。何と今回は、自分の足のトラブルは0で、何と恵まれた事と思う。友人の近藤さんのプロショップ「GK」さんにて購入したミズノの登山靴と、友人のゴルフショップ「アルド」にて購入したゴルフ用のソックスがマッチングして、足のトラブル0で、まさに奇跡に近い事だと思う。靴の話だが、民宿「青空」の大将が、朝出発する時に靴の代金20,000円の最低条件説があるとおしゃってみえた。20,000円の靴なら一足でOKで、5,000円の靴なら4足必要と言われているという説だ。自分の靴はもう少し値は張るが、お金より足のトラブルを避けてくれる靴は、本当にありがたい。

もう一つ感じた事は、60歳を過ぎて定年を迎えて暇な時間が出来る事は、誰でもだが、逆の見方で、「亭主元気で留守」がいいということわざ通り、だと思う。家にいて、ゴロゴロしていると、奥さんより愚痴が出るから、お遍路でも行って最後の人生修行をしてこようかと、発想される方があるのだと思う。

最後に、自分がこのお遍路に出ても、何一つ文句を言わずに黙って家を守っていてくれた家内に感謝の一言である。又、この様な、丈夫な体に生んでくれた、両親にも感謝したい。

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