97年セミナーのもよう『ミッチマイヤーソンの衝撃』

とんでもない人を呼んでしまったものだ。」これがミッチさんのレッスンを聴いた私の第一印象です。 
「今後チェンバロを続けていくに当たっていろんな意味で勉強になり、また発見あり、Powerになりました。」「ミッチ先生のレッスンを受けることができて本当によかったです。」「パンチを5発くらいくらったようなカルチャーショックを受けました。」これはみなチェンバロ受講生のアンケートからの抜粋です。
トリオソネリーのチェンバリストとして数多くのCDを録音してきた彼女のような海外の大物をなぜ呼ぶことができたのか。これは、実は、本当にちょっとした偶然の重なりの産物なのです。今回の仕掛け人は東京医科歯科大学に勤めるVn奏者の某M氏。彼がアメリカに留中にイギリスまでの飛行機でたまたま隣り合わせたのがミッチさん。これは本当に偶然。そのあと、彼と彼女はロンドンでも行き会ってそのうちに日本に行きたいと言う話まで持ち上がって、後は勢いのままにコンサートの企画までいってしまったわけです。それが日程的にたまたまバロック協会の合宿と重なたこと、夫君であるロバートさんがエウロパガランテや北トピア関係で来日して日本びいきになってくれたこと、彼らが日本の演奏家を教えたいと思ってくれたこと、さらにM氏と私がたった1回しか顔を合わせたことがないにもかかわらず不思議と話が合ってしまっていたこと等々の偶然が重なって、本当になぜなのか、名古屋バロック音楽協会の合宿という都留あたりに比べれば極一部の人にしか知られていない場所に来ることになってしまったのです。この偶然の重なりには本当に運命のようなものさえ感じてしまいます
日本にはミッチさんの実力はほとんど知られたいませんでした。大体,M氏にしても私にしてもミッチさんのライブは実演はおろかライブ録音さえも聴いたことはなかったのに、CDの印象と直感だけで話を決めてしまったのです。もし、録音がいいだけで実演がたいした人でなかったらどうしようなんて考えもしなかった(結構よくあるケースですよね)。よく考えてみれば恐ろしい話です。でも、ミッチさんとロバートさんは我々の予想をはるかに越えた素晴らしい人たちでした。(中村先生や坂本先生、佐野・平井夫妻は当然ですが、とても素晴らしい先生でした。でも、日本に来る費用を自分持ちにしてまで来てくれた彼ら二人を少しくらい余計に誉めても、彼らの実力を知って頂けているので諸先生方からもお許しいただけるのではないかと勝手に思っております) 
レッスンを聴く限り、ミッチさんの解釈は決して奇をてらったものではない実にオーソドックスな解釈で、誰もが納得できるものなのだけれど、尋常でないのが彼女がそれ=自分の解釈を表現する力でしょう。生徒さんが話してくれたことですが「レッスンを受けて一番印象に残ったのは、お別れの時に『怖がらないで』と言われたこと」だそうです。これは表現に当たって自分の考えを思い切って出すということで、彼女がそれまで習ってきたことは、まず曲の様式をどう捕らえるか、その中での表現をどう扱うかだったけれど、自分がこうしたいと思ったことを「怖がらず」に表現することが音楽では何より大事だ、と。
彼女のファンタジーの豊かさはちょっと驚異的なものでした。例をあげるとルイ・クープランの有名なC−durのシャコンヌで、生徒にグランクプレをもっと変化をつけるように10回弾き方を変えて弾いてみなさいと言ったのですが、正直なところ生徒さんにはそれ程引き出しがあるわけではない。少しずつは変わっているかな、パターンを羅列しているだけかなと言った感じ。しかし、ミッチさんが模範演奏をすると、まったく違ったヴァリエーションがそれぞれが今生れたばかりであるかのような新鮮さで、次から次へと繰り出されてくるのです。圧倒されてしまいました。 

今回の合宿はなんと6人もの講師を招くという財政破綻必至の大盤振る舞いをやらかしましたので、正直、全体像は私もほとんど把握できません。ということで、恒例のアンケート紹介から、雰囲気をお伝えしましょう。 
最後に講師演奏について。今年の講師演奏は過去例がないといってしまいましょう。本当に凄かった。佐野・平井夫妻のダウランドとイングリッシュトラッドの泣かせる演奏に始まり、ロバートさんとミッチさんのコレッリ(とても二人だけとは思えない強力な演奏)、デュフォー、マレのフランス趣味を大阪組が演奏した後に続き、チェンバロ、リュート、ガンバの強力コンティヌオによるヘンデルのOp1−5が華やかに奏され、パーセルの「ローズガーデン」という代表的マッドソングの後、ミッチさんのソロでマッドな作曲家最上級のフォルクレが続くという恐ろしいような進行。最後はtuttiによるパーセルと本当に盛りだくさんで時間的にも1時間30分くらいを一気にやってしまうという荒業でした。