あけおめことよろ〜(04/01/01)
ビール片手にPCいじってます(笑)断乳して初めての飲酒でほろ酔いざんす(*^_^*)
去年の今頃は、病院のベッドの上…。一年があっと言う間に過ぎちゃった!!

少し振り返ってみたりして。

一昨年9月末に妊娠発覚、10月頭に切迫流産で入院するも1週間で退院、しかも双子とわかり大喜びしていたのもつかの間、3ヶ月に入ってもう一つの心拍動が確認され、夫婦揃って人生最大の驚きを味わったものでした。

身近に三つ子を産んだ人などおらず、ネットで三つ子の妊娠・出産について情報を集め、万が一の危険を避ける為の管理入院というものがある事、かなりの早産になる事、子供達は産まれてすぐには家に帰れずNICUに入る事、等を初めて知ったのでした。
三つ子の為、今までの病院では未熟児の受け入れが出来ないので市内で一番大きな病院へ転院。小児科も充実しているので、安心してかかれると判断。
12/10、初めての胎動。ぽこっとかあちゃんのお腹を蹴ったのは誰だろう?
12/18、シロッカー子宮口縫縮術を行う為入院、そのままお腹の張りが治まらず正月を迎え、節分も来て…。

節分を過ぎた辺りから、帰宅はもう出産後かな〜とあきらめモードに入っていました。
もし帰宅しても管理入院の予定が迫ってきていたし、1月の時点で既に臨月と間違われるほどの大きなお腹だった為、帰るのも不安というのが正直なところでした。
1月頭に大きな張りに見舞われ、点滴の濃度が濃くなり張り止めの注射の嵐。
なんとか治まったものの、便秘による張りと診断されて便秘薬が処方され、食事が低残滓食に変更。
鶏肉・白身魚・豆腐・春雨以外の物を目にしないほどいつもいつも同じメニューにうんざりして食事が喉を通らず。
御陰で妊娠中トータル+2kgと言う三つ子妊婦にあるまじき体重増加で、日に日に痩せてげっそりしてゆき、あばらが浮いているのにお腹だけが出ている妙な体型になり…。
食事が変えられてから、食欲はものすごくあるのに食べられず、餓鬼になるかと思うほど飢えていました。
今思えば、こういうとき隠れて食べたい物食べちゃう人もいるんだろうね。私はもうお腹の子供守るのに必死で、そこまで考えが及ばなかったんです。
節分が過ぎてまたもや大きな張り。しかも、今度はかなりの痛みつき。注射も効かず、5分間隔でやってくる張りと痛みに丸3日間耐えました。
大きくなった子宮に肺が圧迫されてお腹が張るたびに呼吸が苦しく、夜中真っ暗な病室のベッドで「このまま死ぬかも…」と思ったほどでした。
痛み止めの座薬を使うと効果覿面。ウソのように張りも痛みも治まり、落ち着いた私ですが、この騒動には主治医も限界を感じて個室への移動を余儀なくされました。

そこから3週間にわたり導尿。尿管というものはかなりつらいもので、それを3週間耐えた私は偉かった!!と今痛切に思います。
24時間延々続く点滴の水分に加え、大きくなった子宮に膀胱が圧迫されて頻尿になり、トイレに通う回数も増えたため、子宮頸管長(産道の長さ)が短くなってきた事への措置でした。
大きい方はトイレ可だったので、日に一度トイレに立つのみ。洗顔も食事もベッドの上。
それだけでなく、出来る限り寝ているように!!と言われ、殆ど寝たきり状態でした。
寝ていろと言われても、横を向くと下にされた方の子が自己主張するのでお腹が張る為、上を向いてしか寝られず。
お腹の重みが丸ごと腰にかかるので常に腰が痛い状態でした。
3月に入ると出産(手術)の日にちが決まり、いよいよ落ち着かなくなってきました。
そんな中、主治医が静岡の病院への異動が決まり、切る事が出来ないと言われました。
3月中であれば異動前に切る事が出来るのだけれど、子供達のことを思うと4月まで待って切った方が一つ学年を下に出きるのでいいのではないか、と言う私と主治医の意見の一致でした。
残念ではあったけれど代わりに主治医になった先生が私の希望通りだった為、安心してお任せする事にしました。サッパリしていて話しやすく、内診が上手な女医さんです。
4月10日、とても良い天気で大安吉日。
子供達と会えるのを心待ちにしていた私は、穏やかな朝を迎えました。
朝から主治医はやる気満々で(笑)、三つ子(の入ったお腹)切るのは初めてだけど頑張るからね!!遠山さんも頑張ってね!!と励ましにやってきました。
4ヶ月間の入院生活を振り返りつつ、手術までの時間を母と義母とオットの3人と共に過ごしました。
手術中は主治医がずっと話しかけていてくれ、かなりリラックスしていましたが、麻酔のせいで眠くてたまらず、生返事でした。
それでも子供達の産声だけは聞きたくて、朦朧とする意識の中目を開けていました。
第一声「みゃあ!!」続いて第二声、第三声。
主治医が「第一子、男の子!!第二子、男の子!!第三子、男の子!!遠山さん、全部男の子だよ!!」と教えてくれました。
どの子も猫のようなか細い声ではあったけれど、確実に産声をあげてくれました。

32週の早産の為、普通ならば呼吸が出来るか出来ないかギリギリのラインだったのですが、手術の数日前から、子供達の呼吸が出来るように肺を成熟させる注射を私が受けていたのです。
産声を聞きながら、私は感涙を流していました。産まれてくれた!!呼吸もしている!!
そのすぐ後に、思ってもいなかったのですが子供達を一人ずつ触らせてもらえました。
1300g未満の極小低出生体重児の為、そんな事は絶対出来ないと思っていた私のいい意味での誤算と言うヤツでした。

小さな手に触れ、いきなりの事でかける言葉もなく…。
それでも、小さくてもしっかりと温かなぬくもりに触れ、また涙した私でした。
3人が出てきた後、主治医から筋腫があるから取るねと言われ、シロッカーの糸をほどくと言われ…。朦朧としているクセに、案外と色々細かいところまで覚えているし、結局最後まで眠りませんでした。

手術室を出たところでオットが待ち受けていて「全部オトコ!!」と私が言うと、「看護婦さんから聞いた!!お疲れさん!!」と返ってきました。
女の子を欲しがっていたオットでしたが、どうやら私は出産と共に親ばかも一人産んでしまったようで、オットはこの後NICUへ出かけていってカメラとビデオ片手に交渉し、普通は産まれたばかりの未熟児には面会お断りのはずなのに、中に入れてもらって撮ってきました(笑)
私のためだ!!と言っていましたが、可愛いねェ〜と言いながら写真や映像を食い入るように見ているオットを見るに、絶対に親ばかだ!!と確信するに至ったのでした。
産後の私の回復は、主治医含めスタッフさん達も驚くほど、2ヶ月寝たきりだった人とは思えないぐらい普通の日程で回復していきました。
主治医が心配して、「階段を上り下りしてみて、出来るようなら退院していいよ。」とちょっと無理っぽそうな事を言ってみたらしいのですが、難なくクリアー(笑)
きっと私の、家に帰りたい!!と言う気持ちが勝ったのだと思います。
退院して2ヶ月、NICUに子供の面会に週3通い、毎日3時間置きの搾乳。結構ハードでした。一ヶ月実家に世話になり、2ヶ月目は自宅でリハビリ兼ねて普通に生活してました。
子供達が退院してから、小児病棟での母子同室で育児特訓。
このときは、待ちに待った育児が出来た事に喜んで、殆ど寝ずに(一日1時間か30分)育児に没頭していました。
子供達を連れて帰ってからが、正しく戦争。いつ寝たやら、いつご飯食べたやら…。
それから半年。
央登はとうとうハイハイをし出しました。
発達の遅い佳佑も、この間寝返りを打ちました。7ヶ月目前にしてやっとですが、1245gと言うとてもとても小さかった事を思うと、よくぞ!!と言う思いでいっぱいです。
とかく子供の成長を競う気持ちがどの親にもあるようですが、私は出きる限り、ウチはウチ!!この子はこの子!!と個性を尊重出来る親でありたいと思っています。
それから、俊佐が脳室周囲白質軟化症で運動療法のリハビリを受ける事になり、佳佑と央登に、俊佐を差別しない手本となる親でありたいと思っています。
佳佑のアトピーも、長い目で見て改善していけたらいいなと思っています。
央登に関しては、健康上なんの問題もないのですくすくと素直な子に育ってほしいと願っています。
それから、今年の私の抱負。
自分の時間を作る!!です。
もう少しPC触りたいんです(^^;)
ブルーベリーだって、ほったらかしだから気になってるんです(^^;)
オットは、やりくりできるならもう一台PC買ってもいいよと言ってくれました。
オットが毎日ノートを持っていってしまうので、デスクトップの購入を検討中です。
でも、その前にハイハイ仕様に家中改造するのが先だわ〜…。
さていい加減寝ようっと。

では皆様、今年もよろしくお願い申し上げます☆


遠山 遊彩