森を再生する会

砂防ダムのコンクリートの塊が数十メートル吹き飛ばされて転がる。地元の山を15年以上歩いている植物愛好家の高松隆吉さんは「人間の力でなんとかしようとしたって、かなわない」とため息をついた。

林業従事者の高齢化と材木の価格低迷で、手入れの行き届かない人工林をどうするかー。宮川村は3年前から、県の補助を得て広葉樹との混交林づくりを始めていました。土砂崩れ防止や水源涵養林、二酸化炭素吸収という森林本来の役割を蘇らせようとする取り組みだ。

所有者の同意をもらい、一定規模にまとまったら「環境林」に指定。民間業者などが20年間、間伐などの管理をする。その後、スギやヒノキは伐採してもよいが、広葉樹を植えるよう勧めていく。

その矢先の台風だった。「予想外の事態でしたが、計画をすすめていくことに変わりはない。結果が見えるのは100年先です。」と、村産業課の谷昌樹主幹。訪れた日には、伊勢神宮の森づくりの勉強をしていた。

宮川村の大半の植林の歴史は明治時代にさかのぼる。「八合目より上は手をつけるな」という言い伝えを、村の年配の人たちは覚えている。しかし、戦後の社会の流れは、全国規模で古人の知恵を切り捨て、目先の経済性を追求していった。人と山の係り方は、長い年月を経て、子孫の代に利益や不利益をもたらしていく。宮川村の人々は今再び、山とかかわる知恵を模索している。