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刈谷万燈保存会 刈谷万燈祭

刈谷万燈祭の由来

この祭りは、刈谷市銀座にある秋葉社の祭礼です。
この祭りの由来はについては、諸説ありますが下記が最も有力な説とされております。
(刈谷町誌・刈谷市誌・刈谷町庄屋留帳などより引用)

軻遇突知命(かぐつちのみこと)を祀る秋葉社は、明治の神仏分離以前には「秋葉三尺坊」を祀っていました。宝暦4年(1754)に松秀境内に秋葉堂建立の発願ががされて3年間、月々6度の念仏講を以て人々の寄進を仰ぎ、宝暦6年(1756)には遠州秋葉山より秋葉三尺坊大権現を歓請しました。
宝暦9年(1759)には拝殿建立の発議もされ、勧進芝居や花相撲などで資金をつくって宝暦12年(1762)に完成しました。
秋葉堂の祭礼の初見は、宝暦7年(1757)の幟(のぼり)と提燈に神楽奉納でした。安永3年(1774)には細工浄瑠璃が登場しましたが、例祭日を6月23・24日に改めた安永7年(1778)には、各町組ごとの出し物の中に「ひゅうひゅう町人万燈」が登場しました。笛や太鼓の打拍子と子供神輿や山錺り(やまかざり)をだしての賑やかな祭りとなりました。
火災に悩まされた江戸を中心に広まった秋葉信仰は、貞亨2年(1685)の幕府の禁令にも拘らず各地に秋葉講が定着しました。秋葉信仰は火難・水難よけ、とりわけ火伏せの信仰として有名です。
この秋葉講の信仰と祭礼に雨乞い立願が行われた初見は、寛政4年(1792)6月15日からの五月五晩の祈願でした。
そして、万燈を登場させての雨乞い祈願は、嘉永5年(1852)7月4日の七日七晩の祈願です。この時の御利生は、後の世の語り草になるほどでした。その後には、雨乞い祈願の本元の竜王宮(丹生川社)の立願にも万燈が繰り出されるほどでした。(刈谷町庄屋留帳より)


刈谷万燈祭について

城下町刈谷の町方の心意気に支えられた天下の奇祭・万燈祭は、昭和33年(1958)3月25日に、刈谷市の無形民俗文化財に指定され、さらには、平成12年(2000)11月21日には愛知県の無形民俗文化財に指定されました。

この250年ほどの歴史を誇る万燈祭は、最近では従来の町内(銀座、司町、新栄町、東陽町、広小路、広小路5組、寺横町)に加え、市内の企業や地区も参加して盛大に開催されています。

「万燈」は、竹と和紙で作られた張子人形で、高さ5メートル重さ約60キロにも及ぶ万燈を若者が1人で担ぎ、笛と太鼓のお囃子に合わせて舞う勇壮な祭りで「天下の奇祭」と呼ばれています。
祭りは、2日間開催され、初日を「新楽(しんがく)」、2日目を「本楽(ほんがく)」と言い、新楽では若者たちが「万燈」を担いで市内を練り歩く「全町曳き(市中行進)」・「全町一斉舞」が行われます。また、本楽では秋葉社の境内で「神前舞奉納」・新栄町で「披露舞」・広小路通りで「全町一斉舞」が行われます。

イベント出演では、葵博や世界デザイン博をはじめ、平成4年(1992)には、NHK「どんどんプラザ(刈谷)」の主役をつとめ、国立劇場の「日本の太鼓」シリーズへの出演。
更に、平成5年(1993)には名古屋まつり宵まつり、平成6年(1994)には国民体育大会アトラクション「郷土の祭り」に出演しました。
また、平成11年(1999)11月の皇居前広場において開催された「天皇即位10年奉祝日本の祭り」に参加、平成21年(2009)には同じく「天皇即位20年奉祝日本の祭り」にも参加。
平成14年(2002)には阪神淡路大震災で陽の目を見なかった「大阪21世紀御堂筋パレード」への出演。
平成17年(2005)の「愛知万博」では、勇壮な舞を披露し、世界中の人々へ万燈祭を紹介。
平成29年冬(2017)「ふるさと祭り東京〜日本の祭り・故郷の味〜」東京ドームで観客を魅了。
平成29年春(2017)「食博覧会・大阪」
平成30年(2019)「杜の賑い 愛知」中部国際空港(セントレア)日本の入り口で世界の人々に披露。
令和元年(2019)「全国公民館大会東海ブロック愛知大会」出演。

万燈祭が世代間でいかにして受け継がれてきたのか、
万燈製作の現場や舞やお囃子の練習風景を動画にて
ご覧ください。

 昭和30年頃、旧肴町(現銀座)の万燈
 昭和45年頃、旧肴町(現銀座)の万燈
 
  旧肴町(現銀座)万燈製作