ジンバブエに出動2002.11.1-11


 今回の調査は、アフリカを中心に蔓延しているエイズに対して日赤が人的支援事業に立ち上がったことの一環である。昨年はアフガン、今年はアフリカエイズ対策。海外出発の前はいつも忙しい。気がせく。妻、両親の心配はひしひしと感じる。「あんたはほんとに心配させてくれるわ」「行きたいんでしょっ、本当は」「患者や家族が待っている無事に帰って来い」「また行くの」。いつしか僕は赤十字にかぶれた。家族、整形スタッフ(特に整形の安藤先生)にはいつも多大な迷惑と心配をかけている。皆に感謝。
以下、赤十字連盟(www.ifrc.org)より発行の世界災害報告2000版第3章危機的状況にあるアフリカのエイズ問題を読まれると理解しやすい。

11/1 0930院長ら幹部に挨拶。0945病院で新第三病棟(ここに新しい整形病棟が入る)起工式に出て1030名古屋駅に向かった。石川先生、田中さんが見送ってくれた。今回は、調査視察旅行で災害救護ではないというもののはじめてのアフリカ、それもエイズ、結核、マラリアなど感染症のメッカに乗り込むのはいささか不安もある。1400から本社でブリーフィングがあった。東浦部長、粉川課長よりミッションの目的を聞いた。現地ジンバブエ赤十字とbi-lateralでデンマーク赤十字との協力事業。新たな取り組みというより現在の検証。隣の火事ではない、アジアにも火の粉は飛んできている。もうアジアでもエイズ撲滅運動を開始しなければいけない。赤十字としての動き、赤十字らしい働きを考えなければならない。NHKの予算だけで、また今年一年のキャンペーンではすまない、ジェネレーションを超えた長い取り組みが必要だ。エイズ事業は簡単ではない。薬、衣食住、これらに援助をしていくと福祉国家の肩代わりとなってしまう。干ばつ、貧困、そしてエイズで家族の大黒柱の父、母が無くなり孤児が残される。社会のなかでどう見ていくのが良いのか。

11/2 昨夜は日赤会館が工事中で泊まれないため芝パークホテルに泊まった。高いが快適。シャンプーやコーヒーとかをもらって成田行きのバス(芝パークホテル前から2900円)に乗った。昼、ブリティッシュエアウエイのLクラス(エコノミー)に乗って飛び立った。長い旅が始まる。ロンドンまで12時間、一泊してジンバブエまで11時間。本社でもらった資料を読みながらと思ったが実際はうたた寝しながらイギリスへ。

11/3 2日の夜、ロンドンに着いた。ここからアフリカ各地、いわゆる昔の植民地に向けて航路がある。大英帝国だ。ジンバブエは11/3の夕方発の深夜便だ。ロンドンで一泊することとなった。ヒルトンホテル。ロンドンは物価が高い。一ポンド200円程度。成田で一万円代えたらあっという間に無くなった。せっかくだからハイドパーク、ビッグベン、大英博物館を薮本先生、東さんらと見に行くこととした。いよいよアフリカへ。

11/4 早朝ハラレに着く。ロンドン出発が一時間遅れたので到着は午前7時半を回っていた。30US$を払いVISAをもらい入国、ジンバブエ赤十字のemmaらが待っていてくれた。暑いがさわやか。空港はきれい。街までワゴン車で行く、途中は赤土の農場があり余り雨は降っていないようだ。インド、トルコ、田舎は良く似ている。広大だ。首都ハラレの街は大きくビルも多い。車の往来多い、あまり警笛は鳴らさない。都会はゴミも少なく、そう埃っぽくもない。午前9時前にBronteホテルについた。4泊5日で253US$。公式レートは1US$=55ZW$,パラレルレートは1US$=700ZW$とか(今後日に日にレートは上がるがまあ10ZW$=1円と考えるとわかりやすい)。えらい違いだ。まだドルを変えてない。荷物を置きシャワーを浴びて9:45に迎えが来て連盟本部へ行った。早速ブリーフィングが始まった。ジンバブエは地理的にも南部アフリカの中心で、また赤十字が強い、治安の良いところらしい。それでここにofficerが多くいるようだ。HIV/AIDS関係の担当者もここにいる。10ヶ国でプロジェクトを行っている。何人もの人から話を聞き、昼食は芝生で、午後はZimRC(ジンバブエ赤十字)にてミーティング。こちらはごった返す街の真中にあった。ZimRCの近くは乗合バスのセンターらしく夕方は多くの人通りはすこぶる多い。タクシーか乗合バス(ハイエースなどのワゴン)が来ると山ほど乗っていく。エイズ事業や青少年育成事業をデンマーク赤十字が古くから事業を行っている。政府の方針で予算が減ったと止めるわけに行かないので日赤の参加は歓迎しているが現場は戸惑っている様子。一日ミーティングで疲れた。1900頃ホテルに帰り小ミーティングを行いなんとかママというホテル近くのイタ飯屋へ夕食に歩いていった。ハラレの街中、電車道より北の治安は良いと。夜は歩かないほうが良い。ピストルは少ないが物取り。現地ZW$(ジンバブエドル)を持っていないので店の親父に交渉して1US$=200ZW$で計算してもらった。このレートは高かった。ナポリタンスパ1100ZW$。ビールやワインを皆で飲んで帰り寝た。その夜中に吐き気と下痢が起こり何度もトイレへ。緊張と飲みすぎか、帰りたくなった。頭も痛く熱もあり坐薬を使った。最近疲れると頭が痛い。

11/5 フィールドへ出る日だ。日本との時差は7時間。朝5時過ぎに起きて、シャワーを浴び、この日記を書く。家と連絡が取れてない。ホテルにあるインターネットカフェはいつも閉まっている。0645から朝食、0730迎えが来た。フィールドに出発。今日の換金パラレルレート1US$=1200ZW$と日に日に暴落。20US$変えて大金持ち。150km西へ行ったところのChinhoyiという町。そのprovinceのエイズプロジェクトを見ることとなった。西のはずれにある人工湖畔Karibaに行くのかボートを牽引する車に良く出会う。一方でボート遊びをスルヒトあり、一方で飢餓。Ministerに寄り、患者の家へ向かった。おばあさんが現地語でマガディ(こんにちは)と手をたたく、AIDSを発症して3ヶ月程度なので思ったより類痩もなく、衣服もきれい、インタビューする。ここらはコテージが4-5丸くならびそれに家族が分かれて寝起きし隣の家までは3-500mは離れている。ここで2グループに分かれて、もう一つの家を訪ねた。おばあさんが面倒を見ている。その方はAIDS+Tb(結核)で4ヶ月臥せっていた。少し痩せている。お勝手を見せてもらい、ご飯と豆の汁が火にかけてあった。まさしくご飯と味噌汁か。周囲の畑も雨季を迎えるために準備良く耕してある。ここは貧しい地域なのだろうか。移動してWater sanitationプロジェクトエリアを見た。深い井戸と各家のトイレ作製がコレラ蔓延から救った。広い荒野。時々耕してあり雨を待っている。雨季になり雨が降ったら種をまく。ところで昨夜から下痢、お腹の調子悪い。午後2時過ぎのチキンカレーの昼食も食べられず、でもお腹は凹まない。現地料理サザン食べられず。集会所へ、地元のfacilitatorやvolunteerの人が歌や踊りで歓迎してくれた。トップのfacilitatorから説明を聞く。孤児の問題。女性が多い。シャワーと雷のなかハラレに戻る。1800ホテル着、すぐにミーティング、そしてデンマーク赤のKnud氏がやってきていろいろ情報をくれた。とうとうこの晩はお腹が痛く食べられず。槙島先生が気を使ってくれ抗生剤と湯沸し、お茶をくれた。トマトと梅干を食べた。早く寝た。どうしたんだろう、いつもになく力が出ない。自分がエイズのような。節々痛いし風邪か。

11/6 昨夜から雨。まだ少しお腹が痛い。もう下痢でお腹の中は一掃された感がある。先日も膝を怪我して一週間苦しんだし、体力の無さに自信を無くした。国際医療救援は、整形と共に大事な分野だと思ってがんばってきたが、奥は深く中途半端ではいけない。早く国際救援部長を適任者に譲ろう。やっぱり国際救援は体力的にも精神的にも無理かな、等といろいろ考える。なんとか朝食を食べた。0815にパトリシアが迎えにきてくれZimRC事務所でビューレさんを拾ってハラレを出たのが1030。ビューレさんは看護師でZimRCのHBC担当、月80US$というが身なりは高そうな衣装。道中いろいろなことを聞いた。雨で路面も悪く東へ100kmほど行った町Maronderaに着いたのは1200前だった。トレーニングセンター兼事務所は立派でそこでfacilitatorの方たちとミーティングした。Facilitatorは月1US$。1000ZW$で大きな石鹸2個、マンゴ1kg(10個ぐらいか)、ペットボトルが200ZW$ぐらい。レストランで昼食。お腹もだいぶ治ってきた。Clientの家へ二手に分かれて見に行った。ここはコテージでなく平屋の家、我々の行ったところはTbで、HIVの検査は高くて受けていないと。HIV検査は1500Z$。臨床的にエイズと診断された。確かにHIV/AIDSの問題は大きいが診断が甘そう。3軒目の家はノーマルファミリーというが貧困。12型白黒テレビはあり、水も出る。家族が多く、子供の教育費とか困っている。月収5000Z$。病気より貧困、不況、食糧難に対する政府の対策がしっかりせず人的災害の言葉が正しいかもしれない。AIDSという言葉でキャンペーンとしては良いが実際はincomeが無い人向けのBHC(家庭看護)という感じがした。帰りに交通事故を見た。この国死因の一番はエイズ、二番は交通事故という。まずは失業対策からか。90%貧困というがハラレなど町の暮らしは良く、貧富の差は激しい。原因は何にしろ困っている人助けするのが赤十字なので、この国の困っている人の手助けをすることは良いことだ。今日は一日雨で寒かった。アフリカらしくからっと晴れて暑かったのは一日目のみ。今夜はZimRC主催の晩餐会。高級ホテル5500Z$のコース料理、ビールやワインはもちろんバンド付き。隣に座った連盟副総長の奥さんの話では多くの観光地があり1週間回ると良いとの事。有名な滝のヴィクトリアフォールやそこからkaribaへ船でクルージング、南西には動物が見られる国立公園(保護区)がある。しかし国の南西こそ貧困でAIDSも多いと。毎日スケジュールタイトで町を歩く暇も無く、当然土産を買う暇も無い。店は1630に閉まるという。家へ電話した。和子が出た。敬太と話した。早朝6時ごろ。日本は変わりが無いとの事で安心。6分で1880Z$=約180円ぐらいか。アフリカ、百聞は一見にしかず。初日は30度を越す暑い日であったが今日は一日雨で、ど寒かった。

11/7 滞在最後の日が来た。今日も曇り。お腹の具合は普通以下。もう抗生剤はやめた。現地4泊4日という気密スケジュール。貧困とはいえアフリカの映像でよく見る飢餓のがりがりの人は見かけない。ここ2-3年は干ばつもあり物価急上昇で輸入もままならず生活は一転したようだ。昔は豊かであったらしい。今日はUN関係とミーティング、フィールド調査、そしてお土産買えるか。像皮の鞄、お面、皮ジャン、象牙製品、ライオンの牙、いろいろありそう。実際は、0815迎えが来て、厚生省、UNAIDS、National Aids Council 、WHO等あちこち回りemmaらと郊外のアフリカ庭園のきれいなレストランで昼食が2時過ぎまで。街へ帰ると買い物の時間は余り無く、art market、公園の露天売り場でマスクを買った。3軒程度回った。もっと時間があればじっくり探せたが、1645よりFinal meetingのためstop。何も買えず。ジンバブエ赤で調印式のような最終会議であった。Sheratonホテルにて日赤が招待のDinner。バイキング形式なのが難だったが一人10000Z$で招待できた。いよいよ明日は出発、朝の出発をunbalanced stoneを見るために30分早めたら槙島先生と加藤さんが対立。結局0645に出ることとなった。加藤さんと当院田中さんのdelegateについて相談。ここジンバブエ1年はどうだろうかと、最初の1ヶ月は付いてくれると。ここのsituationは良い。RCのheadに女性も多くfriendly、連盟もICRCもありもちろんZimRCとも相談しやすい。初めてのdelegateでも大丈夫と。暮らしも良く、治安も夜以外は悪くないと。

11/8 朝一にホテルを出発、お札の裏にもなっているアンバランスストーンを見て空港へ、なんとエコノミーplusにアップグレード、ビジネスほどではないがリラックス。でも10時間は疲れてロンドンに1800頃着いた。Hiltonホテルには2000過ぎ、一日機内でお腹も減らず寝ることとした。11/9は、昼ロンドン発深夜便。11/10朝、成田着。11/11は本社ミーティング。
とにもかくにもミッションは終了した。はじめてのアフリカは瞬間の出来事だった。アフリカのイメージ、からっと晴れて荒野や森林の続く大地、現地の人々は貧しいながらもほのぼのと暮らす。人がいい。苦しんでいても笑顔。なかなか4日ではわからない。1を見て10を知るのは難しい。しかし突破口はできた。百聞は一見にしかず。日赤のキャンペーンとしてAIDS対策として旗を揚げれば募金は集まりやすいが、現地でのHBCは単にAIDS家庭だけでなく貧困家庭対策プログラムとなってしまう。僕はフィールドアセスメントしてクライアントを回れば回るほど困惑した。政府の貧困対策、不況対策、食料対策が進まない限り根本は解決していかない。この国の政策、外国企業を排除、ヨーロッパとの関係が悪い現在、日本からの支援は多く期待されている。観光誘致もままならない。本当は雇用対策、国家事業が必要だ。
はじめは帰ったら石川副院長に相談して国際医療救援部の部長という重職を降りたいと申し出るつもりだった。終わって槙島先生に調査ミッションも悪くないでしょと言われると、また行ってもいいかなと思った。しかし今回は体調悪く辛かった。また整形とは全く違う話で、かつ政治がらみによる貧困が諸悪の根源である現実を知ったときなんか矛盾を感じた。赤十字は戦争を止めるのではなく、病む人を敵味方の差別無く助ける精神であることを再認識した。今日の交換レートは1400Z4=1US$と、Knud氏はこのクリスマス後に経済破綻すると。いつまで続くのか。貧富の差が激しすぎる。どうしたら中流になれるのか。皆が平和に成れるのか。今日もイラク情勢が不穏で、今にも犠牲者が出そう。派遣中イタリヤやインドネシアで地震はあるし、世界で困っている人はたくさんいる。もったいなすぎる自分のポジション、もっと英語の勉強を、もっとがんばれるか。
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