トルコ日記2002.9.1-11 国際脊椎学会in Turkeyに参加


9/1 安城を出てから、まる一日かけてアンカラのホテルについた。午後11を過ぎた。メラトニンを飲んですぐ寝た。
9/2 アンカラ市内を回った。
朝食後、ホテルの周りを散歩したが何もない。フロントで聞くと15分歩くとショッピングセンターがあるとのこと。横目で確認してタクシーで一気にアナトリア文明博物館へ行った。約12,000,000TLトルコリラ,インフレで、とにかく額が大きい。紀元前からの文明に触れた。アンカラ城へ。英語のしゃべれる小さい子が頂上まで案内してくれた。城の近くは貧民街、多くの家が地震の後か壊れたままとなっている。Money, pera, peraと子供たち。旧市街を路地まで歩いた。埃、人、車、、、。ハジ・ジャーミィ、モスク隣のアウグストゥス神殿は地震で壊れたのか改修中、ローマ浴場跡に行った。発掘中のまま広っぱ。これで入場料を取る。メトロのウルス駅へ行く途中で街中の食堂で昼食、ケバブと甘いフライ。6300,000TL。ウルスからメトロに乗ってクズライへ。こっちは品がいい。上がモスクKocatepe camii、下がショッピングセンターBegendikという所へ。今度はAnkarayに乗ってタンドアン駅、アタテュルク廊へ。入り口でさっき買った飲み物を預かられた。暑い道のり。尚子に携帯電話が通じた。タクシーでアタクレタワーへ、名古屋の中日ビルと同じ回転レストラン。一杯飲んでタクシーでホテルへ帰ってきた。良く歩いた。
9/3 8:45カッパドキアツアーへ。
アヴァノスの陶芸、窯元へ。タイルはここが名産と。5万円以上する皿は買わずに済んだ。夜49,000,000/一人出してナイトツアーへ。9時から厳粛な回旋するおどり、民族踊り、ベリーダンスをみた。飲み物はフリー。水で割ると白くなる「ライオンの」RIKIを少し飲んだ。
9/4 ツアー二日目、夕方学会会場へ
洞窟のホテルではなかった。9時に出発してきのこ岩を見る。ユルギュップの古い町並みを見た。保存されているというがそのまま暮らしている。カーペット屋へ、10万もするのを勧められたが6万までまけさせたが断った。昼食をとり、宝石屋へ。トルコ、それもカッパドキアの名産は、絨毯、タイル、トルコ石ということが良くわかった。いよいよカイマクルの地下都市へ。地下40mもおよび、鍾乳洞のようだが、人間が掘ったというところがすごい。シェルターだ。また250km、4時間かけてアンカラへ。なんと一緒にいったガイドのセミさんは、途中で別のバスに乗ってまたカッパドキアツアーガイドに行った。あのドライバーも。
7時半について、夜のwelcome receptionに出ることとした。大阪米延先生にお会いした。この学会はトルコの脊椎学会らしい。ヨーロッパのdrを意識しているようだ。
9/5 学会へ
 ヨーロッパ圏は英語の苦手の人もあり、ゆっくり話してくれ比較的わかりやすいが、中には逆に訛りがひどく全くわからない。自分の英語もbroken Englishで聞きにくいのだろうな。9/7のフライトの変更やイスタンブールのホテルの予約をオズグルに助けてもらって行う。夕方、カルムモールへ行きシルクのテーブルクロスを買う。魚料理の店へ行き地中海料理を楽しむ。早々にホテルに帰った。
9/6 朝7時から学会へ
Lenke先生の特発性側わんの分類、MRIによる脊椎圧迫骨折の分類、経皮骨セメント注入などの講演は良かったが、トルク語の発表もあり参った。インド地震のとき世話になった武蔵野日赤の山崎先生に会った。昼からホテルに帰り近くのBilkent shopping centerに行って来た。日本の大きなモールと変わらない。何でも売っている。ホテルのプールにちょっと入ったが寒かった。8時から学会のパーティーに参加した。
9/7 朝4時におきてイスタンブールに移動。
6:45のフライトでイスタンブールへ。空港迎えなくタクシーで。降りる瞬間にもっと安い別のホテルを紹介すると。また12ミリオンを20と言い、ねぎって13にした。旧市街のYesiLEホテルにつくと予約はないという。でも空き部屋があり泊まれた。どのへやもアンティークで$160/day。早速荷物を置きスルタンアフメットジャミィへ。絨毯屋にいきなり付きまとわれまいった。中はブルーモスクというほど青くは無く、しかし広く大きい。地下水を貯めていた地下宮殿、アヤソフィア博物館、JALのreconfirmをしようとしたら土曜日でofficeはしまり、空港にはデスクは無く、トルコ航空とコードシェアー便なのに乗客名簿にはないというつれない返事。日本の尚子に電話して東京でしてもらって一安心。メインはトプカプ宮殿。どこも入場料は15ミリオン。ハレムも待たずには入れた。中はきれいだがここから出られないのは独房生活だ。ボスフォラス海峡、マルマラ海の見えるテイクアウトのレストランでケバブ入りのパンとビール。さすがに朝早かったので疲れた。国立考古学博物館をみてスィルケジ駅へ、そしてエミノニュ桟橋へ。夕方で人通りも激しい。つりをする人、ボスフォラスクルージングの船、フェリー、硬いとうもろこし屋、パン、露天が多い。イェニジャミィなどがかすんで見えるのは埃のせいか。トラムでスルタンアフメット駅までもどり絨毯屋の路地を縫ってKoreanレストランへ。焼肉、ちじみ、スープ、キムチなどアジアの味を楽しんだ。7時半には帰り、疲れはてて寝た。ジャミィに近くコーランは何回も聞こえ、人の声もうるさく何度も起きた。朝も5時からコーラン。
9/8 新市街へ
旧市街を歩いて北上、日曜日で店は開いていない。エジフシャンバザールは日常品のバザールで面白い。イェニジャミィをみてエミノニュ桟橋10:30発の定期便に乗ってボスフォラス海峡を船で渡り20分ほどでベシュクタシュへ2500000。ドルマバフチェ宮殿はすごかった。ベルサイユを真似して作ったのか。中の調度品もあり生活がしのばれる。海岸を歩いて南下。5階建ての古いビルが並ぶ通りを歩いてガラタ塔へ。85円のケバブ入りパンを二人で食べて塔に登った。見晴らしは最高。ボスポラス、アジア側、ヨーロッパ側、見渡せる。数え切れない人が行き来をした海峡。塔の上のレストランでさらに食事をした。スパゲティ、おいしかった。ビールを飲んでまた眠くなった。塔からガラタ橋へ歩いた。橋の周辺は釣り人、旅行客で一杯。夕方で遊覧船も帰ってくる。旧市街を歩いてスルタンアフメットの南のバザールへ。そして一旦ホテルへ。ひとシャワー浴びてトゥルキスタンレストランへ。トルコ料理のコース、残念なことにモスク周辺ではアルコールは飲めない。少し飽きたラム肉アラカルト。店員のおじさんと会話を楽しみ、トルココーヒーとチャイを飲んでフイニッシュ。ブルーモスクのライトアップをみて帰った。近くの屋外レストランで民族音楽と踊りを見た。このアンティークホテルにはテレビもラジオも新聞も置いてない。
9/9 西方面へひたすら歩いた
うわさのグランドバザール。たしかにいろいろな店屋があるが、観光客向け。らくだの骨の小箱、魔法のランプ、テーブルクロス、タイルを大体六掛けに値切って買った。最後は起こったような顔で、しょうがない日本人好きだからと。思ったよりはぐれなかった。スルタンスレイマンモスク郡、ヴァレンス水道橋を見た。上は歩けなかった。アクサライの街のマクドナルドを食べて海へ、海沿い歩いてクムカプ魚市場。さらにあるいてホテルへ2時過ぎに戻った。シャワーを浴びて今度はヨーロッパにつながるオリエント急行も走っているTCDDに乗ってバクルキョイへ。1回750,000。Atakoy ヨットハーバーを見た。たくさんあるがマリーナデルレイ程ではない。この街はきれいで賑わっていた。郊外へ出るほどきれいだ。Kumkapi駅で降りて魚市場横の海に面したレストランへ。魚はこの暑さで新鮮とはいいがたい。カツオのフライ、イカリング、ムール貝のフライ、子えびの油揚げなど食べて48,000,000。また路地を歩きながらブルーモスクへ。8時からのライトアップショー見たが何語の説明かわからない。そしてホテルに帰った。
9/10 やっと日本へ帰る日が来た。
 このホテルはテレビも無く外界と遮断されたバケーションが楽しめた。日本で何が起こっているのだろう。午前中トルコ・イスラム博物館で古い絨毯を見た。グランドバザールへもう一度、のこったトルコリラを使おうとするがなかなかいい土産が見つからない。テラスでトルコ料理を食べ、マックでアイスを食べ、2時にホテルを出て空港へ向かった。

携帯電話のレンタル J-phone一日1000円、j-phoneとはメール送りあえる。だいたい何処でもつながる。カッパドキアでもメールが送れた。

インターネットカフェ トルコ語ではyahoo.co.jpにアクセスできない。英語の環境に変更すれば可能。My.yahoo.co.jp日本語も見えて良い。こちらからは日本語変換無くローマ字。

日本人を金持ちと思って、やたら声を掛けてくる絨毯屋。善良な日本語のうまいトルコ人も多いと思うが、日本語で声を掛けられると引いてしまう。メルハバ、ギュナイドゥン、テシュキュレディリム、オンミリオンはやっと覚えた。