アマチュア無線と災害時の対応

名古屋第二赤十字病院アマチュア無線クラブJE2ZND代表

佐藤公治JR2TDE(写真1)

【ボランティア】

 私は子供の頃ラジオ少年でした。1975年開局してから29年間アマチュア無線を楽しんでいます。1995年阪神大震災後、JARL愛知県支部非常通信訓練に参加、毎年訓練サブ基地局等をオーガナイズしてきました。1999年職場が変わり日赤関係に勤務することになりました。実はこの時からボランティアに目覚めました。赤十字の仕事はボランティア精神と人で成り立っています。しかし気持ちだけでは動けません。日赤では医療の他に国際救援や国内救護を任務としていて、そのためにいくつかの訓練を行っています。やはり日頃の訓練や研修が必要です。日赤の訓練や研修を受けて、また多くのボランティアの方々と会ううちにこの世界にはまりました。当クラブは2002年JARL創立75周年およびアマチュア無線再開50周年記念式典、2004年東海地方非常通信協議会から表彰されました。

【人とのおつきあい】

 通称、八事日赤AMC(http://www.jarl.com/je2znd/)はJG2CZC伊藤事務局長を中心に職員を正員として運営しています。しかし正員だけでは活動はできませんし、地域でのネットワークが必要です。JARL登録クラブとして愛知県支部長JG2GFX種村OMや東海本部長JA2HDE木村OMと密に連絡を取っています。

 もともと私は、JR2ODZ佐藤篤郎会長とパ・ケッタハムクラブJR2YEC(http://www.jarl.com/jr2yec/)を1977年より運営していました。1987年頃はパケット通信で再び盛り上がりました。1993年からはJA2ATS平野OMやJA2QEK毛受OMらとJARL愛知支部大会やハムの祭典、支部非常通信訓練に積極的に参加しました。1994年に念願の2400Mhz刈谷レピータJP2YFOを設置、毎年訓練サブ基地局として参加しています。2000年に1200Mhzを増設しました。また1991年に知り合った上前津レピータJP2YGEグループのJA2ZP森OM、JF2VPT山本OMらにはクラブの準員と八事レピータの管理団体の一員としてお手伝い頂いています。これらの八事・刈谷・上前津のレピータグループで年何回か合同ミーティングを行いface to faceのおつきあいをしています(写真2)。

【日赤関係のボランティアグループと】

 愛知県赤十字無線奉仕団(JL2SUR中村団長)(写真3) や愛知レスキューサポートバイクネットワークのJP2EQW石田OMと訓練協力をしています。また2003年には日赤第3ブロック訓練において日赤高山無線奉仕団JA2OL住奥OMと協力しSSTVによる本社との交信訓練を行いました(写真4,5)。非常時、記録に残る通信としてSSTVやパケット通信は良いと思います。

【当院屋上にレピータ設置】

 当院は災害拠点病院にも指定されており新第2病棟の地下には発電所も有し災害に備えています。非常電源もあり屋上に非常時にも使えるレピータを設置するのには最適と考えました。2000年に1200M帯レピータ、2003年に2400M、430Mレピータを増設しました(写真6)。これらは24時間、また災害時でも非常電源により運用できるよう整備してあります。毎年8月の愛知県総合訓練や10月のJARL愛知県支部非常通信訓練にて使用しています。430Mと1200Mはバックアップ用にもう一台中古を用意しています。将来、無線のデジタル通信が重要と考え2004年D-STARレピータを設置し実験に協力しました。

【JARL愛知県支部非常通信訓練の本部局を運用】

 2002年初めて本部局を運用しました。クラブ員も本部の動きに慣れて無く、さらに本番でリグの故障等あり少しあわてました(CQ誌2002年12月号掲載)。毎年クラブでテーマを決めて訓練しています。2003年はドクターズヘリを想定して愛知県内にクラブ員が移動して通信訓練を行いました(表1)。2004年にはしっかりと整備し144M,430M,1200Mと3バンドで愛知県内の局と順調に訓練できました。9時から10時はサブ基地局として訓練、10時から本部局として、また11時からWIRESおよびD-STARによるインターネットを使った訓練を試みました(写真7)。私は2003年JARL愛知県支部運営委員に任命されJA2DEX柴田OMとJF2WGI水野OMと非常通信訓練係をしています。

【インド西部地震の経験】

 2001年インド西部地震に医師として赤十字の国際医療救援に参加しました。災害時は限られた器材と人員で活動しなければなりません。災害用ERU(Emergency Response Unit)では通信やコンピュータ機器など電子機器多く、医療だけでなく電気的知識が役立ちました。また常に無線による連絡が必要でしたが、トランシーバーの扱いなど全く苦になりませんでした(交信は英語でした! CQ誌2001年6月号掲載)。

【新潟中越地震にて】

 阪神大震災の後、電気通信関係の災害対策は急速に進み、また携帯電話も更に普及しました。今回は電気通信の復旧が早く、一部防災無線が使えませんでしたが、5日目に救護に行った時には携帯電話のメールも使えました。

【災害時におけるアマチュア無線への期待】

 災害時用にいくつかの無線システムが常備されています。当院にも防災、医師会、日赤無線、衛星電話も準備してあります。しかしそれは業務連絡用で、いざというときにボランティアに貸し出すわけにはいきません。携帶電話が使えなくなるであろう、そのときに役立つのは安価な無線機と、そして日ごろから無線を趣味にしているアマチュア無線家です。平常時から利用していないシステムは、いざというときには利用できないと言われています。その点ハムは、無線機も常時使用し点検も十分です。非常通信訓練を繰り返し行っています。車からも運用可能な局もあります。災害時には、幹線以外の連絡、特に各ボランティアの連絡に活用できると考えます。

【最後に】

 私は院内の災害対策委員でもあり整形外科医でもあるので、もし当地で東海地震が起こったら無線まで手が回るかどうか。ボランティアの方が駆けつけて頂ければ運用できるようにしてあります。名古屋第二赤十字病院アマチュア無線クラブは、今後も赤十字精神にのっとり非常時に貢献できるよう設備管理と訓練を、あたらしい技術進歩にチャレンジしながら続けるつもりです。

写真1 筆者

写真2 八事・刈谷・上前津レピータ合同ミーティング

写真3 愛知県赤十字無線奉仕団と

写真4 訓練模様のSSTV画像(岐阜・高鷲村から東京浜松町へ)

写真5 JA2OL住奥OMと

写真6 シャックの機器とレピータ(奥のラック)、訓練中

写真7 2004年本部訓練参加者

表1 2003年訓練、ドクターズヘリを想定して