メルボルン/大阪ダブルハンドヨットレース1991とハム

  JR2TDE 佐藤公治


 4月28日午後8時55分ヨットCSK BengalUは大阪北港へ無事フィニッシュしました。35日間かけてオーストラリアのメルボルンから大阪まで5500マイル(約10200km)を完走したのです。その瞬間、パートナーの邨瀬氏と抱き合いました。いくつかのヨット、ボートが迎えてくれホーンを鳴らしてくれました。成績は10カ国43艇参加中の12位でした。フイニッシュ当日、北港ヨットハーバーには家族、友人、すでにゴールした他の艇、コミティー関係者など多くの人が待っていてくれました。

 「あぁ、やっと着いた。すべてが終わった。」

 桟橋から陸へ足を踏み入れたとたん、皆の顔を見ると涙があふれました。

 「みなさん、ありがとう。お世話になりました。」と繰り返し言う声が詰まります。花束をもらい、完走メダルを授与されました。カメラのフラッシュが飛び交います。思い出に残る最高の夜でした。

1.準備

 このチャレンジに参加のための準備は1年前からすすめられました。仕事の段取り、ヨットの借用、スポンサー探しから始まりました。ヨットは全長16m、前回のこのレースのために作られたものです。名前はCSK Bengal Uと決まりました。やれるところは自分で艇の整備、ナビゲーション機器の設置をしました。このようなロングレースでは直しながら乗っていくことになるのでなんでも自分でできなくてはなりません。そうこうしてあっという間に1年がすぎてオーストラリアへ回航の出発の日、昨年12月2日がやってきました。

2.回航

 レースはオーストラリアから日本までなのでヨットを回さなければなりません。このレースの第一回に参加した丹羽氏JK2NYKのアドバイス

 「船積みするよりぜひ回航したほうがいい。帰り道は早いというでしょう。レースでは勝手知ったところを走ってくるわけだから。」 そのとおりでした。

 回航のコースは愛知県の碧南を出港後、小笠原村父島、グアム、ギゾ島(ソロモン諸島)を経てシドニー、そしてメルボルンへ向かいました。回航には安藤氏JM2NDG、柳沼氏JH1PEP、竹下氏JP2EJM、佐藤氏(弟)JR2ODZ、谷岡氏、平野氏がクルーとして乗り組みました。

 いちばん大変だったのはグアムで遭遇した時期はずれの台風29号です。920mbでグアムの南東をかすめました。最大風速140ノット(約70m)は、もう正気の沙汰ではありませんでした。CSK BengalUは喫水が深くて港の奥の台風シェルターへ行けず7つのもやいを取り台風の通過を待ちました。コンクリートのアンカーからも取ってありましたがなんとそのコンクリートが走錨しました。夜12時すぎ3本のもやいが切れ、艇が風下を向いてしまいました。艇は後ろから大波を受け浸水し、あやうく近くのリーフに座礁するところでした。

 回航中はマリンタイムモービルを楽しみ、また新しい試みとしてパケット通信を利用して画像通信を行いました(CQ4月号に掲載済み)。そして毎日シーガルネット(0700JST-,21.382MHz)、オケラネット(1220JST-,21.437MHz)にチェックインしました。おかげで父島の山田さんJD1BBH、青森の村田さんJA7MQP、メルボルン近くのジョアンさんVK3BJB、ほか多くの人とアイボールしたりお空で応援していただきました。無線で話した方とはじめてアイボールしたとき、はじめてなのにむしろ旧友に会うような気がしました。

 ギゾではH44/JR2TDE、H44/JH1PEPを1月12日から16日運用しました。テレコムで6ソロモンドル(1ドル約60円)を払うと限定免許をくれました。ちなみに50cmくらいのロブスターが2ドルでした。島唯一のギゾホテルに泊まり、そこの15mほどの木にロングワイヤーをはり運用しました。平日にもかかわらず300局ぐらいの局と交信できました。

3.オーストラリアに到着

 1月30日シドニーに着きました。ジャクソン湾に入り漁船に

「Welcome to Sydney!」と声をかけられ、さらに湾の奥へ入っていくとおなじみのオペラハウスがみえてオーストラリアに着いた実感がしました。早速テレコムへ行き相互運用の免許でVK2GJZのコールをもらいました。シドニーでは船底の整備とマストの新調を行いました。その合間をぬってサポートにきてくれた家族とドライブしました。オーストラリアは広い大陸です。ジョアンさんが無線で「昨日は1000kmドライブしました。」とよく言ってみえましたがやっとその意味がわかりました。まっすぐな道が延々と続いています。

 2月21日シドニーを出港し、3日間で世界の難所の一つバス海峡を通過しメルボルンに着きました。

4.レーススタート

 いよいよ3月23日スタートの日がやってきました。準備万端、スタートは多くの見送りや観戦のヨットでごった返し、空にはヘリコプターが飛び交ってます。海軍の大砲の音と共に大阪をめざしスタートしました。

 レース5日目、エンジンがかからなくなりました。エンジンで走るわけではありませんが、落水したり緊急時に機走できません。また近ごろのヨットはハイテックな電装品を積みナビゲーションしていきます。そのため充電は1日2回ほどエンジンを回しおこなっています。それがなんとスターターのギヤが割れてしまったのです。風向風速計以外はすべてオフとし、4時間おきに現在地を知るためGPSを立ちあげました。

 シドニーの海岸局2PCペンタコムスタットとのロールコールもはじめの15分程度聞くだけとしました。日本のサポート局(平野氏JA2ATS、磯村氏JR2GAG、佐藤(弟)JR2ODZほか)との交信もこちらは「0816,15703,異常無し」と緯度経度を棒読みするのみです。その後で皆が応援メッセージをかけてくれますが、バッテリセイブのため返事ができませんでした。それでも知った声が聞こえてくるのは心強いです。早いときはものの3分で終わりました。

 無線は陸にいる人を安心させるものだと思っています。妻も今回のために免許JO2PWDを取ってくれました。レース各艇には小さな送信機が積んでありコミティーはアルゴスというシステムで位置を把握しています。そのため2PCは受信だけとし家との定時交信を重視しました。

 レース13日目までは4位といいところにつけていました。何とかエンジンをかけようと試みましたが大型ディーゼルはなんともなりませんでした。その間スピンネーカを強風でおろすときに破いてしまいました。ブーゲンビル島の東を風を求めてコースを選びましたがそのまま赤道無風地帯に入り込み、島の西を通ったレース艇に負けてしまいました。風が吹きすぎてもまた風がなさすぎてもヨットはつらいものです。暑い暑い赤道を4月16日レース23日目に通過しました。北半球へ帰ってくるとなんとなく近い気がしました。

 レース28日目にオーストラリアのヨットがグアム付近で何かに衝突し沈みました。幸い2人はライフラフトで退船し、USコーストガードに助けられました。CSK Bengal2はそれまで航海灯もつけずに走っていましたが日本近海は大型船も多くつけることにしました。夜の海は不気味です。月があればまだみえます。懐中電灯の電池もなくなってきました。

 電気が使えれば自動操舵装置も使えるのですが、2人でずっと舵をひきました。3時間交代です。食事を作ったり、ナビゲーションをしたりもせねばなりません。舵が強くひっぱられ、セールチェンジ、20mmもあるシートを引くので手はぼんぼんに腫れこわばりました。

5.おわりに

いくらでも書きたいことが浮かんできます。次への人へのアドバイスがたくさんあります。このチャレンジを通じ多くの人に出会い、助けていただきました。6ヶ月のバカンス、約2万キロ以上の航海で貴重な経験をしました。これを活かしていきたいと思います。応援していただいた皆さんに紙上をお借りして感謝いたします。


CQ誌 1991年 月号 P. - 掲載