【第62番・天養山・宝寿寺(高野山真言宗)】 愛媛県周桑郡小松町新屋敷
                                     

 宝寿寺は元一ノ宮の別当として栄えた寺である。最初は中山川近くにあり再三の水害で寺は移転を繰り返したが、伊予水軍の菩提寺として、大三島の大山祇神社の別当寺を勤めてきた。
寺の北側にある一ノ宮神社も大正10年当時の国鉄予讃線の開通で分断され、一ノ宮との関係も途絶えてしまった。
また国道11号の買収で境内の一部が切り取られて境内は狭くなってしまった。

国道側から入ると山門の石柱に「一国一宮別当宝寿寺」と刻んである。この寺は、天平年間(729-49)に伊予国一ノ宮御法楽所として建立された由緒をもつ。その後、弘法大師がこの寺に留まり十一面観音を彫って本尊としたと伝える。

境内の正面に本堂・右手前に大師堂がある。山門右手には”ちしゃの木”がある。
以前は旧道にあった、真念の道標が一本保存されている。真念は貞享3年(1686)に「四国徧礼道指南」という遍路アドバイス本を出した行者で、道標や通夜堂を建て、後に「四国徧礼霊場記」七巻を書き、江戸時代の遍路ガイドブックの第一人者と呼ばれた。

史上最多回数の遍路保持者は、弘化4年(1847)に周防の中務茂兵衛280回歩いたといわれ、88回目から道標を建てはじめて、結願の大窪寺を切幡寺の方へ下ったところには、最終の「279回記念」の道標が建てられている。
真念道標は第67番大興寺
の境内に建てられているが、中務道標も「100回記念」がすぐ近くに建っている。
四国最古の道標が四国で一番古い神社の別当寺にあるのもなにかの因縁か。
真念の墓が志度寺の北側塩屋海岸の共同墓地で最近発見され話題になっている。


 山門を入って、石柱正面が本堂

本 堂・本尊・十一面観音。ほかに蔵王権現像・
     大日如来坐像・左 大師堂