| 【第2回】・【第9日・10月2日(金)】  喜久屋のお婆さんは80歳に近いと思われるが、親切な人で朝起きが辛いので、朝食は近所の喫茶店でモ−ニングサ−ビスで頼みますとのことで、店の位置を書いてくれた。6時10分喜久屋を出発し、今日の順路は地図・第15図・第16図参照。
 喫茶店で朝食を済ませ36番青龍寺へ。距離11.0km。
 国道56号を横断し野尻部落へ。ここで今歩いてきた道と分岐し南へ、波介川を越して塚地部落で昭和48年供用したバイパスを行くか、塚地峠越えの現道を行くか迷っていたら、地元の人から現道は先日の豪雨で峠付近で一部崩落箇所があり危険と教えてくれるので、結局バイパス歩きとする。なるほどバイパスでも、峠付近の新トンネル口で山側からの土砂崩れ箇所があり、現道ではなお被害が大きいと思われバイパス歩きが正解であった。
 峠を下って、宇佐町の人家の連坦する海岸道路に着き、出発して8.0km、7時50分に宇佐大橋に到着。この橋は有料で今年か来年には償還され無料となるそうである。
 ここの料金徴収所で荷物を預かってくれるので、リュックを預け手軽になって橋を渡る。橋長は600mある。
 左手は土佐の海、右手は浦ノ内湾俗に横浪三里という風光明媚なところ。 海岸線に沿い暫く歩き、右手の山道に入ると石仏の並ぶ遍路道で36番青龍寺に着く。
 「第36番・独鈷山・青龍寺 (真言宗豊山派)」 高知県土佐市宇佐町竜
  8時40分到着。土佐・須崎の両市にまたがる横浪半島の東部、宇津賀山の東麓にある。波切不動明王と呼ばれ海上安全・豊漁などの守り神とされている。
 本堂から更に急坂を登ると国民宿舎があり、横浪半島南端の山頂を走り、須崎市浦ノ内で車道と合流する。
 9時10分青龍寺出発。再び宇佐大橋へ向かう。今日の宿、須崎市妙見町の司旅館までの距離は23.4kmと長い。
 
 9時50分宇佐大橋に着き、預かってある荷物を受け取り出発する。
 橋を渡り間もなく市境で須崎市に入る。ここからは浦ノ湾沿いに横浪三里を歩く。右手は山で左手が横浪三里、浦ノ内塩間部落の小部落をいくつか過ぎ浦ノ内出見部落に着く。
 横波三里とは、浦ノ湾海岸沿いの三里区間(12km)を言う様である。観光景観上の名称かも知れない。
 上空から見た横波三里は景観に富んで見えるが、実際歩いた時はダンプは通るやら、周囲の眺めも儘ならず只の道路である。
 浦ノ内出見の芝崎と塩屋地区の間を右手の山側に入ったところに番外・花山院廟があるが、時間的にもここは通過した。 
        
          
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「番外・花山院廟(千光院阿弥陀堂)」・春日山阿弥陀寺として花山天皇の位牌を安置したといわれる。明治4年廃寺となり、花山神社となる。
 悲哀の主人公に同情し遍路達が、当地を通るとき参詣し、語り草としたといわれる。古くからの番外寺。
 遍路道は、浦ノ内トンネルを過ぎ、横波三里の浦ノ内立目摺木部落を過ぎる。やがて浦ノ内東分の横浪地区分岐に出る。
 なお、長かった横浪三里は、浦ノ内西分部落で終わる。
 
 ここからは山側遍路道・仏坂峠越えコースが当初の予定であったが、9月24,25日の豪雨で相当の災害を受けているとのことで、急遽予定を変更し、浦ノ内西分・仏坂トンネル・押岡部落越えコースとした。
 
 なお、後日人に聞いたところでは、当初計画した仏坂峠越えのコースは遍路道としては最高のコースで、ここを歩かない手はないという、しかし災害には勝てず残念であった。
 この仏坂峠越えには、途中に番外・佛坂不動尊がある。
 「番外・佛坂不動尊光明峰寺(岩不動)」・
 伝説によると、弘法大師がこの坂を越えるとき、大空か諸佛が現れ大師が正面の岩に触れたとき、不動明王が現れたという。
 以来、遍路者や村人の信仰を集めているという。明治になって荒廃したが、昭和24年再建された。
 
 この歩いたコースもほぼ平坦ではあるが長距離のため疲れる。程なく人家の点在する押岡部落を過ぎ、桜川を渡り、JR土讃線高架橋を渡ると当初案の仏坂峠越えの道と合流し、JR多ノ郷駅前を300m過ぎた辺りが今日の宿である。16時00分到着。
 
 今日の行程  L=34.4km    55,100歩 (泊)「司旅館」
 
 今日は長丁場であったがその割りに調子も良く、足のマメも完治したようである。
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