【第11番・深雪山・上醍醐寺 (真言宗醍醐派総本山醍醐寺内)】 京都市伏見区醍醐山 第7回・平成6年9月22日 貞観16年(874)、理源大師聖宝が、山上に草庵を結び、准低・如意輪の観音像を安置し、元慶元年(877)、堂宇を建立し、醍醐寺と称したのが起こりである。 醍醐天皇は聖宝に帰依し、延喜4年(904)、山下に釈迦堂、同7年(907)山上に薬師堂・五大堂を建立、また朱雀天皇は法華三昧堂、続いて村上天皇が五重塔を建立するなど、歴代朝廷の崇敬厚く寺運は隆盛した。 南北朝時代には、足利尊氏の帰依により、上醍醐(山上)に27院、下醍醐(山下)に60余院の堂宇を擁していた。 しかし室町中期以降、寺運も次第に衰え、文明2年(1470)・応仁の乱の兵火で、山下の諸堂宇は五重塔を残しことごとく焼失、山上の伽藍も荒廃した。 戦国末期、秀吉の帰依のもと諸堂宇を復旧、さらに徳川家の援助で寺運も再び隆盛した。 慶長3年(1598)3月、秀吉が当寺で開いた盛大な花見は”醍醐の花見”として有名となった。 現在も境内は、醍醐山上から麓にかけて40万uの及ぶ広大な地域を占め、堂塔90に近く、国宝6棟・重文3棟がある。 山下を下醍醐・山上を上醍醐と呼ぶ。旧奈良街道に面する下醍醐には創建当時の建物等が建ち並ぶ。 [下醍醐] 9時20分発 三宝院前バス停から東の総門を入り、桜並木の仁王門までは、左手に勅使門・三宝院唐門・更に奥には寺務所・理性院がある。右手には、霊宝館・宝聚院が立つ。 仁王門をくぐると、右手奥に光台院、杉木立の参道を歩き、(国宝)金堂・鐘楼・右手に清滝宮がある。 更に参道を行くと、右手に(国宝)五重塔、左に不動堂・(重文)御影堂・地蔵堂・伝法学院・行者寮と続く。 更に歩くと、左に大講堂・弁天堂・女人堂がある。 下醍醐はここまでで、上醍醐への急で長い山道となる。約4kmの急登である。 西国札所で最も急で疲れるところはここである。 (国宝)三宝院・唐門・ 表書院の南西、庭を隔ててある。聚楽第の遺構といわれ、慶長3年(1598)、他の建物と一緒に造立されたともいわれる。桃山時代の様式をよく残している。現在平唐門の傑作の一つとされている。 扉には、表裏とも、五七桐が浮彫され、左右の脇間にも同じ大きさの菊花紋が配されている。 (国宝)三宝院・殿堂・ 玄関・勅使の間・表書院・宸殿・庫裏・純浄観・護摩堂、いずれも慶長3年の建立。 三宝院・ 醍醐寺の塔頭で、醍醐寺五門跡の一つ。庭園は桃山時代の遺風を残した名園。 (国宝)五重塔・ 創建当時の唯一の遺構、承平年間(931‐38)建立が計画されたが、途中中断され、天暦6年(952)に完成された。初層内部には、真言八祖像や両界曼荼羅など、見事な彩色が施されている。 総高38m。 (国宝)金 堂・ 慶長5年(1600)秀吉が紀伊湯浅・満願寺から移したもの。桁行7間、入母屋造り、湯浅で建てられた年代は不明だが、平安末期の建築と思われる。 本尊・(重文)薬師如来・日光月光両脇侍 清瀧宮・ 金堂の南にある醍醐寺の鎮守社。(重文)清瀧社本殿は三間社流造り、毎年4月第2日曜には、太閤の花見行列を再現した祭礼がある。 大講堂・ この周辺に広がる、池泉・弁天堂・鐘楼・地蔵堂・阿闍梨寮を総称して大伝法院という。池泉は昭和50年の作。 |
![]() 醍醐寺・総 門 |
![]() 醍醐寺・総門を入り長い参道 両側には桜並木が続く |
![]() 醍醐寺・(国宝)唐 門 秀吉が聚楽第より移建した |
![]() 醍醐寺・直径三尺の菊花紋と醍醐桐を彫刻 |
![]() 醍醐寺・三宝院門跡 山 門 |
![]() 醍醐寺・三宝院 庭 園 |
![]() 醍醐寺・仁王門 |
![]() 本尊・(重文)薬師如来両脇侍 |
![]() 醍醐寺・(重文)清瀧社本殿 |
![]() 醍醐寺・(国宝)五重塔 創建当時の唯一の遺構 |
![]() 醍醐寺・御影堂 |
![]() 醍醐寺・大講堂 |
![]() 醍醐寺・弁天池・朱塗りの橋・弁天堂が建つ |
![]() 醍醐寺・女人堂 |
女人堂辺りから約3.5km・標高450mの醍醐山の山頂を目指す。 ここを登りつめた一帯が上醍醐で、道は山道で急峻。山道沿いに行者滝があり、冷たい滝水が飲める。 更に登りつめると、(国宝)薬師堂・(国宝)清滝宮拝殿・西国11番札所の准胝堂・五大堂・開山堂・如意輪堂が建っている。 |
![]() 上醍醐への登り口・ここより3.5km急な道が続く |
![]() 上醍醐への登り道途中の急な石段・ |
![]() 上醍醐への山道参道途中にある行者滝 |
![]() 上醍醐・清滝宮近くにある醍醐水・ 醍醐寺発祥の冷泉・社殿を建て保存されている |
[上醍醐] 10時40分発 急峻な参道を登りつめると、標高450mの醍醐山山頂で、この一帯が上醍醐である。 先ず(国宝)清滝宮拝殿・(国宝)薬師堂・左手の石段を上がると西国第11番札所・醍醐寺准胝堂・更に登ると五大堂・最終地点には(重文)如意輪堂・(重文)開山堂がある。 (国宝)清滝宮拝殿・ 上醍醐最初の社殿で、下の清滝宮と同じく清滝権現を祀る。入母屋造りで、神社建築にしては珍しい舞台造りの建物で、背後に本宮がある。 東側の社殿に、”醍醐”の名の起源となった”湧水・醍醐水”が今も清水をたたえている。 (国宝)薬師堂・ 保安5年(1124)の再建だが、醍醐寺では最も古い建物、入母屋造りで基礎を石垣で固めた堂。 中央には板唐戸をはめ込み、内部は土間になっている。 藤原様式のくり抜き?股は、宇治上神社本殿・平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三?股の一つ。 本尊・(国宝)薬師如来日光月光両脇侍 「西国第11番札所・醍醐寺・准胝堂」・ 創建は貞観16年(874)。昭和14年山火事のより焼失、同43年に再建された。醍醐水の北に建っている。 五大堂・ 薬師堂の東の石段を上がったところに建つ。 本尊・五大明王(秘仏)を安置。盗難・火災除けに信仰がある。 毎年2月23日には五大力尊仁王会がもようされ、力餅比べがあり、大勢の力持ちの参拝客で賑わう。 (重文)如意輪堂・ 五大堂から鐘楼を隔てて東に建つ。醍醐寺では准胝堂とともに、最も早く建立された堂。 現在の建物は慶長13年(1608)秀頼の寄進といわれる。入母屋造りで、桃山様式の舞台造り。 (重文)開山堂・ 如意輪堂の東に建つ。醍醐寺創建の師理源大師像を安置。そのため祖師堂・御影堂ともいう。 豪華な建物で、規模は上醍醐最大。南側には秀頼の寄進といわれる上醍醐陵がある。 10時55分着 |
![]() 上醍醐・(国宝)清滝宮拝殿 東側に醍醐寺の起源となった”醍醐水”がある |
![]() 上醍醐・(国宝)薬師堂 醍醐寺では最も古い ?股は日本三?股の一つ |
![]() 上醍醐・五大堂・盗難・火災除けに信仰がある 本尊・五大明王(秘仏) |
![]() 上醍醐・(重文)如意輪堂 慶長13年(1608)秀頼の寄進 桃山様式の舞台造り |
![]() 上醍醐・(重文)開山堂 豪華な建物で、規模は上醍醐最大 |